42 大臣の密会
時は少し巻き戻り、リンネがクソ虫と呼ぶ少年、フォルテ・アクロイドを打ち倒した日の翌日。
王都にある、とある屋敷。
絢爛豪華で金のかかっていそうな、まるで成金のような赴きの豪邸、アクロイド公爵家の別邸の中を、一人の少年が歩いていた。
「許さない……許さない……許さない……!」
彼こそ、リンネ達によって屈辱を味あわされた張本人、フォルテ・アクロイドである。
彼は呪詛の言葉を吐きながら、お供の一人も連れずに屋敷の中を歩いていた。
そして、辿り着く。
目的の部屋へと。
「ふぅー……」
そこで、フォルテは一度深呼吸をして、心を落ち着かせた。
これから会う相手は、決して激情のままに突っ掛かっていい相手ではない。
その事を、フォルテは誰よりもよく知っているからである。
そうして、なんとか煮えたぎる怒りや屈辱を腹の底へと呑み込み、フォルテは部屋の扉をノックした。
少しして、中から声が聞こえてくる。
「誰ですか?」
「フォルテです。父上」
「ああ、君ですか。入りなさい」
部屋の主からの許可を得て、フォルテは部屋の中へと踏み込む。
そこは、とある男の執務室。
部屋の中にいるのは二人の男。
片方は、壁に寄りかかり、刀を抱きながら胡座をかいている護衛の男。
そして、もう片方は、この部屋の、いや、この屋敷の主。
アクロイド公爵家当主、ピエール・アクロイドである。
ピエールは窓の前に立ち、手を後ろで組んで外の景色を眺めていた。
「何の用ですか、フォルテ?」
フォルテの、実の息子の方を向きもせずに放たれた言葉。
まるで、どうでもいい者を相手にするようなその態度に、フォルテの背筋が凍った。
(薄々予想はしていたが、やはり……!)
その恐怖をなんとか飲み下し、フォルテは口を開く。
「本日は、父上にお願いがあって参りました」
「ほう、お願いですか。これは滑稽ですねぇ」
そう言って、ピエールは笑う。
フォルテを蔑むように嗤う。
その醜悪な笑顔が、窓に映ってフォルテの目に入っていた。
「聞きましたよ。君、昨日の試合において、平民とナイトソードの娘に不様に負けたそうじゃないですか。
君には期待していたというのに。その期待を裏切った無能が、恥知らずにもこの私にお願いとは。実に滑稽ですねぇ」
ピエールはケタケタと嗤い……急に真顔になってフォルテに告げた。
「消えなさい。君には失望しました。二度と私の前に顔を出さないように」
「ち、父上……」
「ですがまあ、これ以上アクロイドの名に泥を塗られても困りますからねぇ。最後の情けです。まだ『風神の腕輪』は預けておいてあげます。
せいぜい、優秀な騎士となって私の慈悲に応えなさい。
いいですね?」
「……はい」
フォルテは消え入りそうな声でそう言って、トボトボとした足取りで部屋を出た。
しかし、彼の瞳にはまだ、執念の光が宿っていた。
(まだ挽回のチャンスはある! そこで奴らを倒し、父上に認めてもらうしかない! そうでなければ、僕は……)
恐怖。
リンネ達への怒りや屈辱すらも上回る恐怖が、今まで必死に目を背けてきた父への恐怖が、フォルテをより一層駆り立てる。
もう二度と敗北は許されない。
フォルテは今、追い詰められていた。
そして、追い詰められた獣は手強い。
その事実が証明されるのは、もう少し先の未来での話である。
◆◆◆
「……あれは少し言い過ぎだったのではないか?」
一方、フォルテが去った部屋の中では、ずっと黙っていた護衛の男が口を開いた。
男の外見は特異だった。
色素が抜け落ちた長い白髪に、目の下にはどす黒い隈が出来ている。
