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        〜優しさ〜

「青威君、大丈夫?」

 薄暗い空間に未来の声が響く。青威は軒下の下水の中に、胃の中の物をゲーゲーと吐いていた。

 自分の眼の前で起こった現実と知った真実に対しての拒絶反応なのか、薬の副反応なのかはわからないが、とにかく胃のムカつきは、全てを吐いてもおさまる事はなく、背中を丸め苦しそうな音を響かせていた。

「ざまあねえな……軽はずみな行動をするから痛い目を見る。あんなヤツの挑発にのって、俺達に対して怒る事で、自分の弱さに目を瞑るからちゃんとしたものが見えなくなるんだよ」

 紫龍は薄暗い店と店の間の細い路地の壁に凭れかかり、煙草を吸いながら隙間から落ちてくる雨を見つめそう言った

「紫龍、いくらなんでも今そんな事を言わなくても、青威君だって十分わかってるわよ」

 青威の背中を摩りながら、未来は紫龍を見つめてそう言った。肩からは血が流れ、太ももの部分は真っ赤に染まっていた。

 表情はいつものように冷たい。そんな紫龍の腕の中にはしっかりと朱音が抱かれ、眠るように気を失っていた。


 あの時の光り、そしてあの店を吹っ飛ばした力、こんな可愛らしい顔をしている朱音の仕業だと誰が思うだろうか。

 目の前でそれを見た未来でさえ信じられないでいた。

「それで、あんたの方は体は大丈夫なの?」

「その質問は、大丈夫だって答えが欲しいのか?」

「なぜ、そうやって質問を質問で返すのよ」

「この状態を見て、大丈夫だって言ったら嘘に聞えるだろう……調子が悪いのはいつもの事だから……だが、こんなにボロボロなのは久しぶりだな」

 紫龍はそう言って、弱々しい笑みを浮かべる。

 朱音の閉じていた瞼がゆっくりと動き、紫龍の腕の中で動きながらゆっくりと目を開けた。

「大丈夫か?」

 紫龍は優しく朱音にそう聞く。朱音は静かに頷いた。

 朱音には優しく穏かな表情を浮かべる紫龍に、未来はほんの少しやきもちを妬いていた。

「兄貴教えて、本当の事」

 朱音はか細い声で、すぐ上にある紫龍の顔を見つめながら揺れる瞳そう聞く。

「何の事だ?」

「私の右の目の事……龍緋刀の事だけじゃないでしょう……さっき感じた感覚、前にも感じた事があるのよ。あの日、お父さんとお母さんが死んだあの日にも同じ感覚を感じた……もしかしたら、私のせいで……」

 朱音は何かに怯えるように、微かに震えていた。そんな朱音を優しく紫龍は抱きしめる。

「そんな事はない。あれはお前のせいじゃない。だから安心しろ……あの力はお前自身を守るためのものだ。だからあの時もお前は助かっただろう……それに俺も」

 紫龍はそう言うと朱音を放し、煙草を口に咥え煙を吐き出す。朱音は自分の頬が何かに濡れたのを感じ、手で拭い見るとそれは真っ赤な血だった。

「兄貴、その傷」

「俺は大丈夫だ、それよりも、問題はアイツだよ」

 紫龍の視線の先には青威の姿があった。朱音は青威の方を振り向くと、後ろ向きの状態で背中を丸め、力を入れて吐き気を必死に抑えている青威の姿があった。

「……青威」

 朱音はそう呟き、青威の背中に手を伸ばし優しく触れる。

 先ほどの姿からはかけ離れた朱音がそこにはいた。優しく慈愛に満ちた雰囲気を漂わせながら、青威の顔を覗き込んでいる。

「良かった、青威が無事で」

 そう言って手をかけた腕に二十センチほどの傷がある事を知り、その痛みを自分の物であるかのように、悲痛に瞳を揺らすと青威の体を包むように優しく抱きしめた。


 青威は心の中に温かい風が吹き込んでくるような気がしていた。

 自分を包むこんでくれる腕に懐かしい雰囲気を感じ、その腕に縋るように凭れかかると、静かに目を閉じる。耳元で微かに母親の声が聞こえたような気がした。

「青威……」

 青威はその声に誘われうように静かに目を開き顔を上げる。すると眼の前には大きな二重の黒い瞳が揺れ、悲しい影を宿していた。

「朱音ちゃん……」

「青威、心配したよ」

 朱音の声を聞き、青威は体を起こすと紫龍に視線を向ける。

「……紫龍、悪かったな」

 まだ青い顔をしながら、弱々しい声でそう言って、青威は頭を下げた。

「らしくねえな……この弱虫が! あの女の源氏名が春奈だったから、母親の面影を重ねたんだろう……そんな見え透いた手にまんまと引っかかりやがって」

 紫龍の冷ややかな言葉にも反論せず、青威はただ俯いていた。

「そんなお前はうざってえだけだ……まったく、お前と言いお前の母親といい、凪家に生まれながらにして、力もそこそこに持っていただろうに、あっけなくやられちまうんだからよ。おかげで俺にまで被害が及ぶ」

