28 孫娘
メアリーと名乗ったメイドに連れられ、シオンは馬車に乗せられた。
質実剛健といった風情の、余計な装飾よりも純粋な機能美を求めた高級そうな馬車。
それを引くのは、マーニ村でよく世話になった馬チャールズとは比べ物にならない、見ただけでわかる気品に満ち溢れた漆黒の名馬。
その馬を操る御者は、穏やかそうな顔をした中年の執事。
この執事も、メアリー程ではないが、立ち振舞いに隙がない。
結構な実力者であろう。
馬車、馬、人材。
その全てにおいて非常に充実したこの構成を見るだけで、メアリーの仕える家が相当の高位貴族であると改めて認識させられる。
だが、それ以上にシオンを驚かせた事があった。
メアリーが馬車の扉を開け、そこに乗り込んだ時、先客がいる事に気づいたのだ。
相手もまた、シオンが現れた事に驚いていた。
「アリス?」
「え、シオンさん? あれ? なんでウチの馬車にシオンさんが?」
先客の正体。
それは、ついさっき別れたばかりのアリスであった。
ここで、シオンの明晰な頭脳が高速で回転する。
剣神、高位貴族、ウチの馬車という言葉、そしてアリス。
それらの要素を総合的に分析し、シオンは一つの結論へと到達した。
「あんた、もしかして剣神の娘か?」
割りと誰でも気づきそうな答えだったが。
「……そういえば、まだ名字までは名乗っていませんでしたね。
改めまして、アリス・ナイトソードと申します。
仰る通り、剣神アレク・ナイトソードの娘であり、先代剣神エドガー・ナイトソードの孫に当たります。
もっとも、お祖父様とは血が繋がっていませんが。
改めて、よろしくお願いしますね」
「あ、ああ」
シオンは、自分の事を語るアリスを見て、少しだけ違和感を覚えた。
今の台詞。
剣神の娘だと語ったその言葉には、感情が乗っていないように感じたのだ。
家柄を誇る気持ちすら感じられない。
心なしか、目のハイライトが消えていたような気すらする。
シオンは、何か複雑な事情がある事を察して、深入りするのをやめた。
彼は、人のデリケートな部分にズケズケと踏み入ってくる、どこぞの幼女とは違うのだ。
「それで、シオンさんはどうしてここに?」
「俺は、この人に連れて来られた。
あんたの家に突撃して行ったウチの馬鹿が関わっているらしい。……迷惑をかけていたら、すまん」
「突撃……? ウチの馬鹿……? どういう事なの、メアリー?」
混乱したアリスがメアリーに助けを求める。
「屋敷で起こった事件に関係する事ですので。
詳しいお話は屋敷に着いてからご説明いたします」
「そ、そう……」
メアリーがメガネをくいっと持ち上げながら言った言葉を聞いて、アリスは思ったよりも大事になっている様子に息を呑んだ。
一方、シオンは、思ったよりも大事を巻き起こしてくれたらしい馬鹿の事を思って頭を抱えた。
最初に剣神の家に行くと言い出した時、冗談だと思って流さずに、殴ってでも止めるべきだった。
もし時を巻き戻せるならば、シオンは確実にそうするだろう。
そして、リンネの反撃を食らって地に沈むだろう。
案外、これでよかったのかもしれない。
そうして、馬車に揺られ、シオンは王都の外れにある緑に囲まれた巨大な屋敷、ナイトソード公爵家へとやって来た。
ここにリンネがいる筈だ。
そして、リンネの行動によっては敵認定されているかもしれない。
