49 カゲトラという男
私達は場所を移し、人気のない公園へとやって来た。
それでも、私達が本気で戦い、広範囲攻撃でも繰り出せばかなりの被害が出るだろう。
だが、街道の真ん中よりは、まだマシだ。
ここならば、少しは落ち着いて話とやらができる。
場合によっては、そのまま戦闘に突入だ。
腕を失って弱体化している今の内に、倒せるならば倒してしまいたい。
「それで? お前は私に何を語ってくれるんだ?」
「そうだな……とりあえず聞きたい事を聞くがいい。答えられる事ならば答えてやろう」
カゲトラは公園のベンチに座りながら、まるで戦意を見せずにそう言った。
いったい何を企んでいるのやら。
全く読めない。
ならば、まずはそこから聞くべきか。
「とりあえず、お前の目的はなんだ?」
「目的? 特にない。
気分転換に散歩をしていたらお前に会った。
ちょうど誰かと何かを話したい気分だったが故に、こうして世間話に誘った。
本当にそれだけだ」
そう語るカゲトラの顔には、表情がない。
本当か嘘かわからんな。
だが、カゲトラが戦意や殺気を見せないのも、また事実。
代わりに隙も見せないがな。
ここまでの、どのタイミングで斬りかかっても、おそらく仕留める事はできなかっただろう。
とりあえず、その隙を見せるまでは会話を続けるか。
なら、せっかくだ。
ずっと気になっていた事を聞いておこう。
「じゃあ、次だ。前々から気になってたんだが、どうしてお前程の強者が大臣なんぞに従う?」
「……そうだな。あえて言うのであれば、義理があるからだろう」
「義理?」
「ああ。今の主には義理がある。あとは侍としての最後の意地といったところか。
どんな外道であれ、主君を裏切りたくはない。
まあ、国を捨て、将軍様を裏切った男が今さら何を言っているのかとも思うがな」
カゲトラは、酷く自虐的に笑った。
傍目に見ても心を痛めているのがわかる。
心の乱れ。
すなわち、隙だ。
可能性こそ高くはないが、今、剣を振るえば、その首を飛ばせるかもしれない。
だが、私はそうはしなかった。
少しだけ、この男の抱える事情に興味がわいてしまったのだ。
敵に情けは無用。
深入りも禁物。
そんな事はわかっている。
それでも、私はこいつの事が気になった。
それというのも、私はこいつが悪人だとは思えなかったからだ。
前に戦った時も、もっとやりようはあった筈なのに、こいつは正面からの真っ向勝負しかしてこなかった。
たしかに、殺しにきていた。
だが、あの時、語っていた言葉に悪意は感じなかったのだ。
悪でなくとも敵は敵。
敵のままでいるならば、斬らねばならない。
それでも、こいつの言う通り、ここで会ったのも何かの縁だ。
この悪ならざる強敵の事を、少しは知っていてもいいのではないかと思った。
「……ライゾウから聞いたが、お前、元々は和国屈指の剣士だったんだろう?
