53 護衛の馬車の中
作戦決行、というより、マルティナとイグニが領地訪問に出発する日の朝。
私とドレイクが二人が乗る馬車へと一緒に乗り込み、騎士達が馬車の周囲を固め、万全の護衛態勢を整えた上で、プロミネンス家の馬車は出発した。
さすがに公爵家の馬車は中も広く、私達四人が乗っても、まだ広さに余裕がある。
それに、乗り心地も快適。
イグニがマルティナの膝の上に乗っている光景も相まって、実に和む。
だが、これは護衛の仕事であり、同時にカゲトラを釣り出す作戦でもあるのだ。
決して低くない確率で、戦いは起こる。
和みっぱなしではいられない。
適度な緊張感を維持しなくては。
私はキリッとした顔で馬車に揺られていた。
「リンネは、そうしてれば、ちょっとはカッコいいのにな……」
「フッフッフ。そうだろう」
「あ、ダメになった」
イグニの言葉に一喜一憂する。
しかし、これでも緊張感はしっかりと維持し、いつでも戦える精神状態を保っているのだ。
これがプロというものよ。
だが、張り詰め過ぎるのも考えものだ。
適度にリラックスする事も重要。
という事で、イグニとお喋りをする事にしよう。
「そういえば、イグニは今いくつなんだ?」
「3さいだ!」
「つまり、マグマは13歳くらいのマルティナに手を出した訳か……ロリコンめ」
私は、吐き捨てるようにそう言った。
昨日から、私のマグマに対する好感度は下がりっぱなしだ。
急降下が止まらない。
まさか、あの直情馬鹿がロリコンに育ってしまうとは思いもしなかった。
師匠として情けない限りだ。
いや、もう情けないを通り越して、ちょっと身の危険を感じる。
何故なら、私も13歳なのだから。
……マグマの野郎は、犯られる前に、師匠としての責任取って、殺っといた方がいいかもしれん。
だが、師匠として弟子にかける最後の情けだ。
命までは取らん。
不貞を働けないように、股関にぶら下がってる二つの玉を潰すだけで勘弁してやろう。
帰ったら、マグマの股関に神足剣を叩き込んでやる。
「リンネ様、あまり主人を責めないでやってください。
その、こういう事を言うのは恥ずかしいのですが……私の方から誘惑した結果ですので」
「……マジかよ」
「ゆーわく?」
「イグニには、まだ早いわね」
私がとてつもなく不吉な事を考えていたら、マルティナが顔を真っ赤にしながら、驚きの発言でマグマをフォローしてきた。
いや、13歳の誘惑に負けたマグマが有罪である事に変わりはないが、それでも驚いたぞ。
てっきり政略結婚だと思っていたが、恋愛結婚だったのか?
「馴れ初めとか聞いてもいいか?」
「あ、はい。
……私が主人と出会ったのは、彼の任務中の事でした」
そうして、マルティナは語り出した。
イグニの耳を塞ぎながら。
まあ、生々しい話になるなら、子供には聞かせられんか。
「あれは四年前の事で、当時の私は、お恥ずかしながらお転婆な性格をしていました。
侯爵家の娘であるにも関わらず、護衛の目を盗んで屋敷を抜け出し、城下町を一人で出歩くような危険な真似もしたものです。
貴族としての生活に息苦しさを感じていたのもありますし、スリルを求めていたといいますか……」
それはまた、今のマルティナからは想像がつかんな。
そういうのは、むしろ、プロミネンスの連中がやりそうな事だ。
実際、スカーレットとかは似たような事やってた。
だが、しかし、スカーレットはあれでもオリビアという護衛を連れていたし、影から見守る親衛隊みたいな連中もいた。
それもなしに、貴族令嬢が一人で彷徨くというのは、本人も言う通り大変危険だ。
……先の展開が読めたような気がする。
「そうしたら案の定、一人で歩いている所を凶賊に目をつけられてしまいまして。
身代金目当てに私は拐われました。
しかも、奴らはそれだけでは飽き足らず、私は三日三晩、凶賊達の慰み者となって汚されたのです。
