王冠よりもナプキンを2~レティシア様の優雅な日常 、クールな恋人は不器用です
王冠よりもナプキンを~元女王はテーブルコーデで成功する
の続編です。
王妃の座を退いたレティシアは、料理とテーブルコーディネートの才能を活かして開いたレストラン《プルミエール》で、穏やかで忙しい日々を送っている。
隣にいるのは、元王宮の文官で、今はレストランの経営や安全管理をさりげなく担う、無口でクールな恋人・カイル。
しかし──
「好きって言われたら、心臓が持たないわ……」
「必要なら、毎日言います」
恋人になっても距離感が不器用な彼と、表情はクールでも意外と独占欲が強い彼女。
レストランの日常の裏で、ちょっぴりドタバタな恋の駆け引き(?)が始まる──!
これは、“元”王妃と、“現在”堅物文官が織りなす、
今回は、ちょっと大人な、でもちょっと不器用な、ほのぼの系ラブコメです。
第一章 優雅な朝と、やや不器用な彼
レストラン《プルミエール》の朝は、パン生地の発酵から始まる。
厨房に差し込むやわらかな光の中、白いエプロン姿のレティシアがバゲットの成形を終え、焼き上げの準備を進めていた。生地の表面に刃を入れる指先は丁寧で、まるで宝石を扱うかのよう。
「今日は少しクープの角度を変えてみたの。カリッとした食感が強くなるかもしれないわ」
レティシアがひとりごとのように呟くと、後ろから無表情な声が返ってきた。
「昨日と比較するために、焼き上がりの時間を正確に記録しておきましょう。湿度も変わっている」
カイル。文官出身、現・副店長(自称ではない)。
そして、レティシアの恋人。
そう──恋人、なのだが。
(……恋人って、もっとこう、ドキドキする感じじゃなかったかしら)
レティシアはふと、パンの表面を撫でながら考える。
恋人になって三ヶ月。カイルは相変わらずの無表情で、時折さらっと褒めてくれるものの、手を繋ぐでもなく、キスの気配もゼロ。真面目なのは分かっているけれど、もう少し“甘さ”があってもいいのでは……?
そう思っていた矢先のことだった。
「レティシア」
「なに?」
「今夜、少し時間をもらえますか。……あなたに伝えたいことがある」
パンを焼く手が止まった。
「……えっ、ええ、もちろん」
(え? なに? 今の、どういう意味?)
彼の言葉が、レティシアの胸に小さな火を灯した。
日中、レティシアはなんとなく落ち着かない気持ちでいた。
仕入れのチェックをしていても、カウンターの配置を整えていても、頭の隅にはカイルの言葉がちらちらとよぎる。
(まさか、プロポーズ……? いえ、まだ早いわ。でも、告白の続きみたいな……? それとも“距離を置きたい”とか……!?)
「レティシアさん、さっきからニンジンを薄くスライスし続けてますよ。もうタワーができてます」
「え!? あっ、ちょっと取り乱してたかも」
スタッフのエミリに指摘され、慌てて手を止める。心ここにあらず、とはまさにこのこと。
(落ち着け、私。王宮の晩餐も取り仕切った女よ。恋人に話しかけられただけで動揺してどうするの……!)
そして、夜。
閉店後の店内。片付けを終え、ふたりきりになったレストランは、キャンドルの灯りだけが照らしていた。
「……で、カイル。その、“話したいこと”って?」
レティシアがそれとなく尋ねると、カイルはほんのわずかに息を吸って──
「新しい椅子の見積もりが届きました。背もたれの角度が改良されたモデルです。座面も低反発で、長時間の滞在にも──」
「ちょっと待って! それ!? 今日ずっと気になってた“話したいこと”ってそれ!?」
「ええ。椅子は重要です」
「……あのね」
レティシアは天を仰いだ。
せめて、と彼女は思う。
もう少し、恋人らしい話をしてもいいのではないかしら。
けれど──カイルは、真面目な顔で資料を差し出してくる。
その横顔を見ていると、なぜか怒れない。
(ほんとにもう、不器用なんだから)
小さく笑ってしまう自分が、悔しいような、愛おしいような。
「じゃあ、その椅子で今度、お茶でもしましょう。ふたりきりで」
「了解です。きみに、最も座り心地のいい席を用意します」
「……そうじゃないのよ、カイル」
レティシアの声は、小さなため息にまぎれて夜の店内に溶けた。
第二章 嫉妬、というかすれ違い?
