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        〜ストーカー〜

 いつもの林とは雰囲気が違っていた。

 学校裏にある林の入り口に紫龍は立ち、林の奥の方を鋭い視線で見つめていた。

 迫りくるような威圧的な空気が漂っている。紫龍は大きく深呼吸をして歩き出した。

 キラキラと光る木漏れ日の中を歩き始めるが、少しも明るさを感じない。

 重く暗い雰囲気が林の中に立ち込めていた。

 紫龍はゆっくりとした足取りで林の中へと入って行く。

「鬱陶しい……いつの間に、こんな気が充満しだしたんだ」

 そう微かに呟き、青威がこの学校に来て間もない頃行われた、肝試しの事を思い出していた。

 あの後、悪い気を一掃し、また新たに結界を張りなおしていたはずだった。だが、その努力も虚しく、またもや肌に刺さるような刺々しい気が林の中には漂っている。

 紫龍は林の中にある祠の前まで来ると、足を止め舌打ちをした。

「うかつだった」

 そう呟いた紫龍の前には、扉が開かれた祠が存在し、結界が破れている。

 こんな事ができるのは、生身の人間、しかもそれなりの力を持った者でなければできる事ではないはずだった。

 紫龍の表情が一瞬強張り、右横にある茂みを睨むように見つめる。

 茂みが音を立て微かに揺れ、その揺れは徐々に大きくなり、紫龍は身構え緊張を張り巡らせた。

「凪君」

 茂みからそう声がして現れたのは、黒髪を両端で結び、月詠つきよみ学園の制服来た少女、その少女を見て、紫龍は眉間にしわを寄せ、唐突に不機嫌な表情を浮かべる。

「お前は……あの時の……根元安子」

 紫龍が、そう名前を口にすると、根元は嬉しそうにはにかんだ笑みを零した。

 根元安子、青威が学園に来た初日に自殺騒動を巻き起こした少女である。

「此処を開けたのはお前か?」

 紫龍の刺々しい口調に、根元はほんの少し怯えたように目を伏せると、口を閉ざした。

「どういう事だ? お前みたいなヤツに開けられるわけがない、誰の差し金だ?」

 紫龍の冷たい言葉に、根元は両手を握り、今にも泣きそうな表情で紫龍を見つめる。

「どうして……どうしてよ……そんな目で私を見るの? だって、凪君、私を助けてくれたじゃない、それなのにどうして」

 根元は零れだした涙を拭いながら、苦しそうな涙声でそう紫龍に訴えたが、紫龍はそんな根元の姿を淡々と冷ややかに見つめているだけだった。

「思い込みもたいがいにしろ、俺はお前を助けたつもりはない、あれはお前自身が生きる事を選択しただけだ。俺がどうのって事じゃねえ、勘違いするな」

「だけど、あの時、凪君が体を張って言ってくれたから……だから、死なずに済んだのは確かだから……だから、だから、私は……」

「はっきり言うぞ、俺は自分の感情で身勝手な動きをするヤツが大嫌いだ、お前は朱音に何をした?」

 紫龍の突き刺すような言葉が、根元に向け放たれる。何か思い当たる節があるのか、根元は目を見開き、紫龍を見つめたまま動かなくなる。

「朱音を突き落としたのは、お前だな」

 紫龍はゆっくりと静かな口調で、そう聞いた。

「……な、何の事」

 根元の瞳が恐怖に揺れ、手が小刻みに震えだす。

「朱音の体に微かに残っていた気は、お前と同じ匂いがした。他のヤツはごまかせても、俺をごまかす事はできねえよ」

 紫龍の口調は激しくはなかった、だがその淡々とした雰囲気の中に含まれる冷ややかさは、相手をねじ伏せるだけの威力を秘めていた。

 根元の瞳は震え、立っていれるだけの気力を失ったのか、力なくその場に座り込むと、顔を手で覆い泣き始める。

「何が駄目だって言うの? 凪君を幸せにできるのは私だけだもの、凪朱音だろうが、月島未来であろうが、凪君を幸せにできるわけが無いのよ。私はずっとずっと凪君を見てきたんだから、誰よりも沢山思ってるんだから」

 根元が体を小刻みに震わせながら言った言葉には、歪んでしまった愛情と苛立ちが含まれているようだった。

「月島未来だと……未来に何をした?」

 紫龍はほんの少し動揺を見せる。そんな紫龍の口調に反応するように、根元はゆっくりと顔を挙げ、紫龍を真っ直ぐに見つめる。その表情は泣き顔ではあったが、欲しかったオモチャを目の前にしたような子供っぽい表情に浮かべていた。