あの時の事は今でもたまに夢に見ます」
「それは……気の毒だったな」
なんか、予想以上にヘビーな話だった。
てっきり、物語のヒロインのごとく、間一髪のところをマグマにカッコよく助けられたとか、そんな感じかと思ったら、全然違った。
マグマ、間に合ってねぇ。
現実は物語のようにはいかないという事だ。
これは素直にマルティナに同情する。
見れば、私の隣のドレイクも気まずそうに目を逸らしていた。
ドレイクですら目を逸らすのだ。
そりゃ、こんな話、イグニには聞かせられんわな。
「いえ、お心遣いはありがたいのですが、慰めは結構です。私の自業自得ですから」
いや、まあ、そうと言えばそうなんだが。
だが、一番悪いのはマルティナではない。
一番の悪は、当時12歳の美少女を誘拐してレイプした下衆野郎どもだ。
そんなクズは死ぬべきだな。
まあ、マルティナがこうして助かっている以上、死んだんだろうが。
「……そうして奴らに凌辱されている間、いっそ舌を噛みきって死んでしまおうかとも思ったのですが、結局、私は死ぬ勇気すらなく、ただ時間が過ぎるのを待つしかありませんでした。
そんな時です。
旦那様が来てくださったのは」
マルティナが熱っぽい瞳でそう語る。
なるほど。
それがマグマか。
正直、遅いと言わざるを得ないが、それでもマルティナにとっては救世主だったのだろう。
「騎士団を引き連れて現れ、瞬く間に凶賊を討伐し、私を救ってくださった、あの雄姿。
もう大丈夫だと、優しく頭を撫でて、抱き締めてくださった、あの腕の感触。
今でもはっきりと覚えております。
あの瞬間、私は私の英雄と出会い、恋に落ちたのです」
マルティナの頬が激しく上気している。
これは本気で惚れているな。
たしかに、その状況なら惚れもするか。
……このマルティナの幸せそうな顔に免じて、玉を潰すのは勘弁してやろうかな。
「その後、旦那様の事が忘れられなかった私は、この恋をなんとかして叶えられないものかと苦心しました。
両親に相談し、旦那様に相応しい女になる為に、今まで嫌がっていた花嫁修業を死ぬ気で頑張り。
そうしている内に、なんと両親が旦那様との縁談を整えてくれたのです!」
マルティナのテンションが上がっている。
鼻息も荒い。
膝の上のイグニが、仕方のないものを見る目で母親を見上げているように見えるのは、多分気のせいではないだろう。
「時期が良かったのもあります。
あの当時、旦那様はプロミネンス家の当主として、いい加減身を固めろと言われていたらしく、私との縁談もその一環だったのでしょう。
年齢差はありましたが、幸いにも家格は釣り合っていたので、縁談を断られるという事はありませんでした」
まあ、婚約じゃなくて縁談だしな。
とりあえず会うだけなら、わざわざ断られる事もないか。
「このチャンスを逃してなるものかと、私は持ちうる手段の全てを使って、旦那様を落としました。
幸いと言っていいのかはわかりませんが、旦那様は、私に対して『もっと早く助けられていれば』という負い目があったので、そこを突いたと言いますか……。
一度凶賊に汚された身ですし、他に嫁の貰い手なんてありませんと脅迫……説得したのが効いたのでしょう。
旦那様は、「責任は取る」と仰って、私を娶ってくださいました!」
マルティナ……マジで手段を選んでないな。
この子、思ったよりも肉食系だ。
そういえば、マグマにも気が強いとか言われてたっけ。
「ベッドの上で誘惑した時もそうです。
「凶賊に汚された時の事が忘れられないのです。早く、あなた様の色で染め直してください」と言って、その後は……キャー!」
マルティナがイグニの耳から手を離し、頬に手を当てながら小さく悲鳴を上げた。
顔は茹でダコのように真っ赤っ赤。
羞恥と喜びの表情だ。
お幸せそうで何より。
うーむ……まあ、そういう事なら仕方ない、のか?
