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         〜チキンな恋〜

 あまりの衝撃に言葉が出てこない。

 青威は眉を上げ、紺碧の瞳を見開き、紫龍の瞳を射抜くように見つめた。

「ククク、おもしれえ、お前って単純」

 青威の少し怒りを含んだ驚愕の表情をあざ笑うかのように、笑い声を混ぜながら紫龍はそういい、目を伏せ地面を見る。その視線の先に紫龍が何を見ているかなど、青威にはわからなかった。

「お前、まさか、嘘なのか?」

 青威の表情は驚愕から一気に怒りへと変わり、紫龍の襟元を掴み自分の方へと引き寄せる。瞳は紫龍の底知れない深さを持つ瞳の奥を睨みつけていた。

「お前は単純でいいな、羨ましいよ」

 紫龍は漆黒の髪の毛を揺らして、冷めた瞳で青威に向ってそう言った。そんな事を言われて青威が黙ってられる分けもなく、一気に込み上げた怒りは拳になって紫龍を襲う。

 紫龍は自分にむかって振り下ろされる拳を寸前で受け止め握り締めた。

「紫龍……お前、熱があるのか?」

 青威にそう言われ、紫龍は咄嗟に青威の手を放し、唇を噛み締める。青威は紫龍が怪我をしていた肩に触れる、すると、紫龍は青威を睨むように見つめて口をゆっくりと開いた。

「俺に触るな」

 地を這うような、大地が微かに震動するような声だった。

 青威はその声に、今までの紫龍にない雰囲気を感じ、肩から手を放し紫龍の顔を覗き込む。明らかにあの時、爆発事故の時とは雰囲気が違っていた。

 何かがあったに違いない。

 「人殺しをした」と紫龍は言った。紫龍にかかればそんな事はきっと容易い事だろう。現実にないとは言い切れない。

 自分の気持ちや行動に対してあまり語らない紫龍である。青威がそう疑心暗鬼になるのも仕方がない事だっただろう。

「お前、本当に人殺しを? 力を使ってやったのか?」

 青威の口から思わず漏れた言葉であった。そうであって欲しくない。そんな願いにも似た気持ちが含まれた言葉だった。

「……フン、俺はお前が思ってる以上に臆病な人間だよ」

 紫龍はそう言いながら、月のない夜空を見上げる。不意に紫龍がバランスを崩し倒れそうになる。

「紫龍!」

 青威は咄嗟に紫龍の体を支え、転ぶように芝生の上に尻餅をついた。触っているだけで熱が伝わってくる。熱の正体はわからないが、紫龍のやつれた表情と体から発する熱を感じ、確実に紫龍の死期が迫っている事を実感していしまう自分自身を青威は必死に振り払っていた。

 自分を臆病だといった紫龍の真意を知る事は難しい事だった。青威は煮え切らない思いを噛み締めて、心の中に閉じ込めてしまう。

 此処で紫龍に問いただした所で、本音を聞きだす事はできないだろうと判断したのだった。

「青威、なぜ空に月がないと思う?」

 紫龍は青威の腕の中で、力の無い優しい瞳をして夜空を見つめながらそう呟く。

「新月だからか?」

「違うな……ここが結界の中だから。結界の外では、ちゃんと月が出ている」

「結界!?……今までだって結界は張っていたんだろう、なにのなぜ今日に限って月が出ていないんだ」

「……そうだな」

 紫龍は溜息混じりにそう言いながら体を起こすと、倒れないように静かに立ちあがった。足元ではワタゲが心配そうな表情で紫龍を見つめ座っている。

 そんなワタゲを目にして紫龍の表情がほんの少し和らいだように見えた。

「兄貴!」

 そう可愛らしい声がして紫龍と青威が振り向くと、そこには黒髪を揺らし朱音が立っていた。青威は目を伏せ朱音から視線を逸らしてしまう。青威は自分自身に舌打ちをしていた。

 朱音が裸足で走ってきて紫龍に抱きついた。仄かに揺れる黒髪からフローラルの香りが漂い、紫龍を包み込む。

「何処に行ってたの、心配したんだから! どうしてちゃんと連絡くれないの……ほらまた熱だってあるじゃない。怪我だってちゃんと治ってないんでしょう!」

 朱音はまくし立てる様に、紫龍の体を力一杯に抱きしめて叫ぶように言った。

「悪かった」 

 紫龍はそう一言だけ言い、切なげに瞳を揺らすと朱音の黒髪を優しく撫でる。

「ちょっとした仕事が入ってな、ちょっと手間取っちまって、帰りが遅くなった」

「仕事って、何?」

 朱音はそう言って大きな黒い瞳で紫龍を見つめる。紫龍は優しい瞳をしてただ微笑むだけだった。口からは何も語られない。

 青威はそんな紫龍をだまって見つめいた。紫龍の方も青威が何を口にしたいのか、わかっているようだった。

「朱音、ちょっと青威と男同士で話がある。悪いがお前は部屋に戻っていてくれないか」

 優しい口調だったが、その裏側には相手に有無を言わせない強さを含んでいた。

 朱音は大きな瞳を揺らして紫龍を見つめ、そして青威へと視線を移すと、青威の紺碧の瞳を真っ直ぐに見つめて優しく微笑んだ。

 表情は笑みであったが、そこには痛々しい淋しさを感じた。そんな朱音の瞳に耐えられなかったのか、青威は静かに目を逸らしてしまう。力なく垂れ下がった手は震えながら握られていた。

