37 アリス VS フォルテ
リンネに手酷く打ちのめされたフォルテは、その直後にアリスから申し込まれた試合の申し出を受けた。
このままでは終われない。
挽回しなければならないという気持ちに突き動かされての事だろう。
治癒をかけられてなお痛む体を引き摺り、取り巻きの制止を振り切って、アリスとの戦いを強行した。
「…………」
しかし、戦いが始まってから少し、アリスは動かない。
微動だにせず、ただ静かに剣を構えて佇んでいた。
その姿は、一枚の絵画を思わせる程に美しい。
結界の外でリンネが悶えていた。
(チッ。厄介な)
逆に、フォルテは互いに動かぬ睨み合いとなった現状を苦々しく思っていた。
アリス・ナイトソードという剣士は、受けに回れば相当に強い。
それは傲慢であるフォルテも認める事だ。
それでも自分が負けるとは思わないが、念の為、今まで戦う機会があった時は、彼女の父であるアレクや祖父であるエドガーの事を引き合いに出し、挑発してアリスから仕掛けるように誘導していた。
だが、今回はそれができるとは思えなかった。
今のアリスは、凪の湖を思わせるように静かだ。
以前、食堂でリンネに歯向かわれた時の報復を父に頼み、その結果として今日の朝に精神を乱すような嫌がらせを行うと聞いていたのだが、どうやらその効果は芳しくないらしい。
それ程に、今のアリスは研ぎ澄まされていた。
それに、リンネにボコボコにされた今のフォルテが何かを言ったところで、強がりにしか聞こえないだろう。
(まあ、いい。どうせ僕がアリスに負ける事などありえないのだから)
そう考え、フォルテは頭を切り替えた。
今の自分は、父に授かった闘気の鎧の上から、更に風の鎧を纏っている。
アリスがいくら防御に特化していたとしても、フォルテの守りを突破できる攻撃力がない時点で詰んでいるのだ。
至近距離から魔法の直撃でも食らえば危ないかもしれないが、高速で攻め続けて、魔法を使う暇を与えなければ、どうとでもなる。
フォルテの勝利は、99%確定している。
「来ないのなら、僕から行くよ」
「ええ。どうぞ」
「では、遠慮なく!」
そうして、フォルテは王国剣術の型の一つ、飛脚によってアリスに飛びかかった。
「風神・槍牙!」
闘気と魔法によって大きく速さを増した攻撃。
超高速の刺突がアリスに迫る。
それをアリスは、━━剣すら使わずに容易く避けた。
「なっ!?」
それにフォルテは驚愕した。
防がれるとは思っていた。
それくらいには、アリスの力を認めている。
だが、こんなあっさりと避けられるとは思わなかったのだ。
そして、その驚愕によって、フォルテに大きな隙が生まれた。
「守ノ型・空蝉」
「ぐっ……!」
アリスのカウンターがフォルテの胴を叩く。
守ノ型・空蝉。
剣で受けるのではなく、避けて反撃を食らわせる、基本的な返し技の一つ。
だが、それを速度で圧倒的に勝る相手に食らわせるのは、至難の技である。
それをアリスはやって見せた。
結界の外でリンネが歓声を上げた。
「クソッ……!」
フォルテは咄嗟に打たれた腹を左手で押さえながら、残った右手で剣を振るい、アリスを追い払う。
それに抗わず、アリスは飛脚で後ろに跳んで距離を取った。
フォルテのダメージは浅い。
だが、無傷ではない。
今の一撃だけで、確かにフォルテは傷を負った。
(何故……!?)