レストラン《プルミエール》に、ひとりの来客が現れたのは、春の陽射しが穏やかだったある日のこと。
艶やかな栗毛に、整った顔立ち。上品なコートに身を包んだ長身の男性は、入り口で立ち止まると、まっすぐにレティシアを見て微笑んだ。
「やあ、やっぱり君だった。レティシア・フォン・ヴェルテンシュタイン。いや、今は“店主レティシア”と呼ぶべきかな?」
「……え、アントン?」
レティシアの声が、思わず裏返る。
アントン・ミュラー。王宮時代の旧知、外交使節のエース。明朗快活、頭脳明晰、そして社交界で『女性を虜にする笑顔』と称された人物だ。
彼は昔から、何かとレティシアに優しかった。王妃であった彼女の孤独を知る数少ない存在だったのもある。
「少し近くに用事があってね。ここが話題になっていたから、もしやと思って立ち寄ったんだ」
「びっくりしたわ……まさかあなたが来るなんて」
久しぶりの再会に、自然と笑顔がこぼれるレティシア。その様子を、カウンターの奥からじっと見ている者がひとり。
「……」
そう、カイルである。
「ええ、そうなの。あのときの晩餐会では、確かにあなたが助けてくれたわね」
「もちろん覚えてるよ。君が微笑んだだけで、大使が機嫌を直したあの瞬間をね」
レティシアとアントンは、紅茶を前に穏やかに話していた。
向かいの席には、サーブの手を止めずに会話を聞いているカイル。
(別に、何も問題はない。外交官としての礼儀だ。旧友との再会も自然だ……)
そう理性は告げる。
だが──アントンの、「彼女に微笑みかける角度」や、「カップに手を添える指の柔らかさ」や、「まるで演出のような“昔話”の振り方」が、ことごとくイラッとさせるのである。
(……何だこの感情は。非論理的だ。危険だ。非常に……危険だ)
カイルは黙って立ち上がると、厨房へ引っ込んだ。
「……カイル?」
レティシアが気づいたときには、彼の姿は見えなくなっていた。
「え、なにこのチーズの山……!? カイル!? これ全部グラタンに使うの!?」
「必要量です」
「この量は“意図的に供給過多”なのでは!?」
「……気づきましたか」
その日の夜。厨房には、異常な量のチーズが積まれていた。
無言で削り続けるカイル。まるで何かを発散するかのように。
レティシアは、やっと気づいた。
「……カイル。もしかして、さっきのことで気分を悪くした?」
「さっきの……ああ、外交官ですか。問題ありません」
「めっちゃ問題ある態度してるわよ!? チーズ削りが怖すぎてスタッフ引いてたわよ!」
「事実として、あなたが彼に微笑みかける頻度は、わたしに対するものの約2.3倍でした」
「測ったの!? ていうか何よ、その“嫉妬が数値化される男”!」
「私は……その……」
そこで、カイルが言葉に詰まった。
……レティシアは、それだけで何かがほどけた気がした。
(ああ、この人、不器用なくせに、ちゃんとわたしを見てくれてる)
彼女はチーズまみれの手を握り、微笑んだ。
「ありがとう。焼こうか、この“やけっぱちチーズグラタン”。今夜はそれで乾杯しましょう」
「はい。……できれば、今度は“あなたとふたりで過ごす再会”を、計画したい」
「……うん、嬉しいわ」
カイルの耳が、ほんの少しだけ赤く染まっていた。
第三章 すれ違いと、ふたりの距離
その日、《プルミエール》は休業日だった。
晴れ渡る空。テラスには風が吹き抜け、木々が小さくざわめいている。
レティシアはテーブルクロスをたたみながら、ある違和感を抱えていた。
──カイルが、今日に限って“姿を見せていない”。
普段なら朝から厨房に顔を出して、在庫管理や設備チェックを欠かさない彼が、連絡もなく店に来ない。心配ではあるが、カイルは几帳面で律儀な男だ。何か事情があるのだろうと、自分を納得させた。
だが──午後を過ぎても、夜になっても、カイルは現れなかった。
翌朝。
レティシアは、裏口の前で彼を見つけた。
「……カイル?」
「……おはようございます。昨夜は、すみませんでした」
「どうしたの? 顔色が悪いわよ」
「……体調を崩して、少し、倒れてしまいまして」
「倒れた!? なぜ連絡を──!」
「……あなたに心配されるのが、怖かったんです」
レティシアは、数秒、何も言えなかった。
カイルは、ゆっくりと視線を上げる。
「……自分の不調で、あなたの予定が狂うことが、どうしようもなく恥ずかしかった」
「……そんなの、気にすることじゃないわ」
「いえ……わたしは、“あなたの隣に立つ”ことを、いつの間にか誇りにしてしまっていた。だから、“頼る”という発想が、抜けてしまっていたんです」
レティシアは黙って、彼の手を握った。
「……バカね」
手のひらが、ほんのり熱かった。少し体温が高い。それでも、いつも通り整えられた制服と、いつも通りの口調。