そもそもの話、そんな奴が何故国を捨てた?」
おそらく、この質問の答えが全ての元凶なのだという確信があった。
落ちぶれた強者を、今のカゲトラを作った原因。
立派な侍を、こんな幽鬼のような辻斬りにしてしまった出来事。
そんな核心に触れる質問を、私は投げ掛けた。
「……某は、元々貧しい家の生まれであった」
カゲトラの口から出てきたのは、一見、質問とは全く関係のないような答え。
だが、私にはわかった。
カゲトラは、事ここに至ってしまうまでの全てを、話そうとしているのだと。
「物心ついた時には父はおらず、母は身体を売ってなんとかその日生きるだけの金を稼いでいた。
母はいつも辛そうな顔をしていたものだ。
やがて、そんな母も病で死に、某は行き場のない孤児となった。
幼い身体で必死で町を歩き回り、ゴミを漁り、誰かから盗み、なんとかその日を生き抜く為の糧を手に入れる。
今思い返しても、地獄のような日々であった」
それは……私にも少し経験のある話だ。
帝国に故郷を滅ぼされ、それからシャロに拾われるまでの間に私が経験した事と同じ。
もっとも、私は帝国から逃げる為に魔物がひしめく森の中を逃げながら生活していた時間が長く、完全に同じ境遇という訳ではない。
それでも、凄まじく共感できる話である事に変わりはなかった。
「そんな日々を送る中で、某は思っていた。
いつか、いつの日か、こんなゴミ溜めから抜け出し、這い上がり、成り上がってやると。
往来を我が物顔で歩く、あの侍達のようになってやると思った。
その為には力がいる。国に己を認めさせる程の力が。
そうして、某は力を求めるようになった。
それが全ての始まりだ」
なるほど。
カゲトラはそういう考え方をしたのか。
私は、シャロに拾われるまで、生きる事に必死すぎて、その日をどうやって生き抜くか、それ以外の事を考えるという発想自体がなかった。
だが、気持ちはわかる。
どこかで少し考え方が変われば、私も似たような思考に行き着いていた可能性は高い。
それに、方向性こそ微妙に違えど、最終的には私も力を求めた。
私とカゲトラの人生には、本当に被るところが多い。
まあ、それくらいに、ありふれた悲劇の形なのかもしれないが。
「そして、某は必死に己を磨いた。
生きる為に奔走する傍ら、ゴミの中から刀の代わりになる棒を見つけ出し、道場の稽古を外から盗み見て、なんとか真似しようとした。
空腹を堪え、寝る間を惜しみ、努力を重ねた。
自惚れになるかもしれんが、誰よりも努力したという自負がある。
━━その甲斐あって、腕試しと賞金目当てに参加した武道大会において、某の剣の腕は将軍様の目に留まり、下っ端としてだが家臣として召し抱えられた」
「ほう」
将軍とは、たしか和国における国王の事だったか?
王の目に留まるとは、その時点で相当強かったんだろうな。
「そこからは順風満帆、とまでは言わぬが充実した生活だった。
下っ端の仕事はキツかったが、ゴミを漁る生活に比べれば極楽も同然。
家臣の中には当然、某よりも強い者が数多くいて、負けぬようにと尚一層鍛えたものよ。
それまでと違い、正式な教えを受ける事ができた事で、某はみるみる内に強くなっていった。
そうしている内に仲間も出来た。
更に時間が経てば某は出世し、慕ってくれる部下達も出来た。
当然、辛い事も多い。
生まれや育ちから馬鹿にされる事はあったし、足を引っ張られる事もあった。
その被害が仲間達や部下達に行ってしまう事もあった。
それでも、その仲間達や部下達、そして某を見出だしてくださった将軍様の為にと、至らぬながらも努力を続ける日々は楽しかった。
今思えば、某の人生の中で最も幸福な、輝かしい夢のような時であったわ」
カゲトラは遠いどこかを見ながら、本当に大切な思い出を語るように言った。
いや、ようにではないな。
本当に大切な思い出なんだろう。
実際、今の落ちぶれた姿からは想像できない程に、カゲトラの語った話は夢と希望に満ちている。
……だが。
「そんな奴が、どうしてここまで落ちた?」
そう。
いかに輝かしい思い出であろうとも、思い出は思い出。
過去の出来事に過ぎない。
つまり、カゲトラはそんな幸せを失って今に至るのだ。
この、大臣などというゴミの使いっぱしりという現状に。
信じられない程の落差だ。
本当に何があったら、こうなる?
