2 転生
私の名前はリンネ。
剣神エドガーが守った国であるグラディウス王国の辺境、シャムシール領の端に位置する田舎村、マーニ村で牧場を営む父と母の間に生まれた生粋の村娘だ。
私には前世の記憶がある。
それを自覚したのはつい最近。
元冒険者の父に剣の稽古をつけてもらった時だった。
私は昔から事あるごとに剣を教えてくれと父に催促してきたが、
その度に父は、「剣は危ないからもっと大きくなってから」とはぐらかし続けてきた。
その本音は、女の子の私を稽古で傷つけたくなかったのだろう。
あの子煩悩め。
まあ、愛されてると分かるから悪い気はしないが。
でも、やはり剣は習いたい。
当時の私の中には剣への憧れというか、習わければいけないという義務感みたいな感情があったのだ。
なので、私はいつまで経っても駄々をこねそうな父に見切りをつけ、母に相談して外堀から埋める作戦に出た。
母の方は、元々私が剣を習うことに対して特に拒否感はなかったし、
どうやら私が、冒険者を引退した今でもよく剣を振って鍛練してる父に憧れたと思っているようで、微笑ましいとばかりにむしろ応援してくれた。
そうして、母の説得と私のおねだりによるダブルコンボの前に、あえなく父は撃沈した。
そこから一週間後の私の六歳の誕生日に訓練用の木剣をプレゼントしてくれて、翌日から稽古をつけてくれると約束してくれた。
素直に嬉しかったので「パパ、大好きだ!」といって抱きついてやったら、デレデレとだらしない笑顔を浮かべながら「よーし! パパが一人前の剣士に育ててやるからな!」と言って気合いを入れていた。
実にチョロい。
そうして迎えた初稽古の日。
私は、父をボコボコにした。
瞬殺だった。
まさかの事態に「い、今のなし!」とか言ってやり直しを要求してきた父をさらに叩きのめし、
その後も「今のは手が滑っただけだから!」とか「今までのパパは本気じゃなかったんだよ。今から本気出すからな!」などのざれ言を吐きながらむきになって戦い続けた父を、言い訳の余地もないくらいに、完膚なきまでに叩き潰した。
父は人生で初めて剣を持った娘にこてんぱんにされた事が相当ショックだったらしく膝を抱えて落ち込み、
母は無邪気に「リンネ凄ーい」と言ってパチパチと拍手していた。
しかし、私はそれどころではなかった。
まさにその時、前世の記憶を取り戻していたのだから。
剣を握って構えた瞬間、脳裏に電流のような衝撃が走り、村娘リンネとしてではない記憶、剣神エドガーとしての記憶が溢れ出した。
おそらく、剣を持って戦うという出来事が引き金になったのだろう。
そうして頭の方が突然の記憶の奔流に翻弄される中、何も知らない父が剣を構えながら「よーし、どこからでもかかって来い!」と呑気にのたまったものだから、体の方が勝手に反応。
魂に刻まれた達人剣士の動きを持ってして、剣士としてはそこそこの技量しか持たない父を蹂躙したというのが事の次第だ。
ある程度記憶の整理ができた私は、未だに落ち込む父と、父にドンマイコールをかけて慰めている母に向けてこう言った。
「パパ、ママ、私は思い出したぞ」
そこで一拍置いて、とても真剣な声で告げた。
「私は、剣神エドガーの生まれ変わりだったんだ」
その時の二人の目は一生忘れられない。
私はとても真面目な話をしているつもりだった。
だってそうだろう。
自分達の娘に前世の記憶があるなんて、特級の異常事態だ。
気味が悪いなんてもんじゃない。
最悪、親子の縁を切られるかもしれない。
そのくらいの覚悟で私は話したのだ。
だというのに、二人が私を見る目はまるで残念な子を見るような、娘が変な方向に成長してしまったのを嘆くような、哀しみと慈しみに満ちた目だった。
世界最強の剣士とまで呼ばれた私が、まさかそんな目で見られる事になろうとは……。
信じてくれていないのは明白なので、私は言葉の限り釈明を繰り返した。
戦争の時のエピソードを話してみたり、弟子どもとの日常話を語ってみたり、果ては秘蔵のラブロマンスまで引っ張り出したが、結局、聞く耳持ってくれず。
最終的には「そっかー、凄い凄い」とだけ言って頭を撫でられ、はぐらかされた。
話せば話す程に残念な子を見るような視線が強くなっていったのは誠に遺憾だ。
いつか二人に私に前世の事を信じさせてやる。
前世の記憶を思い出した日、私はそう誓ったのだった。
◆◆◆
それから二日が経ち。
私は特に以前と変わらない生活を送っていた。
前世を思い出したといっても、私はそれに呑まれて人格が変わったりはしていない。
むしろ、殆ど変わらない。
忘れていた過去を思い出しただけで、私がリンネであるという事に変わりはないのだから当たり前だ。
では、私はリンネであってエドガーではないのか?