それが、かえって胸を締めつけた。
「わたし、強いように見えるかもしれないけど……支えられたい日もあるの。ねえ、お願い。ひとりで我慢しないで。ふたりでいましょう?」
その一言が、カイルの中の何かを、静かにほどいていく。
彼は小さくうなずくと、レティシアの肩にそっと額を預けた。
「……ありがとう。あなたは、ほんとうに、優しい」
「当たり前よ。好きなんだから」
「……今、少しだけ泣いてもいいですか?」
「ええ。黙っててあげるから。わたしの肩は、好きなだけ使っていいのよ」
その日のレティシアは、カウンターの奥に毛布とお茶を用意し、カイルを半ば無理やり休ませた。
スタッフたちは「カイルさんが風邪引くなんて!」と騒ぎつつ、ふたりをそっと見守っていた。
「元王妃と元文官の恋、ちょっとずつ進んでますねぇ……」
「ツンがデレる瞬間、最高にグッとくるわ」
「録音しておきたかったな……」
「やめてあげて、彼すごい照れてたから」
レティシアは、温かいミルクティーを差し出しながら、苦笑した。
「もう、“元”とかいらないわ。私たちは“いま”を生きてるのよ」
そして彼女は、ソファでうとうとしているカイルの手に、自分の指を重ねる。
(……少しずつでいい。だけど、ちゃんと進んでいる)
カップに浮かぶミルクの模様のように、ふたりの心も、静かにひとつに溶けていく──。
第四章 ふたりの未来を、テーブルに
休日の午後、《プルミエール》のテラス席には、春風がやさしく吹いていた。
淡い陽射しの中、レティシアはテーブルクロスを丁寧に広げていた。桜色のランナーに、白磁のプレート。キャンドルは使わず、代わりに薄紫のパンジーをひと房、ガラスの器に浮かべた。
「……今日はずいぶん可愛らしいコーディネートですね」
カイルが、そっと背後から声をかけた。
「ふふ、気分よ。春らしくて、ちょっとだけロマンチックな気持ちになるわ」
「……いいですね。今日のあなたによく似合っています」
さらりとそう言って、カイルはすぐにテーブルの調整に入る。もうずいぶん慣れた動きだ。
付き合いはじめて半年。最近は、恋人らしい会話も、やっと“自然に”交わせるようになってきた。
でも──。
「ねえ、カイル」
「なんでしょう」
「そろそろ、私の家、来ない?」
「……はい?」
「だから、その……ふたりで過ごす時間、もっと自然に増やしたいなって」
カイルは数秒フリーズした。
「……これは、いわゆる“お泊まりのお誘い”というやつでしょうか」
「そうよ?」
「……はい、全力で準備いたします。下着も、パジャマも、緊張も」
「最後のいらない!」
その夜、レティシアの家には、ぎこちなく荷物を抱えたカイルの姿があった。
「……すみません、勝手が分からなくて」
「なにをそんなに緊張してるの。リラックスして。もう何度も一緒にごはん食べてるでしょう?」
「これは“ごはん”とは次元が違うのです。ほら、こうして、リビングにふたりきりで……」
「……そんなに固くならないで」
そう言って、レティシアは自分の分のクッションを半分、カイルに差し出した。
夜の室内は、ほんのりアールグレイの香りが漂い、窓の外には星がまたたいていた。
──しばらくの沈黙ののち、カイルがそっと言った。
「……この部屋に、私の本棚を置いてもいいですか?」
「え?」
「いえ、あなたの空間を侵害しない範囲で。仕事の資料や、レシピの記録、あと……たぶん、いくつか、あなたに似合いそうな紅茶の缶とか……」
「……ふふっ」
レティシアはくすっと笑って、うれしそうにカップを傾けた。
「それって、“ここで暮らしたい”ってことじゃない?」
「……もし、許されるなら」
「許すもなにも、こっちはその気満々なんだけどなぁ」
「……あの、いまの返事は、“プロポーズに対してのYES”のように聞こえてしまうのですが……」
「それでも、いいのよ?」
「…………確認しますが、冗談ではありませんよね?」
「そういうの、今さら確認するの? カイルってば、ほんとに……」
レティシアは、笑いながら彼の肩に頭を預けた。
「……でも、そういうところも、好きよ」
月日は穏やかに流れる。
《プルミエール》では、新しいコースメニューの試作が始まり、
カイルの私物が少しずつ店にも、レティシアの部屋にも増えていった。
ふたりでテーブルを整え、食器を並べ、料理を味見して、
笑って、時にはすれ違って、でもまた一緒に進んでいく。
未来のかたちは、まだ決まっていないけれど──
きっとこの日々の先に、それはある。
ふたりの手が交わる場所に、ひとつずつ。
小さくて優しい、“幸せの予感”が重なっていく。
前作
王冠よりもナプキンを~元女王はテーブルコーデで成功する
https://ncode.syosetu.com/novelview/infotop/ncode/n9778ki/