4 騎士様
「ふう……良い湯だった」
ベル達と遊んだ翌日。
いつも通りの朝。
日課のロビンソンの散歩を終え、恒例の入浴を済ませた私は、牧場へと赴いた。
今日は家の手伝いをするのだ。
向かった先は牛達がひしめいている牛舎。
そこに着けば、既に父と母が仕事を開始していた。
まずは家族全員で、牛舎の掃除から始めるのだ。
ちなみに、ロビンソンだけは配置が違う。
あいつは、掃除中は外に出す牛達の監視だ。
箒片手に、牛舎の中を掃除していく。
糞が強烈な臭いを発していて鼻がもげそうだけど、このお手伝いはそれなりに長く続けてきたことだ。
慣れれば耐性というものがついてくる。
鼻が馬鹿になってるだけという可能性もあるがな。
「そういえば、リンネって剣が好きになったのよね?」
なるべく臭いを意識しないように努めながら掃除を続けていると、母がそんなことを聞いてきた。
剣が好き、か。
そういえば、考えた事もなかったな。
昔から必要にかられて使ってきて、そのうち無いと落ち着かないようになったけど、はたしてそれを好きと言っていいのかどうか。
むぅ……。
ああ、いや、でも、好きでもないことを終生に渡って続けるなんてできる訳がないか。
うむ。
そういうことなら、私は剣が好きと言って差し支えないな。
「うん。好きになった」
「じゃあ、もっと強くなりたい?」
「なりたい!」
その質問には躊躇なく答えられる。
私は弟子どもよりも強くならねばならないのだ!
師匠としての威厳を守る為にも!
それに、いざという時に力がなければ何も守れないからな。
「よし! じゃあ、リンネ。ヨハンさんっていう人に剣を教わってみない?」
「ヨハンさん?」
「それは駄目だあああああああああ!」
うお!?
びっくりした。
どうしたんだ父よ? 今まで会話に参加してなかったのに、いきなり大声なんて出して?
ほら、いきなりの大声に驚いて、外に出しといた牛達が軽くパニックを起こしてるじゃないか。
ロビンソンが必死に走り回って、庭の外に出ていかないようにしてるぞ。
頑張れロビンソン。
お前だけが頼りだ。
「あなた、いきなり大声出さないで。いったい何がそんなに気に入らないって言うのよ?」
「リンネの剣の師匠は俺だ! 断じてあんな優男ではない! 俺はリンネに約束したんだ! パパが一人前の剣士に育ててやるって!」
「ああ、そういうこと。なら黙ってなさい。弟子よりも弱い師匠に存在価値なんてないのよ」
「ぐはッ!」
ぐはッ!
母よ……今のは私にもダメージが来たぞ。
そうだよな……。
弟子より弱い師匠に存在価値なんてないよな……。
私が内心でショックを受けていると、父が助けを求めるような目でこっちを見てきた。
私はそっと目を逸らした。
すまぬ父よ。
でも、話の流れ的に、父よりも強いと思われるヨハンさんとやらには興味があるんだ。
父が泣きそうな顔になっているのが横目に見えた。
だが、母はそんな父には見向きもせず、「よーし! それじゃあ仕事が一段落したら、早速ヨハンさんの所に行くわよ!」と言って一人テンションを上げている。
父は何も言わずに掃除に戻った。
その背中は、とても煤けて見えた。
哀れだ。
完全に嫁の尻に敷かれた旦那の末路というのは、実に哀れだ。
私も昔、似たような経験をしたからよくわかる。
今度、肩叩きでもしてやろう。
私は父の背中を見ながら、そう思った。
◆◆◆
そして、午後。
昼休憩ということで牧場の仕事を終わらせ、私は母に連れられてヨハンさんとやらの所へと向かっていた。
今日は母が付き添ってくれるらしい。
その代わり、父は母の分も牧場の仕事を押し付けられて、ロビンソンと一緒に留守番だ。
父よ、強く生きろ……。
「ママ、ヨハンさんって、どんな人なんだ?」
哀れな父を記憶の片隅に追いやり、私は母にこれから会いに行くヨハンさんとやらの事を尋ねた。
父の剣士としての技量はそれなりでしかない。
ただし、それはあくまでも元世界最強の剣士から見ればという話であって、世間一般的に見れば、父は十分一流と呼ばれる領域に達している。
そんな父を超える人材が、こんな田舎村にいるというのは、正直驚きなのだ。
「ヨハンさんは、お仕事でこの村を守ってくれてる騎士様よ。とっても強くて優しい人だから、安心しなさい」
……ああ。なるほど。
騎士。
正確に言えば、村を守る守護騎士か。
それならば、父よりも強くても不思議ではない。
なるほどな。
納得した。
騎士というのは、それ程に強いのだ。
狭き門として有名な王都の騎士学校で、厳しい訓練を積み、シビアな試験を突破し続け、優秀な成績を修めて、卒業資格を得た者だけが名乗れる称号だ。
