サラフィーア 2
「サクの様子はどうだ?」
「はい、最近はお好きな”ワガシ”作りに熱心に取り組まれておりますわ」
「そうか、サクは料理上手だな、それに一緒にいるととても楽しい。サク1人だけならばもっと頻繁に来られるのではないか?」
「申し訳ありませんがいたしかねます。サクラ様は女神様に招かれたお客様です。お1人では不便もありますでしょうし、身の安全のためにも私と一緒に行動していただくのが一番よろしいかと」
いつものように忌々し気に私をにらむトラオムに作り笑顔を浮かべて謝罪しつつも、サクラ様を気にする姿に心がじくじくと痛みます。
サクラ様には私が頼んで来ていただいているのですが。彼が私以外の女性に微笑んでいる姿を見るのはものすごく不愉快で、時には激しい憎しみすら感じます。
……でも、トラオムを助けるためです。仕方がありません。
1年前、病に伏していた側妃様が亡くなるとトラオムは周りとの一切の関わりを拒むようになりました。
それまでトラオムと仲が良かった私もです。「サフィ」「トーラ」と2人で決めた名前で呼び合っていた温かな笑顔の青年はいなくなり、人形のような無機質な表情で周りを睥睨する第3王子がいました。
別人のように変わり果ててしまったトラオムは、尽きることない激しい憎しみと恨みを手加減なく周りの人々にぶつけるようになりました。特に婚約者の私といとこのアルセインには仇敵に向けるような殺意がこもっていて、実際に命の危険を感じたことも何度もあります。
孤立した彼は側妃様が1人で住んでいた離宮にこもって、彼女が愛した”二ホン”の思い出を偲んで世捨て人のように過ごすようになりました。
陛下は引きこもったトラオムのことを”病気療養”と発表しましたが。貴族たちは「第3王子は女神様の怒りをかった側妃の子だから、母親同様に呪われたのではないか」と気味の悪い噂をささやくようになりました。
――その噂は真実が混じっています。
神官長様曰く、トラオムは”この世界の人間を憎しみやがて呪いに呑み込まれて狂い死ぬ”という、憎悪と狂気が凝り固まった強力な呪いにとりつかれています。
呪いは離宮に踏み入れた人々にも影響するため王命を受けた神官長様たちによって結界が張られ、女神様の加護を持つ私やアルセイン、何があってもトラオムが帰る日まで身体を守ると誓ってくれた忠義の使用人たちのような呪いに対抗できる人たちを除いて一切の立ち入りを禁じられました。
トラオムにとりついた呪いを排除できるのは。かつて女神様が愛し子に授けた神具を扱える資質と魔力量を持つ私といとこのアルセインだけだそうです。
私たちはこの1年間神殿に通い続けて呪いに対抗し神具を使いこなすための魔力と精神力を鍛え、女神様に神具を使うお許しとトラオムを救うお力を授けてくださるように祈りました。
アルセインにもずいぶんと助けてもらいました。3人の中では一番早く生まれたいとこは口が悪く父親の陛下を毛嫌いしているのが欠点ですが。兄のように頼もしく優しい人です。
そして、そんな私たちを手助けしてくださったのか。慈悲深い女神様は呪いに対抗できる”ニホンジン”のサクラ様を遣わしてくださいました。
私は急いでトラオムに近づくと精いっぱいの愛と願いをこめてささやきました。
「……トーラ、待たせてごめんなさい。やっとあなたを助けられるわ。どうか私を信じて、帰ってきて」
蝋人形のような虚ろな表情をしたトラオムからは返事がありません。でも、消えそうなロウソクの火のように頼りなく揺れていた夕焼けの瞳が一瞬輝くのを私は確かに見ました。
私がその手を握りしめるとふいに首筋に冷たいものが触れるような感触がしました。同時に目に怒りと憎しみを宿したトラオムは私の手を乱暴に振り払って冷たい声で命じます。
「用事は済んだだろう。下がれ」
「はい。失礼いたします殿下。……また会える日を楽しみにしておりますわ」
最後にそっと微笑んで付け足すとトラオムは顔を醜く歪めてこちらをにらみつけます。
また先ほどと同じく首に冷たいものが触れたような感触がしましたが。私はあえてにっこりと笑って部屋を後にしました。
離宮を出ると、私を待っていたメイドが真っ青な顔をしました。
「お嬢様!? 今すぐ手当てをしますわ、どうぞこちらへ」
「まあ、そんなに目立つかしら? 悪いけれどアルにお会いする前に手当てをお願いできるかしら?」
「もちろんですとも!! さあ、こちらへ」
慌てふためく彼女には申し訳ありませんが、私は微笑んで首を撫でました。
私とそっくりな容姿をした叔母様はかつて”アクヤクレイジョウ”と呼ばれていたそうです。私もあの偉大な叔母様のように少しは呪いの主に意趣返しができたでしょうか。