番外 後に、剣神と呼ばれる少年
「ふん♪ ふん♪」
平和な王都の街並みを、水色の髪をした幼い少女が、鼻歌を歌いながら歩いていた。
今日の少女は機嫌が良かった。
彼女の親代わりをしている兵士達から、「たまには外で遊んで来い!」と言われて、お小遣いを渡されたからだ。
少女は、あまりそういう事に興味はなかったが、兵士達の優しさが嬉しかったのだ。
だからこそ、今日はこのお金で遊び尽くしてやろうと心に決めている。
「まずはどこに行こうかな~?」
兵士達の真心が詰まった財布を大事に抱え、少女は街を歩く。
最近は、ディザスロード帝国による侵略戦争が始まり、王都もややピリピリとしているが、まだこのグラディウス王国にまでは、帝国の魔の手も伸びていない。
治安も、そんなに悪くはない。
出没するとしても、せいぜいチンピラ程度。
その程度の相手ならば、少女の敵ではない。
引っ捕らえて、親代わりの兵士達に突き出してしまえばいいのだ。
そうなったが最後。
チンピラ達は、親バカ兵士達の制裁を受けて地獄を見る事になるだろう。
故に、少女は安心して街を出歩く事ができる。
クゥ~
と、その時、少女のお腹から、可愛い音が鳴った。
「……まずは食べ物かな」
少女は最初の目的地を決定した。
トコトコと歩き、食べ物の露店があるエリアへと辿り着く。
そこで、かなり好きな食べ物であるクレープを売っている店を見つけ、走り寄った。
「おじさん! クレープ一つください!」
「あいよ」
気の良い店主は、少女からお金を受け取ると、慣れた手つきで生地を焼き上げ、クリームを塗り、フルーツを挟み、あっという間にクレープを完成させた。
熟練の技を感じる、手際の良さであった。
「ほい! クレープ一丁!」
「ありがとう!」
ヨダレを垂らさんばかりの様子でクレープが出来上がるのを待っていた少女は、我慢できないとばかりに、その場でクレープにかぶりついた。
「うま~!」
モキュモキュという擬音を立てて、少女は実に美味しそうにクレープを平らげた。
これには店主もニッコリだ。
可愛い女の子に喜ばれて、嬉しくない男はいない。
そこに、子供特有の愛嬌が加われば、もう最強だ。
ついつい甘やかしてしまっても、仕方あるまい。
「ハッハッハ! そんなに旨そうに食ってくれるとは、料理人冥利に尽きるねぇ! よっしゃ! サービスだ! もう一個作ってやろう!」
「ホント!? ありがとう、おじさん!」
「良いって事よ!」
男から巧みに金をせしめる。
狙った訳ではないのだろうが、その様は小悪魔を思わせた。
将来、悪女にならないか心配である。
「そういや、お嬢ちゃん。ここら辺には『ネズミ小僧』って盗人が出るんだ。その名の通り、ネズミみてぇにすばしっこいガキンチョでな。
お嬢ちゃんも、財布を擦られないように気をつけろよ」
「ふぁ~い」
「ハッハッハ! 口に物入れたまま喋るなよ!」
そうして、少女は気の良い店主の元を離れ、再び街を歩く。
先程言われた事を、少しだけ考えながら。
「ネズミ小僧かー」
そういえば、兵士達の話題にも少しだけ上がっていたような気がする。
近頃、王都のあちこちに出没する、子供の盗人。
やたらと足が速く、隠れるのも上手い。
現れてからそこそこ経ち、結構色々とやっているのに、未だに捕まらないらしい。
まさにチョロチョロと逃げ回るネズミのような少年という話だ。
「上等だ! ボクのお小遣いを狙うようなら、とっ捕まえてあげるよ! どこからでもかかって来ーい!」
少女がテンションを上げてそう宣言した次の瞬間、━━少女の手の中から、財布が消失した。
「へ?」
少女の目は捉えていた。
一瞬の意識の隙を突いて、残像が残るような超速で財布をスッて行った小さな影を。
そう、目では追えていたのだ。
ただし、咄嗟に反応はできなかった。
「ッ!?」
瞬時に状況を理解した少女は、怒りの形相で下手人を追いかける。
親バカ兵士達から「天才か……!」と言われた力、闘気を発動して身に纏い、全速力で追いかける。
だが、追い付けない。
何故か?