 紫龍はそう言うと、煙草を地面に押し付け消した。青威はゆっくりと顔を上げる。母親の事を言われて黙ってられる青威ではなかった。

 青威は紫龍に飛び掛ると、襟元を掴み握り拳を振り上げ思い切り頬を殴りつけた。

 今の今まで感じていた胃の気持ち悪さなど、どこかへ吹っ飛んでしまい、瞳には悲しいほどの怒りが満ちていた。

「それだけ元気があれば、もう大丈夫だな」

 紫龍は自分の襟を掴んでいる青威の手を払うと、切れた唇に手を当てながら、青威の顔を見つめて静かにそう言った。

 その言葉に青威は、紫龍の本当の気持ちを悟ったのか、目を見開き紫龍を真っ直ぐに見ていた。

「青威、怒りは時として悲しみを追い払い、生きていくための糧になる。だけどな、怒りの裏側には弱さも隠れている。怒りを表に出さないような強さも必要だぞ」

「お前は……お前は、本当にいけすかねえヤツだよ」

 青威は紫龍の言葉の意味をよく判っていた。図星を付かれ唇を噛み締める。

「ああ、わかってる」

 青威の言葉に、紫龍は淡々とそう言う。だが二人の間には今までにない雰囲気が漂っているように見えた。

 青威は胃の辺りを手で押さえながら、紫龍の顔を見つめゆっくりと立ち上がる。

「朱音、青威と先に帰れ、剣持に電話しておくから病院に寄っていけよ」

 紫龍は青威の瞳を真っ直ぐに見つめながら、朱音にそう言う。

「兄貴の怪我も酷いじゃない」

「俺は、ちょっと後始末をしなきゃならねえ事が残ってる。未来がいるから大丈夫だ。青威はお前に頼んだ」

 紫龍の言葉に、朱音は青威の顔を見つめる。青威もまた朱音の顔を見つめていた。

 青威は悲しみを混ぜたような笑みを浮かべると、背中に悲しみを感じさせながら、繁華街の大通りに向って足を進める。

 朱音は紫龍の様子を見て心配そうな顔をしていたが、未来の笑顔に促がされ青威の後を追って路地から大通りへと出た。

 遠くの方で、消防車とパトカーの赤い光りが見えている。

 朱音はそれを見て力なく肩を落とし悲しげに溜息をついた。その時、朱音の手を青威が握ってきた。

「ごめん」

 青威の言葉に朱音は一瞬驚いた表情を浮かべるが、すぐに柔らかく表情を緩め、握ってきた青威の手を両手で握り締めた。

「いてててて」

「あ! 大丈夫」

「こっちの手、怪我してる事すっかり忘れてた」

 青威ははそう言いながら苦笑いを浮かべ、朱音は少し腫れた右手を優しく撫でながら、切なそうに青威の顔を見つめる。

「俺ってホント弱虫、情けないわ……朱音ちゃんにまで辛い思いさせてごめんね」

「私はね……私は、青威が此処にいて隣を歩いてくれる、それだけでいい」

 朱音の言葉に引き寄せられるように、青威は優しくそして力強く朱音を抱きしめた。朱音の耳元では青威の心臓の音が心地良いリズムを刻んでいる。

 雨上がりの空には、雲の合間からせっかちな一番星が顔を出していた。


「二人は行ったか?」

「ええ」

「……そうか」

 溜息のような声を出したかと思うと、紫龍の体は壁に深く埋まるように凭れかかり、顔を伏せるとそのまま動かなくなる。

「紫龍?」

 未来は紫龍の変化に胸騒ぎを覚え、顔を覗き込む。元々色白の顔が余計に白く見え、心なしか唇の色も悪いように見えた。

「まったく、あんたはホント不器用なんだから……だから私が傍にいてあげる、優しい貴方の傍に」

 未来はそう言いながら紫龍を抱きしめる、紫龍の体から熱を感じ、心臓が生きている事を必死に主張するように高鳴っているのが、未来の体にも伝わってきていた。

 未来は素早く携帯で電話をする。

「もしもし石崎?……私よ、すぐに迎に来て欲しいの……そう、今日言ってた所、え!? ニュース……ああ、そんな事どうでもいいわ! 早く来なさい! 場所は……ほら前にオヤジの馴染みの店があった場所……そう、じゃあよろしく」

 未来はそう言うと電話を切り、紫龍を力強く抱きしめた。

「……あんたはまだ死なない」

 未来は自分に言い聞かせたのか、紫龍に言ったのか、そんな言葉を呟くと、紫龍の漆黒の髪の毛に愛おしそうに優しく口づけをする。

 屋根に溜まった雨が雫となって落ち音を奏でる。トタンに弾ける音は悲しげで淋しい雰囲気を漂わせていた。

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