「……花を送ったわ、ファンレター付きの……凪君、貴方をあの女から守るためにした事よ、なぜわかってくれないの?」

「花? まさか……あのカミソリが仕込まれていたっていう、あの手紙か?」 

 紫龍の表情が、いつもの冷静な表情ではなく、感情的な表情になっている事に、根元は優越感に近い感情を抱いたのか、愉快そうに微笑み、ゆっくりと立ち上がった。

 笑みを浮かべたまま根元は、紫龍に向って歩いていく。

 さっきまでの弱々しい根元とは、雰囲気が違っていた。

「だって、教えてくれたんだもの、ここを開ければ、凪君はかならず此処にくるって、そして私の物になるって!」

 根元はそう叫びながら、地面を蹴り、いきなり紫龍に抱きつくように、押し倒した。

「大好きなの……私……愛してるのよ、凪君には私が必要なの」

 根元の熱を帯びた言葉が、紫龍の耳に入って来る。紫龍はその言葉を冷たい表情で淡々と聞き、木々の間から零れ落ちる日の光をただ見つめていた。

 紫龍はゆっくりと目を閉じると、静かに話し出す。

「お前、俺のために死ねるか?」

 唐突な言葉に、根元は一瞬ピクリと体を反応させるが、すぐにまた強く紫龍の体を抱きながら口を開く。

「凪君のためなら死ねるわ……」

 根元の言葉に、紫龍は軽く鼻で笑った。

「黒龍、だそうだ、ありがたかく頂け」

 紫龍が何の感情も見せない口調でそう言うと、紫龍の体から黒龍が現れる。根元は驚きのあまり、咄嗟に紫龍の体から離れると、眼の前で起こった事が把握し切れていないのか、怯えた表情で尻餅を付いたまま黒龍を見ていた。

 黒龍は冷ややかな笑みを浮かべると、根元に近付きその白く長い指で根元の頬を触る。まるでそれは品定めをしているかのようだった。

 恐ろしさのあまり、黒龍から目が離せない根元は、歯が小刻みにぶつかる音がするほど震え、瞬きする事も忘れてしまったかのようだった。

 黒龍は根元の瞳を射抜くように見つめ、ニヤリと口元を歪ませた。

「……出て来いよ」

 微かに空気を揺らして、黒龍の低い声が響く。

 根元本人ではなく、根元の奥に潜んでいる何かに対して言っているよう聞えた。

 根元が浮かべる表情は根元自身のものではなく、恐怖と狂気が入り混じった動物的な表情だった。

 黒龍は根元の髪の毛を鷲掴みにすると、人差し指を立てた。途端に爪が鋭く伸び血の色と化す。黒龍は躊躇する事無く、鋭く伸びた爪を根元の首元に突きつけた。

「……い……や」

 恐怖の苦しさの中、やっとの思いで根元が絞り出した言葉だった。

 根元の言葉に、紫龍は鼻で笑い、蔑んだ瞳で根元を見つめる。

「俺のために死ねる……か」

 紫龍は微かにそう呟いた。

 根元を見つめていた黒龍の瞳が赤く光り輝く、それはこの世に存在するどの光りとも違うような気がした。

 根元の体が力なく崩れ、目を見開いたまま小刻みに震えだす。何かが根元の体から出ようとしているようだった。

「来るぞ」

 紫龍のその声に反応するように、根元の体から黒い霧のような影が現れる。それは形を持たない何かだった。

 根元の体から放れた影は、俊敏な動きで枝葉を突っ切るように空へと飛んでいく。黒龍はすぐに凄まじい稲光と化し、それを追いかけたのだった。

 林にはまだ重苦しい空気が漂い、紫龍以外の者の気の匂いがしている。

「……出て来いよ」

 紫龍は茂みの中に何かの気配を感じたのか、そういい睨み付けた。

 茂みの中からは愉快そうに笑う、甲高い女性の声が聞こえ、その声と共に現れたのは、あの怪力女、青威に春奈と名のった女であった。

 紫龍はその姿を目にして、眉間にしわを寄せる。春奈の姿にではなく、その後ろにある影に対して、いつになく緊迫感を纏い睨みつけていた。

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