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一 いざ、天の緋は我がために

 



 嫌な予感がする。


 暗闇に一人残されたような、虫の知らせにも満たないほど不明瞭な不安が胸の奥でずっと燻っていた。理由は分からない。ただ、ほんの一〇分前にこの文芸部室を出て行った彼女を見送って良かったのか、それだけが気掛かりで仕方がなかった。

 荷物を放置してあの人の後を追う。気持ちが逸って足は勝手に走り出していた。別れ際の会話から察するに下校するのだろう、僕は本校舎の渡り廊下を横切って駐輪場に向かった。たとえ本人に会えなくとも、バイクが無ければあの人が学校を出たと証明できる。車種なんて知らないが、何度か後ろに乗せてもらったことがあるので見れば分かるだろう。多分。そもそも、この学院でバイク通学をしている人間などそういない。

 無駄に広い敷地と己の体力の無さを恨みながら走る。駐輪場まで残り約一〇〇メートルとなったとき、視界の端で奇妙な人影を捉えた。僕は咄嗟に立ち止まって振り向く。


 目の前には屋内プール場があった。水泳部が男女ともに強豪ということもあってか、当校の設備はかなり充実しているらしい。仰々しくも見える重い鉄扉はテスト期間により部活動停止中なので施錠されている...はずなのだが、扉を乱暴にこじ開けようとしている女子生徒の姿が、そこにはあった。


 ちょっと信じられない光景だけど、なぜか腑に落ちる。いや、状況とかは何も理解できないが。しかし僕が抱えていた嫌な予感が、確信へと変わってしまったのは紛れもない。



「君!」

「うわっ、桜庭(さくらば)(じゅん)



 なぜフルネーム呼び?

 不思議に思ったが今はそれどころじゃない。



「ここに誰か...鳴海(なるみ)先輩がいるのか?」



 鳴海先輩こと、鳴海流夏(るか)という名はこの学院の生徒なら誰しもが聞き馴染んでいることだろう。女子生徒の瞳が見開かれる。



「はい。でも鍵を閉められちゃって...私の声、聞こえてたはずなのに」

「取りに行ってくる」

「...あ、じゃあ私が」

「いい、僕が行ったほうが教師も納得する。君は他に入れるところがないか探してくれ」



 根拠はないがきっと絶対に、急がないといけない。僕は再び走って体育教官室に向かい、体育教師を適当にあしらって鍵を半ば強奪し屋内プール場に戻った。他に出入りできそうな場所はなかったようで、僕たちは重い鉄扉を開けて真っ直ぐプールに向かった。更衣室を抜けてプールサイドに足を踏み入れる。

 と同時に、ばしゃん、と勢いのある水音が聞こえた。人影は見当たらない。

 しかし、水が張ってあるプールに近づけば嫌でも目に入る。


 散らばった黒髪と赤が、やけに鮮やかだった。



「流夏さんっ!!」



 咄嗟にプールへ飛び込んで手を伸ばすが、届かない。なぜ?プールサイドからそう遠くなかったはずなのに!彼女の身体はすでに水面から見えない。赤い水と泡だけが虚しく残る。赤いから見えづらいのか?そう信じて必死に底へ向かおうとする僕の襟首を、誰かが思いっきり掴んだ。



「離せ!」

「水っ!排水口!!」

「は...っ」

「なんでこんなに勢いが...!?」



 いつからか排水が始まっており、気がつけば僕は排水口のすぐ近くまで吸い寄せられていた。女子生徒は片手で僕を掴み、もう片手はプールサイドに掴まっている。



「こっち来て!」

「でも!!」

「鳴海先輩はもういません!!」



 肩まであった水位は、いつの間にか胸の下あたりまで下がっていた。見えた排水口は剥き出しで、蓋らしき鉄格子は重りがついた状態で底に沈んでいる。


 ──流されてしまったのだろうか。

 女子生徒はプールサイドに上がっていて、僕のシャツを握りしめている。入口の方から足音が聞こえた。きっと僕たちを追ってきた教師たちだろう。赤い水に濡れてへたり込む僕たちの姿は酷く惨めで、水位が下がっていくのを呆然と見つめることしかできない。


 結局、鳴海流夏は見つからなかった。




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