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ライアンはそれから十日の間我が家で療養した。この期間で私が狩れについて学んだことは生活能力が皆無だということだけだった。
あれはなにか、それは何のためにしているのかなど、根掘り葉掘り聞かれながらの生活の中で、彼の背中の傷もすっかりくっつき、ある程度激しい運動をしても問題ない状態になった。
怪我が順調に良くなっていくのに合わせてライアンは帰りたそうなそぶりを見せたが、ベッドに寝たきりだったことによってすっかり体は鈍ってしまっていた。失った体力筋力を取り戻すのに、動けるようになってからさらに数日を要した。
「そろそろ森を出ようと思う」
ある朝、ライアンが朝の訓練を終えて二人で朝食を食べていると、彼がそう言った。
「そうですか」
「君のお陰だ。本当にありがとう」
「拾って連れ帰ったのは私の意志ですから。どうぞお気になさらず」
私がそう言うと、彼は食卓の上に手を伸ばしてそっと何かを置いた。除けられた彼の手の下には、古着を買ったときに渡されたのと同じ光を反射して輝くいくつもの黒い石があった。
「本当はもっとちゃんとしたお礼をしたいのだけれど、今の私の手持ちではこれが精いっぱいだ。受け取って欲しい」
「そうですか。気にしなくても良かったのに」
私はそう言って、その石を机に置いたまま食事を続けた。もらえるものはもらっておいて損にはならない。彼を養うのもただではないのだし、その補填としてもらっておくのを私は当然の権利と躊躇わなかった。
ライアンがそっとその石を私の方へ押しやると、食事を再開することなく、じっとこちらを見つめて来た。
「何か?」
「それで、ずうずうしいことだとは承知の上で、君にお願いがあるんだ」
彼がまっすぐに私を見つめている。彼の言いたいことを汲んで、彼が動けるようになってから考えていたことを先回りで話した。
「森の外まで案内しますよ。さすがに縁あって世話した人間をこんな森の中で放り出したりはしません」
ライアンは驚いた顔をして、それからわずかに微笑んで言った。
「ありがとう。何から何まで君の世話になって」
「構いません。村まで送ればいいですか?あなたは貴族なんですよね?村に付いたら私から村長に話を通しますよ。そうしたら迎えを寄越してもらえるんじゃないですか。きっとあなたの家族もあなたを必死に探しているでしょうし」
「そのことなんだが」
彼は歯切れ悪く言った。
「できれば、君に道案内を頼みたい」
「私は森の外のことに関しては無知です」
「言葉選びが悪かった。私の行きたいところまで君に同行をお願いしたい」
「……何故ですか」
「その、簡単に言えば、私は命を狙われている。君ももう知っているだろうが、僕を襲った何者かが私をまだ探しているかもしれない」
「意味がわかりません。女の私を同行させて何か意味がありますか。あなたが襲われたら私も巻き添えですよ」
「分かっている。もしそんなことになっては本当に何と言ってよいのかわからない。出会って間もない上に、私の命を救ってくれた君に頼むことではないとは重々承知している。しかし、君にしか頼めないんだ。私自身自らの不甲斐なさに忸怩たる思いを感じないでもない。でも今はどうしようもないんだ。この状況をなんとかしなくてはならない。だが私一人では無理なんだ。武器もない。仲間もいない。連絡する手段もない」
口惜しそうに彼が目線を下へ向けた。その表情は演技とはとても思えないものだった。
「それに、理由ならある。君は強い。そうだろう?」
「強くはありませんよ」
「まさか。この森で一人で暮らしている君が、自分の身を守る手段を持たないとは考えられない」
「私は森での暮らし方を知っているだけで、戦い方は知りません。森の獲物を狩っているのは生きるためで、それだって罠を張って捕まえているだけにすぎません。刃物の扱いだって、捌く以外には使用したこともありません。過大評価です」
私は冷静に事実を語って聞かせた。
