剣姫の嫁入り 2
リーゼは鏡の前で、長い髪をポニーテールにする。
――また一から鍛え直さなければいけないわね。
傷一つない代わりに、五年かけて鍛えたしなやかな筋肉は消えている。
だが、リーゼには時間がある。それに培った剣技は頭の中にある。
「姫様!!」
そのとき、マルセーナの声が聞こえた。
リーゼには覚えがある。普段は感情を表に出すことがない彼女が、このときばかりは慌てていた。
「……どうしたの」
このあと何が告げられるのか、リーゼはもう知っている。
「……すでにご存じなのですか」
「何のこと?」
「ラズフィルト王国第一王子ディレイ殿下から、結婚の申し込みが来ました」
「そう、誰に」
「……この国シュトラインの姫であれば、誰でも良いと」
マルセーナの声は怒りに震えていた。
相手を指定せずに結婚を申し込むなど失礼極まりない。
しかし大国であるラズフィルト王国からの申し出を小国であるシュトライン王国が断ることなどできないのだ。
――でも、まだラズフィルト王国との戦いの火蓋は切られていないわ。
第二王女ミーシェが輿入れに向かう途中、馬車の事故により命を失ったことが両国の関係悪化の決定打だった。
ラズフィルト王国は約束の不履行であると、シュトライン王国は事故は故意のものであったと主張した。
「姫様、ようやく騎士になれるのです。嫁になど行きませんよね」
「それは陛下がお決めになることよ」
「騎士になるために陛下に決闘を挑み、有無を言わせず許可を得ていながら?」
「……」
この頃、リーゼはようやく騎士になる夢を叶えようとしていた。
だが、もしも花嫁の実態が人質で、死ぬような目に遭うのなら絶対に自分が行っただろう。
ミーシェが花嫁になり幸せになれると信じていたのだ。
――幼かったし、甘かったわ。
ミーシェは隣国に着くことも叶わず、冷たい骸となって帰ってきた。
本当に事故だったのか、作為的なものだったか、それはわからない。
――今度は、私が花嫁になる。
父王の目の下の隈はいつもよりも濃かった。
ラズフィルト王国とシュトライン王国の国力の差は大きく、妃として迎え入れられても正妃としてではないだろう。
人質という意味合いのほうが強い。
話し合いの場にはミーシェが先に着いていた。
「陛下、お姉さまは、ようやく騎士になることができたのです。私が」
「ラズフィルト王国には私が参ります!」
国王とミーシェは、二人揃って目を丸くした。その表情はとても良く似ていて、二人が親子であることを如実に示しているようだった。
そのことに気がついたリーゼは、口元を緩めて改めて口を開く。
「ラズフィルト王国には、私が輿入れします」
「お姉さま! どうしてですか!?」
ミーシェは怒っているようだ。
だが、こればかりはリーゼも譲れない。
大事な妹を守るためなのだから。
「……ラズフィルト王国では、女性という理由で騎士になれないことはありません。そんな国に行きたいのです」
「そんな」
ミーシェは悔しげに唇を噛んで俯いてしまった。
もしかすると、社交界の花である彼女は大国に嫁ぎたかったのだろうか。
だが、その先に待つのは死だ。
「……本当に良いのか」
国王の言葉に、リーゼは頷いた。
結婚の申し込みに書かれていたのは、第一王子ディレイの妃にこの国の姫を求むということだけ。
ミーシェとリーゼ、どちらが嫁ごうと構わないのだ。
こうしてリーゼは、隣国ラズフィルト王国に嫁ぐことになった。
* * *
結婚準備は速やかに行われた。
やり直し前、まだ軍部に関わっていなかったリーゼは知らなかったことだが、すでに両国の関係は危ういものだった。
この結婚には両国の平和のため、悪い言い方をすれば人質という意味があったのだ。
「お姉さま! 月に一度は会いに行きますわ!」
「それは……難しいわよ」
ミーシェは泣きながらそう言った。
リーゼは思わず口元を緩めてしまう。
だってその台詞は、リーゼが輿入れするミーシェに言った言葉とそっくり同じだったのだ。
だから、リーゼが伝える言葉はこれしかない。
「でも、会いに来てね」
姉妹の約束が守られることはなかった。
だが今度こそ、約束を果たすのだ。
リーゼは密かに決意した。
姉妹は涙ながらに別れを告げた。
それはやり直す前と同じ光景だ。
ただ今回は、送る側と送られる側は逆になっている。
「お姉さまが不幸になるようでしたら、どんな手を使っても取り返しますわ」
「まあ……ふふ、大丈夫。きっと幸せになるわ」
ディレイの噂は冷酷で人の心を持たないというもの。
やり直す前に出会った銀色の瞳には、何の感情も浮かんでいなかったから、それはたぶん事実なのだろう。
「でも、とても強いわ」
リーゼはもしも誰かの妻になるなら、自分より強い人が良いと思っていた。
だが、剣姫と呼ばれる彼女より強い者など、国内にはいなかった。
あのときディレイは、圧倒的な強さで彼女に膝をつかせた。
「――そうね、楽しくなりそうよ」
リーゼは微笑んだ。
「お姉さま、お元気で」
「ええ、ミーシェも元気でね」
花嫁に国王から贈られたのは、リーゼの希望により剣が一振り。
それは、かつてのリーゼの愛剣だ。
馬車に揺られ、王都から遠く離れていく。
ここから先は、まだ知らぬ未来に続くのだ。
しかし、リーゼには気になることがあった。
それはリーゼの向かいに当然のように座る侍女のことだ。
「マルセーナ、どうして侍女としてついてくるの?」
「あら、祖国を裏切らないように監視するためだとは思わないのですか?」
王家の影は国王に属する。
だからマルセーナの言うことには一理ある。
だが、彼女がついてきてくれた理由はそれだけではないだろう。
――事実、やり直す前、マルセーナはリーゼを庇い命を落とした。
リーゼの表情の変化に何を思ったか、マルセーナが柔らかい笑みを見せ口を開く。
「侍女一人しか連れてくることは許されなかったのです。私以外に誰がいます?」
「それは……いないわね」
リーゼが最も信じている侍女は、マルセーナだ。やり直し前、命を救われたのも理由だが、そうでなくても彼女以上に信頼できる者などいないだろう。
二人を乗せた馬車は、ラズフィルト王国に向かう。
これは新たな物語の始まりなのだ。
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