朝。
朝、目が覚めた瞬間、冷たい空気が顔を撫でた。薄い掛け布団の下から手を出すと、部屋の空気が肌にまとわりつくような冷たさを感じた。頬を刺す冷たさは、まるで窓の外から忍び込んだ冬の精の悪戯のようだった。木製の床からは、じわりとした冷気が立ち上がり、その感触が冬の訪れを確かに告げている。
暗がりの中で天井を見上げると、粗削りの木の梁がぼんやりと浮かび上がる。ほのかに漂うのは木材の乾いた香り。それに混じって微かに鼻腔をくすぐるのは、昨夜燃やした炉の灰の残り香だ。部屋全体に漂うその香りが、どこか懐かしくもあり、この小さな空間を温かい巣のように感じさせてくれる。
寝台から体を起こすと、床板が小さくきしむ音を立てた。その音が静まり返った部屋の中に溶け込み、息を吸い込む音さえも際立つような静寂が広がっている。裸足を床に降ろすと、瞬時に冷たさが伝わり、思わず肩をすくめた。吐き出した息がかすかに白く視界に広がり、それが目に見えるほどの寒さに、身震いする。
窓の方に目を向けて、木製の窓枠に手を伸ばす。ひんやりとした金属の取っ手が指先を刺すように冷たい。少し力を込めて押し開けると、冷たい風が一気に吹き込んできた。その鋭い寒気が肌を突き刺し、思わず顔を背ける。それでも外の空気を吸い込むと、その澄み切った冷たさが胸にしみ込むようだった。清潔感のある、氷から解けだした澄んだ水を飲んでいるようだった。湿り気を含んだ土の香りや、どこか遠くで焼きたてのパンの香りが混じるようで、思わず鼻をくすぐられる。
目を凝らしても、外の店や通りはまだ完全に眠りの中だ。建物の影だけがぼんやりと暗闇の中に浮かび上がり、人影どころか灯り一つ見えない。それでも、今にも動き出しそうな街の息遣いが感じられる気がした。遠くで風が吹き抜け、木々が小さくざわめく音だけが響くだけだ。
私は身を乗り出して、外の景色を眺めた。通りに面した古い石畳は、霜が降りて薄く白く輝いている。その凍てついた表面が、かすかに差し込む月光を反射し、まるで宝石をちりばめたように見える。通り沿いの家々の窓はすべて閉ざされているが、その先には市場の広場がある。そこに立ち並ぶ木造の屋台のシルエットが、暗闇の中に黒い影となって連なっていた。
市場ではいつもパンやチーズ、果物が売られ、朝は活気に満ちている。しかし今日はまだ時間が早いのか、寝起きの寒い今日は商人たちの動きは少し鈍く見える。屋台の準備はまだ整いきっておらず、布を広げる音や商品を並べる軽やかな音が、静寂を少しずつ破っている。その様子を霜に模型が動いているように面白くて観察していると、日が昇り始めた。覆われた屋台の表面が、朝の光を受けて徐々に溶け、薄い光の層を反射して柔らかく輝き始めた。
しばらくすると、焼きたてのパンの香りが漂い始め、それが通り全体にゆっくりと広がっていく。その香りに誘われるように、人々が次第に通りを歩き始めた。果物屋の商人が凍えた指先を擦りながら、赤く輝くリンゴを丁寧に並べ直している。「新鮮なリンゴはいかがですか!」と張り上げる声が徐々に他の商人たちの声と混ざり合い、少しずつ活気が生まれ始めた。市場全体が目を覚まし、陽が屋台の隅々まで照らし出すと、色とりどりの商品が明るみに映える。近くでは、パン屋の店主が焼き上がったパンを笑顔で客に渡しており、その香ばしい香りが市場を包み込んでいる。市場全体がようやく、いつもの賑わいを取り戻しつつあった。
「新鮮なリンゴはいかがですか!」
果物屋の商人が赤く輝くリンゴを木箱から丁寧に取り出し、一つ一つを布で磨きながら通りを行き交う人々に声をかけている。その光沢は朝日を受けて、まるで宝石のようにきらめいていた。近くでは、パン屋の店主が焼き上がったパンを手際よく並べ、その香ばしい香りが市場全体を包み込んでいた。徐々に人々の笑い声や話し声が交じり合い、静かだった市場が一日の始まりとともに活気を取り戻していく。
今日はどんな商品が並んでいるのだろうか。まだ眠る街を見下ろしながら、私は自然とその光景を思い浮かべ、わくわくする気持ちが胸を満たしていった。
首をひっこめて窓を半分だけ閉じる。木製の取っ手が小さな音を立てた。手を引っ込めると、指先が冷え切っているのがわかる。冷気を感じる部屋の中で、吐息だけがわずかに温もりを帯びて、空気に溶け込んでいく。