それも違う。
私はリンネであり、同時にエドガー・ナイトソードでもあるのだ。
こう……言葉にするのは難しいが。
言ってみれば、今の私は前世と今世の記憶が上手い具合に共存している状態というか。
今世の六年間の下に前世の七十年間を足した感じというか。
そんな感じだ。
今までは忘れていたが、今では前世の最期と今世の始まりが違和感なく繋がっている。
前世からあまり性格が変わっていないというのも、エドガーを昔の自分として素直に受け入れられる大きな要素なのだろう。
変わった事と言えば、性別と口調くらいだ。
自分が女になったという事実は受け入れている。
というか、生まれてからの六年間、男としての記憶が一切ない状態で女として育てられれば、そりゃ女としての自覚が芽生えるものだ。
それでも大分男勝りな感じに仕上がったのは、眠っていた前世の最後の意地だったのだと思う。
まあ、特に問題はない。
そして口調。
これに関しても何の問題もない。
あの、ザ☆爺みたいな話し方は、元々、一番弟子ことアレクを弟子にとった時に威厳を出そうとして始めた事だ。
それが変わったところで何の問題があると言うのか。
ないだろう。
常識的に考えて。
これが完全に年頃の少女の口調になっていたら、前世の私を知る奴らに再会した時に爆笑されるか、気色悪すぎてゲロを吐かれたかもしれないが、幸いな事に私の口調は男勝りな感じだ。
元男だと暴露しても、そこまでの生理的嫌悪感は感じないだろう。
世の中には、むくつけき男の身体を持ちながらも心は乙女という剛の者だっているんだ。
それに比べれば、どうという事はない。
私はそんな感じで現実を受け入れ、新しい日課に精を出す事にした。
「よし! 行くぞロビンソン!」
「ワン!」
私は誕生日に母に貰った動きやすい服に着替え、父に貰った小さな木剣を腰に差して、我が家で飼っている牧羊犬のロビンソンに声をかけた。
時刻は早朝。
朝日が眩しい時間帯だ。
私はこれから、新たな日課となったロビンソンの散歩に出掛ける。
ランニングだ。
今までロビンソンの散歩は、元冒険者であり体力のある父がトレーニング代わりにやっていたのだが、私がおねだりして譲ってもらった。
というのも、今は父よりも私の方がトレーニングが必要だからだ。
前世の記憶を思い出した事によって、私の戦闘力は飛躍的に向上した。
それは技術だけの話ではなく、記憶と一緒に闘気の使い方まで思い出したおかげで、身体能力も六歳の幼女とは思えないレベルまで引き上げられている。
現時点でも、そんじょそこらの剣士には負けないだけの力が出せるだろう。
だがしかし、前世と比べれば比較にならない程に弱体化しているといるのもまた事実だ。
原因は大きく別けて二つ。
一つは長らく剣を手放し、戦いから遠ざかった事による感覚の鈍化。
これは、地道に取り戻していくしかない。
そして、もう一つが、単純な身体能力の低下。
これが目下最大の問題だ。
私の身体は闘気を纏わなければ、非力でかわいらしい、ただの幼女でしかない。
元剣神なのに、闘気がなければまともに剣を持ち上げられないという事実はさすがに堪えた……。
闘気があるからといって、肉体がこんな貧弱なままで良い理由にはならない。
一流の剣士は闘気など使わなくても人間離れした身体能力を持つ。
闘気使いの領域とは更にその先。
選ばれた天才が、たゆまぬ努力の末にようやく到達できる境地なのだ。
鍛え抜かれた肉体に、闘気による身体強化を上乗せしているのだから、その力は人間をやめている化け物と言って差し支えないだろう。
前世の私はそんな化け物達の頂点だった。
そして何より重要なのは、弟子どもがそんな私に次ぐ程の力を持っているという事だ!
このぷりちーな貧弱幼女ボディで奴らに勝てるとは到底思えない。
弟子よりも弱い師匠など、私のプライドが許さないのだ!
最後の稽古では私を超えていってくれる事を願ったが、あれは、あくまでも、あれで最後だと思ったからだ。
続きがあるというのなら、話が変わってくる。
せっかくこうして生まれ変わったのだから、いずれは奴らにも会いに行くつもりでいる。
だから、それまでに鍛えて強くなるのだ!
師匠としての威厳が保てるように!
