剣姫の嫁入り 3
国境を越えるにはルールー山を越えるか、大きく迂回する必要がある。
「馬車ではまだ時間がかかるわね」
街道沿いに迂回していくと、おおよそ一週間程度かかるだろう。
山を越えるルートの場合、街道は整備されているものの悪路だ。
しかし五日程度で越えることができる。
「――山を越えるしかない」
「まさか、迂回ルートが土砂崩れで閉鎖されてしまうとは」
やり直し前、ミーシェはルールー山を越えるルートでラズフィルト王国に向かった。
本来であれば、迂回ルートを通るはずだったが、あの時も街道が閉鎖されていたのだ。
「ゆっくり行けばいいわ」
「そうですね。姫様、しかし宿はございませんよ」
「仕方がないわ」
現在のリーゼは、野営や野宿の記憶があるし、特につらいとも思わない。
だが、王宮の中で育ったミーシャの苦労を思うと胸が痛んだ。
* * *
「今夜はこの辺りで休みましょう」
三日が経つと、国境付近に到達した。
道はいよいよ険しくなり、崖に沿って進むことになる。
ミーシャはこの辺りで、不慮の事故に遭い命を失ったのだ。
「――気がついている?」
「ええ、何者かがこちらを見ています」
木の陰からこちらに何者か視線を送っている。
御者も、馬でついてきている護衛騎士たちも気がついていないようだ。
「彼らは訓練し直しね」
「――むしろ、なぜ姫様が気がつけたのかが不思議です」
「それは……」
どう説明したものかとリーゼが思案していると、馬が大きく嘶き馬車が激しく走り出した。
御者が振り落とされてしまったようだ。
このままでは、崖下に落ちてしまうことだろう。
「飛び降りるわよ」
「ええ――仕方ありませんわね」
二人は馬車から飛び降りる。
だが馬車は崖下へと落ちてしまった。馬も無事ではないだろう。
「――誰がこんなことを」
リーゼの声は恐怖よりも怒りに震えていた。
馬が急に興奮して馬車が崖から転落したと聞いていた。
しかし、これは明らかに人為的なものだ。
「荷馬車で向かうというわけにも……一度引き返しますか」
「いいえ、馬で向かうわ」
リーゼは護衛騎士たちに視線を向けると、にっこりと微笑んだ。
その笑みは美しかったが、護衛騎士たちは皆、背筋を伸ばし冷や汗をかいた。
リーゼは今回の輿入れで騎士となることはできなかった。
しかし彼女が強く、苛烈な性格をしていることを一緒に訓練した騎士たちは嫌というほど知っているのだ。
騎士たちは皆、リーゼの前に跪いた。
隊長を任されていた騎士が口を開く。
「――先ほどの暴走は、人為的なものの可能性があります。お守りできなかった我々のことはいかようにも処分を」
「そうね、鍛え直すように父上に手紙を送ることにするけど、それ以上の処分はしないつもり。この通り傷ひとつないもの……でも、輿入れするのに徒歩や荷馬車では嫌なの。隊長の馬を譲ってくださるわね?」
「馬に乗るのですか?」
「ええ、そうよ」
リーゼはそういうと、荷馬車に乗りこみ旅用のドレスから乗馬用のズボンに着替えてしまった。
そして、さっさと火を起こして天幕を張る準備を始める。
騎士たちが弾かれたように動き出した。
頭上には恐ろしさを感じるほど美しい星空が広がっている。
この場所で、ミーシャは命を失ったのだ。
しかし今回、怪我人はいない。
だが、それだけではだめなのだ。
ラズフィルト王国とシュトライン王国が開戦してしまえば、姉妹が会うことはもうできなくなる。
「ミーシャ、全てを変えてみせる」
リーゼは星に誓う。
ミーシャと再会する約束は、必ず叶えてみせると。
* * *
ラズフィルト王国の都は、青い屋根と白い壁で揃えられた家々と、遠くからでも見える城の尖塔が特徴的だった。
大陸で最も美しい街、と言われているラズフィルト王国の都――リーゼは初めて見たその美しさに感嘆した。
王都に入る直前でドレスに着替えたリーゼは、報せを受けて迎えにきたラズフィルト王家の馬車に揺られながら景色を眺めた。
王城につくと、盛大に出迎えられた。
第一王子ディレイの姿もそこにあった。
彼は眉根を寄せて、鋭い視線をリーゼに向けていた。
ディレイの表情にリーゼは違和感を覚える。
しかしそれが何なのか答えを見つけ出せないまま、馬車を降りて彼の前に歩む。
ディレイも近づいてきて、お互いが礼をする。
「ラズフィルト王国第一王子、ディレイ・ラズフィルトだ」
「シュトライン王国第一王女、リーゼ・シュトラインですわ。途中、馬車の事故で馬に乗り換えて来たので、少々見苦しい姿なのはお許しくださいませ」
「……ああ、大変だったな」
ディレイのエスコートを受けて、リーゼは歩き出す。
違和感は徐々に大きくなっていく。
確かに目の前にいる青年は、第一王子ディレイ・ラズフィルトに相違ない。
だが、やり直し前の戦場で相対した彼とは、あまりに雰囲気が違うのだ。
戦場で出会った彼は、真夜中の月のように冷たい瞳に何の感情も映していなかった。
しかし、今リーゼの隣にいるディレイは、王族らしい笑みを浮かべているが自身の感情を完全に隠し通すことができていない。
「それに、少々筋肉が足りないわ」
「何か言ったか?」
「いいえ」
もちろんリーゼ自身もやり直し前にあったしなやかな筋肉を失っている。
ディレイも鍛えていないわけではない。
戦場で剣を振るううちに自然とつく筋肉を持っていないのは当然だろう。
今の彼になら、余裕で勝利できそうだ……リーゼは口元に笑みを浮かべて黙り込んだ。
* * *
広い応接間に案内される。
ディレイは、部屋に入ると彼の従者とリーゼにつきそうマルセーナを残して人払した。
――あら、窓に何か黒いものが映った気がしたけれど……。リーゼは首を傾げる。しかし、よくよく見てもそこには何もなく、もちろん人の気配もない。
視線を戻すと、ディレイは神妙な面持ちで口を開いた。
「遠路はるばる来ていただいたが、俺は妃を迎えるつもりがない。早急に国にお帰り願おう」
「まあ……」
リーゼは頬に手を当てて、首を傾げるとディレイを見つめた。
彼は申し訳なさそうに眉を下げている。
五年後の彼であれば、絶対にこんな表情を浮かべないだろう。
五年の間に一体何が彼を変えたのか……もちろんそれも気になるが、それ以上にやり直し前の雪辱を晴らしたい気持ちがリーゼは強かった。しかも、妃を求めておいて帰れとは、これいかに。
「――とりあえず、決闘しましょうか」
リーゼはにっこり笑うと、長い手袋を外してディレイに向けて投げるのだった。