そう考え、彼はすぐに答えに行き着いた。
リンネだ。
今のフォルテは、リンネにやられたダメージが回復しきっていない。
結果、闘気の上からの攻撃でも衝撃は内側に浸透し、傷を開いてしまったのだ。
だが、当然それだけでは終わらない。
痛みに呻く今のフォルテは、格好の的なのだから。
「アクアランサー!」
「くっ!?」
アリスの放った水の槍を、木剣を盾にして防ぐ。
今度は完璧に防いだ。
アリスの魔法は剣撃よりも威力があるが、闘気を纏った武器を粉砕する程ではない。
それが、一発だけならば。
「レインアロー!」
「ッ!?」
続いて放たれたのは、無数に降り注ぐ雨の矢。
一発一発の威力は大した事はない。
だが、全てを振り払う事はできず、被弾し、少しずつダメージが蓄積していく。
風の魔法で吹き飛せばいいのだろうが、フォルテの魔法発動速度はアリスに劣る上に、攻撃を食らいながらでは上手く発動できない。
無理に踏み込まず、フォルテの隙を突いて魔法による遠距離攻撃を叩き込み、確実に削っていくアリスの作戦。
フォルテは見事に、アリスの術中にはまっていた。
「なめるなぁ!」
しかし、このままでは終わらない。
フォルテは、仮にも騎士学校最強の一人。
そのプライドが彼を突き動かした。
防御を闘気の鎧に任せ、多少のダメージは無視して突撃する。
斬り合いになれば勝てる。
自分のスピードを持ってすれば必ず勝てる。
そんなフォルテの考えは、━━直後に打ち砕かれた。
「何故だ!? 何故、当たらない!? あの平民どころか、お前にまで!?」
フォルテが狂乱しながら振り回す剣を、アリスはことごとく防いで見せた。
避け、受け流し、受け止める。
先程のリンネや、たまに稽古をつけてくれる母の動きを手本として、アリスは踊るようにフォルテの攻撃をいなし続ける。
アリスは酷く冷静な自分自身に驚いていた。
ついさっきまで、初めて見た人の死と、壮絶な断末魔の叫び声が脳裏にこびりついていた。
なんとか落ち着いてはいたが、万全には程遠い精神状態だったという自覚がある。
それが、戦いが始まってみれば一転した。
フォルテの動きがよく見える。
自分の思い通りに体が動く。
頭がとても冴えている。
絶好調という次元を通り越し、アリスは極度の集中状態へと至っていた。
原因は何だったのだろう?
リンネに諭され、試合に余計な重荷を背負わずに臨めた事だろか?
それとも、特訓を経て自信を付けられたから?
あるいは、リンネに圧倒されるフォルテを見て、敵は決して勝てない相手ではないと確信できたからかもしれない。
決して揺るがない絶対強者の背中を見て安心したのも大きいだろう。
そうして今、アリスは最高に近いコンディションで剣を振るえていた。
以前は勝てる気のしなかったフォルテの剣が、まるで脅威に感じない。
防ぐだけではなく、確実にカウンターを当てる事ができる。
確かに速い。
威力も凄まじく、まともに食らったら一撃でやられるのは間違いない。
だが、リンネや父の剣はもっと速かった。
もっと重かった。
それに、こうしてまともな打ち合いになって初めて気づいたが、フォルテの剣にはキレがない。
そこに鋭さはなく、技巧を凝らした戦略もない。
フォルテはただ、闘気と身体能力に任せて剣を振っているだけ。
ただ、速いだけの空っぽな剣。
もちろん、フォルテとて技術が全くない訳ではない。
むしろ、剣術の腕だけでも、彼は同年代の中では上位に位置するだろう。
それは、フォルテ自身の努力の結果だ。
しかし、逆に言えばその程度。
リンネはおろか、シオンにも、そしてアリスにも遠く及ばない。
凡人。
良くて秀才止まり。
それがフォルテの正体であった。
「そんな馬鹿なぁああああああああ!?」
フォルテが叫ぶ。
彼が抱いた感情は、怒りか、恐怖か、それともこんな筈ではないという混乱か。
いずれにせよ、精神が乱れれば動きはより単調になり、剣は速さと鋭さを失っていく。
元々、リンネにやられて心も体も弱っていたフォルテは、更に弱体化の一途を辿った。
「トルネード……」
「攻ノ型・一閃!」
「がっ……!?」
焦って魔法を使おうとしたフォルテの首を、アリスの一閃が叩く。
魔法に意識を割けば、体の方は疎かになる。
故に、あのユーリやマグマですら、斬り合いの中で魔法を使う時はかなり慎重に使っているのだ。
考えなしに魔法に頼れば、当然、こうなる。
それに、今のアリスの一撃は、以前の無理矢理速さだけを求めた歪なものではなく、しっかりと体重を乗せ、手本通りに振り抜く事で本来のキレを取り戻した、良い技であった。
それこそ、闘気に守られたフォルテに有効打として通じる程に。
結界の外で、リンネが「クリーンヒットォ!」と叫んだ。
「アクアブラスト!」
「ぐあっ!?」
すかさず追撃。
攻め合いになれば不利とわかっているアリスは、攻撃手段に魔法を選択。
水の砲撃がフォルテの体を吹き飛ばし、結界の壁に叩きつけた。
至近距離からの魔法の直撃。
今までにない手応え。
大ダメージを与えたという確信があった。
「アクアランサー! ウォーターカッター! 飛剣・水刃!」
アリスは、この機を逃さない。
フォルテが態勢を立て直す前に、魔法の連続攻撃を叩き込む。
大量の水がフォルテの体を打ち、水圧に潰されて息ができない。
フォルテは、確実に追い詰められていた。
(僕が……負ける!? アリスに!?)
ずっと格下だと思ってきた。
次期剣神となる自分を飾る花としか思っていなかった。
そんな奴に負ける?