 紫龍はそんな二人の姿を見て呆れたように溜息をつき背を向けると、離れの扉を開ける。開けられた隙間からワタゲが軽やかに入り、青威も静かに朱音に背を向けると離れへと入って行く。

 紫龍は離れへ足を踏み入れる瞬間、後ろを振り向いた。

 朱音は黒髪を風に揺らしながら、今にも泣きそうな顔で唇を噛み締め、真っ直ぐに紫龍の方を見ている。目を逸らす事無く青威の後姿を追っていたに違いない。

「朱音、早く母屋へ戻れ」

 紫龍は温かく優しい雰囲気を漂わせながらそう言うと、朱音は儚げに微笑み紫龍に背中を向け母屋へと戻っていく。黒髪を揺らす後姿が大人びて見えた。

 朱音が母屋へと戻るのを確認すると、紫龍は離れへと入り扉を閉めた。


 締め切ってせいか、部屋の中には熱気が充満していて圧迫感があり、呼吸がしずらかった。

 紫龍は縁側の硝子戸を開けると、いつもの場所に胡坐をかき、柱を背にしてもたれかかる。ワタゲはそれを待っていたかのように、紫龍の上へと飛び込むと胡坐の中でまるくなった。

「朱音と何かあったのか?」

 紫龍の突然の問いに青威は面食らったのか、少し驚いてから顔を伏せ動かなくなる。

「お前は正直だな」

 紫龍の相変わらずの嫌味な笑みを浮かべてワタゲを撫でる。

 表情は相変わらずであったが、取り巻く雰囲気や言動が少しやわらくなったような気がして、青威はそこに違和感を覚えた。

「紫龍、何があった?」

 青威は紫龍の言った「人を殺した」と言う言葉がどうしても気になり、そう聞かずにはいられなかった。

 紫龍はワタゲの黒い毛を撫でながら微かに笑みを浮かべる。青威の心を見透かし、自分対して疑惑を抱いて動揺している青威を見て楽しんでいるようだった。

「……未来と別れ様と思ってる」

 そう言った紫龍は、優しい雰囲気を漂わせる。弱く見えた。淋しそうに見えた。その言葉が本心とは違う事は青威にもすぐにわかった。

「それでいいのかよ」

「……ああ」

 紫龍の短い返事に青威は強い意思を感じていた。誰が何を言おうがそこには揺るがない紫龍の気持ちが存在している。

「今なら……お前が自分の大切している存在を遠ざけようとした理由が、わかるような気がする」 

 青威は自分に対して失笑しながらそう言う。そんな青威を見て紫龍は微かに笑った。

「笑わしてくれる。俺の気持ちがわかるって? お前はいつまでたってもあまちゃんだな、誰も他人の気持ちなんかわからねえんだよ。きれいごと言ってんじゃねえよ」

「確かに全てを理解してるのとは違うな。気持ちがわかるって言いながら、傷の舐め合いをしたいのかもしれない」

 紫龍の刺す様な視線を真っ直ぐに受けながら、青威はそう言って髪の毛を掻き揚げた。 

 外からボンヤリと差し込んでくる外灯の光りに照らされた青威の髪の毛は、優しい月の光のように輝いていた。

「朱音の気持ちを知って、怖くなったか? お前の母親みたいにいつか突然いなくなるんじゃなかって、また傷つくんじゃないかって、そう思ってるのか?」

「自分でもよくわからない……だけど、図星だな、たぶん……相変わらずのチキン野郎だよ」

 紫龍の淡々とした言葉に、青威は溜息混じりにそう言って栗色の髪の毛を掻き毟った。

「俺はお前だから朱音を任せようと思った。朱音自身もそれを望んでいるし、お前が来てから朱音は成長したよ。それまでは俺に頼って弱々しく危なかしかったが、強くなったよ、本当に」

「ちょ、ちょっと待てよ。何だそれ? ちょっと前までは俺が龍緋刀を扱える人間だからとかって嫌われようとしていたかと思えば、今度は朱音ちゃんをまかせたい。いったい何がどうしたんだ! すっかり変わっちまったな、何があったんだ」

 今まで言ってきた紫龍の言葉とは違い、そこには優しさが溢れ、しかも未来と別れると言う紫龍に対して、青威は嵐のよな胸騒ぎを感じていた。

「……空を見ろ、ぼんやりと月が現れ始めた……今の俺が作り出す結界では外からの悪意を防ぎきれない、俺の力が弱くなったのか、向こうの力が強いのか」

 紫龍の口から淡々と紡がれる言葉を青威は理解する事ができなかった、だがその言葉に導かれるように青威も空を見上げる。先ほどまで見えなかった月が見え始め、それは徐々に色を濃くしていく。

 青威の体には氷でなぞられたように寒気が走り、心の芯まで襲ってくるような重苦しい嫌な予感が生まれていた。

「青威、朱音を頼んだ」

 紫龍がそう言いながら立ち上がると、ワタゲは膝から飛び降り、茂みの中へと消えていってしまう。

 何かが来る! 青威はそう確信して、恐怖と言う名の予感を振り払いながら月を凝視した。

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