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マグノリアの涙  作者: 民子
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第一話

 ザイン・ラウルベイズがラウルベイズ宗家に引き取られたのは、彼が十二歳の誕生日を迎えた翌日のことであった。


 同じラウルベイズの姓を名乗りながらも宗家と分家では確たる差がある。ザインはラウルベイズ領の中では最東端の寒村を治める代官の息子で、ザインにとってラウルベイズ家宗主ガウェインは当代聖王よりも畏れ多い存在だった。


 ガウェインは若くしてラウルベイズ家の当主となり、中興の祖とも呼ばれる人物である。武勇に長け、博覧で政治手腕にも長け、アレイヤ聖王国においても外務大臣を務めている。国の中核を成すガウェインという人はザインの憧れでもあり、その宗主がザインを名指しして手元に引き取りたいと下達があったとき、ザインは夢を見ているのではないかと疑いすらした。


 しかしそれはただの杞憂で、宗家からの使者は突然のことに戸惑うザインと父親に対して、丁寧に説明を繰り返した。


 以前、聖王都アレイヤーナで行われた武術大会において、ザインが年少の部で優勝したのをガウェインが見ていたらしい。他国からも観覧に来る歴史深く名高い武術大会である。外務大臣のガウェインが他国の要人をもてなすために会場にいることに何らおかしいことはない。


 ガウェインはザインを片田舎に留まらせるのは惜しいと判断し、いずれは聖騎士として中央に連れて行こうと考えたのだ。


 ガウェイン自身も武勇に長けるとはいえ、彼はあくまで貴族であり、政治家であり、軍人ではない。軍人は平民が成り上がるための唯一の道であるから、身内の中でも最も平民に近い位置にいたザインは軍部介入のきっかけとして最適だった。


 くわえて将来、愛息が国の中央に君臨し、ラウルベイズ家を盤石のものとするためには、ラウルベイズの双極であるグラナダ家にない駒を押さえておく必要があった。


 権力強化の手駒として声を掛けられたとしても、数多くある分家の中からガウェインの目に留まったのは素直に嬉しかった。


 ザインの実父は先代である祖父から家を引き継いだものの凡庸な人であった。代々の財産を減らすことも増やすこともなく、ただ漫然と時間だけを食い潰していく人でしかなかった。同じ分家筋の家々と比べて宗家への貢献を怠っていたことは余りにも大き過ぎ、いずれザインが父の跡を継いだとしてもその遅れを取り戻すのが容易でないことは明白だった。


 このまま大した手柄も立てず分家の中で埋もれていくことを考えれば、ガウェインの居城に住まうことを許され、彼の権力闘争の一駒になれることは神より直接救いの手を差し伸べられるに等しかった。



 ラウルベイズの本城でしっかりと腕を磨き、勉学にも励もう。


 聖王の治世を守る盾となり、外敵を払う剣となろう。


 聖騎士になることは、自分を見出してくれたガウェインへの恩義に報いることにも繋がるのだ。そしていずれは聖騎士の中でも幾人かしか選ばれない王宮騎士まで昇り詰めたいとザインは本気で考えていた。


 ザインは立身への志とガウェインへの忠義を胸に実家を出、ラウルベイズ本城へと上がった。





 塩気を帯びた寒風吹き荒び、港に係留する船が軋みを上げる、とある冬の日のこと。


 ザインを港まで迎えに来たのは、ラウルベイズ家宗家に代々仕える家令の男であった。


 白髪交じりの髪を丁寧に左右に梳き、制服を着用はしているがその生地の上等さは遠目からもよく分かった。流石に宗家ともなると使用人の身形にすら上等なものを誂えている。


 ザインの実家では当主の妻である母親が使用人たちに交じって家事をこなすこともあったから、いかに自分の置かれていた環境が低俗なものであったかを城に上がる前から思い知らされた。


 これは益々気を引き締めなければならぬとザインは身震いした。



「ザイン様でございますね。わたくしはラウルベイズ家宗家に仕えておりますクラウドと申します。旦那様よりザイン様を本城までお連れするようにと仰せつかっております。どうぞこちらの馬車にお乗り下さい」



 クラウドは慇懃に頭を下げてザインに申し出たが、それでなくとも早々に実家との差異に戸惑いを感じているのだ。思わずたじろいでしまった。



「ラウルベイズ城ならばすぐ目の前ではありませんか。馬車をご用意して頂いたのは誠に有難いのですが、この距離であれば歩いて行けます」


「確かに歩いて行かれましても然程時間はかかりません。しかしザイン様はラウルベイズ家宗家の新たな家人となられる方でございます。かえってお手間を取らせることは重々承知しておりますが、どうか馬車にて参城して頂きたいのでございます」



 やんわりとした口調の中にも仕事に忠実な意志の強さを感じ、ザインは黙って頷いた。


 クラウドの後についていけば二頭の葦毛の馬が引く箱馬車があった。それに乗り込み扉が閉められると、ザインはひと時でも緊張から解放され深い溜息を吐く。


 だが御者の席に付いたクラウドに名を呼ばれ、慌てて背を正した。



「旦那様よりお嬢様たちのことはお聞きでしょうか」


「え、……いや、お名前は存じていますが、ガウェイン様からは何も伺っていません」


「左様でございますか。ガウェイン様にはご存知の通り、ご長女のクロエ様とご子息のマルク様のお二人のご姉弟がおられます。クロエ様はザイン様よりお年が一つ下でございまして、マルク様は五つ下でございますね。お二人とも幼いながらもお美しく聡明なお子様方でございますよ。クロエ様の方が少し快活で、マルク様は人見知りと申しますか、よくお姉様の後を付いて回ってらっしゃいます」


