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千年筋肉シリーズ

幼き魔王とアミノ酸スコアの高い御米

作者: 須方三城


『いやぁ、今回の【勇者】は良い出来だったな!』


 どこか遠く、下品なくらいに豪快な笑い声が聞こえる。


『次々に襲いくる脅威に一歩も退かず! 鍛え抜いた技と与えられし奇跡の御業を駆使し、時には仲間と手を取り合って、見事に乗り越える! 見ていて痛快な冒険譚!』

『うんうん。やはりギルジアの神々は英雄たる【勇者】を創り慣れていらっしゃる。オリエントの神々が用意した【魔王】の健闘もあって、最高だった……』

『ああ、未だに胸が高鳴っているとも!』

『次の【勇者】担当はクツルフの神々、【魔王】担当はスカンディナヴァの神々か』

『結構、実に楽しみだ……次回も期待する』



『人間を選び、育て、導き、魔王と戦わせる――最高の遊興ゲームだ』



 …………勇者は心地好さげに謳う。


 私は「英雄たれ」と言う神の声を聞き、【勇者】に選ばれたのだ……と。

 きっと【勇者】となる彼らは、思わず奮えてしまうような謳い文句を囁いてもらえるのだろう。


 ボクもそうであったなら、きっと救いがあった。

 これは神の思し召しだと。言うなれば必要悪、この世に必要な事なのだと……誇りを以て拳を掲げる事ができただろう。


 でも救いなんてなかった。


 ボクが幼くして【魔王】に選ばれた時に聞いたのは、邪神どもの嗤い声だったのだから。



   ◆



 苔むす石の窓辺に、二羽のカラスが佇んでいた。

 片方は右目が潰れた黒羽のカラス。もう片方は左目の潰れた白羽のカラス。


 ボクと目が合うと、二羽はさっさと曇天の空へと飛び去ってしまった。

 風に乗って足元に舞い降りた白い羽を拾う。

 ボクの背にもこれが生えていたのなら、この牢獄のような城から飛び立つ事ができたのだろうか。


 ……幼児的妄想だ、と自嘲する。

 まぁ、年齢で言えばついこの間まで幼児だったはずなのだけど。


 忌々しい神々の呪縛は、小さなボクの体をこの陰鬱とした魔王城に縛り付けて放さない。

 ボクがあの日に聞いた嗤い声について誰かに語る事も封じられている。つくづく忌々しい。

 翼があったって、連中の呪縛からは逃げられないだろう。


「……ボクが一体、何したって言うんだ……」

「おやおや、我らが幼き魔王様。朝からいつも通り、子供らしからぬしょげた御顔で。それはともかくおはようございます」


 茶化すような声に振り返ると、稲のように細長いお兄さんが立っていた。

 浅黒い肌、山吹色の髪に溺れる黒い角、虚空をゆったり撫でるギザギザ尻尾。

 魔族だ。ボクと同じ。


「……エイリズさん。おはようございます」

「あはは、史上最年少で魔王に選ばれし神童・アゼルヴァリウス様にさん付けで呼ばれるとは。うん。相変わらず畏れ多くて心地が好い」


 相変わらず、不気味で、どこか気色悪い薄ら笑いを浮かべるお兄さんだ。


「しかし魔王様。その顔はいただけない。本日の空模様と双子かと見紛うばかり。栄養が足りていないのでは? 具体的にはもっと御米を食べるべきなのでは?」


 エイリズさんがそう言って懐から取り出したのは、白く輝くおにぎりだった。


 エイリズさんは魔王軍において御米大臣を務めている。

 食性的に御米しか食べられないボクたち魔族に取って、御米大臣の権威は魔王にすら匹敵する。


「それとも、充分に食べた上でその顔で?」

「ううん……実は食欲が無くて、昨日の夜から何も……」

「魔王様、いやアゼルヴァリウス様……いいえ、いっそここはアッちゃん様と呼ばせていただく」

「いきなり何故」

「お説教の時間ですので。さぁ、今すぐ正座してくださいませ」


 服が汚れてしまうのは少し憚られたけど……魔王に匹敵する権威を誇る御米大臣に言われては仕方無い。

 言われた通りその場で膝を折って正座すると、ボクと膝を突き合わせる形でエイリズさんも正座した。


「アッちゃん様は実に素直な良い子魔王です。しかし一点だけ非常にダメ。それはまさにこれ」

「……おにぎり?」

「その通り、おにぎり、ひいては御米、ひいては食事、ひいては命!!」

「命」

「食とは、御米とは、おにぎりとは、即ち命です。わかりますね?」

「なんとなく……」

「素晴らしい。実に聡明アッちゃん様」


 御米を食べないと魔族は死ぬ。