それは、逃げる下手人もまた、闘気を纏っていたからである。
「嘘っ!?」
少女は、心の底から驚愕した。
闘気とは、肉体を鍛えていった果てに習得する、特殊な魔法適性。
言わば、剣士をはじめとした前衛職の奥義とも呼べる御業なのだ。
闘気を使えるか否か。
それこそが、一流の剣士と、超一流の剣士の違い。
雑兵と英雄の間にある、決して越えられない壁。
それこそが闘気と言っても過言ではない。
そんな代物を幼くして会得する『天才』というものも存在する。
事実、少女はそんな数少ない天才の一人だ。
齢10にして闘気を使いこなす、未来の英雄候補。
それこそが、この少女の正体であり、親バカ兵士達が挙って「ウチの子は天才だ!」と絶賛する存在なのである。
その少女が、盗人一人に追い付けない。
あり得ない話であった。
見たところ、盗人は小さな子供だ。
少女よりも、なお幼いだろう。
噂の『ネズミ小僧』の特徴と合致する。
というか、それ程の力があるくせに、何故盗人などやっているのか?
少女は小さな少年の背中を追いかけながら、割りと本気で疑問に思っていた。
「……しょうがない。子供相手にあんまり手荒な事はしたくないけど、そのお財布だけは譲れないんだ! 返してもらうよ!」
そして少女は、このままでは少年を取り逃がしてしまうと判断し、更なる力を解放する事を決意した。
少女の身体から溢れ出した魔力が形を成し、魔法となってこの世に顕現する。
「ウォーターボール!」
そう!
少女は闘気だけではなく、魔法まで使えるのである!
親バカ兵士達の鼻がニョキニョキと伸びている光景が幻視できる。
それ程に、少女は天才であった。
そうして、水の弾丸が少年に迫る。
殺傷能力の低い、水の初級魔法。
それも、かなり手加減された一撃。
だが、それでも当たれば相当痛いだろう。
しかし、少年はまるで背中に目があるかのように背後からの攻撃を察知し、アクロバティックな挙動で水弾を避け、そのまま壁を走って三次元的な動きで逃げていく。
その動きは、ネズミというより、突然変異の猿のようであった。
「そんな!?」
それに動揺したのは少女だ。
渾身の一撃、とまでは言わないが、自信のあった攻撃を余裕で避けられた。
マズイ。
このままでは、逃走を許してしまう。
というか、そんな動きができるなら、ホント、マジで、どうして盗人なんてやっているんだ。
そんな思考が、グルグルと少女の頭の中を駆け巡る。
そんな思いに蓋をして、少女は必死で考えた。
この少年を捕らえる方法を。
絶対に、あの兵士達の真心が詰まった財布を持っていかれる訳にはいかないのだ。
そして、それとは別に、あの盛大に才能の無駄使いをしている少年に、もっとまともな就職先を見つけてやりたいという気持ちが芽生えつつあった。
まあ、わからなくもない。
「なら、これならどうだい! ウォータースプラッシュ!」
少女が再び水弾を発射する。
先程よりも大きく、弾速が速い。
だが、この程度ならば、まだまだ少年にとっては対応圏内。
余裕を持ってとはいかなかったが、回避する事に成功した。
━━と思った瞬間、水弾が弾けた。
まるで爆弾のように、水弾は内部から破裂し、その衝撃によって、少年は吹き飛ばされる。
「ッ!?」
「よしっ!」
それを見た少女は、ガッツポーズを取りながら、吹き飛ばされて動きの鈍った少年に肉薄した。
しかし、少年はまだ諦めない。
傷を負った身体を必死に動かし、逃走を続ける。
ダメージのせいか、そのスピードは落ちたが、それでもまだ大人の兵士より速い。
「ウォータースプラッシュ! ウォータースプラッシュ! ウォータースプラッシュ!」
そこに、容赦のない少女の追撃!
