8 娘は天才
━━ジャック視点
俺の名はジャック。
冒険者を引退し、美人な嫁と可愛い娘に囲まれて辺境で隠居暮らしを送る、人生の勝ち組である。
娘は、自分の事を剣神の生まれ変わりだと言ってしまう、少し頭の痛い子に育ってしまったが、それも個性だ。
気にする事はない。
仮に、本当に剣神様の生まれ変わりだったとしても、かまうものか。
あんなに可愛いのだから、誰の生まれ変わりだろうと関係ない。
あの子にパパと呼ばれる度に顔がニヤけてしまう。
そんなリンネは、可愛い可愛い俺達の娘だ。
だが、そんな幸せな生活を送る俺にも、最近ちょっとした悩みがある。
事の始まりは、リンネが剣を習いたいと言い出した事。
俺は最初、反対だった。
剣術とは、言うまでもなく戦う為の力だ。
そして、俺は元冒険者として、戦う事による悲劇を腐る程に見てきた。
リンネはやたらと男勝りなところがあるが、女の子だ。
なら、そんな血生臭い世界になんて踏み込まずに、できるだけ安全な場所で健やかに育ってほしい。
そう思っていた。
……だが、結局俺はリンネのおねだりに負けた。
あの上目遣いは反則だろう。
何でも言う事を聞いてあげたくなる。
そうして迎えた稽古初日。
俺は、人生で初めて剣を持った娘にボコボコにされた。
ありえないと思った。
俺はこれでも、元A級冒険者だ。
場合によっては、領主や国からの依頼を受ける事もある、トップクラスの冒険者だった。
いくら引退して衰えたとはいえ、子供があっさりと打倒できる相手ではない。
明らかに常軌を逸している。
俺が冒険者人生の全てを費やしても習得できなかった闘気まで使いこなしていたし、間違いない。
ウチの娘は天才だったのだ!
……しかし、俺を倒したリンネは、いきなり自分が剣神の生まれ変わりだったんだとか、変な事を言い出してしまった。
たしかに、そう言われても納得できるだけの強さではあったが……おそらく、想像以上の自分の力に酔って、痛い妄想をしてしまったのだろう。
あの子は、エドガーの絵本を読むのが大好きだったからな。
もっと小さい頃に、よく読み聞かせてやったものだ。
まあ、それはいい。
良くはないが、悩む程の事でもない。
せいぜい、俺の父としての威厳が失墜し、リンネに十年後くらいに悶絶するだろう黒歴史が生まれただけだ。
……意外と大問題じゃないか。
もう少し真剣に考えるべきかもしれないな。
話が逸れた。
俺が悩んでいるのは、その事ではない。
問題は、リンネの師匠という立場を、あの優男に取られてしまった事だ!
だが、悔しい事に、奴は左遷されたとはいえ、元エリート騎士。
天才のリンネを教えるのなら、たしかに、それくらいの実力は必要だろう。
誠に遺憾ではあるが、奴の強さだけは認めている。
しかし!
奴は腹が立つ程のイケメンであり、無駄に色気のある野郎だ。
もし万が一、億が一、リンネが奴に惚れてしまったらと思うと……いかん! いかんぞ! あんな奴にリンネは渡さん! ロリコンは死ねぇい!
しかも、最近ではリンダまで奴に好意的だ。
いや、決して浮気を疑っている訳ではないし、実際、リンダも「ヨハンさんも色々と苦労してるのよ」と言っているだけだ。
その感情は、好意というよりは共感か何かだろう。
奴にも息子がいるという話だし、子育ての苦労話か何かで意気投合したのかもしれない。
だが、最愛の妻と娘の気が他の男に向いているというのは、やはりおもしろくない。
まあ、百万歩譲って、リンダの方はまだいいだろう。
彼女は奴を気にかけているだけだ。
惚れている訳じゃない。
リンダの愛は俺だけのものだ。
そして、俺の愛も彼女だけのものだ。
ベッドの上では毎晩のように、情熱的な夜を過ごしているしな。
だが、リンネの方は駄目だ!