「そうなんですか……」



 ラウルベイズ領の外れに住み、分家筋でも格下の家であるザインは、これまでに宗主であるガウェインに三度しか会ったことがない。その内の二度は父の付き添いで年始の会に出たときに遠目から見たのと、一度が去年の武術大会の優勝で声を掛けてもらったときだ。総主であるガウェインですらその程度しか姿を拝んでいないのだから、ましてや彼の子女に至っては顔も分からず名前しか知らない。


 宗主の娘と息子であればさぞかし英才教育も施され、賢く健やかに育てられていることであろうとザインは思った。反対に自分は貴族の領地というには貧しい寂れた村の出身で、幼少の頃より野山を駆け回っていたおかげで体の丈夫さが取り柄だ。



「宗家のご息女ご子息となりますとどうしても周りは大人ばかりで、同じ年頃のご友人を作ろうにも大人たちの思惑が絡んで思うようにはまいりません。ガウェイン様はそれを非常に強く憂いておいででございます。この度ザイン様を本城にお引取りになったのは勿論ザイン様の剣術の腕を見込んででありますが、これを機にお嬢様たちのよきご学友にもなって頂きたいとの思いもあるのでございます」



 クラウドの言うことをザインは合点をしつつ聞いていた。


 ザインに騎士としての将来性を感じ取っただけであれば何も本城に引き取らなくてもよかったのだ。城下に住まわせ剣術道場に通わせ、更に個別に師でも付けておけば十分である。


 しかしそうはせず自分の手元に置きたいという裏には、政界の駆け引きなく子どもたちの遊び相手を手に入れられるからであった。


 本来ラウルベイズ家宗家ともなればあちらこちらへと気を遣わずに遊び相手を連れてくることも可能であろうが、そこは権謀術数に長けたガウェインのことである。僅かな綻びすら設けぬようにと考えてザインに目をつけたのだ。


 だがクラウドからそれを告げられたところでザインは何の動揺もしなかった。むしろ今まで以上に名誉な役目を与えられたと喜びすら感じていた。


 将来の話だけでなく、今現在でもザインはガウェインの役に立つことができるのだ。


 父が四十年近くかけても手に入れられなかった栄達を、たった一瞬にして手に入れてしまったような心持ちである。



「クロエ様もマルク様も同じ年頃の子どもと接する機会が殆どございません。ザイン様。どうかお二人のよきご学友になって下さいませ」


「勿論です。ガウェイン様だけでなく、お嬢様たちにも心よりお仕えする所存です」


「はは、何と頼もしい……誠に嬉しい限りでございます……」



 クラウドの声が僅かに震えた気がした。その口調は穏やかで優しげで、彼が主人の子どもたちに対しても篤い忠義を捧げているのが伝わってくる。


 まだ出会って半時間ほどしか経っていないが、ザインはクラウドを好きになった。そうしてクラウド自身の人となりがあるからかもしれないが、ザインはまだ見ぬクロエとマルクに淡い憧憬を抱き始めていた。



「さて、到着いたしましたよ、ザイン様」



 馬が一声鳴き、馬車の揺れは収まった。


 一足先に下りたクラウドが馬車のドアを開け、ザインが降りるのに手を貸してくれる。


 馬車の屋根を潜って石畳の上に降り立ち、次に顔を上げた瞬間、ザインは視界に飛び込んできた剛健実直な面持ちを見せるラウルベイズ城の姿に息を飲んだ。


 港から見えていたラウルベイズ城と同じであるはずなのに、更に間近で見上げると重厚で勇壮な響きがどこからともなく聞こえてくるようである。


 これがラウルベイズ家宗家の居城なのだ。


 これが、ガウェインの居城なのである。


 ザインは己のちっぽけさを痛感しつつも、皮膚の下が滾ってきたことに気付いた。沸々と血が沸き踊っている。頬が紅潮し、ザインは飛び上がりそうになる心と体を押さえようと必死で両の拳を作った。


 クラウドは馬車の荷台からザインの荷物を降ろし、出迎えてくれた他の使用人たちにあれこれと指示を出す。



「ザイン様、どうぞこちらへ」



 やがて一通り指示を出し終えたクラウドはザインを呼び、家人のみが出入りする玄関へと誘う。家令の後を付いて歩きながら、ザインはこれからのことを想像しようにも途端できなくなってしまった。


 ラウルベイズ城を目の前にしただけで気圧されてしまったのである。ここで本当に大成への道を歩いていけるのであろうかと不安が頭をもたげていた。それまで意気込みだけが空回りしていたことを、身を持って思い知らされた。


 緊張と共にこくりと唾を飲み込み、ザインは己の進むべき道を改めて見据えた。

次回、お嬢様お坊ちゃま登場です。でも不定期更新になります。

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