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        〜足音なき影〜

 うだるような夏の日差しが容赦なく校舎の中にも差し込んでいた。

 窓は全開であったが、生ぬるい風が吹き込んでくるだけで少しも涼しさを感じない。

 もう昼近くにもなろうとしているのに、青威の隣の席は空いたままで、そこには紫龍の姿は無かった。

 青威は授業が退屈なのか、机の上にうな垂れ眠そうに窓から見える景色をなんとなく見つめ、太陽の光りに手をかざし、登校した時に朱音と手を繋いだ方の手をまじまじ見つめていた。

 栗色の髪の毛を揺らしながら生ぬるい風が通りすぎていく。

 咄嗟に握った手、もう失いたくないと強く思ったのは、朱音に対しての気持ちからなのか、それとも過去の幻影から逃げるためか……

 青威は自分の中の本当の真実を把握しきれずにいた。

 朱音の存在を自分の物にしたいとは思わない、ただ失いたくない。元気で過ごしてくれれば自分の傍にいなくてもいい……青威はそう思っていた……いやそう思わせようとしていただけかもしれない。

「……ん?」

 青威は何かに反応し、うな垂れていた体制を起き上がらせると窓から入って来る風に神経を張り巡らせた。

「……やっと来たのか」

 そう呟いて、微かに微笑むと黒板の前に後ろ向きに立っている望月を見つめる。

 この学校に転校してきて、2ヶ月と少し、この短い期間で自分を取り巻く環境、そして自分の心の動きが大きく変わったような気がしていた。

 未だに朱音以外の凪家の人間を好いてはいないが、少なからずとも紫龍に関しては、理解しつつあるし、自分が置かれた受け入れがたい立場も朱音の存在を守るためという目的のために、無理矢理だが受け入れようとしていた。

 青威は頭に手をあて顔を伏せると、静かに息を吐き出す。

 母さん、あの日俺に言ったよな、アオはアオの思った通りに生きろと……

 今俺は、母さんの望んでいない方向に向おうとしているのかもしれないな……

 守りたい存在ができたら、強くなれるだろうか……

 青威はそんな事を考えながら、また机の上にうな垂れたのだった。


 うだるような暑さの中で、保健室には比較的涼しい風が吹き込んでいた。

 中では露原が長い髪を揺らしながら鏡に向って化粧直しをしている。

「まったく、こうも暑いと化粧が崩れて困るわ」 

 露原はそう言いながら、鏡に映る自分を見つめていた。

 風が吹き抜ける音に混じって、微かに廊下を歩いて来る足音が聞こえてくる。

 露原は慌てて鏡と化粧道具を引き出しの中へとしまい込んだ。

 保健室のドアが開き、姿を現したのは紫龍であった。

「あら、また重役出勤?」

 露原が艶やかな声でそう言いながら紫龍を見つめる。

 なんとなくだが、紫龍の顔色が良くない様に見えた。

「まあ、座りなさいよ」

 露原にそういわれた紫龍は何も言わずに、露原の眼の前に置いてる椅子に座り、机に左肘をつくとの顔を支えるように頬杖を付いた。

 露原の表情が途端に険しくなり、鍵の付いた引き出しから白い小さな袋取り出すと、紫龍の右手の掌に握らせ、コップに水を入れ机の上に置いた。

 紫龍は袋の中から3種類の薬を出すとそれを全部口の中に入れ、用意されていた水とともに一気に胃の中へと流し込み、微かに笑った。

 ポケットの中から煙草を取り出し一本咥え火をつける。

「忙しそうね」

 露原は紫龍の様子を伺うようにそう話しかけた。

「何が?」

 煙草の煙を吐き出しながら、冷たい口調で紫龍はそう言って目を伏せる。

「さっきニュースで東京湾に男の死体が上がったて、名前は神楽洋介、芹沢女史の弁護士をしていた男よね?」

「だから?」

「別に、ただそんなニュースがテレビでやってただけよ。あまり体を酷使しないようにね」

「俺は酷使してるつもりはねえよ」

「そう? 私にはそうは見えないけど、守るべきものが変わったのかしら? 少し表情が柔らかくなったわね。その人の存在を大事にするあまりに、酷使してる事に気付かないんじゃないのかしら?」

「俺に大事な存在がいると?」

「いるじゃない、最愛の朱音ちゃん……」

 露原はそう言って、後に続く言葉を聞えないほどの小さな声で囁く。

「青威君に……月島未来かな」

 露原の言葉に、紫龍は否定せずただ窓から見える景色を静かに眺め、煙草を吸っていた。

「あら、否定しないのね?」

 露原は冷ややかさを含んだ穏かな紫龍の表情を見て、紫龍の中で何かが変わったのだろうという事をなんとなく把握した。

 紫龍は静かに立ち上がると、窓際に向かい校舎の脇に立っている大きな桜の樹を見つめ、低く耳障りのいい声で言葉を紡ぐ。

「……桜の花か……見れるかな」

 保健室の中に微かな声が響き渡る。淋しげで悲しい響きを持っていた。

 机の上に置かれていた露原の手がかたく握られ、長い黒髪が微かに揺れる。

 紫龍の言葉が何を意味しているのか、露原にはわかっていた……来年の春まで生きていられるのか? そんな問いを含んだ言葉、いや、問いではなく願望に近いのかもしれない、露原はそう心の中で思っていた。

 開け放たれた窓からは、生暖かい風が吹き込んできて、二人の髪の毛を撫でるように吹き抜けていく。

 微かに木々から放たれる緑の香りを含んでいた。


 授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。

 朱音は隣のA組教室へ行くため、急いで席を立つと教室のドアを開いた。そこには朱音を待っていたかのように、青威が穏かな笑顔を浮かべて立っていた。

「紫龍が登校してきたみたいだ、たぶん保健室だろう」

 青威の言葉に反応して、朱音はすぐに保健室へと走り出す。廊下の生暖かい空気を裂くように階段へと向った。

 青威はそんな朱音の後姿を見ながら少し悲しそうに微笑んで、ゆっくりと歩きながら朱音の後を追う。

 朱音が廊下を曲がり青威の視界から消え、階段にさしかかったであろうその時、空気を劈くような朱音の悲鳴と何かが落ちる鈍い音が響き渡った。

 青威は心臓に激しい痛みにも似た鼓動を感じ、言葉を発するよりも先に走り出していた。

 廊下を曲がり校舎の端にある階段を見下ろした時、青威は目を見開き息を呑む。

 階段の踊り場には、眉間にしわを寄せ倒れ込んでいる朱音の姿があったのだ。

「朱音ちゃん! どうしたんだ!?」

 青威は階段を半分も降りないうちに、踊り場まで飛び降り目を閉じている朱音を抱き起こす。

「……誰かに押された」

 呻き声のような声で朱音はそう言って、足首を押さえ必死に痛みを堪えているようだった。

「誰かって……誰だよ?」

 青威はそう自分に問うように呟き、辺り見渡すが、それらしい人影はもう無く、悲鳴を聞きつけ教師や生徒達が集まってきていた。

 

 いったい、誰が!?

 

 青威はそう強く思いながら唇をかみしめたのだった。



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