表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
田舎娘街へ行く  作者: たろう


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/7

1

いつものように一人で森をぶらぶらしていると、視界の向こうに見慣れないものが落ちていることに気付いた。遠くにあるからそれがなんなのかわからなかったけれど、金色のぽやぽやした何かが地面に落ちていて、それが森の木漏れ日を浴びてキラキラと輝いていた。そよ風にふわふわと揺れている。


私は立ち止まってそれを遠くからじっと見つめた。もちろん周囲への警戒も怠らない。


この森は広く、危険な生き物が多数生息しているからだ。不審なものには不用意に近づくなとおばあちゃんには耳にタコができるほど聞かされて育ったから、その辺はぬかりなくやっているつもりだ。


姿勢を低くして木の陰に隠れ辺りの様子を息を殺して観察したけれど、その金色のぽやぽやしたもの以外おかしなものはないようだった。


そうは言っても森の中にこんな派手なものがあるのは異様なことだった。花ならまだしも、穴熊も狸も熊も兎ももっと地味な色をしているものだ。せいぜい狐くらいだろうか。明るい毛色をしているのは。しかし、目の前にあるそれは狐よりももっと明るい色と健康的な毛艶をしている。


私は好奇心に負けてそれにこっそり近づくと、それが人の頭であることがわかった。その先に、茂みに隠された体があった。


人間?そう思って木の影から出てよく見れば男だということが分かる。髪の毛が短いし、身長も高いし、腕や足も太い。ところどころ身に付けている衣服が破れて血が滲んでいるが、特にひどいのは背中だ。肩口から脇腹付近まで大きく裂けている。


何かに襲われたのだろうか。私は訝しく思う。熊が真っ先に候補として思い浮かんだ。もしそうだとしても、人の足で逃げ切れるだろうか。それにここまで逃げてくるとは……。


未だかつてこの森で私とおばあちゃん以外の人間を見たことは一度としてない。森をずっと歩いて抜けた先に小さい村があるけれど、村人は森のこんな奥まで入ってこないし、そもそもここまで来ることが難しい。


色々とおかしいと思いつつ私はその人の元へ近づくと、微かに血の匂いがした。私は恐る恐るその柔らかそうな頬に触れるとまだ温かく、首筋に触れると脈がある。生きている。しかし呼吸は浅い。


私は慌てることなく、じっくりとその男を観察する。


まず、彼が身に付けている衣服が相当に質の良いものであることが見て取れた。布の質もさることながら、その装飾も素晴らしい。針子の技術力が窺い知れる美しい刺繍があちらこちらに大きく施されている。


しかし、その豪奢な衣服はあちこちが破れて噴き出した血で真っ赤に染まっており、見るも無惨な状態だった。上着の破れ目からは男の背中にあるぬらぬらとした傷口が顔を覗かせている。血は止まったのだろうが、地面に赤黒い染みができていて、よく見れば彼が辿って来た跡を示す血の染みが点々と続いていた。


私はすぐさま、面倒なことになりそうな予感がした。おばあちゃんの言葉が頭をよぎる。私はこの男を放って帰ろうかどうしようかと逡巡した。


それからやはり自分の手には負えないだろうと一度は見捨てることも考えたけれど、引き返そうとする足は重くその場に縫い付けられたように私は動けなかった。その理由を私はじっと立ち止まって考えてみたけれど、思い当たることは何一つなかった。


代わりに心に浮かぶのは、あまり長くこの場に留まることは得策ではないという焦りと、さすがにこの怪我では助からないだろうという言い訳だった。


きっと遅かれ早かれ血の匂いに釣られて熊や狼なんかがやってきて全てを処理してくれるだろう。


でも。


風が吹いて私の耳をくすぐった。


どうしたらよいのだろうと思いながらその男をもう一度見る。


金持ちそうなこの男が何故こんなところで行き倒れているのだろう?


