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マグノリアの涙  作者: 民子
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第二話

 ガウェインとの対面はザインがラウルベイズ城に着いて十日ののちとなった。聖王都アレイヤーナでの今期の議会を終えたガウェインは、しばらくの休暇を領内で過ごすため妻子を連れて戻ってきた。


 年二回の議会が終わると聖王都では貴族や豪商たちが連日連夜社交の場を開く。クラウドの話によると体の弱い夫人を気遣って最低限の夜会をこなし、一家は帰路に着いたとのことだった。


 ガウェインの執務室に向かう最中、ようやくここでの暮らしに慣れ始めていたザインは再び身を固くしていた。


 この十日間はザインのためだけに招いた剣術師に指導を受け、空いた時間に城の内外の地理を覚え、またガウェインに恥をかかせぬように勉学にも励んだ。およそ実家にいた頃には手の届かなかった書物すら、ザインは一言も口にしていないのにクラウドは用意してくれた。どうやら図書室から借りてくる題名を書庫の当番から聞いて手を回してくれていたようだ。


 余程クラウドはザインを気にかけてくれている。それはつまりガウェインの意を汲んだものであり、ザインは未来を切り開いてくれた大恩人に対してどうして謝意を伝えられるか思案した。勿論今後ザインが立身することが唯一の恩返しであるのだが、まずは足りない頭でもまともに返事ができるであろうか。


 控えの間でしばらく待たされたのち、執務室に通されたザインは息を飲んだ。広い窓を背に輪郭を取る壮年の男が、ラウルベイズ家の宗主であり、アレイヤ聖王国外務大臣を務めるガウェイン・ラウルベイズ侯爵その人であった。


 貴族や政治家の括りで留めるには惜しい立派な体躯をしている。日頃からよく鍛えていることは厚手の上着越しからも分かる。ザインの父親と年はそう変わらぬはずだが、彼の方が若々しく覇気に満ちていた。濃い金髪を後ろに撫でつけ、堂々とした佇まいは彼こそがこの国の王者ではなかろうかと錯覚させる。鋭い視線がザインをいとも簡単に射抜いた。



「しばらくだな。覚えているか」


「はい、侯爵閣下におかれましてはご健勝のこととお喜び申し上げます。この度はこれほどまでのお心遣い……」


「よい、堅苦しいのはアレイヤーナだけで十分だ。楽にせよ。こうして面と向かうのは一年ぶりか。あの時は声をかけるだけの短いものであったが」


「いえ、閣下に手を差し伸べて頂いたからこそ、わたしに新たな夢ができました」


「その夢は己だけに留めておくものではない。分かっているだろうが、聖王陛下の御世はまだ盤石とは言い難い。我らラウルベイズの一族が陛下をお支えするためには今よりも多くの力が必要となる。お前には目をかけている。大いに励めよ」


「かしこまりました」



 無駄なことを嫌うのだろう、話は終わったと告げる代わりにガウェインは背を向けた。ザインも弾かれて一礼をすると執務室を後にする。


 再会の挨拶としては上出来だろう。


 胸を撫で下ろしたザインは晩餐までの時間を剣の自主稽古に充てることにした。いつもなら日中の時間は殆ど剣術の稽古だが、今日だけはガウェインが戻ってくるため昼から休講になっていた。緊張で凝り固まった筋肉を解すには剣を振るうのがいちばんだ。


 中庭から外れた位置に作られた野外の稽古場でザインは模擬刀をひたすら振り続けた。師から一日千回万回、とにかく時間を惜しんで素振りをするようにと言われている。


真剣よりもわざと重さのつけた剣がザインの張り詰めていた気を徐々に異なるものへと切り替える。ザインは剣が好きだった。勉強ができないわけではないが、剣ほど分かりやすいものはない。強い方が勝つのだと、負けたくなければ勝てばいいだけのことだと身をもって学ぶことができる。


 そういう点においては、ザインはあのまま父の地盤を引き継ぎ田舎貴族で一生を終えるより、ガウェインに引き上げられて武の頂点を目指すことの方が性に合っているのかもしれない。


