片想いループ
「……もう、わかってたはずなのに」
桜井葵は、誰もいない教室の窓辺で、小さくつぶやいた。
手帳の隅に書き込まれた、彼の名前と、その隣に描かれた丸。
(ただの記録。話しかけた日、目が合った日。笑ってくれた日……)
ページは増えるのに、距離は縮まらない。
風間凛は、いつもあの子を見ている。明るくて、元気で、無邪気な――高山みのり。
(ねえ、風間くん。どうして……)
聞けるわけがなかった。だって、それを聞いてしまったら、
自分が終わる気がしていた。
放課後、校舎裏のベンチに腰掛けた風間は、鞄から文庫本を取り出す。
ページをめくる手が止まる。
(また……ここにいる)
みのりが、グラウンドで仲間と笑っていた。
無邪気で飾らないその姿が、風間にはまぶしすぎた。
話しかけたこともある。本を貸したことも。
でも、彼女の視線がいつも向いているのは――
(……佐伯)
彼が、貸した本。彼女が「ありがとう」と笑ったその瞬間。
風間は見てしまった。彼女の目の色が変わる瞬間を。
(俺は……また誰かの背中を見てるだけか)
本を閉じた。まるで、答え合わせから逃げるように。
その頃、みのりは図書室のカウンターで、光の姿を探していた。
「……あ、いた。佐伯くん!」
「あ、高山さん。こんにちは」
少し驚いたような顔。それが、なんだか新鮮だった。
「この前の本、面白かった! ありがとう!」
「そっか、よかった」
柔らかく笑う光の声に、なぜか心臓がドキンと跳ねた。
(え? なにこれ……?)
まさか、好きになんてならないと思ってた。
本が好きな彼と、自分は正反対で、話もそんなに合うわけじゃない。
でも――
「また、何かおすすめ……ある?」
その言葉は、無意識に出ていた。
光は困ったように笑いながら、静かに頷いた。
「……あるよ。今度、持ってくる」
本を探すふりをして、彼はふと七瀬つかさの方を見やった。
彼女はいつものように静かに本を読んでいて、光とみのりのやりとりを、遠くから見ていた。
(……いいな、ああやって笑い合えるの)
七瀬は気づいていた。光が誰に惹かれているか。
それでも、「応援しなきゃ」と自分に言い聞かせていた。
だって、自分は葵ちゃんの味方で――
(……でも、苦しい)
ほんの少し、彼女の胸の奥がきゅっとなった。
そして、その葵は、昇降口で偶然、風間とすれ違う。
一瞬、目が合った。でも彼はすぐに視線を逸らした。
「あ……」
声をかけようとしたのに、喉がつまった。
(……もう、わかってるのに)
彼が自分のことを見ていないことも。
その心がどこに向いているかも。
それでも、どうして――
「好きなんだろうな、わたし……」
言葉にした瞬間、涙がにじんだ。
その夜、全員が『それぞれの片想い』に気づき始めていた。
桜井葵 → 風間凛
風間凛 → 高山みのり
高山みのり → 佐伯光
佐伯光 → 七瀬つかさ
七瀬つかさ → 桜井葵
――誰の想いも、届いていない。
それどころか、全員が、自分の好きな人が他の誰かを想っていることに気づいてしまっている。
(どうして、こんなにもつながらないの)
それぞれのモノローグが、静かに繋がっていく。
それが、片想いループ。
日記を閉じる葵。
文庫本をしまう風間。
カーディガンを握るみのり。
眼鏡を外してため息をつく光。
鏡に映る自分を見つめる七瀬。
誰もが、自分の想いに蓋をしようとしていた。
誰にも知られず、誰にも届かず、
ただ、好きという気持ちだけが静かに連なっている。
観ているあなたにだけ、今、すべてが見えた。
けれど、彼らはまだ知らない。
このループが、やがて破られる日が来ることを――