シオンは気を引き締めた。
場合によっては土下座する覚悟すら決めた。
その時には、当然、リンネの頭も一緒に地面に叩きつけるつもりだ。
「ただいま戻りました」
「あ、お帰りなさいませお嬢様~!」
「アリスちゃん、お帰り!」
「今、夕食の仕度をしてるから、もうちょっと待っててくれ」
アリスが帰宅を告げ、使用人達がやたらフレンドリーに返す。
その最中も、ドタドタと慌ただしく廊下を走る使用人の多い事多い事。
その、あまりの雰囲気の緩さに、シオンは唖然とした。
高位貴族というものは、もっと堅苦しいものだと思っていたが、その常識が音を立てて崩壊していく。
まあ、こんなに気安い公爵家など、普通はあり得ないのだが。
原因は全て、この家の先代当主であるエドガーにある。
彼は平民上がりであり、それ故に貴族の堅苦しさを嫌った。
加えて、ここの使用人達は、大体がエドガーの拾ってきた元孤児である。
いくらトーマスなどに教育を受けたとはいえ、元孤児が意図的に貴族の雰囲気に染まる訳もなく、結果としてこんな感じになったのだ。
しかも、現当主のアレクもまた元孤児。
つまり、彼らにとってのアレクは、主というより弟か兄みたいなものなのだ。
その事実が、この気安い雰囲気に拍車をかけた。
もはや、ナイトソード家は、なんちゃって貴族の領域である。
とてもアットホームな職場です。
「あなた達……一応、お客様の前ですよ。
おもてなしモードに移行しなさい」
「あ、そうでした!」
「旦那さ……リンネ様のお知り合いだっていうから、つい」
「すみませんでしたメイド長!」
そんなメアリーの発言により、使用人達の雰囲気が変わる。
急に猫の皮を被ったかのようにおとなしくなり、走るのをやめて気品のある歩き方に変わる。
そして、玄関の前に並んで、一子乱れぬお辞儀をした。
『お帰りなさいませ、お嬢様。いらっしゃいませ、お客様』
そう。
なんちゃって公爵家とて、常に緩い訳ではないのだ。
ちゃんとしたお客様が来る時は、それ相応の持て成しができる。
それくらいには教育が行き届いている。
そんな使用人一同を見回して満足したのか、メアリーが「よろしい」と呟いた。
「それでは、シオンさん。改めまして、当家へようこそいらっしゃいました」
「いや、今更取り繕われてもな……」
「あ、あはは……」
シオンの至極真っ当なツッコミに、アリスは苦笑していた。
だが、メアリーは意にも介さない。
それを見てシオンは思った。
アリス以外、全員おかしいと。
「それで、旦那様達はどうなっていますか?」
「はい。先程、食堂へと移動されました。夕食はもうすぐ出来上がる予定です」
「よろしい。では、お嬢様、シオンさん。食堂の方へとお越しくださいませ。旦那様方が待っておられます」
「あ、はい」
「わかった……わかりました」
ここで、シオンは言葉使いを改めた。
これから大貴族に、それも剣神に会うのだから当然の反応だろう。
シオンは敬語の使えない子ではない。
今までは、この家の雰囲気に呑まれていただけだ。
そして、シオン達はメアリーに連れられて、ナイトソード家の食堂へとやって来た。
メアリーが大きな扉をノックし、中へと声をかける。
「お嬢様とシオンさんをお連れいたしました」
「ああ、入ってください」
中から聞こえてきたのは、優しそうな男の声。
この声の主が剣神だろうか?
