〜元気の銃弾〜
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……
冷や汗でパジャマが湿っぽくなっていた。
青威は額に手を当てると深呼吸をし、呼吸を整える。
夢見が悪かった、BLACK ROSEの爆破以来、母親が亡くなる時の夢を見るようになり、起きるとかならず母親が悲しい表情で青威の方を見つめている、そんな幻影が見えるようになっていた。
幻覚剤を撃たれたその日の夜から眠りが浅い日が続いていた。
「青威、入るわね」
障子越しに縁側に立つ朱音の影が映っていた。青威は枕元の時計を見て髪の毛を掻き揚げ深呼吸を一つする。時計の針はもうすでに七時を回っていた。
障子が空き、制服姿の朱音が姿を現した。
「今起きたの、体の調子はどう、まだ調子悪い?」
朱音の優しい声が響き、青威の顔のすぐ眼の前に覗き込んでくる朱音の瞳に、青威は目を逸らした。
心臓が大きな音を立て高鳴るのを感じていた。
「紫龍は?」
青威は話を逸らす。
朱音はその問いに少し悲しい表情を浮かべ、絨毯の上に座り込んだ。
「今日も帰ってない。月島さんに電話したら、元気にしてるって言うんだけど、この家に帰ってこないのは不自然よね……兄貴の事だもん、私達に弱みを見せたくないって思ってるんじゃないかな」
「かっこつけたがりだからな……まったく、心配ばっかりかけやがって」
そう言った青威の額に朱音は中指と親指を弾かせ、デコピンを食らわす。青威は片目を瞑って痛そうに額を押さえた。
「人の事言えないでしょう! 青威がいなくなって本当に心配したんだよ。まったく、この家に住む男達は世話がやける」
朱音はそう言うと可愛らしくニッコリと笑う。まるでそこだけが春の日差しに包まれているような温かい空気が漂っていた。
「ごめん……俺があんな軽はずみにな事したばっかりに」
そう言いかけた青威の口を塞ぐように、朱音は青威に唇に人差し指を当てる。
「それ以上はもう言わないの。私だって青威の事言えない。兄貴と青威のあの時に姿を見て、頭が真っ白になって、体が熱くなったと思ったら力が勝手に暴走して、気付いたら建物が消えていた……今でも思い出すと怖いんだから」
朱音はそう言いながら、肩を落とし俯いた。
「お互いできてないって言うか、まだまだって感じだな、悔しいけど紫龍にはかなわないって正直思ったよ」
青威は微かに微笑む。
「兄貴に勝つとか負けるとか関係ないよ。そのままの青威でいいんじゃないかな」
「朱音ちゃん」
青威の横で微笑む朱音の顔を青威は紺碧に瞳で見つめていた。体が熱くなり鼓動が早くなる。青威の朱音の頬に伸びていき白く柔らかい頬に触れる。
青威の心臓の音は益々大きくなっていた。
「俺にそんなに優しくするなよ」
「どうして?」
「……朱音ちゃんの事、傷つけちゃうかもしれない。朱音ちゃんが言ってくれた、傍にいてって言葉嬉しかった、だけどほら、俺って女癖悪いじゃん、だからさ……だから……」
朱音の頬に触れた青威の手を、包み込むように朱音は手を添え微笑んだ。
「私、青威に言われた言葉嬉しかった。自分に笑顔をくれたって言ってくれたでしょう? あの言葉はすごく嬉しくて、こんな私でも役にたつんだって思えた。それに青威は私が辛い時に一緒にいてくれた、だから私も青威の傍にいてあげたいの、駄目かな」
「だけど……」
「大丈夫だよ。青威が私の事をどう思ってるのかわからないけど、私の存在が特別じゃなくてもいい、ただ私が傍にいたいだけ」
朱音の言葉に、青威は一瞬言葉を言いそうになったが、寸前で飲み込んだ。その言葉に対する責任を持てる自身がまだなかったのだ。
青威は自分の不甲斐なさに溜息をつき顔を伏せる。
「どうしたの?」
