剣姫の嫁入り 5
「……このあと、歓迎の宴がある」
「まあ、嬉しいですわ」
「一つだけ注意点を伝える。会場の飲食物には絶対に口をつけるな」
「……っ」
リーゼの目が潤んだ。
ディレイは彼女から視線を逸らす。
「俺の妻としてこの場所にいるつもりなら、食べ物は全て毒入りだと疑うべきだ」
「では、何を食べたら……野菜丸かじり? 生肉はちょっと……」
「どうしてそうなる! 君は王女だろう!?」
大国ラズフィルトは、多数の国と国境を接しているため、食文化が発展しているという。
もちろんシュトライン王国の食事も美味しいのだが、やり直してから食べられたのは短期間のみ。
記憶では五年近く断続的に戦場にいたリーゼは、ご馳走に飢えていた。
しかしせっかく食大国に来たのに、食べてはいけないという。
「さっきまでの威勢はどうした」
「朝から何も食べていないので、お腹すきました……」
「材料と調理場ならそこにある」
調理場はこじんまりとしているが、整理整頓され清潔だ。
籠には卵、調理するのが一番簡単そうではある。
「……卵を使っても良いですか?」
「従者が直接手に入れてきたものだ。安全だろう」
リーゼは決戦におもむく騎士のような表情を浮かべ、卵に向き合う。
だが、割ろうとしたそばから、卵を握りつぶしてしまう。
「王女殿下は料理などしたことがないか」
「……うぅ、ありますぅ」
リーゼは項垂れた。
騎士として生きてきたリーゼは、自分で調理したことがある。
だが、壊滅的に料理のセンスがないのだ。
黒焦げのお肉、卵の殻だらけの目玉焼き、塩と砂糖を間違えた味付け。
失敗をあげれば数限りない。
リーゼが調理するのを阻止して自分たちで作るようになった周りの騎士たちは、料理の腕が上がった。
「はあ、簡単なもので良いなら作るが」
「えっ!」
リーゼは目をキラキラとさせてディレイを見つめた。
ディレイは彼女から視線を逸らし、手早く卵料理を作り始める。
チーズを入れた卵をクルクルッとかき混ぜて、フライパンの端に軽く寄せ、トントンッと柄を叩けば、あっという間にオムレツが出来上がる。
「オムレツ!!」
「先ほど恐ろしい話を聞いた直後で、食欲も湧かないと思うが……」
「ふわとろぉっ!!」
「……躊躇いのかけらもないとは」
「おいひぃです!!」
幸せそうな笑顔は、凜々しさや美しさという印象が強いリーゼをこの上なく可愛らしく見せる。
リーゼは毒の心配なんてする様子もなく、パクパクと完食した。
「しあわせ !!」
「……君は疑うことを知らないのか」
食事を終えるとリーゼは優雅に口元を拭き、首を傾げた。
「この場所では、あなただけを信じます。それなら問題ないでしょう?」
「俺が一番危険かもしれないぞ?」
「……でも、あなたは私の夫になる人です。寝首を掻かれるなんて心配していたら、寝ることもできません」
「白い結婚なのに……一緒に寝る気なのか?」
「私より弱くても、手料理が美味しいのは、ポイント高いです」
「……すぐに勝つから待っていろ」
リーゼはきょとんと目を見開いた。
リーゼに勝つということは、本当の意味で彼女の夫となるということなのだが……。
「気づいていないようです」
ディレイは慣れた手つきで皿を洗いだした。
「……変わった人」
リーゼは少しだけ口の端を緩める。
だが、第一王子であるはずの彼がここまで調理が上手いということは、それなりの理由があるのだろう。
「……調べなければいけませんね」
リーゼは深刻な表情を浮かべ、ディレイを見つめるのだった。
* * *
「こんなに締めなくても」
「確かに締めなくても抜群のプロポーションですが、今宵は誰よりも美しくなくては」
「誰よりも美しくなくて良い……」
「宴は貴婦人の戦場ですわよ」
戦場ならばしかたがないか、とリーゼは耐えることにした。
マルセーナにドレスを着付けられ、化粧を施される。
髪の毛は編み込まれ、瞳と同じ紫色の宝石が飾り付けられた。
「久しぶりにドレスアップしたわ」
「二週間前に第二王女殿下の十八歳の誕生会でドレスアップしたばかりです」
「そうだったわね……」
しかし、リーゼの記憶ではやり直し前の五年の月日が間に挟まっているので、遙か昔のことに思える。
「ミーシェ、どうしているかしら」
「そうですね……元気にされているようですよ」
マルセーナが言い淀んだことは気になるが、元気であれば良いだろう。
リーゼはこれから戦場に向かうのだ、気を引き締めなければなるまい。
「第一王子殿下は正装すると素晴らしい美貌が際立つではありませんか」
部屋から出ると、ディレイが廊下で待っていた。すでに正装し、前髪を上げている。
彼の美貌は恐らく大陸で一、二を争うだろう。
「美麗すぎて横に並ぶの、気後れするわね」
「そうですか? 美男美女だと思いますよ」
「私みたいなじゃじゃ馬姫を美女だなんて」
リーゼは祖国ではじゃじゃ馬姫と呼ばれていた。騎士に紛れて剣を振るい、野山を駆け巡っていたからだ。
「……そうね。マルセーナの変装の腕前は一流よ」
「お褒めにあずかり光栄です。姫様はできるかぎり踊ってぼろが出ないようにしてください」
「ダンスなら任せて!」
もちろんリーゼは王女なので、それなりの教養は身につけている。しかし戦場の記憶が挟まっているので、実質五年ぶりの社交界だ。
だが、リーゼは運動神経が良いのでダンスは得意なのである。
ディレイはなぜか、リーゼを凝視している。近づいて微笑みかけると、なぜか彼の頬は赤くなった。
今の彼はかっこいいというよりも、可愛いかもしれない。
そんなことを思いながら、リーゼは差し出された彼の手に手を重ね、微笑むのだった。
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