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目を閉じて、大きく息をつき、ゆっくりと起き上がって、まだ少しクラクラする頭を軽く振る。
差し出された手を掴んで立ち上がると、ひどい立ちくらみでそのまま前に倒れそうになるのを支えられた。
「ごめん、吸い過ぎた」
「いや、もう何が何だか…。…私も数日後には誰かにこびを売って、首筋にかぶりついて生きていく人間になるの?」
「なる訳ないだろ。あいつらじゃあるまいし…」
半ば怒り気味にそう言われた。
支えてくれる手を押しのけて歩こうとしたけれど、ひどい立ちくらみで思わずしゃがみ込んでしまった。
「大丈夫か!」
有無を言わせず抱え上げられ、そのまま歩こうとするのを、
「や、ちょっと待って、自分で歩くから! お願い!」
と、懸命に引き留めた。こんな目立つ相手に横抱きされた格好で学校の中を移動するなんて、市中引き回し、見せしめ、さらし者以上の何物でもない。絶対阻止。
少し時間をもらい、その場でもう少し回復を待つことにした。ついでに聞きたいこともいっぱいだ。
「私は、吸血鬼にならない?」
「ならない」
恐れていた質問には、即答だった。
「…事情、話してもらえる?」
ちょっと困ったような表情をしながら、
「まあ、…巻き込んだと言えば巻き込んだし…」
と、諦めたように言った。
「巻き込んだってより、自分から巻き込まれてたような気がするんだけどな…」
その手のつぶやきは、聞こえなかったふりをする。
「その…。吸血族が血を吸ったら吸血鬼になる訳じゃない。吸血ウイルスに感染した奴が牙を突き刺して人の血を吸うと、吸われた人がウイルスに感染して吸血化してしまうんだ。発端はほんの一部の吸血牙族ながら、大抵は人から人へ感染し合っている。だけど、人が誤解して、吸血族に吸われたら無条件で吸血鬼になるって思い込んでるせいで、うちみたいに牙のない一族は結構迷惑してて…。で、人と協力して原因となるウイルスを見つけて、このウイルスに効く薬の開発に成功したのが15年ほど前、と聞いてる」
淡々と話すけれど、その前提は、自分は「吸血族」だと言っている。
今さら隠されても疑わしいけれど、あまりにすんなり話され、それがあまりのトンデモ話に戸惑ってしまう。
「今年に入って、この国でも外国で感染されてきた奴がウイルスを広めて、その対応に追われてたんだ。あと数人ってところで、この近くでうまく隠れてた奴がいて、そこから結構広まって…」
「…じゃあ、虎倉君は血を吸っても人に感染さないし、むしろ頑張って退治してたっていうこと?」
「そういうこと」
これまでの行動を思い起こしても、納得できる。
「しかも俺は吸血族の血は四分の一で、主食はみんなと同じ、普通のご飯だから。人の血は普通に暮らしているなら月にちょっとでいいんだけど…」
いいんだけど。
さっきのあの飲みっぷり。結構吸われたと思う。
飲んだ途端に、あのパワー。
吸血鬼になった人は、みんなとんでもない体力を持っていた。
「吸血人退治には、必須ってことね?」
「まあ、そうなんだけど」
なんだか歯切れが悪いなあ…。
「助けてくれたお礼なんでしょ? 別にいいよ」
「ちょっと、もらいすぎた…。あんまり口に合うもんで…」
口に合う…?
いやいや、私の血なぞ、別に特別なことはないし、そんなに良いもん食べてるわけでもないんだけど。
「まだいるの? 感染者」
「多分、あと二人かな。他の人に感染さなければ…」
「前に、駅の近くの公園で見たことあるんだけど…。赤い目の人と、女の人」
「ああ、それは多分、化学の小田先生とクラスの沢村さん。ほら、定期忘れた日に教室にいた、あの二人」
そう言えば、定期を忘れたのは、公園で二人を見かけた翌日だった。
教師と生徒の禁断の恋、からの感染? それとも、吸血人になって手近にいる生徒をターゲットに広めまくっていた?