「ワン!」
そんな事をつらつらと考えていた私を見て、ロビンソンが吠えた。
たぶん、ちゃんとあっしの散歩に集中してくだせえご主人様、とか言ってるのだろう。
わかったわかった。
お前の散歩を譲ってもらったのも体力作りの一環だからな。
ちゃんと真面目にやる。
「ワフ」
私の答えに満足したのか、ロビンソンはさっきより優しく吠えて元のペースに戻った。
私もロビンソンの疾走について行けるように、最低限の闘気を纏って並走する。
こいつは足が速いから、こうして一緒に走ってるだけでも結構疲れる。
これは良い鍛練になりそうだ。
ロビンソンのリードを離さないようにしながら、今世の故郷マーニ村の中を走り回る。
「あら、おはようリンネちゃん。最近は早起きねー」
「おはよう、おばさん!」
道中、畑で農作業をしているおじさんおばさん達から声をかけられる。
子供が少ない田舎村において、私みたいな可愛い女の子は人気者なのだ。
たとえ、前世が享年七十歳の爺だとしても。
前世は前世、今世は今世。
今の私は完全に女なのだから、何の問題もない。
さて、こんな朝早くから農作業に精を出すおじさんおばさん達を見てわかる通り、この村は農業が盛んだ。
盛んというか、それしかないとも言う。
ここマーニ村は、どこにでもあるような普通の田舎村だ。
これといった名産品もなければ、迷宮などの名所もない。
唯一の特徴は、ただひたすらに平和だという事くらい。
そもそも、マーニ村があるシャムシール領とやらの存在は、私の記憶にない。
晩年に暇をもて余し、いろいろな仕事を部下に丸投げして、世直しの旅(笑)という名目で国中を旅していた私が知らない領地となると、私が死んでから新しく出来た領地か、記憶に残らない程小さくて目立たない領地かの二択だ。
そして、シャムシール領は後者である。
以前、父に地図を見せてもらったことがあるが、シャムシール領は王国の端の端、辺鄙で何にもない所にある上にとても小さかった。
普通、国端の辺境というものは、他国との境界になっていたり、強い魔物が出たりして、そこそこ重要な土地として扱われるものなのに、ここは例外と言わんばかりに、全くそんな気配がない。
これでは、ただの田舎である。
そして、マーニ村はそんな田舎領地の中でも、さらに端っこの隅っこにある超田舎村だ。
村人達は、自前の田畑で自給自足。
足りない物はお裾分けか物々交換で手に入れる。
最寄りの街まで馬車はなく、徒歩で三日もかかる距離。
そんなに離れている上に、わざわざ街に行かなくてもなんとかなるものだから村人は殆ど村に引きこもり、街とは半ば断絶状態。
冒険者も寄り付かない。
せいぜい、たまに行商人が立ち寄る程度だ。
近場に森があって魔物が生息してる為、少しだけ危険だが、聞いた話によると、その魔物も危険度E~Fの動物に毛が生えた程度の小物。
その程度、村の自警団だけでどうとでもなるし、なんなら父一人でも殲滅できる。
そんな前世で体験した戦場とは真逆の平和な村の中を私は走る。
我が家の愛犬ロビンソンと共に。
闘気で強化しているとはいえ、子供の体力ではそんなに長時間は走れない。
三十分程で切り上げ、汗だくになりながら家に帰る。
家に帰れば、牛の乳絞りをしている父と、ニワトリ小屋から卵を回収してきた母が出迎えてくれた。
「お帰り、リンネ」
「お帰りなさい。今日も汗びっしょりね。早くお風呂入ってきなさい」
父と母は今日もいつも通りだ。
いつも通り、笑顔で幸せそうだ。
平和を謳歌している。
思えば、前世の私が必死こいて戦ったのは、こういう当たり前の平和を守る為でもあった。
多分に私怨が混ざってはいたが、そういう気持ちも確かにあったのだ。
前世の両親は帝国のクソどもに殺された。
だが、今世の両親は、私と死んでいった戦友達が守り抜いた平和の中で生きている。
なんか良いな、こういうのは。
私の努力も、あいつらの犠牲も、無駄じゃなかったと思えるから。
「パパ、ママ」
私は二人に声をかけた。
「ん?」
「どうしたの?」
二人は不思議そうに聞き返す。
「ただいま!」
私は元気にそう言って、とりあえず近くに居た父に抱きついた。
前世の私と、先に死んでいったあいつらが、満足そうな表情を浮かべた気がした。
父は娘に抱きつかれて、締まりのないにやけ面をしていた。
転生なんてものに対して、思うところがないと言えば嘘になる。
前世の私にこの世への未練なんてものはなかったし、やっと天寿を全うして穏やかに死ねたのだから、できる事なら先に逝った連中に会いたかった。
同じ場所に行きたかった。
でも、この平和そうな村と幸せそうな両親を見て思ったのだ。
しばらくは親孝行でもして存分に甘えながら、この平和な世界で生きていくのも悪くないと。
そんな事を思った。