私は意を決して俯せに倒れている男に声を掛けてみた。


しかし反応は返ってこない。今度は声を少し大きめにして、二度三度と呼び掛けたが男はうんともすんとも言わなかった。それから声を掛けながら幾度か強めに体も揺すってみて、しかしそれでも反応がない。


やはりどう見たって助かりっこなかった。


でも、これほどの怪我を負ってまだ生きているとはなんと丈夫な男だろうと思った。神に愛されているのか……。


そう思った瞬間、風が吹いて大きく木立を揺らして通り過ぎて行った。


私は咄嗟に目を閉じてその強い風を体に受けながら、森のざわめきが遠ざかるのをじっと待っていた。


それからふぅと息を一つ吐いて、私は男の傍らに膝を突くと自分にしか聞き取れないほどの声量で呟く。


どうか怪我が治りますようにと、心から祈る。


すると、男の傷口に光の粒が集まって、見ている間にそれがふさがっていくのが目に入った。薄い皮膚が傷口を覆っていく。そうして、しばらくすると、完全に傷口は塞がってしまった。赤黒く傷痕は体に残っているけれど、血は完全に止まった。


私はそれを見届けると、その薄い膜のような皮膚をそっと指先でなぞった。大丈夫そうだ。


そうと確認してから、私は男の腕を持ち上げると自分の肩に回す。思った以上に太い腕に私はなんだか新鮮な驚きを感じる。村人以外に男を見たことのない私にとって、こうして触れることすら初めてのことだった。


もう一度、彼が目覚めていないかを確認してゆっくりと立ち上がる。ずしりと肩と背に重みが掛かりよろめいたが、なんとか立ち上がることができた。想像以上の重さに私はすでに後悔の念が湧いてくる。こうしてみて初めて気づくが、ずいぶんと背が高い。どう頑張ってみても、私の背よりもずっと上背があるために男の足を引き摺る形になってしまう。


まぁ、仕方ない。これくらいは我慢してほしいと心の中で言う。私の方が辛いんだからと言い訳する。そんな言い訳にも似たことを心の中で男に語り掛けながら、私は一歩を踏み出した。二歩三歩と歩くと、想像以上に大変なことだと実感する。


私は何度もその重みで押しつぶされそうになりながら、必死にずり落ちてしまいそうになる意識の無い男を背中に担いで、自分の家のある方へ向かって歩き出した。


まだまだ日暮れまで間があるとは言え、この重量だ。どれほど時間が掛かるか見当も付かない。いや、それよりも私の体力が持つかどうかすら怪しかった。


一歩一歩ふらつく足を叱咤しながら、汗をかきかき私はまっすぐ家路についた。


遠くで山鳥が一羽、ほろろろと鳴くのが聞こえた。


体中が痛みで悲鳴を上げ、疲労でもう一歩も歩けないとなりながらも、歯を食いしばってなんとか我が家までたどり着くと、日は傾き夕暮れが近づいてきていた。


私は男をとりあえず家の中に引き摺り込むと布を敷いた床の上に寝かせた。それからすぐに竈に火を熾して湯を沸かし、湯が沸くまでの間に男から血で汚れた衣服を全てはぎ取った。べりべりと乾いた血で体に張り付いているせいで、脱がせるのに時間が掛かった。なにせ、無理に引っ張る治ったばかりの皮膚が裂けて血が出てきそうだったから、慎重にせねばならなかった。


高価そうな服をはぎ取り、下着も取り去って、裸になった知らない男の体を観察する。背中以外には問題になりそうな大きな怪我はなかった。それから、手や足を念入りに触って骨に異常がないかを確認していく。折れていたら添え木をしないといけない。おばあちゃんに言われていたことだったけれど、実際に骨折の治療をしたことなんてないから、自分が触って骨の折れている箇所がわかるのかは甚だ疑問だった。


一通りぺたぺたと触ってみて、問題は見つけられなかったのでそれでよしとする。


安堵の吐息を漏らすと竈にかけていた鍋の中では丁度お湯が沸いたことに気付いた。私はそれを桶に移し、水甕から汲み置いていた水を汲んで湯気の立ち上るお湯と混ぜ丁度いい温度まで冷ます。それから、できるだけ綺麗な布を探してきて、湯に沈めると固く絞った。それを持って彼の元へ戻ると血で汚れたその体をすみずみまで拭いた。布はあっという間に彼の血で真っ赤に染まった。


何度もお湯を変えて満足の行くまで繰り返し拭き上げてやっと体が綺麗になった。髪の毛に土埃がついていたので、それも濡れ布巾で丁寧に拭いた。これからおばあちゃんのベッドを使わせてあげるのだ。汚れた体では寝かせられない。