いやはや、どっちにしてもやばいなあ…。
て? あれ?
「あの時、いちゃついてた相手は虎倉君じゃなかったの?」
「男は一緒に出て行っただろ? 気がついてなかった?」
はい。気がついてませんでした。
それに、クラスの沢村さんって…
「沢村さん、…一時彼女だった人? だよね?」
「…あー、そう、だな」
あまりいい顔をしない。そう言えば、
「日和も…感染ってたんだよね」
「日和?」
…ちょっと待て。この男、今首をかしげなかったか?
「田村日和、彼女だったでしょ?」
「あ、田村ね。そんな名前だったっけ?」
これは。この男は…。
怒るつもりだったけど、…判ってしまった。
「彼女は、…口実? 感染者に接触するための?」
「…そういう時もある」
言いにくそうにしているので、なんとなく察しがついた。
「…血、目当て、も、あり?」
片手で顔を隠し、軽くこくりと頷いた。
そうだよねえ…。今の自分の状況で判ってしまった。
血をもらうのは、何度もやればやるほど、相手に負担がかかる。それで短期で彼女を変えて、相手には「お試し期間」という。恐らく、お試し期間が終わったら、すんなり冷めるように仕組まれている。
どうやっているのかは判らないけれど、日和を見れば判る。あんな冷め方、普通じゃない。
「…まあ、ほどほどにね」
そう言った私に、少し目を見開いて驚いていたような表情を見せた。
「女の子をもてあそんだら、怒るよ。まあ、私が怒ったところで、何ちゃないだろうけど」
「向こうも、こっちの顔狙いで声かけてくるんだから、少々献血してもらったところでWin-Winだと思うけど」
うわあ。自覚あるんだ、自分がモテ顔だって。
「鳥のあれね、雄の方が派手で、格好が良い奴ほどモテて生存競争に生き残るって奴」
例えが悪かったのか、傷ついた顔をしてしょげてしまった。
落ち込ませる気はないんだけど。
吸血族とやらでありながら、人のために吸血ウイルスと戦って、うっかりな私を二回も助けてくれたんだし。礼を言ってしかるべき相手だ。
「でも切実だよね。あなたの血が欲しいって言って、くれる人なんて、そういないもんね。顔でも何でも、使えるものは使わないと」
「おまえは顔に引かれないよな…」
そう言われて、改めて虎倉君の顔をじっと見る。
何でだろうな…。
不細工だとは思ってない。じゃあ、私が引かれる顔ってどんなんなんだろう。
改めて考えると、よく判らない。
ただ、虎倉君については、どう見ても、成長してようと、私にとって「りゅーくん」以上にはなり得ない。
大分落ち着いてきたので、ゆっくり立ち上がった。
もう大丈夫だ。歩ける。
「ごめんね、足止めして。あとのウイルス退治、よろしくお願いします」
人類を代表して深々と礼をして、みんなの所に戻ろうとすると、
「なあ、三上。…全員の『治療』が終わったら、俺と付き合わない?」
至極真面目な顔での突然の申し出に
「やだ」
と口が即答していた。
「事情は分かったけど、私、使い捨て、嫌だから」
「使い捨てにしない」
「…私、小さい頃から貧血気味だったの。多分、私だけじゃ足りなくなって、他の人の血も必要になっちゃうでしょ? そういうのって仕方なくても気まずいし、彼女になったら嫌だって思うだろうし。…やっぱり、健康で、自分を好きになってくれる献身的な人を選ぶのが一番じゃない?」
そう言うと、何故か虎倉君は笑っていた。
「血はくれる気あるんだ。ふうん…」
いや、「彼女になれ」は「血をくれ」だって、ついさっきそういう話をしてた筈…。
しかも、お断りしたんだけど、判ってる?
「じゃあ、今日の分のお礼と、残り全員の治療が終わったら、ご褒美が欲しい」
ご褒美??
お礼、と言われると、ちょっと断りにくい。
「…まあ、内容によるけど、…いいよ」
そう答えると、今まで見たこともないような、ご機嫌な笑顔を見せられて、ちょっとドキッとした。
気のせい、気のせい。