例外として、私のように大きな武功を上げて兵士から騎士になるというケースもあるが、どちらにせよ精鋭には違いない。
そんな騎士は、下位とはいえ貴族の位を与えられ、国の重要な戦力として数えられる。
そして、この国には、各地の村や街に、最低一人以上の騎士を派遣し、その地を守らせるという規則があった。
そうして派遣されて来た騎士の事を『守護騎士』と呼ぶのだ。
すっかり忘れていた。
そうだよ。
いくらマーニ村が極度のド田舎村とはいえ、国に所属している村の一つには違いないのだから、守護騎士が居て当然だった。
まあ、こんなド田舎に飛ばされて来るような騎士は、十中八九、左遷されたのだとは思うが。
とにかく、疑問が解けてすっきりした。
そんな事を考えている間に、私達は目的地に到着した。
この辺りでは一番立派な家屋。
ド田舎村には不釣り合いな程に立派だが、貴族の家と考えれば、かなり質素な部類の建物。
そんな場所だ。
同じ騎士でも、前世の私が住んでいた王都の屋敷とは比べ物にならないな。
まあ、私は騎士になった後も出世して、最終的には侯爵になった。
侯爵と一介の騎士では、色々と違って当然か。
とにかく、どうやら、ここがヨハンさんとやらの家らしい。
「ごめんくださ~い!」
「は~い。なんでしょうか?」
母は門の外から声をかけ、それに答える声がした。
若い男の声だ。
イケメンボイスな美声だった。
そして、すぐに声の主が私達の前に現れる。
「あ、リンダさん。こんにちは」
門を開けながら現れたその人物は、一言で言うならイケメンだった。
人好きのする笑顔を浮かべた、青髪のイケメンだ。
私の脳裏に人妻ハンターという単語が浮かんだ。
この人がヨハンさんだろうか?
なんとなく、父がヨハンさんを毛嫌いしていた理由がわかったような気がする。
ちなみに、リンダとは母の名前だ。
「こんにちは、ヨハンさん。この子は娘のリンネです。ほら、リンネ。この人がヨハンさんよ。ご挨拶して」
「……こんにちは」
「はい、こんにちは、リンネちゃん。僕はヨハン。この村を守る守護騎士です。よろしくね。……まあ、自警団の皆さんがお強いので、あまり役には立てていませんが……」
青髪のイケメン騎士、ヨハンさんは、そう言って自嘲するように苦笑した。
国内有数のエリート職業である騎士とは思えない、弱々しい笑みだった。
騎士というのは、もっとこう、プライドが高くて自信に満ちた奴が多いから、なんだか珍しく感じる。
やはり、左遷されたと見るべきか。
あと、どうでもいいけど、その憂うような表情にも、そこはかとないイケメン臭が漂ってるというか、無駄に色気がある。
私は少しだけ、母の浮気を心配した。
思い返せば、ヨハンさんの所に行くと言い出した時、やたらとテンションが高かったような……。
これは、いかんな。
実の母を疑うなんてマネ、私はしたくない。
ので、思いきって聞いてみる事にした。
母の服をクイクイと引っ張っぱりながら、私は尋ねた。
「ママ、浮気か?」
「ぶはっ!?」
その言葉に過剰反応したのは、母ではなくヨハンさんの方だった。
ゲホゲホと蒸せてる。
一方の母は、「なに言ってんだ、こいつ?」みたいな呆れた顔で私を見ている。
これは……どっちだ?
「はぁ……あの人に何か吹き込まれたのかしら? 違うわよリンネ。ヨハンさんとは、ただの知り合い。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「本当か? でも、ここに行くと言い出した時、ママはやたらとテンションが高かった。それに、最近のパパは情けないぞ。乗り換えられても不思議じゃないと思える程に!」
「乗り換えって……どこで、そんな言葉覚えて来たのよ……」
母は頭痛を堪えるように額を押さえた後、しゃがみこんで私と目を合わせ、語り出した。
「いい、リンネ。私は、ちゃんとパパとリンネを愛しているわ。だから、そういう心配はしなくて平気よ。
今朝、ちょっと興奮しちゃったのは、単に凄いリンネをヨハンさんに自慢したかっただけだしね」
「パパが情けないのは?」
「あの人が情けないのは、いつもの事よ。そういうところもひっくるめて愛してるから、安心しなさい」
「……そうか。良かった」
ヨハンさんの目の前で、こんな惚気話ができるのなら、父と母の愛は本物だろう。
弟子ども相手に、恥ずかしげもなく嫁との惚気話を披露した私と同類だ。
ならば、大丈夫。
我が家が、泥沼の家庭崩壊を迎える事はないだろう。
これにて、一件落着!