何も惚れた腫れたの話だけではなく、父である俺を差し置いて、リンネの尊敬だとか、その他諸々の好意的な感情が奴に向いてしまうかもしれないというのが、純粋に悔しい。
俺だって、娘に良いところ見せたい。
あのクソイケメンよりも尊敬されて、「パパ凄い! カッコいい!」と言ってもらいたい。
ただ、それだけなんだ。
「しかし、具体的にどうするかだな」
俺は今の仕事である家畜の世話をしながら考える。
この牧場仕事は、リンダと結婚した時に彼女の両親から受け継いだものだ。
同時に、我が家の収入源でもある。
ここで出来た牛乳やチーズなんかをご近所に渡して、他の物と物々交換するのが、この村での生き方だ。
それに、昔の伝で近くの街の冒険者ギルド(に併設されている酒場)に定期的に卸してもいる。
どんなに悩んでいる時でも、サボる訳にはいかない。
「……いっそ、これでいくか?」
リンネに良いところを見せるぞ計画。
それをこの牧場仕事……ではなく、仕入れ先の冒険者ギルドで実行してはどうかと考える。
リンネは確かに強いが、冒険者としての経験はない。
そこで、リンネと一緒に冒険者ギルドで軽めの依頼を受け、冒険者としての技術で俺が良いところを見せる、というのはどうだ?
「いや、でもなぁ……」
それだと、リンネが危険に晒される。
あの子の強さなら滅多な事は起こらないとは思うが、それでも何が起こるかわからないのが冒険者の仕事だ。
依頼を楽観視して死んでいった連中は、あまりにも多い。
俺だって、何かが少し違えば、とっくの昔に死んでいた。
それに、リンネが冒険者に興味を持ってしまうのも危ない。
たしかに、冒険者という仕事は楽しいだろう。
苦痛と絶望に満ちてもいるが、同時に夢と希望にも満ちている。
俺にとっても、パーティーの仲間達と共に大冒険を繰り広げた日々の思い出は宝物だ。
だが、親としては、子供に冒険者なんて危険な仕事は選んでほしくない。
もっとも、俺は「英雄になるんだ!」と息巻いて実家を飛び出した口だから、あまり強くは言えないが……。
そして、リンネはそんな俺の娘だ。
本気で冒険者になりたいと思ったなら、俺と同じように、親の制止を振り切ってでも行く可能性は高いかもしれない。
あの子の友達には、昔の俺にそっくりなヤンチャ坊主もいるしな。
そいつが冒険者になると言い出して、リンネもそれに付いて行ってしまうという未来も考えられる。
「……だったら、俺が何かしても結果は同じか?」
それに、昔こんな言葉を聞いた事がある。
『子供は親の思い通りには育たない』。
リンネには、安全な世界で健やかに育ってほしい。
だが、それは俺の望みだ。
むしろ、あの子の並外れた戦いの才能の事を考えれば、冒険者や騎士を目指し、その才能を活かせる道に進む事こそが幸せなのかもしれない。
結局、あの子の生き方は、あの子自身が決める。
なら、俺にできる事なんて、リンネに少しでも広い世界を見せてやる事と、自分の経験を伝えてやる事くらいなのかもしれないな。
その為に、一度冒険者ギルドに、いや、街に連れて行ってやるというのも悪くないか。
「なんてな」
柄にもなく真面目ぶって考えてみたが、結局は、リンネに良いところを見せるぞ計画の建前みたいな事を考えてしまった。
まあ、なんにせよ、街に連れて行くにしても、冒険者の真似事をさせてみるにしても、あの子がもう少し大きくなってからの話だ。
それに、俺一人で決める事でもない。
今夜あたり、リンダにも相談してみよう。
そうして俺は、諸々の思考に一旦区切りをつけ、仕事へと意識を戻した。