部屋に満ちる静けさの中、ふと私は部屋の片隅に置かれた棚へと視線を向けた。その上には昨晩のままの古いランプが置かれ、油がわずかに残るガラス容器が薄暗い光を反射している。その隣には、何度も読み返したであろう革装の本が積み重なり、その表紙は手触りの良さそうな滑らかさと、ところどころ剥げた跡が混じり合っている。この小さな棚一つが、この空間に私の個性を刻んでいるような気がする。
暖を取ろうと炉の方に目を向ける。昨夜の炎はとうに消え去り、炉の中には冷たくなった灰だけが残っている。火を起こすには少し時間がかかりそうだ。ふと、この朝をどう過ごそうかという思いが胸をよぎる。いつもと同じように市場へ向かうのか、それとも冒険心に従って門から出て、新しい発見を求めるのか。薬草採取とか、スライム集めとかそのような事をしてみたい気持ちも少しある。
棚に積み重なった本の一冊を手に取り、その革表紙を指でなぞった。手に馴染んだその感触が、過ぎ去った日々の温もりを思い出させてくれる。昔の文字で書かれた古い旅人の記録だ。その本を触っていると、この街の外れには、古い遺跡が眠っているという話があることを思い出す。その場所にはどんな秘密が隠されているのだろう? 胸の奥に広がる冒険への憧れが、私を外へと誘おうと囁きかける。
一方で、馴染みのある市場へ行き、顔なじみのパン屋や果物商人と談笑するいつもの朝も捨てがたい。焼きたてのパンを頬張りながら、暖かな陽が街に降り注ぐのを眺める日常も、私にとっては何よりも愛おしい。市場の賑わいの中で、新鮮なハーブやスパイスの香りに包まれる瞬間は、ここでの暮らしに息づく幸せを感じさせる。
心が揺れる中、私は炉の前に膝をつき、小さな火種を起こそうとする。火打石を鳴らすたびに、小さな火花が飛び散り、冷たい空気の中で短い光の舞を見せる。それがやがて木くずに引火し、炎がじわじわと息を吹き返す様子に、ほっと胸をなでおろす。
パチパチパチと木が始める音がすると暖かで、少し熱い波が私の顔を押すように伝わってきた。
部屋の中に少しずつ暖かさが広がり、冷え切っていた指先や頬が、じんわりと温もりを取り戻していく。
「よし。」私は声に出してつぶやき、立ち上がった。
窓の外には、うっすらと東の空が明るくなり始めているのが見えた。夜明けの兆しだ。冷たい空気の中で、通り沿いの家々がぼんやりとその輪郭を現し始める。まるで街全体が、ゆっくりと目を覚ますのを見守っているかのようだ。
朝日が徐々に街全体を照らし始め、薄い雲が紫からオレンジ色に変わる様子が、冷たい世界に希望の色を添えていた。空気の冷たさは、まるで一日の始まりを祝うように、清々しく、そして力強い。
私は少し伸びをして、床に足をつけると、再びその冷たさが肌に染み込むが、心の中には温かな火が灯ったように感じる。炉の中の炎がゆっくりと温度を上げ、部屋全体にそのぬくもりが広がる。その安堵感が、何とも言えない安心感をもたらす。
今日の予定は決まった。市場での賑わいに包まれながらも、少しだけ冒険心に従って、街の門の外に足を運ぶことにした。やっぱり見たこともないような素敵なものを見ることが出来るのだろうか。心の中でその考えが湧き上がり、わくわくする気持ちがじわじわと広がった。
パンの焼ける香りを思い浮かべながら、着替えを済ませ、少し準備を整える。今日もまた、新しい一日が私を待っている。そして、どんな冒険が待っているのか、そのすべてを楽しむつもりだ。
まだ冷たい風が窓の外から吹き込む中、私はもう一度深呼吸をした。今日の空気はいつも以上に新鮮で、心の中に溢れんばかりのエネルギーを感じる。何かが始まる予感がする。そっと扉を開くと、冷たい空気が頬に触れ、再び目が覚めるような感覚が広がった。外の空気は冴え渡っていて、私の吐く息が白い煙となり、すぐに空に溶けていく。街はまだ深い静寂に包まれているが、その中にも一日の始まりを告げるような微かな音が混じっていた。遠くから聞こえる風の音、木々が揺れるささやき。すべてが朝の息吹を告げているようだった。
足元の石畳は霜に覆われ、歩くたびに小さく滑るような感覚があった。私は慎重に一歩ずつ進みながら、通りの向こうに目をやる。市場へと続く道は霜で覆われており、その凍りついた表面が月光を反射してキラキラと輝いている。