「……全ては、某の心の弱さが招いた事よ。
お前はシデンイン・ライゾウに某の事を聞いたと言ったな。
ならば、この刀の事はどこまで聞いている?」
そう言って、カゲトラは外套をはだけさせ、腰に差した一本の刀を私に見せた。
鞘に収まっているが、わかる。
この刀は、紅桜だろう。
私の先代愛剣を叩き斬った『妖刀』だ。
「……ライゾウからは『呪われた国宝』と呼ばれる曰く付きの刀としか聞いていない。
どうも、あいつも詳しくは知らないみたいだったがな」
「そうか」
カゲトラは軽く頷き、話を続けた。
「ならば、某が教えよう。この刀が何故『妖刀』と呼ばれているのかを。そして、その危険性をな」
話が変わった……訳ではないのだろうな。
どうやら、カゲトラの失墜に、この刀が絡んでいるらしい。
「まず最初に、この刀は持ち主の精神を蝕む。
一度握れば、目につく全てのものを斬り裂きたい衝動に駆られ、返り血を浴びる事を何よりの喜びと感じてしまう。
そして、完全に呪われてしまえば、持ち主はそのあまりの切れ味に依存し、己の意思で手放す事すらもできなくなる。
この刀の紅色の刀身は、そうして吸い上げた血の色。
故にこそ、この刀は『妖刀紅桜』と名付けられた」
「……なるほどな」
呪いの武器。
それも一際強力な。
この世界には、使い手に悪影響を与える呪いのアイテムが数多くあると言われている。
紅桜もその一つという事だ。
正直、ライゾウが「呪い」という言葉を使った時点で、なんとなく、そんな気はしていた。
だが、その手のアイテムは、使い手の精神力次第で弾き返す事ができる。
カゲトラ程の達人剣士を狂わせる呪いという時点で、紅桜がいかに危険な代物かという事がよくわかる。
それでも、そんな危険性を差し引いても、紅桜は優秀な武器だったのだろう。
何せ、紅桜は『十剣』の一つ。
そして、十剣の名が世界に知れ渡ったのは、侵略戦争時代。
帝国の猛威に、なんとしてでも立ち向かわなければならなかった時代だ。
和国は帝国の侵略に耐えきった強国だが、その戦いが激しかったであろう事は考えるまでもない。
きっと、呪いの力にでもなんでも頼らなければならなかったのだ。
だからこそ、紅桜なんて危険物が今日まで残された。
呪われてはいても、国を守る大切な『国宝』として。
「某が最初に紅桜を手にしたのは、十年前の事であった。
当時、和国で暴れまわっていた厄災の魔物、邪龍を討伐する為の戦力の一人として某は選ばれ、その際に一時的に紅桜を預けられた。
某であれば呪いを御せると、将軍様にそう信頼されて」
で、期待を裏切ってしまったと。
それで歪んだ、いや、狂ったのか?
「幸い、その時は呪いに打ち勝つ事ができた。
呪いを御して邪龍を倒し、己の手にへばり付いて離れない紅桜をなんとか引き剥がして、国へと返した」
ん?
なら、カゲトラが狂ったのは、その時じゃないのか?
では、何故?
「某がこうなったのは数年前だ。
切欠は……下らない、今考えれば実に下らない出来事であった」
カゲトラは、自虐するように、当時の自分を蔑むように、その時の事を話した。
本当に苦しそうな、より一層生気のなくなった顔で。
「あれは御前試合での事。
将軍様の前で日頃の鍛練の成果をお見せする場での事だ。
そこで某は、━━当時18の若造に完膚なきまでに叩きのめされた。
名門シデンイン家きっての天才と謳われた、シデンイン・ライゾウにな」
おい!?
まさか、まさか、お前か、ライゾウ!?
お前が全ての元凶か!?
「あれは衝撃であった。
まるで、今までの努力全てを否定されたかのような気持ちになった。
完膚なきまでに叩き潰しておきながら、「凄く強かったでござる! また戦いましょうぞ!」と満面の笑みで言ってくるシデンイン・ライゾウに、本気で腹を立てたものだ」
な、なんという死体蹴り……。
いや、ライゾウには全く悪気がないんだろうとは思う。
ただ、無自覚に惨い事やってんなとも思った。
「そこで某は思ってしまったのだ。
某は努力で這い上がってきた凡人に過ぎず、奴は天に愛された本物の天才であったのだ、とな。
今思えば、敗北を才能のせいにするなど、全くもって愚か極まりない」
いや……カゲトラはこう言うが、実際どうだろうか?
私がカゲトラと戦って感じた、こいつには何かが足りないという感覚。
それが才能だと言われれば、ストンと腑に落ちる。
落ちてしまう。
おそらく、カゲトラも口では愚かと言いつつ、内心ではその事実を正しく認識しているのだろう。
だから、あの時、
『某は、お前が……』
私と戦っていた時、カゲトラは少しだけ、ほんの少しだけ、羨ましそうな顔で私を見た。
「某がこうなったのは、奴との戦いから少しした頃だ。
幼い頃より強くなる事を考えて生きてきた。
その果てに初めて直面した、どうしようもないと感じてしまった才能の壁。
挫折、だったのだろうな。
その心の隙に、呪いはスルリと入ってきた」
……なるほどな。
そういう事だったのか。
「気づけば、常に紅桜の事を考えるようになっていた。
シデンイン・ライゾウとの圧倒的な才能の差。
紅桜があれば、その差を埋められるのではないか?