無数の水弾が、少年に襲いかかる。
少年はそれを、先程の反省を活かし、破裂による攻撃範囲の外まで逃げる事によって避け続ける。
しかし、回避行動が大きくなれば、その分、少女との距離が縮む。
少女は、確実に少年を追い詰めていた。
「クックック! そろそろ終わりだよ!」
というか、こいつらは財布一つの為に、どれだけ高度な戦闘を繰り広げているのだろうか?
この場に他の誰かがいれば、そんなツッコミを入れたかもしれない。
だが、そんな良識的な第三者はこの場に存在せず、あるのは、この盛大に才能を無駄使いした戦いの決着のみであった。
「攻ノ型・飛脚!」
少女が、兵士達から教えてもらった特殊な歩方により、一気に加速する。
まだ、この技を覚えて日の浅い少女では、直線的な速度は出ても小回りが効かない為、今までは温存してきた。
だが、少年との距離は、この技による踏み込み一つで詰められるまでに縮んでいる。
今こそが、切り札の使い時なのだ。
「とう!」
「ぐっ……!」
直接攻撃が可能な距離まで近づいた少女が、少年に向けて手刀を放つ。
その鋭い攻撃を、少年は腕を交差させて防いだ。
しかし、防ぎ切れずに手刀……というよりチョップが、少年の頭を打った。
そして、少年は崩れ落ちる。
今ここに、決着はついた。
「ハッハッハ! ボクの勝ちだね!」
「ク……ソ……」
少女はまず、少年の手の中から財布を回収した。
が、そこである事実に気付く。
少年の体は、思ったよりも深いダメージを負っていたのだ。
「あちゃー……えっと、その、ごめんね……」
少女は、闘気使いなら大丈夫だろうと思って、結構強めの攻撃をしてしまった。
だが、一口に闘気と言っても色々ある。
闘気は身体強化の魔法だが、それによって強化される力には個人差があるのだ。
ある者は凄まじい剛力を手に入れ、ある者は鉄壁の頑健さを手に入れ、ある者は不死身のような生命力を手に入れる。
この少年は、おそらく速度に特化した闘気使いなのだろう。
だからこそ、防御力はそこまででもなく、少女の攻撃でかなりのダメージを負ってしまった訳だ。
ちなみに、少女の闘気は、やや防御寄りのバランス型である。
「ヒール」
そして、少女はとりあえず弱めの治癒魔法を少年にかけて傷を癒した。
あくまでも、弱めにだ。
何故かと言うと。
「おっと、どこへ行こうと言うのかな?」
「くっ……!」
逃がさない為である。
少女は、這いずって逃げようとした少年に、上からのし掛かって拘束した。
少女には、この少年をこのまま逃がす気など毛頭なかった。
逃がしても、また窃盗に身を染めるだけ。
この少年には、もっと良い力の使い道がある。
まあ、それを差し引いても、兵舎の一員として、ネズミ小僧を逮捕しないという選択肢はないが。
つまり、この少年に、もう逃げ場などないのだ。
「ねぇ、君。それだけの力があるのに、なんで盗人なんてやってるのさ?」
「……決まってる。やらないと生きていけないからだ」
「いやいやいや! 君なら兵士とか冒険者とかでも食べていけるでしょ!? それだけの才能があれば、普通に雇ってくれると思うよ」
「兵士……冒険者……その発想はなかった」
その発言を聞いて、少女は確信した。
あ、この子、馬鹿だ、と。
「ねぇ、行く場所が決まってないなら、せっかくだし、ボクの所に来ないかい?」
そして、少女は交渉を開始した。
丸め込める気しかしなかった。
「どういう事だ?」
「実は、ボクのパパとママは兵士でね。まあ、二人とも死んじゃったんだけど……。