生気の感じられない幽鬼のような出で立ちでありながら、その声音にはフォルテへの同情心が乗っていた。
悪辣な大臣の部下とは思えない、優しさを秘めた態度である。
「あなたが口を出す事ではありませんよ、カゲトラ」
「しかし……実の息子なのだろう?」
「だからこそですよ。親子の問題に部外者のあなたが口を挟まないでください」
「……まあ、たしかにそうだな」
護衛の男、カゲトラは一応納得したようで、それ以上の追及をしてはこなかった。
再び沈黙するカゲトラを見て、ピエールは面倒な男だと内心で吐き捨てる。
しかし、彼がフォルテなんぞとは比べ物にならない程に有能だという事は認めているのだ。
その有能さに助けられた事は多い。
それに、他の者達と同じく、ピエールを裏切れないように処置もしている。
ピエールにとっては、実に良い拾い物であった。
(ですがまあ、所詮は平民。いくら優秀でも、道具は道具ですがねぇ)
ピエールにとって、平民は道具。
否、全ての他者が道具。
それがピエールの考え方である。
自分は公爵。
最高位の貴族であり、他者は自分の為に働く道具となって然るべき。
平民とは、そんな道具の中でも最下級の、いくらでも使い捨てにしていい駒。
選民思想の極地と言える考えだろう。
リンネが聞いたら、「腐ってやがる!」と憤慨する事、間違いなしだ。
「……さて、そろそろお客様が来られる頃でしょう。
いつも通り、頼みましたよカゲトラ」
「ああ、わかっている」
ピエールが時間を気にしながらそう呟き、カゲトラがあぐら座りをやめて立ち上がった。
それとほぼ同時に、部屋の扉がノックされる。
「ノックしてもしも~し。開いてますか~?」
「開いていますよ。お入りください」
聞こえてきたのは、公爵を相手にしているとは思えない、ひたすらにおどけた男の声。
入室に許可を出すと、二人の不審人物が部屋の中へと入ってくる。
「どうも~! シャドウで~す! お久しぶりですね、大臣さ~ん!」
「…………」
二人の不審人物。
一人は陽気でおどけた態度を取る、全身黒ずくめの仮面の男。
もう一人は、まるで人形のように無言で静かに佇む巨漢の男。
貴族の屋敷に上がり込むには相応しくない二人組。
だが、ピエールが彼らに対して礼を失する事はない。
「ようこそ、おいでくださいました。ささ、立ち話もなんですし、お座りください。今、飲み物を用意させましょう」
「これはこれは! 天下の大臣様におもてなしを受けるとは恐悦至極! そのお気遣い、ありがたく頂戴いたしま~す」
選民思想のピエールがここまで下手に出る存在。
それは本来、自分よりも上位に位置する王族相手くらいでしかあり得ない。
しかし、彼らは例外だ。
何故なら、彼らこそがピエールの、アクロイド家の切り札なのだから。
シャドウが客人用のソファーに座り、護衛の男、モリメットがその後ろに控える。
それを確認してからピエールも席に座り、カゲトラが後ろに控える。
更に、「失礼いたします」と言って入室した執事が、すぐさま二人の前に紅茶を用意して出て行った。
シャドウが席についてから紅茶が用意されるまで、約十秒。
アクロイド家の使用人の優秀さが垣間見える。
主がクズでも、部下は有能という事である。
有能でなければ、いつ主の不興を買って処分されるかわからない。
故に、彼らも必死なのだ。
「して、本日はどのようなご用件で?」
そんな使用人達の影の努力などつゆ知らず、ピエールは目の前の相手との対話を始めた。
「いえいえ、ほんのご機嫌伺いでげすよ。大臣さんはワタシ達にとって、とっても大事な協力者。大臣だけに大事ってね!
