スキャンダル 〜目覚め〜
「よくもまあ、飽きずに来るたびに喧嘩ができますね」
剣持は、眉間にしわを寄せ紫龍の容態を見ながら、後ろの二人に一喝する。
紫龍が倒れてから、もうそろそろ一週間が経とうとしていた。
今までも倒れる事はあったが、今回ほど重症ではなかった。とりあえず気休めでしかない治療をするしかなく、あとは本人の治癒力に頼る他なかった。
「お嬢さん、なぜコイツがここにいるんですか!」
「仕方ないだろう! 病院にいけば家の者にばれる。それを本人が拒んだんだから」
「だからって、女の一人住まいに男を入れるなんて、オヤジが聞いたら……どんなに嘆くか」
「毎日のようにうちに来て、そうやって愚痴るの止めてくれよ、うざったいから、それに私は紫龍と一緒にいれる事が嬉しいんだから」
「なんて事を……凪家のクソ坊主ですよ! こんなヤツは世の中のゴミです」
石崎はそう言って、咄嗟に口を噤んだ。未来の表情が一瞬にして曇り、目を伏せてしまったからだ。
「石崎、確かに月島組と凪家の間には、昔色々とあって確執があるよ。お前の言う通りゴミだって言われるような事をやってきたかもしれない。だけどそれは月島組だって同じさ、今でこそ堅気ですって、胸張って生きているが、昔は人殺しだの、薬だのって、物騒な話が沢山あったじゃないか」
「それはそうですが……」
「……誰かが、裏で汚れた物を掃除しなきゃいけないのさ」
未来はそう言って、儚げ笑みを石崎に投げかえると、長い黒髪を掻き揚げた。
石崎は、未来のその表情に何も言い返せず、唇と固く結ぶ。
「話は終わりましたか? よくも病人の横でそんな大声を張り上げて喧嘩ができるものですね」
剣持の冷ややかな口調には嫌味が込められているようだった。
未来のベッドに寝かされている紫龍の顔に、レースのカーテンから差し込んでくる薄い日差しが当たり、青白い顔色を際立たせている。
「熱はまだありますが、状態も落ち着いてるし、大丈夫ですよ」
紫龍の顔を覗き込んでいる未来を見つめ、剣持は社交辞令のような言葉を投げかけた。
未来はその言葉に、軽く笑いを吐き捨てると、剣持の方を見つめ口を開く。
「先生……何を心配してるんです? 紫龍が生きようが死のうが、私はどっちでもいい。紫龍がこの世にいた現実は何も変わらないんだから」
未来は黒髪越しに、鋭い視線で剣持を見つめるとそう言った。剣持は微かに微笑むと紫龍を見つめる。
「人の愛し方にも色々ありますが、紫龍君がなぜこの場所を選んだのか判るような気がしますよ」
剣持はそう言い、医療道具を鞄にしまい込むと静かに立ち上がった。
「それでは、私はこれで、もしも何か急変するような事があればすぐに呼んでください」
剣持はそう言うと、眼鏡を微かに上げ部屋を後にする。
一人の医者が一人の患者に対してここまでする姿を、未来は初めて見たような気がしていた。
それは紫龍が金と権力を持っているからなのか、それとも他に理由があるのか、どっちにしても未来にとってはありがたい申し出であった。
マンションの廊下に剣持の足跡が響く。エレベーターの扉が閉じようとしているのが目に入り、剣持は小走りに走ったが、乗る寸前で扉は閉じてしまい、ボタンを押したが間に合わなかった。
「……何だ、今の」
剣持はそう呟きながら、エレベーターの階を知らせる光りが下がっていくのを見ていた。
心の中に何かが引っかかっている。
扉が閉まる瞬間見えた男の姿、どこかで見た事があるような気がした。剣持は必死に記憶の意図を辿り思い出そうとする。
「あの帽子で隠した、顔に浮かべていた嫌な笑み……何処かで……ああ」
剣持は小さく声をあげ、持っていた鞄を床に落とすと、ポケットの中から携帯を取り出し、電話をかける。
かなり慌てているようだった。
テーブルの上で、携帯が小刻みに震えながら音楽を奏でる。
未来は携帯を取ると電話に出た。
「もしもし月島です……あれ、剣持先生、どうしたんです?……え!?……あ、はい、はい……ああ、いいんですよ。いずればれるとは思っていましたから。あまり深追いしないで下さい。こっちでなんとかします……はい、はい、ありがとうございました」
未来はそう言って電話を切り、深い溜息をつきながらベッドの傍らに置いてある椅子に座った。そんな未来を心配そうに見つめる石崎が横に立っていた。
「どうかしたんですか?」
「……ばれちゃったみたい。来週あたりには、ゴシップに載ると思うわ。月島未来、実はヤクザの孫だった!? とか、熱愛発覚!? って記事が」
未来はそう言って、携帯を力一杯握り締めた。
「お嬢さん、裏から手を回しそのネタ握り潰しましょう」
「何言ってるの……ああいう輩は力で押さえつけようとしたら、余計にタチが悪くなる」