それで、ボクは今、パパ達の同僚だった兵士の皆に面倒見てもらってるんだ」
これは本当の事である。
少女の両親は数年前に殉職し、天涯孤独となった彼女を、両親の同僚であった兵士達が引き取ったのだ。
それ以来、少女は兵士達全員から、実の娘のように可愛がられている。
今や、少女にとって、兵士達は家族なのだ。
少女は、いつか彼らと肩を並べて戦いたいと思っている。
……もっとも、少女は既に、兵舎の中でも上から数えた方が早い程に強いのだが。
肩を並べるどころか、突き抜けている。
だが、兵士達の名誉の為にも、これ以上ツッコンではいけない。
「それでさ、君もボク達の所に来て、一緒に兵士にならないかい?」
「む……」
少女の言葉に、少年は真剣に考える。
足りない頭を振り絞って考える。
少年とて、別に何も考えられない馬鹿ではないのだ。
ただ、ちょっと脳筋なだけで。
と、その時。
グゥ~
という、特に可愛くもない大きな音が、少年の腹から鳴り響いた。
「……兵士になれば、毎日ご飯が食べられるよ。盗人なんてやらなくても生きていけるさ」
「……!」
その言葉に、少年の心はかなり大きく揺れた。
心の天秤が一気に傾く。
が、まだ少年は首を縦に振らない。
何故か?
それは、悔しいからだ。
自分をあっさりと打倒した少女の言う通りになるのが、なんとなく悔しかった。
要するに、子供特有の、つまんない意地である。
だが、その感情を見透かしたかのように、少女が「ハハ~ン」と呟きながら、ニタリと笑ってトドメの一撃を叩き込む。
「それに、ボクに付いて来ないとリベンジの機会は永遠に来ないよ?
君は巷で噂のネズミ小僧みたいだし、君がこの話を断るなら、ボクは君を逮捕して、牢屋にぶち込む事もできるんだ。
つまり、この誘いを断るという事は、君はボクとの再戦が怖くて牢屋の中に逃げたという事になる!
君みたいな男の子が、ボクみたいなぷりちーな美少女から逃げるなんて、恥ずかしくないのかな?」
「……なんだと」
かかった。
こんな安い挑発に引っ掛かるとは、本当に馬鹿な奴である。
まあ、子供なんて、皆そんなものなのかもしれないが。
「ボクに付いて来るなら、ボクはいつでも君のリベンジを受けてあげよう。どうする?」
「上等だ、この馬鹿女! すぐに吠え面かかせてやる!」
「ハッハッハ! いつでもかかって来るといいよ!」
こうして、少年は少女へのリベンジを誓い、あっさりと丸め込まれたのであった。
実にチョロい。
きっと、頭の中まで筋肉なのだろう。
そして、その頭の中の筋肉まで闘気を纏っているに違いない。
脳筋っぷりが強化されているのだ。
誰だ、こいつが馬鹿じゃないとか言った奴。
「ああ、そうだ。自己紹介がまだだったね。
ボクはシャーロット。皆はシャロって呼んでるよ。
君の名前は?」
「……エドガーだ」
「そっか。じゃあ、エドだね。よろしく、エド!」
少女が、少年に手を差し出す。
握手だ。
少年は少し不機嫌そうにしながらも、差し出された手を拒む事はなかった。
「フッフッフ。なんか、弟が出来たみたいで嬉しいな~」
「誰が弟だ」
その後、二人は手を繋いだまま、少女の家である兵舎に向かって歩き出した。
ちなみに、手を繋いでいるのは少年の逃走を防ぐ為であり、どちらかと言えば連行と言った方が正しいだろう。
こうして、少年エドガーは、少女シャーロットと出会った。
これが、後に『剣神』と呼ばれ、世界最強の剣士となる少年の、始まりの物語だったのである。