 食、御米、おにぎりが命である――と言う主張は的外れではないと思う。


「食欲不振の理由は御察しいたします。不安、でしょう? 【勇者顕現】の報せは、当方も把握しております」

「…………うん。情けない話だけど」


 ……勇者が、また現れた。魔王を殺さんとする、神の使徒が。

 先代の勇者が死んでからまだ何日も経っていないのに、もう新しい勇者が……。


 脳裏を過ぎるのは、魔王に選ばれたあの日――ボクを魔王城に残して去って行った両親の背中。

 魔王になった……つまり勇者に命を狙われる厄介者であるボクを捨てて、二人はどこかへ行ってしまった。


 ……と言うのは、大きな間違いだった。


 それを知ったのは、「勇者と相討ちになった偉大なる同志」として魔王城に担ぎ込まれた、瀕死の母上と再会した時だ。


 この偉大なる同志と共に戦っていた魔族の男性は、二目と見れぬ惨状だったので先に埋葬した。彼女ももう長くはない……魔王様直々に功を称えてあげて欲しい。

 母上を魔王城へ運んできた魔王軍兵士にそう懇願され、母の手を取った。


 ……べっとりと生温い血の感触が、未だこの手にこびりついている。


「……次は、ボクの番なんだ……」

「はい。このままでは、アッちゃん様は命を落とすでしょう」

「……………………」

「だから、このおにぎりを食べていただきたい」

「……意味がわからない」

「聡明なアッちゃん様、おにぎりは命です。つまりおにぎりを食べ続けている限り、死なない」

「いや、それはまぁ……生きてなきゃおにぎりは食べられないし……」


 論理の順序がごちゃごちゃだ。


「それは順序があべこべです」

「エイリズさんに言われたくない」

「否、大きなお間違い。良いですか? おにぎりを食べるから、生きているのです。おにぎりを食べないならばそれは『まだ死んでいないだけ』。死に向かっているだけの者を生者とは呼べません。生者でない者がどう命を拾えましょうか? 死に向かうのみの者が死に抗えるはずなど無し」

「それは……そう、かも知れないけど……」

「はい論破。論破されしアッちゃん様にはこちらのおにぎりを食べていただきます」

「……ごめんなさい。本当に食欲が……」

「食欲はあとからついてくるものですよ。騙されたと思って、一気に」

「そこは一口とかじゃないんだ……」


 御米大臣にここまで強く圧されては仕方無い。

 おにぎりを受け取って「いただきます」の言葉を合図に精一杯、頬張る。まだ小さいボクの一口では、半分も齧り取れない。


「今は小食アピールなど不要! がっつけ男子! いけるよアッちゃん! はい一気! 一気!」


 鬱陶しいな御米大臣。

 ちょっとイラっとしながら、おにぎりをすべて口の奥へと押し込む。

 うぷ……胃が全力で拒絶している……でも、一度口に含んだ御米を吐き出すなんて冥界行き確定の悪行……いや、忌々しい神々がいるだろう天界になんて行きたくはないけど……。


「げ、ふ……ご、ごちそうさまでした……」

「当方が頑張って作った御米なのだから、もう少し美味しそうに食べて欲しいものですな」

「………………」

「まぁ、ディスってばかりでは伸びますまい。ここは讃えましょう。さすがは我らが魔王様! 新たな勇者が現れたとか普通の魔族なら満足に食事が喉を通らないでしょうデリケイツなこの情勢下で見事なおにぎり一気喰い! 神経の図太さが世界最高峰!!」


 誰かの脛を思い切り蹴飛ばしたいと思ったのは初めてだ。


「さ、食事が済んだのならば次は鍛錬の時間ですよ、魔王様」

「鍛錬? 魔術ならこの後、竜系魔族のファナンさんが……」

「魔術もよろしいですが、筋肉。筋肉も大事ですよ」


 確かに、魔術を筋力で加工して術式強度を上げる【術式筋力加工(マッシブ・パッケージ)】は強烈な武器になると先日の座学で教えてもらった。でも、その戦闘方法が実用的なのは生来筋肉質な遺伝子を持つ竜系魔族や巨人系魔族だけだと言う。

 何せ魔族は御米しか食べられない。麦系タンパク質は筋肉増強に不向きらしいのだ。

 ボクはごく一般的な魔族だから、素直に魔術を極めた方が……。


「アミノ酸スコアでしか物を語れない無知……ここで改めていただく」

「あみのさんすこあ……?」

「ええ、確かに、御米のタンパク質は筋増強に不向き! ですがそれは一つ前のパラダイム! この御米大臣エイリズ・ライスライズ……御米の歴史に新たな一ページを刻みました!! ふんぬぅあ!!」