「あの……それで、お二人は、今日はどんなご用で来られたのでしょうか……?」
そのタイミングを見計らってか、ちょっと蚊帳の外で放置されていたヨハンさんが話しかけてきた。
……そういえば、母の方は大丈夫でも、ヨハンさんはどう思っているのだろうか?
娘の私から見ても、母は結構な美人だ。
それに、さっきの、私が浮気を指摘した時の、あの慌てよう。
実に怪しい。
「違いますからね。僕も妻一筋ですから。浮気なんてしませんよ」
私の疑いの眼差しに気づいたのか、ヨハンさんが慌てて釈明してきた。
というか、この人、結婚してたのか。
その話が本当なら、この人も同志だが……
「噎せてたのは?」
「普通に驚いたのと、そんな話がジャックさんの耳に入ったら殺されかねないと思っただけです。ただでさえ、嫌われてるのに……」
ジャックとは父の名前だ。
私の脳裏に、母を取られまいと必死にヨハンさんを威嚇する父の姿が浮かんだ。
なんとも、アレな絵面だ。
それが怖いというのは、なるほど、わからないでもない。
一応、筋は通ってるな。
まあ、なんにせよ、そういう事なら。
「疑って、ごめんなさい」
「いえ、わかってもらえたならいいんです」
誤解は解けた。
ヨハンさんは苦笑していたが、切り替えるように軽く頭を振って、話を戻した。
「それで、結局、何のご用でいらっしゃったんですか?」
「ええ。実はヨハンさんにお願いしたい事があって」
「お願い、ですか?」
母の言葉に、ヨハンさんが不思議そうな顔をした。
そして、その疑問を解消するように、母は本題を口にする。
「リンネに剣を教えてほしいんです」
「え? 剣をですか? でも、それならジャックさんに頼めばいいんじゃ……? なんで、わざわざ毛嫌いされてる僕の所に?」
「あの人は弱いから、クビにしました」
「そ、それはまた……」
母が容赦ない。
これは、さすがに父が哀れだ。
より一層、哀れだ。
別に、父だって弱くはないというのに……。
そして、ヨハンさんは若干引いていた。
今の発言だけで、我が家の家庭内ヒエラルキーを察したのかもしれない。
そこにおける父の立ち位置も含めて。
「コホン! と、とにかく、お願いというのは、リンネちゃんに剣術の指導をする事、でいいんですね?」
「ええ。その通りです」
「それ自体はかまわないんですけど、実はちょっと問題がありまして……。まあ、とりあえず、上がってください。こんな所でする話でもないですし」
「どうぞ」と言って、ヨハンさんは私達を家の敷地内に招き入れた。
たしかに、門前は、少し長くなりそうな話をするのに向いた場所ではない。
家に上げてくれると言うのなら、断る理由もない。
私と母は、「お邪魔しま~す」と言いながら、ヨハンさんの家の庭へと足を踏み入れた。
「ん?」
と、そこで、私は人の気配を感じた。
気配だけではない。
同時に、ヒュッ、ヒュッと、風を切るような音が聞こえてきた。
とても聞き慣れた音。
今世ではなく、前世において、嫌という程に聞きあきた音。
今さら、その音を聞き間違える筈がない。
これは、剣を振るう音だ。
気配のする方向に目を向ける。
そこには、一人の少年がいた。
青髪の幼い少年が、真剣な顔で素振りをしていた。
その動きは、少年の年齢に似つかわしくない程に洗練されていた。
見覚えのある動きだった。
というか、昨日見たばかりの動きだった。
「あ」
「!」
その少年と目が合った。
向こうも私の姿を見て驚いたらしく、素振りをやめて、目を見開いていた。
私は、この少年に見覚えがある。
そして、どうやら、少年の方も私を覚えているらしい。
思わぬ所で、思わぬ再会をしたものだ。
私は、素直にそう思った。
昨日、ベルに絡まれていた天才少年が、そこに居た。