「……なんだか、段々言う事が月島さんに似てきたなって思って」
「うん、そうかもしれない。私月島さん大好きだし、憧れるもん。綺麗で自分の意思をちゃんと持っていて、強くて優しい」
「確かに、あの紫龍がタジタジって感じだもんな」
青威は思い出し笑いをする。ムッツリ紫龍が顔を真っ赤にしたり、困った表情をする事が楽しくて仕方が無いらしい。
「腕の傷もだいぶよくなったし、後は心だけだね……じゃあ元気が出るようにおまじないしてあげる」
朱音はそう言って、立ち上がると青威に向って指で拳銃の真似をする。
「ズギューン!」
朱音はそう言って、拳銃を撃つ真似をして人差し指に息を吹きかけると、可愛らしくウィンクしてみせた。
青威は呆気に取られ、口をポカンと開けたまま動かない。
「私の元気の銃弾で、青威の心を撃ってみた」
朱音のそう言って、ニッコリと笑っていた。
青威は一瞬間を開けて、いきなり噴出して大笑いする。布団の上の倒れこんでのた打ち回っていた。
「そ、そんなに笑わなくても」
「だって、だってベッタベッタなんだもん。蕁麻疹でそう」
青威はそう言いながら、笑いすぎて出た涙を拭い朱音に輝く笑顔を投げかける。
「ありがとう。やっぱり朱音ちゃんは俺に笑顔をくれる女神だよ」
「それって褒めすぎ、あまり言葉に出しすぎるとその言葉自体が軽くなっちゃうよ」
「だから、紫龍が好きなの?」
青威の心にまだ引っかかっていた朱音の気持ち、それが無意識に言葉として漏れ出ていた。
そう言葉に出してしまった自分自身の臆病な気持ちに、腹立たしさを感じ、自己嫌悪に陥いった青威は顔を伏せ、自分を戒めるように唇を噛み締めた。
「兄貴の事は今でも大好きだよ、今だってもの凄く心配……だけどそれはきっと、青威がお母さんを思う気持ちと似てる」
朱音のその言葉に、青威はゆっくりと顔を上げる。朱音はそんな青威の瞳を真っ直ぐに見つめて言葉を続けた。
「ほら前に月島さんが言ってたでしょう、家族を思う気持ちと恋人を思う気持ちの境界線って難しいって、どっちが重いかなんてわからない。一つだけはっきりしてるのは、私は青威と一緒にいるのが楽しくて、安心できて、傍にいたい、いてあげたいって思ってる。それにやっぱりやきもちも妬くよ」
朱音はそう言うと青威に手を差し出した。
「その気持ちをどう判断するかは青威しだいだよ……さあさあ、朝ごはんが出来てるよ、一緒に食べよう」
朱音の言葉は素直に青威の心に届いた。
飾らず偽りのない言葉に、青威は子供じみてる自分が言った言葉を蔑むように笑い、朱音の手を取るとゆっくりと立ち上がった。
「朱音ちゃん、急に大人っぽくなったね」
「でしょう? やっぱり恋をすると変わるのかな」
そう言った朱音の頬は、白い肌に浮かぶようにほんのりと赤く染まり、艶やかな黒髪から覗く瞳は青威の瞳に入り込むように澄んでいた。
綺麗だった。
青威は一瞬朱音に見とれ、心臓の音が体を包むように大きく鳴っている事に、苦しさを感じた。
心の底から湧きあがって来る様な高揚感とともに、顔が熱くなり、自然と顔が緩み自然と笑顔がこぼれてくる感覚を感じ、急に照れくさくなり顔を伏せた。
「さ、さあ、ご飯ご飯」
青威は自分の今の顔を朱音に隠すように、朱音の前へ出ると縁側を歩き始める。
後ろをついてくる朱音の足音を聞きながら、心が沸き立つ感覚に快感を感じている青威がそこには存在していた。
ふと朱音の足音が止まる。それにつられて青威も足を止め後ろを向くと、朱音は門の方に目をやっていた。
門には一人の男が立っていて、男は門を入り玄関まで歩いていく。
「誰だろう?」
「警察の人よ」
朱音の言葉に、青威は驚く。そして頭を過ぎるのはこの間の爆発事件の事だった。
