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         〜兄妹〜

 陽志も広和も、紫龍にあの一言を言われてから、おとなしくなり何も言わなくなった。

 「魂ごと食っちまうぞ!」この言葉に隠された意味が、青威にはわからなかったが、この二人にとっては、何か大きな意味があるらしかった。


 食事を終え、朱音と青威は席を立ち、自分達の部屋に戻っていく。

「ねえ、紫龍のいる離れって、俺の部屋から斜めに見える、あの建物だろう?」

「そうよ、行ってみる?」

「いや、そうじゃないくって、俺のすぐ近くにアイツがいると思うと、ちょっとね」

 青威はそう言い、栗毛色の髪の毛を掻きながら苦笑いをした。

「そうだよね……今日の自殺騒動の時の、頬に一発は、確かにびっくりした」

 朱音はそう言いながら、クスクスと笑い、言葉を続ける。

「でも、あの学園の人で兄貴を殴ったのって、望月先生と青威だけよ」

「望月先生も?」

 青威の問いに、朱音は頷きながら廊下を歩き、池の見える所で足を止める。

 夜の闇に月が顔を出していた。

 昼間の暑さを感じさせず、春の残り香を含んだ涼しい風が吹き、朱音の黒髪を揺らしていく。

「あれ?」

 朱音が眉間にしわを寄せ、紫龍のいる離れに目をやる。

「……明かりが点いていない」

 朱音の表情が途端に曇り、土がむき出しになっている芝生の上に飛び出すと、離れへと向かう。朱音の様子にただ事ではない事を感じ、青威も急いで離れへと向った。

 平屋の小ぢんまりとした家屋であった。

 玄関の閉じられた扉の向こうから、猫の鳴き声が聞こえてきている。

「兄貴! 兄貴!」

 朱音が扉を叩きながら、そう叫ぶが、何の応答も無かった。

 さすがの青威も、胸騒ぎを憶え、昼間の涼香のタロット占いの死神が、頭の中を過ぎる。

「朱音ちゃん、合鍵は?」

「ここは、兄貴が持ってる鍵しかないの」

 朱音の言葉に、青威は舌打ちをし、周りを見渡して入れそうな場所が無いかを探す。

 家屋の横に窓を見つけ、咄嗟に青威は着ていたワイシャツを脱いで、右手に巻きつけると、自分の中に気合を入れ、窓硝子を叩き割った。

 硝子の破片が飛び散り、青威の頬をかすめて飛んでいく。

「朱音ちゃん、俺、此処から入って、今鍵開けるから待ってて」

 青威はそう言うと、自分の胸辺りにある、窓枠に手をかけ、軽々と建物の中へと入り込んだ。


「紫龍! 紫龍!?」

 青威はそう言いながら、壁に手を当て真っ暗な廊下を通り玄関に辿り着く。壁にあったスイッチを入れると、点滅しながら蛍光灯の青白い光が点いた。

 光の中に紫龍が青白い顔で、うつ伏せに倒れており、傍らには緑色の瞳をした黒猫が座っていた。

 青威はすぐに玄関の鍵をあける。朱音が勢いよく中に入ってきて、紫龍の髪の毛を掻き揚げ、顔色を見ながら、左腕の袖やズボンの裾を巻くり上げ様子を見て、安心したように大きく溜息をついた。

「……おめえら……うるせえよ」

 そんな中で、紫龍の不機嫌そうな声が響く。

 紫龍が倒れていた事も、朱音のとった行動も、青威には何が何だかさっぱりわからず、自分の中の痛々しい記憶だけが蘇えり、心臓を締めつけていた。

 紫龍はゆっくりと起き上がると、壁を背もたれにして天井を仰ぐ。

 蛍光灯のせいなのか、顔色がひどく悪いように見えた。

「……何がうるせえだよ……よ、呼んでも返事しねえし、もしかしたらって、誰だって思うだろう……どこまで俺を怒らせたら気がすむんだ!」

 青威は震える声で、自分の中の記憶を吹き飛ばすかのように、紫龍を見つめて怒鳴る。

 紫龍は鼻で笑い、目を伏せながら口を開いた。

「だから、俺とお前の母親をダブらせるなって言ってるだろう!……泣いてんじゃねえよ。まったく、これだからガキは」

 紫龍の冷ややかな言葉に、青威は涙で濡れた紺碧の瞳を見開き、握り拳を振り上げる! だが、青威の拳が振り落とされるよりも早く、朱音の平手が紫龍の頬に飛んでいた。

「……兄貴……何で?」

 朱音は、大きな瞳から大粒の涙を流し、紫龍の傍らに座り込んだ。

「どうして、そんな酷い事……私だって心配したんだから……だって……だって……兄貴が死んだら……私、生きていけない」

 朱音はそう言うと、紫龍の濃紺の襟元を掴み上げ泣き崩れた。

 何なだよ……これ……

 青威の中に、一瞬、冷たい風が吹き込んでくる。

 紫龍は、自分の胸に体重を預けている朱音を、左腕で優しく抱きしめると、長い睫毛を伏せ、見たこともないような優しい表情を浮かべた。

 何者も入り込めない、雰囲気に包まれているような気がした。

 いったい、これは……何なんだ。

 青威の心は小さな亀裂が入ったように、微かな痛みを感じている。

 昼間、朱音の言った「な・い・しょ」という言葉が、頭の中でグルグル回っていた。

 