 短い叫びと共に、エイリズさんが力んだ。

 ぶっぱぁん! と言う破裂音を伴って、エイリズさんの衣類が弾け飛ぶ。


「わぶ!? な、何……!?」


 顔に貼り付いた衣服の断片を剥がすと――信じ難いものを見た。

 先ほどまでまるで稲のようだと思っていたエイリズさんの細長い体は面影も無い。黒々太々とした肉の塊がそこにいた。


「き、着やせしていたの……!?」

「はい。当方は着やせのパイオニア。そしてご覧くださいこの筋肉量……これは毎日一時間の筋肉増強トレーニングの後、先ほど魔王様に食べていただいたエイリズ印の新製品、高タンパク低カロリー御米を食べ続けた成果でございます!」


 エイリズさんの言葉と共に、その大胸筋が跳ねる。伴う風圧が、ボクの前髪をめくりあげた。


「魔王様……傲慢な言い方であると承知の上で言います。当方は道を拓きました。魔王様が最強の魔王様になるための道、即ち筋肉増強に特化した御米の開発に成功したのです!」

「さ、最強の魔王……?」

「はい。僭越ながら魔王様……あなた、勇者を殺したいですか?」

「ッ……」

「答えは否。当方は見ていました。御母上の最期を看取るあなたの顔を。あなたはきっと、誰も殺せはしない」


 ……母上は今わの際にボクの頬を撫でて「愛している」と言ってくれた。

 そして、悔しそうに顔を歪めて……最期に付け加えた。


 ――「ごめんね」と。


 狂いそうな気分だった……どうか、このまま狂わせてくれと懇願すらした。


 狂乱のままに、怒りだけに身を任せて、魔王軍の全戦力を使い人間への報復を、復讐を。

 血で血を洗う戦乱をもたらしてでも、気が済むまで殺戮の限りを――


 ――不意に脳裏を過ぎったのは、悔しそうに泣きながら息を引き取った母上の顔だった。


 ボクが誰かを殺そうとすれば、その誰かを守ろうと戦う者が現れる。

 両親がボクを守ろうと戦ってくれたように。


 そんな者たちを、ボクは殺せるのか。殺せと命じる事ができるのか。

 想像しただけで、嘔吐が止まらなくなった。


 何故、そんな事をしなければならない?

 どうしてふざけた神々の遊興ごときのために、あんな悲劇を繰り返さなければならない?

 一体、どんな大義があってそんな事を?

 一体、どんな道理があって繰り返すのか?


 わからない。

 でもとにかく、ボクにはできないと悟った。


「殺せない? 結構、それは正常です。誇るべき優しさです。しかしそれを誇るには、誰も殺さない事で誰かが死ぬ事があってはならない!! であれば、筋肉が必要なのです!! 圧倒的武威、圧倒的畏怖、圧倒的肉感を以て、戦う事の愚かしさを敵の魂の髄に刻み込むのです!! 敵を二度と拳が握れない精神状態に追い込まねば、不殺の優しさはただの犯罪的怠惰にまで堕ちてしまう!! 認めない、当方は断じて認めない……あなたの優しさは、そのように貶められて良いものではないのだ!!」


 エイリズさんの筋肉が荒ぶっている。石造りの魔王城が軋みを上げるほどに。


「圧倒的筋量を以て、勇者の戦意だけを粉砕する……それがあなたの優しき魔王道に相応しい。当方はそう思うのです!!」

「圧倒的筋量を以て……勇者の、戦意だけを……」


 心臓が大きく跳ねたような気がした。

 指先に、血がめぐる。温かな激流が、べっとりとした生温かい幻覚を塗り潰していく。


 糖質おにぎりのおかげか、頭が冴える。


 わからなかった疑問の答えが、不意に脳裏に浮かんだ。


 殺意の連鎖を繰り返す事に、大義なんて無い。道理なんて無い。間違っているんだ、そんな事は。

 だったら、あっちゃいけない。否定しなくちゃダメだ。


 神々の仕組んだ遊興に振り回されてたまるものか。

 勇者も、ボクと同じ被害者だ。


 殺さない、負けない。

 勝って、生き続けてやる。 


 ボクは、この世のすべての悲劇を否定する。そんな魔王になってみせる。


 そのためには――筋肉が、必要なんだ。





 こうして、後に誕生する。


 歴代の勇者をことごとく退しりぞけ続け、一〇〇〇年以上に渡り君臨する脅威の大魔王。


 魔王・アゼルヴァリウス。


 またの名を【千年筋肉せんねんきんにく】。




 これはいつの日か、神を墜とす筋肉のプロローグである!!


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