そんな考えが頭に浮かぶようになり、紅桜が夢にまで現れ……心が弱っていた某は、遂に呪いの誘惑に屈した。
厳重に保管されていた紅桜を盗み出し、和国を去った。
馬鹿な事をしたものだ。
いくら力があったところで、仲間も部下も主まで捨ててしまっては、なんにもならないというのに」
力だけでは、強さだけではどうにもならない。
力だけあっても、力を振るうべき理由を失ってしまえば、なんの意味もない。
哀れだ。
この男は、実に哀れだ。
「そうして某は全てを捨て、紅桜の命じるままに、目につくものを斬り続けた。
どんどん正気を失い、無理に戦い続けたせいで体力も弱り、心労のせいか姿もこんな有り様になって……いっそ、そこでのたれ死んでいた方がよかったのかもしれん。
だが、天は某を生かした。
疲れ果て、どこぞの森で倒れ伏していた時、拾われたのだ。今の主に」
ああ、それが大臣か。
そうして、今に至るという訳だ。
「その後は、今の主の命に従い、命じられた者を斬った。
命の恩は返す。義理は果たす。
だが、そんなものは建前に過ぎん。
本当は、呪いに取り憑かれ、嫌でも振るわれる刃に、せめて理由が欲しかったというだけ。
虚構でも、主の為に刃を振るっていると思いたかった。
それが某の最後の意地という訳だ」
……いくらなんでも、哀れに過ぎるだろう。
ここまで来ると、もはや呪いという言葉では生ぬるい。
呪縛だ。
カゲトラは縛られている。
呪いに、そして自責の念に。
ならば、いっそ、
「ここで殺してやるのが救いかもしれんな」
私は、無意識にそう呟いていた。
「……かもしれん。殺ってくれてもいいのだぞ?」
「いや、無理だろう。できなくはないが、ここで戦えば被害が大きくなりすぎる」
それに、私はまだ新しい剣に慣れていない。
代わりに、カゲトラは片腕を失っている訳だが……周囲を巻き込まないように戦った場合、勝率は低くもないが、高くもないといったところだ。
賭けに出る場面かと問われれば、即答はできん。
最初は、隙を突けば被害を出す前に一撃で殺せるかと思ったが、今の話を聞いて無理だと悟った。
おそらく、カゲトラ自身がいくら隙を晒そうとも、
いや、いっそ私に首を差し出したとしても、
紅桜の呪いがカゲトラの体を操り、勝手に戦い出すだろう。
カゲトラに隙があっても、紅桜に隙はないという事だ。
「そうか。ならば、某はもう行く。
あまり長く王都を彷徨くと、主に叱られるのでな」
「ああ、そうかい。なら、とっとと行け」
お喋りは終わりという事だ。
カゲトラはベンチから立ち上がり、重い足取りで去って行く。
まるで、見えない鎖にでも縛られているかのような、苦しそうで辛そうな足取りだった。
だからか、私は、
「カゲトラ!」
去り行くカゲトラの背中に、声をかけていた。
「こんな所で会ったのも何かの縁。
そのよしみだ。
次に戦場で会った時は、私が責任持って殺してやる」
本心からの言葉だった。
カゲトラは敵だ。
敵を助けようとする程、私はお人好しではない。
だが、敵ならば敵らしく、殺してやる事はできる。
殺して、呪いから解放してやる事はできる。
それが、この哀れな剣士の救いになると信じて、剣を振るおう。
間違えてしまったこいつの分まで、私は正しく刃を振るおう。
そんな事を思った。
そして、私の言葉を聞いたカゲトラは、
「フッ。楽しみにしている」
少しだけ穏やかそうな顔で小さく笑って、夜中の公園から消えて行った。
それを見届けてから、私も寮へと帰る。
次にあいつと会う時に備えて、気合いを入れ直しながら。
そうして、偶然に出会って発生した真夜中の会合は、終わりを告げたのだった。