そんな大事な大臣さんのご機嫌を伺うのは、至極当然の事ですよ~」
「それは光栄ですな」
口ではそう言いつつ、ピエールは相手の狙いに気づいていた。
おそらく、いや、どう考えても監視だろう。
土壇場になってピエールが裏切らないように、定期的に睨みをきかせに来ていると見た。
心配せずとも、ピエールが彼らを裏切る事はない。
少なくとも、今のところは。
「帝国と皇帝陛下にそこまで買っていただけるとは、実に光栄。
陛下には、是非ともよろしくお伝えください」
「ええ、ええ、もちろんですとも~」
そう。
彼らは帝国の犬。
かつて、侵略戦争によって大陸全土を支配しかけた超大国、ディザスロード帝国の遣いなのだ。
故にこそ、ピエールは彼らに尻尾を振る。
腐った貴族らしく、その目的は当然、自らの野心の為。
「クーデターの準備は着々と整ってきています。
その時こそ、このピエール! 陛下の為に身命を賭して戦いましょう! どうぞ、頼りにしてくだされ」
「わ~! 頼もしい~! よ! さすがお大臣!」
「いえいえ、それ程でも」
ピエールの野望。
それは、近い未来に帝国が引き起こす、第二次侵略戦争に合わせて、内側から王国を陥落させ、王族を皆殺しにし、帝国の支配下となった王国の玉座に自らが座る事。
すなわち、このグラディウス王国の乗っ取りであった。
ピエールは、今の王国に不満を持っていた。
成り上がりのナイトソード家ごときが、古来より高貴なる血を受け継いできたアクロイド家と同格の公爵となり、しかも、ナイトソード家の方がもてはやされる。
それを寛大な心で許し、更にその力を認めてやり、配下に加えてやろうとして血縁を結んでやるべく、ナイトソード家の娘に己の息子であるフォルテを差し向けたというのに、
あろうことか、彼らはアクロイド家に牙を向き、王家と組んで潰しにくる始末。
不敬にも程がある。
許せなかった。
成り上がりのくせに自分に歯向かうナイトソード家も。
それを黙認するどころか支援する王家も。
もっと遡れば、貴族を貴族とも思わず、世直しなどと嘯いてピエールの策略をことごとく潰して回った剣神エドガーも。
全てが許せなかった。
ピエールは選民主義者である。
だが、それ以上に危険で腐りきった思想を彼は持っていた。
それは、独善的で、どこまでも自己中心的な、エゴイズム。
ピエールにとって、最も大事なものは自分だ。
常に自分が最優先であり、他者の事などなんとも思っていない。
全てが自分の思い通りにならねば気が済まない。
自分がもてはやされ、肯定される世界でなければ許容できない。
選民思想は、そんなピエールのエゴを正当化する為の手段でしかないのだ。
だからこそ、ピエールは簡単に王国を裏切る。
帝国に寝返り、自分が思う存分権力に溺れる事のできる環境を望む。
そのあり様は、まさしく腐りきったクソ貴族であった。
「頼りにしてますよ~、大臣さ~ん。あなたは優秀ですからね~。必ずや、陛下のお力になっていただけると信じています。
そ~れ~に~。あなたにも期待してますよ~、カゲトラさ~ん」
そう言って、シャドウはピエールの後ろに控えるカゲトラに目を向けた。
その仮面の奥の目は、愉快そうにニヤニヤと笑っていた。
そんな目を向けら、カゲトラは嫌そうに顔をしかめた。
「いや~、本当に残念ですよ! あなたが大臣さんの部下じゃなかったら、絶対ウチにスカウトするのに!
どうです? 今からでも、大臣さんのところ辞めて、ウチに来る気はありませんか?」
「ふざけるな」
シャドウの言葉を聞いて、カゲトラは殺気を出しながら怒りの籠った目でシャドウを睨みつけた。
「落ちたとはいえ、某も武士の端くれ。そう簡単に主を変えるつもりなどないわ」
「お~、怖い怖い! 冗談ですってば! だから、そんなに怒らないでほしいな~!
ワタシ、喧嘩は弱っちいので、そんなに睨まれると、おしっこ漏らしちゃいますよ! いいんですか!? 立派なお屋敷が汚い水分で汚れても!?」
ふざけた態度でそう言いつつ、シャドウは護衛のモリメットの後ろに回り込んで、彼を盾にした。
おそらく、彼の言った汚い水分とは、小水だけでなく血液という意味もあるのだろう。
すなわち、これ以上喧嘩腰でくるのならば、このモリメットの旦那が黙ってねぇぞ!
お前なんて血みどろだ!
