サクラ 3
その日もサラフィーアさんに追い出された私が人気のない離宮をとぼとぼと歩いていると、サクヤさんが現れて部屋に招いてくれた。
親身になって話を聞いてくれたサクヤさんは「その気持ちは良くわかるわ」と深く同情してくれた。そして、トラオムを説得するために”ある言葉”を教えてくれた。
元気をもらった私はサクヤさんにお礼を言って急いでトラオムの部屋へ戻ろうと外に出ると、ちょうど私を呼びながらサラフィーアさんが歩いてきた。私に気づくと彼女はちらりとサクヤさんの部屋に視線をやった。
……まずい。サラフィーアさんはサクヤさんを疎む王妃の姪だ。彼女と会っていたと知られたら2度と会わせてもらえなくなるかもしれない。私は慌てて言い訳した。
「ごめん、お手洗いを借りに行ったら迷子になっちゃったんだ」
「まあ、それは大変でしたわね。一緒に戻りましょうか」
意外にもサラフィーアさんはあまり気にしていないようで笑顔で歩き出した。ほっとして隣に並ぶと私は無邪気を装ってサラフィーアさんに尋ねた。
「ねえ、トラオムって家族や親しい人にはトールって呼ばれてるの?」
その名前にサラフィーアさんは表情を変えなかったけど、じっと見ていた私はわずかにアメジストみたいな瞳が陰ったのを見逃さなかった。
「ええ、そうですわ」
「ふぅん、じゃあ私もそう呼ぼうっと。トールって日本人っぽいし、サクとトールなんてお似合いですっごく仲良くなった感じ」
私がにっこり笑ってサラフィーアさんに”あんたより私の方が親しい”とアピールすると、彼女は微笑んでこちらの心を見透かすような透き通った瞳を向けてきた。
「……サクラ様はいつの間にかずいぶんとこちらに馴染まれたのですね。そうやってサクラ様が殿下と仲良くしてくださって陛下も大層喜ばれていますのよ」
「へ? そ、そうなんだ。トールのお父さんにまで知られてるなんてうれしいなあ……えへへ」
トラオムのお父さんはこの国で一番偉い国王様だ。そんな偉い人にも気に入られているなんてうれしいし、サクヤさんは1回会っただけだけどいかにもプライドが高くてツンケンしてる王妃様よりも日本人の奥さんを愛していたって言ってたし。
トラオムが私を気に入ってるって知ったら私のことも応援してくれるかもしれない。楽しい想像がとまらなくてへらへら笑うと、サラフィーアさんも珍しくやわらかく微笑んだ。
「ふふふ、陛下は今でも亡き側妃様が愛した”二ホン”を懐かしんでいるのですよ。……これは他には内緒にしていただきたいのですが、陛下も近々お忍びでこちらに足を運ばれて殿下と会われる予定ですの。その時はぜひサクラ様の”二ホン”のお話を存分に聞かせてくださいな」
「まっかせて!! その時にはとっておきの和菓子を用意して日本のおもてなしを披露するよ!」
私がとびっきりのチャンスに張り切るとサラフィーアさんはくすりと笑った。
「ええ、陛下も側妃様と同じ”ニホンジン”のサクラ様に会われたら、きっと喜ばれますわ」
その楽し気な声は不思議と広い廊下に響いた。すると強い視線を感じてそちらを見ると離れたところからサクヤさんがじっとこちらを見つめていた。サラフィーアさんの声が部屋の中に聞こえて出てきたのかな。
「サクラ様、どうかなさったのですか?」
「あ、ううん。何でもない」
サラフィーアさんが不思議そうに視線を向けると、サクヤさんは素早く部屋に戻ったのかいなくなっていた。その姿にふと和菓子作りを手伝ってくれた昔から勤めているという料理人の言葉を思い出した。
――……様は陛下が訪れるとそれは喜ばれてね。こうして手ずから作られた“ワガシ”を並んで召し上がられながら、お2人でいつまでも……様の故郷の“二ホン”の話を楽しんでいらっしゃったよ。
あんたは本当に若い頃の……様にそっくりだし”ワガシ”作りも上手だねえ。……様はトラオム坊ちゃんを産んでからはすっかり弱ってしまってねえ。あれだけ足しげく通っていた陛下もすっかり足が遠のいてしまったんだ。
女神様への裏切り者だなんだと悪しざまに言われているけれど。私からするとかわいそうな女性だったよ。
サクヤさんの表情は待ち人の訪れを期待する熱がこもったものだった。彼女もこんなに寂しい離宮で過ごすトラオムと一緒で家族が来るのを楽しみにしているのかな。