「じゃあ、金で」
「それも却下、そんな事したら、その後もいいように言われて、根こそぎ吸い取られるのがオチよ。石崎、心配してくれてありがとう。でもね、これは私の問題……ヤクザの孫ってのはまあ外れてはいないし、紫龍の事だって紫龍さえいいって言うなら否定はしないつもり」
「ですが、そんな事をしたら、今の仕事に支障がでるんじゃ」
「かもね、でもさ、世の中の人たちが私の存在を求めてくれれば、しぶとく残れるだろうし、そうじゃなければ、それまでの人間だったってだけよ」
未来はそう言って、石崎に優しく微笑んだ。その笑顔は無理をしてるふうでもなく、自然と出てきた笑顔に見えた。
「……本当にそれでいいのか?」
弱々しい紫龍の声が聞こえ、未来は慌てたように紫龍の方に目をやった。紫龍は微かに目を開け、未来の方を見ている。
未来は紫龍の顔を覗き込んで、微かに笑うと口を開いた。
「いいのよ。私の取り巻く環境に対して、私は誇りを持ってる。世の中から見れば爪弾きみたいな人間かもしれないけど、私には温かい人達ばかりだから」
未来はそう言って、石崎を見ると、石崎は瞳を震わせ目頭を押さえ顔を伏せた。
そんな石崎を見ながら、未来は幸せそうな微笑を浮かべ、クスクスと笑っている。未来が一人いるだけで、その場の温度が少し上がるような気がした。
紫龍は自分の額に手をあて、微かに苦笑いを浮かべている。
自分で望んで未来のマンションに厄介になってしまった事、そして今、横にこうしている未来の存在に安らぎを感じている自分がいる。だがそれとは真逆に心の奥の方で、微かな恐怖を感じている臆病な自分がいるのもまた確かだった。
「ああ、そうだ、仕事行かなきゃ」
未来はそう言うと用意をはじめ、女とは思えぬほどのスピード技で、化粧を終らせるとバタバタを足音を立て、声をかける暇も与えないほど慌しく、部屋を出て行った。
ドアが閉まる音がして、出ていったと思った瞬間、またドアが開き、大きな声が聞こえくる。
「石崎、紫龍の事よろしくね。くれぐれもいじめないようにね」
未来はそれだけ言うと、ドアから手を放し、地下駐車場へと向かって行った。
部屋の中には、ベッドに寝ている紫龍と、少し離れた場所から冷ややかに紫龍の事を睨んでいる石崎だけになった。
気まずい空気が流れ、言葉を発する事さえ憚れるような雰囲気が漂っていた。
「あんた、お嬢さんの事どう思っているんだ?」
先に口を開いたのは石崎の方だった。眼光は鋭く、紫龍じゃなければ誰もが怯むような圧力を感じさせた。
「……どう思ってる、か……それを言う資格は俺にはない。俺は死んでいく人間だ、残されるだけしかないとわかっている人間に、死ぬまで一緒にいてくれとは言えないだろう」
「って事は、お前も一緒にいたいと思ってるんだな」
石崎は念を押すように紫龍に聞いたが、紫龍からは答えは返ってこなかった。
「なぜ、答えない。お嬢さんの事、まさか遊びとかって言うんじゃねえだろうな」
石崎の言葉に、紫龍は鼻で笑い目を逸らすと反対の方を見る。
「な、なんだよ、その態度は! それが目上に対しての態度か!?」
石崎は激しい口調でそう言うと、紫龍に近付いて行き、向こう側を向いている紫龍の顔を覗き込み、一瞬、言葉を飲み込んだ。
紫龍の表情は苦しそうだった。眉間にしわを寄せ目と口は堅く閉ざされ、何かを必死に押さえつけているようなそんな雰囲気を漂わせている。
「お前、自分の気持ちに嘘をついてるだろう……それは時として相手を不幸にするぞ」
石崎は紫龍に溜息混じりに言葉をかけた。
紫龍は布団を握り締め、顔を隠すように布団を引っ張り上げる。それを石崎は止め、紫龍の顔を真っ直ぐに見つめる。
「……あんた達みたいに、自分で選んでその場にいる人間達ばっかりじゃねえ、生まれた時から全てが決まっていて、そうならざるをえない状況があって、ただそれに従順に生きていくしなない人間もいる」
紫龍は氷のように冷たい瞳で、石崎を見つめてそう言った。
「もしも結果が決まっていたとしても、そこまで行き着くまでには色々な道がある。思い出を作るのも死んでいくヤツの役目だと思うがな……お嬢さんは言っていた、生き死には関係なくお前がこの世に存在していた事は確かだって……な」
石崎の視線から逃げるように、紫龍は静かに目を閉じると溜息を一つする。
「まったく……俺の傍にいたいなら勝手にすればいい」
「かわいくねえ、ガキ」
紫龍の言葉に石崎はそう呟き立ち上がり、腕を組んで溜息をつく。まるで聞き分けのない子供を見るような瞳で紫龍を見ていた。
紫龍は布団を引っ張り上げると、すっぽりと顔を隠し、今まで見た事のないような子供っぽい仕草を見せていた。