私は綺麗になった体をもう一度眺める。良し。背中の傷口は開いていない。


それを確認すると、男の上半身に両腕を絡めてベッドの上へと引っ張り上げる。私は重い体に四苦八苦しながらもなんとか寝台の上に横たえると、全身から汗が噴き出していた。こんなに体を使ったのは久しぶりだった。


それから彼の体に即席の包帯を巻いていく。傷口がふさがったといっても完璧ではない。万が一傷口が開いたときベッドを汚さないように、そして念のために薬を塗り込んでから少しきつめに巻き付ける。これもなかなかに重労働だ。


それからなんとかうまく巻き終えると、私は男が風邪をひかないようそっとその大きな体の上に布団をかぶせた。男はこちらの苦労など知らず穏やかな寝顔を見せている。心なしか顔色も良くなったようだった。


それから、私は休む間もなく汚れた服の洗濯へと移る。彼に着せられそうな服はここには無いから、目覚めたらこの破れた服を着せるしかないからだ。


血なまぐさい服を抱えて家の外へ出て、洗濯盥を物置から引っ張り出す。そのたらいに、沸かしたお湯の残りを注ぎ入れ、水を入れて適温にする。それに脱がせた服を浸してしばらく置いてから洗濯に取り掛かった。


こんな高そうな服を洗うのは初めてのことで、私は恐る恐る揉み洗いを繰り返した。お湯の中で私が手を動かすごとに汚れが染み出してくる。これでもかと繰り返し揉み込んで盥の中のお湯を取り換える。そこに再び沸かしたお湯を注ぎ入れると貴重な石鹸まで使って見ず知らずの人のために服を洗い上げた。


豪華な刺繍が汚れを落とすのを邪魔する。自分の服だったら何も考えずに乱暴にごしごし擦れば良いだけなのだが、高そうな服でそれをするのは気が引けた。後から文句を言われても困ると思った。


血は最後まで綺麗には落ちなかったけれど、仕方ない。もう無理というところまで頑張って汚れを落として、力一杯絞って水気を切るとそれを木の枝に渡した洗濯紐に干した。


ふと空を見上げるともう西の空は橙色に染まりつつあり、反対の東の空には暗闇が忍び寄って来ていた。


私は夕飯の準備を諦める。そして温かな食事の代わりに、保存食である干し肉と固いパンを取り出すとそれをかじって腹を満たして、もう一度眠る男を確認した。


彼は変わらずぐっすりと眠っていた。顔色は分からないが、呼吸はしっかりしたものになっている。


その様子にほっとすると、まだ目覚める気配のない男を後目に服を脱いで汗をかいた体を濡れ布巾で丹念に拭きとった。さっぱりとした気持ちになって寝巻に着替えると、私もまた自分のあたたかなベッドに滑り込んで目を閉じる。


すぐさままどろみが忍び寄ってきて、私は心地よい眠気に身を委ねた。


うとうととしながら、明日のことを考える。男が目覚めたらどうしようか、どう説明しようか、いつ頃元気になるだろうか。そんなことを夢現にとりとめもなく考えていく。すると耳元で懐かしいおばあちゃんの声が聞こえてきて、私はとっさに目を見開いた。おばあちゃんの言っていたことを思い出した。


急に不安に襲われて、私の胸の鼓動が速くなるのを感じる。後悔が襲ってきた。


ベッドに起き上がり、暗闇の中男の眠る方へ顔を向ける。けれど閉ざされた室内には光など一つも無くて、私は見えもしないのにじっと男のいる方を窺っていた。規則正しい呼吸の音が繰り返し繰り返し耳に届いている。


もう、どうしようもない。そう思った。


「ごめんなさい、おばあちゃん」


私はそれだけを呟いた。あまりに小さな私の声は、すぐに闇に溶けて消えた。


人と関わってはいけないと言うおばあちゃんとの約束を破ったことが、私の心にのしかかってきて、気持ちが沈んでいくのを感じていた。それを振り払うように頭を振ると私は再びベッドに倒れ込んだ。


深呼吸をして目を閉じると、疲労感から眠気があっという間にやってきて、今度こそ私は知らず眠りに落ちて行った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