という脅しの意味が籠められた言葉なのだろう。
多分。
「やめなさい、カゲトラ!」
「……失礼した」
ピエールの静止により、カゲトラが殺気を収める。
それを確認したシャドウは、「ふ~、やれやれ」と呟きながら席に戻った。
「シャドウ殿。カゲトラが失礼をいたしました。申し訳ない。
しかし、冗談でもあのような事を言わないでいただいですねぇ。彼は私の大切な部下なので」
「ええ、はい。こちらこそ、まっこと失礼いたしました。武士の誇り高さを舐めすぎましたわ。いや~、どうもすいませんね~」
ピエールが牽制し、シャドウは全く悪びれた様子もなく口先だけの謝罪を述べる。
当然、両者の間には、言葉に出した以上の思惑の交差があった。
その結果として、ひとまずカゲトラが帝国陣営に引き抜かれる事はなくなった訳だ。
「さて、カゲトラさんにも振られちゃいましたし、ワタシ達はもうおいとまするとしますね~。
あ、でも面白いもの見つけちゃったので、少しの間は王都に留まる予定でっす。
近い内にまた会うかもしれないので、その時はどうぞよろしくお願いしますね~」
「ええ、わかりました。どうぞ、お元気で」
「ではでは! さようなら~」
そう言い残してシャドウは魔法を発動させ、モリメットと共に、その場から忽然と消えた。
それは、凄まじい速度で発動された空間魔法による効果である。
便利ではあるが、デメリットも多い空間魔法。
そのデメリットの一つである、発動速度の遅さをシャドウは克服している事になる。
あんなふざけた態度を取っているが、中身は超一流という言葉でも足りない、人外の魔法使い。
そんな貴重な人材を、惜しげもなく使い走りにする帝国。
ピエールは、そんな帝国に畏怖を抱き、同時に味方として上手く取り入った自分を内心で褒め称える。
「……主。あまり、奴らを信用しない方がいいと某は思うが」
そんなピエールに、カゲトラが釘を刺す。
しかし、その言葉はピエールには届かない。
「それも、あなたが心配する事ではありませんよ。
あなたはただ、私の言う通りにしていればいいのです。
そういう契約でしょう?」
「……はぁ。承知した」
カゲトラは、ため息を吐いて引き下がった。
たしかに、カゲトラにとって、ピエールが何を選択してどんな末路を辿ろうと知った事ではない。
ピエールを主として敬っているのは、あくまでも義理を通しているからに過ぎないのだ。
だが、義理はあっても忠誠心はない。
カゲトラのピエールに対する情は、とうの昔に消え去ってしまった。
それでも忠告をし、お節介を焼いてしまうのは、彼の生来の気質故だろう。
「さて、お客様も帰りましたし、あなたには次の仕事を頼みますかね。
次の仕事は、ヤコブという商人の暗殺です。
私の小飼である商人の商売仇ですし、前々から邪魔だと思っていたのですよ。
決行は今週末。ヤコブが隣街への商談の為に王都を離れるタイミングを狙ってください」
「……承知した」
カゲトラはあまり気乗りしなさそうな声で仕事の依頼を了承した。
だが、ピエールがそれに言及する事はない。
彼としては、仕事さえ果たしてくれれば、それでいいのだから。
「ああ、それともう一つ」
これ以上の要件はないと判断して部屋を出ようとしていたカゲトラに、ピエールが今思い出したかのように、追加の言葉を投げ掛けた。
「フォルテの件ですが、フォルテ個人はともかくとして、アクロイド家の顔に泥を塗った輩は許せませんねぇ。
なので、それをやった平民を探して斬りなさい。
たしか、その平民はリンネと言いましたっけ?」
「……子供、それも女か」
カゲトラが、とても渋い顔をした。
内心では快く思っていないのがまるわかりである。
「何か不満でも?」
「……いや、承知した」
だが、その苦い気持ちを呑み込んで、カゲトラは仕事の内容を了承する。
今の自分に選択肢などない。
その事を知っているが故に。
「では、よろしくお願いしますね。ああ、ナイトソードの娘の方は、大事になりそうなので殺さなくて結構。
平民に関しても、目立たないように、いつも通り王都の外で殺してください」
「ああ」
そうして、カゲトラは部屋を出て行った。
部屋には、ピエールだけが残される。
「ふぅ。疲れましたねぇ。今日はもう食べて寝るとしましょうか」
ちなみに、現在の時刻はまだ夕方である。
更に言えば、ピエールの今日の起床時間は昼前であった。
傲慢な上に怠惰。
どこまでも救いようのない男であった。
「グフフ、今日はどの女で遊びますかねぇ」
+色欲。
本当に、どこまでも救いようのない男であった。