シオンがそう考えている間に扉は開き……
「ア~リス~!」
中から弾丸のような勢いで一人の幼女が飛び出し、アリスへと抱き着いた。
「え? え?」
「おお! お前はあの時の! なるほど、お前がアリスだったのか! 大きくなったなぁ!」
喜色満面でアリスに抱き着き、頭を撫ではじめる幼女。
それは、シオンのよく知る馬鹿であった。
何故か全身に包帯を巻いているが、いつも以上に元気いっぱいである。
「は?」
予想外の事態にシオンが面食らい、アリスが抱き着かれたまま硬直する。
その様子を食堂の奥から見ていた一組の男女。
優しそうな黒髪の男は苦笑し、クールそうな白髪の女はため息を吐いていた。
「やっぱりこうなったか……生まれ変わっても、相変わらずアリスにデレデレだ。どうしようか?」
「どうしようもないでしょうね。このまま説明するしかないんじゃない?」
そのまま二人は、アリスに引っ付いたリンネを、アリスごと引き摺って食堂の一席に座らせた。
一方、シオンはまるで狼狽えた様子のないメアリーによって、同じく食堂の一席に座らされた。
そして、そのまま黒髪の男が話しはじめた。
「とりあえず、お帰りアリス。そして、ようこそシオンくん。
俺はアレク。剣神アレク・ナイトソードだ。
リンネさんがこんな状態だから、詳しい話は俺から説明するよ」
まだ混乱が抜けきらないシオンは、剣神から更に驚愕の話を聞く事になる。
ずっと前にリンネが語っていた与太話。
ただの痛い妄想だと思って流していた話が真実であったという、驚愕の話を。
◆◆◆
そろそろアリスが帰って来るという事で、アレク達との話を切り上げ、
一緒に夕飯を食べながら色々と話そうという事で、食堂へと移動した。
動くと傷が痛んだが、さすがに眠っていた一週間もの間、治癒魔法をかけ続けられていたおかげか、悲鳴を上げる程の痛みではなかった。
そうして、食堂で待っていたら、じきにメアリーがアリスを連れて来た。
私は何も考えずにアリスに突撃し、抱き締めながら頭を撫でた。
可愛い。
孫娘、めっちゃ可愛い。
前に会った時は気づかなかったが、よく見てみると、アリスにはアレクとユーリ両方の面影があるな。
白髪の美少女で、全体的にはユーリに似ているが、優しそうな顔立ちはアレク似だ。
赤ん坊の頃の面影もあるな、
私の事を「じーじ」と呼んで甘えてきた頃を思い出す。
ヤバい。
孫娘、可愛いすぎるわ。
この子を泣かせるような奴がいたら、私がぶっ殺してやる!
「アリス~!」
そうして、私が孫娘を存分に愛でている間に、アレクとユーリが、アリスとシオンに私の正体の事を話していた。
二人とも唖然としていた。
そして、シオンがポツリと、
「リンネの痛い妄想じゃなかったのか……」
と呟いていた。
失礼な!
私がアリス成分補給中じゃなければ、ぶっ飛ばしてるところだ!
「ええっと……お祖父様、なのですか?」
「そうだぞ、アリス! というか、私の事は覚えてるか?」
「あ、はい。うっすらと」
おお!
それは嬉しいな!
私が死んだ時、アリスはまだ2歳くらいだったからなぁ。
「昔みたいに、じーじと呼んでくれてもいいんだぞ!」
「いえ、それはちょっと……リンネさんと呼ばせていただきます」
「む。ちょっと他人行儀だな」
なんだろうか?
他の連中相手ならそれでよかったのに、アリス相手だとなんか嫌だ。
もっとフレンドリーに呼んでほしい。
うーむ……。
「よし! じゃあ、私の事はリンネちゃんと呼べ!」
「ええ!?」
さん付けよりは、ちゃん付けの方が親しみやすいだろう。
祖父としての威厳はなくなりそうだが、今の私は幼女だしな。
いっその事、妹路線を開拓してみるのも良いかもしれん!
「ああ、師匠が暴走している」
「ほっときましょう。私達が気にする事じゃないわ」
「……こいつは、昔からこうなんですか?」
「そうだね。アリス相手には、よく暴走していたよ」
「別に、アリス相手じゃなくても、騒がしい事に変わりはなかったわね」
「自由奔放を体現されたようなお方です。振り回される方はたまったものではありません。
恩義も感じていますし尊敬もしていますが、ぶん殴りたくなった事も一度や二度ではありませんね」
「「わかる」」
「剣神エドガーってこんなんだったのか……理想を粉々に打ち砕かれた気分だ」
なにやら外野が騒がしいが、今の私はとても気分が良いからな。
聞き流してやろう!
「え、えっと……リンネちゃん?」
「うむ!」
ああ……浄化される。
天使だ。
アリスは天使だったのだ。
そんな感じで、アリスと楽しくお喋りしている間に、食事の時間は終わった。
マジで楽しかった。