まるで現実感がない。
才能と権力に恵まれて生まれた。
ずっと勝ち続ける事が、勝つ事が当たり前の人生だった。
大昔、まだ未熟だった頃に屈辱の敗北を喫した事はあったが、今の自分は強くなった。
父に与えられた力もある。
与えられた力と、自ら手に入れた力。
二つを合わせれば勝てない相手などいないと、そう思っていた。
実際、去年の武闘大会において、フォルテはあの『剣聖』をも激戦の末に敗っている。
打ち倒した訳ではなく、あくまでもルール上の勝利だが、勝ちは勝ちだ。
その事実が、フォルテを調子に乗らせた。
元々傲慢だったフォルテは、自分が負ける筈がないという思い込みに支配された。
それが、今はどうだ?
ポッと出の平民ごときに完膚なきまでに叩きのめされ、ずっと内心で見下してきたアリスにすら負けようとしている。
不様だ。
不様にも程がある。
そんな現状を、プライドの高いフォルテが認められる訳がない。
「調子に乗るなぁああああああああ!」
盛大なブーメランを投げつつ、フォルテが咆哮を上げる。
そして、防御を解き、未だに続く魔法攻撃の全てを甘んじて受けた。
痛みがフォルテを襲う。
その痛みを、屈辱を、怒りに変えて、フォルテは剣に闘気を集中し、強大な風の魔法を纏わせる。
ダメージと引き換えに、フォルテは、捨て身の全力攻撃を放とうとしていた。
「飛剣・風龍!」
フォルテの発動した風の魔法が、徐々に巨大な龍の姿を形作っていく。
それは、その技は、魔法剣士が習得できる最強の技の一つ。
当然、その練度はまだまだ未熟。
発動速度も遅く、威力もユーリやマグマには遠く及ばない。
それでも、フォルテは魔法の雨に打たれながら、耐え難い激痛の中にあって、最強の必殺技を発動させてみせた。
歪ながら、強い執念の成せる業である。
その圧倒的な圧力を前に、アリスは瞬時に悟った。
(駄目です! 防げない!)
自分では、この攻撃を防ぐ事は叶わない。
だからといって、避けるのも無理だろう。
風の龍は、単純に大きい。
攻撃範囲は結界の内側全て。
逃げ場などない。
ならば、どうする?
防御も回避も不可能。
残された選択肢は……一つ!
(攻めるしかない!)
アリスに残された唯一の勝ち筋。
それは、あの攻撃が自分に到達する前にフォルテを打ち倒す事。
その為の手段が、アリスにはあった。
まだまだ制御に難があり、リンネに使用を禁止された切り札。
しかし、特訓中にマグマによる指導を受け、なんとか使えなくはないというレベルだが、形にはなった必殺技。
(一か八か……やるしかないです!)
そう決めた瞬間、アリスは風の龍に対抗するように水の魔法を発動させた。
水はアリスの背後に集い、一瞬にして蝶のような幻想的な水の羽を作り上げる。
その羽から放たれる水圧を推進力とし、アリスは飛んだ。
「飛脚・水蓮!」
この技は、三剣士『炎剣』のマグマが使う技の一つに酷似している。
かつてマグマは、他の二人に比べて速度で劣る事を気にして、その技を開発した。
エドガーから聞かされた、とある人物の技を参考に、自分なりに改良を加えて作られたその技は、炎の射出を推進力として加速するというもの。
それと酷似したアリスの技もまた、目的を同じくする。
すなわち、放たれる魔法を推進力とした超加速。
その瞬間的な速度は、━━フォルテを完全に凌駕していた。
「ああああああ!」
「やぁああああ!」
そして、二人の技が激突する。
風の龍による殲滅と、水の羽による速攻。
その結果……
━━フォルテが剣を振り抜く前に、アリスの剣がフォルテの腹に突き刺さった。
「ぐはっ!?」
使用されたのは木剣。
加えて、フォルテには闘気による守りがある。
故に、アリスの剣がフォルテを貫通する事はなかった。
しかし、フォルテは激痛によって腹を抱えて踞り、アリスは息を切らしながら、そんなフォルテの眼前に剣を突き付けた。
「それまで。勝者、アリス」
ユーリの声が静かに響き、結界が解除される。
そして、アリスは……気が抜けたように大きく息を吐き出した。
「や、やりました……」
そんな呟きが聞こえた瞬間、訓練場に歓声が響き渡った。
リンネによる一方的な処刑の時には聞こえなかった声だ。
歓声を上げる彼らは、ただただアリスの勝利を祝福していた。
「アリスーーー! よくやったーーー!」
そして、もはやお約束とばかりに、リンネが感動の涙を流しながら突進し、勢いよくアリスに抱きついたのだった。