「ご、ごめん……。青威にもこんな姿、見られて恥ずかしいな」 

 朱音は涙を拭きながら、柔らかい笑顔を浮かべて、ペロッと可愛らしい舌を出し、おどけて見せる。

「べ、別に、女の涙は見慣れているから」

 青威は心の微かな痛みを隠しながら、そんな可愛らしい朱音から目が離せないでいた。

 紫龍はゆっくりと立ち上がると、何も言わずに廊下を歩いていき、黒猫は紫龍の足元に寄り添うようにその後をついていった。

 朱音もはにかんだ笑顔を青威に向けると、紫龍と黒猫の後を追うように廊下の向こうに消えていく。


 この光景、前にも見た事がある。

 

 青威は通夜の夜の事を思い出した。

 怒りと一緒に刻まれた記憶。

 あの時の母親の態度も、母親の立場を考えると、仕方がない事だったのであろう。

 紫龍が当主だという事を知った今、あの冷ややかな少年に頭を下げたのも、納得せざるをえない現実だったのかもしれない。

 冷ややかな瞳、あの頃と少しも変わらない。変わったのはあの身長の高さだけだな。

 青威はそう心の中で呟き、朱音の後を追った。

 朱音のすぐ後ろを歩いているにも関わらず、距離感が遠く感じている自分に気付き、青威は栗毛の髪の毛を掻き揚げ、淋しそうに微笑んでいた。


 必要な物以外はない様な、殺風景な部屋であった。

 イメージにピッタリと言うべきであろうか。

 紫龍は、襖の奥から黒いシャツを持ってくると、青威に投げつける。

「それでも着とけ」

 そう言いながら障子を開き、廊下を挟んで外側にある硝子戸を開けると、その場に座り込んだ。

 黒猫が紫龍に近付き、軽く飛ぶように膝の上へ上がると、安心したように丸くなる。

 あの通夜の夜、少年であった紫龍が抱いていた黒猫であった。

「ワタゲ……」

 猫の名前なのか、紫龍はそう言って、黒猫の緑色に輝く瞳を見つめながら、悲しみを含んだような微笑を浮かべる。

「朱音、母屋から救急箱を持って来い。青威の治療をしてやれ」

 紫龍はワタゲと呼ばれた黒猫を優しく撫でながら、朱音にそう言い、朱音は青威の傷に今更ながらに気付き、慌てた様子で部屋を出て行った。

 すぐに気付いて貰えなかった事に、青威は淋しさを感じ、黒のシャツを着ながら、深い溜息をつく。

「告白する前にふられたか? 無様だな」

 紫龍は、冷ややかな視線で青威を見つめ、無表情でそう言う。

 青威の中では、怒りが沸々と湧き上がっていたが、それとは別に自分でも理由のわからない悲しみが心を覆い、怒りを掻き消して行くのを感じていた。

「……いけすかねえヤツだよ。お前は」

「嫌われるなんて、光栄だな」

「そうかよ……これからもずっと嫌ってやるよ」

 青威はそう言いながら、突き刺すような視線で紫龍を睨む、紫龍は動じる事なく、無表情のまま青威を見つめ、ゆっくりと目を伏せた。

「お前はそのままでいろ」

 俯いた紫龍の口から、微かに漏れ出した言葉に、青威は通夜の時にも同じ事を言われた事を思い出していた。


 廊下を走る音が聞こえてくる。

 青威は咄嗟に紫龍から目を逸らし、何事も無かったように装った。自分でもどうしてそうしたのか、わからなかったが、朱音に見られたくないと咄嗟に体が反応していたのだった。

 朱音は救急箱を持ってくると、青威の傍らに置き、頬にある傷の手当を始める。

 青威の視界に、朱音の長い睫毛が揺れ、可愛らしい唇が見えた。風に揺れる黒髪からは、フローラルの香りがしていた。

 何なんだかなあ、まったく調子が狂う。

 青威は顔が熱くなるのを感じ、胸がキュンと痛んだ。


 紫龍はそんな二人の様子を、ワタゲを撫でながら、微かに揺れる瞳で見つめる。

 月の光の中、紫龍の青白い肌が透き通るほど美しく見えていた。

第一章、「青威が行く!」 終了したしました。

ここまで読んでくださった方に感謝いたします。


皆さんは、噂話って信用するほうですか?


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