 素振りから型へと移り、やがて模擬刀を腰に戻す。息を整えるまでの間、ザインの中からガウェインと対峙したときの緊張も、その後の雑念も一切消え去っていた。無心の境地に至ることができる剣術が、やはりザインは好きだと、この道を極めようという意思が改めて身の内から湧き上がってきた。



「わあ、すごいね! すごい、本物の聖騎士だ!」


 静寂を打ち破ったのは幼い少年の溌溂とした声だった。


 ザインは稽古場へと続く外廊下に視線を向けた。


 ミモザの花の色に似た鮮やかな髪と零れんばかりの大きな目、そして美しい刺繍の入った上等な服を着た幼い少年は、宗教画に描かれる初代聖王をこの地に導いた使徒に似ていた。ただ現実の世界にいることを示すように、少年がにこりと笑うと彼の前歯が一本抜けているのが見えた。



「もしかしてマルク様でいらっしゃいますか」


「へへ、正解。あなたがザイン?」



 供もつけずに野外の稽古場まで出てきたというのだろうか。辺りをさっと見回しても付き人の気配はない。確かクラウドからマルクはかなり人見知りの気があると聞いていたが、外廊下の柱から顔を覗かせる姿は人懐っこいどこにでもいる子どもだ。ただその容姿は幼いながらも滅多とない可憐さと気品が漂っている。



「おひとりですか」



 ザインは模擬刀を手にしたまま、マルクのもとに駆け寄り跪く。マルクの視線がザインの顔をあっさり撫で、その手に釘付けになっていた。



「ねえ、僕にも持たせて」


「は? これを、ですか」


「そう」



 ザインの答えを聞くより先にマルクがえくぼのある手を伸ばしてきた。一瞬身構え、彼から模擬刀を遠ざけようとしたが、予期せぬ方向から甲高い声がザインの動きを鈍らせた。



「マルク! 何してるの!」



 声に気圧されたのはザインだけではなかった。名を呼ばれたマルクの小さな体が跳ねた。



「坊ちゃま、お探ししましたよ」



 妙齢の女が落ち着いた声と足取りでマルクを背中から抱き上げる。ザインと目が合うと申し訳なさそうに、しかしザインに礼を言うように頬を緩ませ会釈した。


 マルクは見つかってしまったことを残念がり、かつ観念し、つんと唇を突き出している。



「マルク、わたしとダンスの練習をするのでしょう。わたしが折角教えてあげると言っているのに、どうして約束を破るの」



 侍女に抱かれたマルクに突っかかってくるのは先ほど不意打ちに声を上げた主だろう。


 侍女の背後から姿を見せたのはマルクとよく似た少女だった。ただしマルクよりは気の強さがひしひしと伝わってくる。


 彼女がガウェインの息女であるクロエだろう。目元が父親にそっくりだった。アーモンド形の目は向かい合う相手の芯を貫いてくる。癖のない真っ直ぐ長い髪がクロエという少女の性格そのものを表しているようだった。



「お初にお目にかかります、クロエお嬢様、マルク坊ちゃま。ガウェイン様のご厚情によりお世話になっております、ザインと申します」



 膝をついたままのザインをクロエは訝しげに見ていたが、興味を失くすのは早く、マルクに振り向く。



「マルク、戻るわよ。ダンスの練習をするの。いいわね。アンナ、マルクをそのまま連れて来て」



 クロエは侍女とマルクを連れ立ってあっという間にザインの視界から姿を消してしまった。お前などに構う必要がどこにあるのかと言わんばかりで、返って心地いいとさえ思う。


 マルクはザインに興味を持ってくれたようだが、姉のクロエはどう見てもザインを歓迎してはおらず、これではクラウドの気持ちに沿うことはなかなか難しいのではないか。


 ザインがここに来た目的はご息女のお気に入りになることではないことは明白だが、どうにも先行きが曇り始めたことに肩をすくめずにはいられなかった。

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