別にマグマがロリコンに目覚めたという訳ではなさそうだし。
マルティナは幸せそうだし、イグニという愛娘も生まれたし、もうそれでいいか。
それに、あの直情馬鹿の事だ。
義務感と責任感だけで、結婚して抱くなんて器用な真似ができる訳がない。
結婚したからには、抱いたからには、そこには確かな愛情がある筈なのだ。
実際、マグマは、この危険な作戦に赴くマルティナとイグニを心の底から心配していた。
私は、奴の家族への愛を既に確認している。
なら、もうそれでいい。
マグマをロリコンと罵るのはやめよう。
玉を潰すのもやめよう。
始まりがどうあれ、今は幸せな家庭を築いている事に変わりはないのだから。
私は、最初に思ったように、素直に弟子の結婚を祝福してやればいい。
マグマよ。
末永く爆発しろ。
「まあ、なんだ。末永くお幸せに……」
「敵襲!」
そんな、馴れ初めというか、惚気のような話を聞き終えた時、馬車の外から騎士の大声が聞こえてきた。
次いで、連続した爆発音が響く。
マルティナが身を固くした。
逆に、私の頭は瞬時に戦闘へと切り替わる。
直ぐ様、窓から馬車の外を確認。
そこには、いつか見たような黒装束の連中が、大挙して馬車に襲いかかっていた。
前に、そうクソ虫と対決した日の朝に、白昼堂々、王都のど真ん中で私達を襲ってきた連中とそっくりだ。
つまり、大臣の手先。
あの時と同じように、騎士達が仕留め損なった奴が自爆しているし、間違いないないだろう。
騎士達は、さすがの腕前で割りと余裕を持って迎撃しているが、自爆するなんて特殊な敵の相手はやりにくそうにしている。
今はどうにかなっているが、ここにカゲトラが参戦してきたらキツそうだ。
そして、危惧していた存在が現れる。
紅色の刀を持った侍が、一直線にこちらへ向けて走って来るのが見えた。
来たな、カゲトラ!
予想通りだ。
飛んで火に入る夏の虫。
約束通り、ぶっ殺してやろう!
「ドレイク!」
「おう!」
ドレイクに声をかけ、同時に馬車の扉を開けて外に出る。
戦いに赴く、その刹那、
「リンネ! がんばれ!」
背後から、そんなイグニの声が聞こえた。
私は無言で親指を立てる。
その言葉で元気100倍だ!
お祖父ちゃんに任せておけ!
必ず、お前らを守りきってやる!
そうして私は馬車から飛び出し、飛脚で空を駆ける。
騎士達を巻き込まないように、上空から角度をつけて、カゲトラへと先制攻撃を仕掛けた。
「飛剣・大嵐!」
「ぬぅ……!」
巨大な衝撃波に、カゲトラの体が吹き飛ばされる。
私は、神脚で加速しながらカゲトラを追いかけ、正面から斬りかかった。
それを、カゲトラは紅桜で受け止める。
しっかりと両腕で力を籠めて。
どうやら、腕の良い治癒術師に見てもらったようだな!
そして、剣と刀。
愛剣と紅桜。
二つの刃が、真っ向からぶつかり合った。
「待っていたぞ、カゲトラ!」
「天才剣士……なるほど、そういう事か」
自分が誘い込まれたという事に気づいたかように、カゲトラは納得したような顔をした。
しかし、その顔に焦りはない。
そりゃそうだ。
自分の命に頓着していない奴が、罠にハマったからといって焦る訳がない。
そのまま私の剣はカゲトラを吹き飛ばし、カゲトラもその力に抗わずに吹き飛ばされて距離を取った。
カゲトラは森の中へと突っ込み、私もそれを追いかけ、私達はその場で向き合う。
「さて……約束通り、今日ここで、お前を殺そう」
そう言って私は、油断なく剣を構えた。