「それでも、君には何かある。戦わなくてもいいんだ。君は森の危険な動物を避ける手段を持っている。この森には狼や熊や猪がいる。そうだろう?そんな危険な森で、君は生活をしている。それは君に危険を避ける手段があるからだと私は思っている。戦えないというのなら、そういうことだ。だろう?」
「ええ、まぁ、それは否定しません」
「なら、僕が目的の場所へ、安全な場所へ移るまでその力を使って僕を守って欲しいんだ。僕だって得体の知れない誰かと交戦はしたくない。生憎武器となるものは何も持ってきていないからね。君の力でどうか安全な場所まで連れて行って欲しいんだ。お願いだ」
真剣な眼差しが私を射抜くように見つめていた。それは力強いまなざしだった。
「村へ送り届けるのでは駄目なんですか」
私はおばあちゃんの言葉を思い出しながらそう言った。
「君が以前村から帰ってきたときに話してくれたここら一帯の領主であるヴィンドルト伯のグラハム・アバネシーと僕の家とはあまり良好な関係ではないんだ。できれば関わり合いになりたくない」
「関係が悪いからといっても、別に取って食われるでもなし。私と二人で目的地へ向かうとして、道中で襲われるよりはずっとましでは?」
「いや。どうしても駄目なんだ。それでは駄目なんだ。もし無事に目的地へ辿り着けたら必ず礼はする。僕にできることであれば、何だって君の願いを叶えよう。宝石でも豪華な衣服でも金でも君に差し出そう」
「いりません」
「そう言わずに!君にだって欲しいものの一つや二つあるはずだ。それを僕が用意しよう」
「あなたにそんなことができるんですか?信じられません」
「知っての通り僕は貴族の端くれ。僕にできることならなんだってしよう」
「できなかったら?それに、あなたに本当にできると言う保証はありません。貴族だといっても、自由にできる裁量というものがあるでしょう。私は知っています。村で一番偉いのは村長ですが、その息子のガッツにできることは限られています。彼はなんでもできると嘯いていますが実際にできることはさほど多くはありません。彼の父親が否と言えば息子と言えど何もできません。あなたの場合もそれと同じではないのですか?見たところあなたはあなたの家の家長というわけでもないのでしょう?それで、そんな安請け合いをして、本当にどうにでもできるのですか?口先だけでないと言えますか?」
「神に誓うよ……」
「神様に誓っていただかなくても結構です。それに、ここで仮に私が同意して口約束を結んだとして、それが反故にされないなどとどうして言えますか?おばあちゃんからそう言う話は今までたくさん聞いて来ました。外の世界ではそういういやらしいことがたくさんあるのだと、卑しい心根の者たちがたくさんいると。だから、簡単に人を信用してはいけないと言われて育ちました」
「……私は君に嘘はつかない」
「それがあなただとは言いません。ですが、信用はできません」
彼が顔を上げてまっすぐに私を見つめる。悲壮感漂う顔の真ん中には、強い意思の光を宿す瞳があった。
「私があなたのために命を危険に晒す理由はありません」
「……白いパンが食べ放題だ」
ちちち、と小鳥が窓の向こうで鳴いた。
爽やかなそよ風が窓から室内へと入り込む。
彼の表情に光が差した。
「……うちには腕の立つ料理人が何人もいる。君が食べたことのない美味しい料理を振る舞おう」
そしてそれは勝機を確信した顔へと変わる。
「一日三食だ。何日いてもいい」
知らずごくりと私の喉が鳴る。
「間食に菓子もつけよう。甘い砂糖をたっぷりつかった菓子だ。ふわふわのケーキもある」
「ケーキ?」
「パンとは違う小麦を使った料理だ。雲を食べているかのようにふわふわだ」
「出発はいつが希望ですか」
「出来るだけ早い方が良い」
「二三日時間をください。色々と出発の前にやらなければならないことがあるので」
「君に任せる」
私は頭の中で、森のあちこちに仕掛けた罠を回収し、持っていくべき荷物をどうするか、道中の食糧はどれだけ必要だろうかなど、実務的な事柄を考え始めた。
目の前の椅子に腰かけるライアンは温くなったお茶の椀を手に取ると、優雅に口を付けて一口飲んだ。その喉仏が僅かに上下に動くのが見えた。