朱音は足早に青威を追い越すように、廊下を歩いて行きいつもの座敷へと入って行く。テーブルの上には料理が並んでおり、向かい側のいつもの場所には広和が座り、時雨の場所には時雨の姿は無かった。
青威がテーブルの前に座ると広和が目線を上げ、冷ややかな雰囲気を漂わせて口を開く。
「久しぶりだな。ったく、お前の行動のせいで警察沙汰になっちまったじゃなか、紫龍は紫龍で何処に雲隠れしたんだか姿を現さないし、これで俺の会社に損害が出たらどうしてくれるんだ!?」
広和はこの時とばかりに嫌味タップリにそう言う。さすがの青威もその事に関しては何も反論できないでいた。
青威は座布団から後ずさるように下りると、広和に向って深々と頭を下げる。
「広和さん、本当に申し訳ありませんでした。今回は俺のあさはかな考えで軽はずみ行動して、みんなに迷惑をかけた事反省しています」
「青威、そんな事しなくてもいいのよ。広和伯父様だって、いつも兄貴に迷惑かけては尻拭いしてもらっているんだから。こんな時だけさもさも弱みを握ったみたいに意気揚々として、大人気無いと思います」
「何だと!? あの店を吹っ飛ばしたのはお前の力だって言うじゃねえか、お前の責任だって大きいんだぞ、まったく兄妹して化け物だぜ」
広和はそう言って朱音を睨みつける。朱音は力なく目を伏せると膝の上で手を力一杯握り締めていた。そんな朱音の姿を青威は見て、ぎゅっと手を握り締める。
青威の頭の中に紫龍の言葉が響いていた。
「怒りを表に出さない強さも必要だ」
今ならその言葉の意味がわかるような気がしていた。
「今回、俺の行動で迷惑をかけたのは確かです。俺が弱かったばかりにこんな大事になってしまったんですから、ですが朱音ちゃんの事は違います。あの時あの場ではどうしようもなかったんです。だから、だから全部俺が悪いんです。申し訳ありませんでした」
青威は頭を畳に擦りつける様にして下げる。そんな必死に頭を下げてくる青威の態度に、広和も自分が言った言葉に気まずさを感じたのか、目を逸らし軽く舌打ちをし煙草を咥えた。
「まあ、凪家は警察沙汰になったとしてもたぶん大丈夫だろうよ。いま来てる刑事だって紫龍の馴染みの客だからな」
広和はそう言って煙草の煙を吐き出す。
朱音は青威の床の上で握られている手を優しく握り締め、青威はその手に朱音の気持ちを感じてゆっくりと顔を上げ、朱音の横顔を見ていた。
廊下を誰かが歩いていくる音がして、時雨が姿を現した。
「おお、青威体調はどうだ? 良くなったか?」
時雨の優しい言葉に青威は不気味さを感じていた。本当のこの老婆は何を考えているかわからない所がある。
時雨は朱音に視線を移すと柔らかい表情の中にも鋭さの感じる瞳で、朱音を見ていた。
「朱音、紫龍の居所を知ってるんだろう?」
「住所まではわかりません」
「紫龍には珍しく、ここの所出入りしていた女性がいたね。その女性の名前は?」
時雨の問いに、朱音は少し躊躇するが、時雨の威圧的な雰囲気に押されるように微かに口を開く。
「月島未来さんです」
その名前を聞いて、時雨は一瞬眉間にしわを寄せたように見えた。
「月島ね……だそうだ、草壁さん」
時雨がそう言って見つめた先には、先ほど門の所に立っていた、硬そうな真っ黒い短髪に何を考えているのかわからないよう細い目の男が立っていた。
刑事だと言わなければ、ヤクザに見えるような柄の悪さだった。
「時雨さん、ちゃんと飼い慣らさないと、飼い犬に噛まれちまいますよ。それじゃあ私はこれで」
男はそういい残すと意味ありげに笑みを浮かべて、その場を後にする。
そんな男の後姿を見ながら時雨は、鼻で笑い鋭い視線を投げかけていた。とても友好関係を築いてるようには見えない。
その場いるそれぞれが、その雰囲気を感じ取っていた。