〜影の顔〜
校舎の真ん中についている大きな時計の針が五時少し過ぎを差していた。
この時間にもなると、生徒も疎らでグランドでクラブ活動をしている声が微かに響いてるのが聞えるだけだった。
朱音は人気のない学校を出ると校門に向う。
「兄貴からは連絡は来ないし、青威、どうしたかな」
朱音の表情は暗く、足取りも重かった。今日は横に青威が居ない、いつもはなんとなく過ぎていく時間が、妙に愛おしく感じている朱音がいた。
心の中を不安と心配が過ぎるのか、朱音の瞳は揺れている。
「凪朱音さんですよね?」
朱音が校門の前まで来ると、リーゼント頭に眉毛の薄い柄の悪い男が声を掛けて来た。
朱音は警戒して身構え、二、三歩後ずさる。
「俺、月島未来さんに頼まれて、あんたを迎えに来たんです」
「月島さん?」
男が出した名前に朱音は少し安心したような表情を見せる。
「青威君を見つけたから、早く来て欲しいそうなんですよ」
男はその顔には不似合いは笑顔浮かべそう言う。眼の前の男にはまだ警戒心は持っていたが、青威が見つかったという喜びに、持っていた警戒心はどこかへ隠れてしまっていた。
朱音は男からメットを受け取るとバイクに跨り、メットをかぶる。頭の中は青威の事で一杯で他の事を考える余裕が無かった。
男は微かに嫌な笑みを浮かべるとバイクのエンジンを掛け、音を響かせながら発進させる。 バイクは小雨の中を疾走していった。
小降りになった雨の中を赤い車が走り込んで来る。
クラブやスナックが立ち並ぶ繁華街は、徐々にだが人の気配を漂わせていき、賑わいを見せ始めていた。
赤い車が止まり、窓が開いていく。顔を出したのは未来だった。
未来は上の方を見上げ手を上げると微かに微笑む。視線の先には紫龍の無表情な顔があった。
紫龍はコンビニの上にあるファーストフードの店の窓際の一番奥に座り、軽く窓の寄りかかるようにして左手には煙草を持っていた。
紫龍には不似合いな雰囲気の中にいるせいなのか、姿が浮き上がって見えている。
窓からはBLACK ROSEの看板が見え、紫龍の視線はその看板を凝視していた。
「お待たせ、待たせて悪かったわね」
「別に、お前が来る必要は無かった」
未来は相変わらず言葉の少ない紫龍を呆れ顔で見ながら向かい側に座る。
周りにいた客は学生が多かった。やはり未来は目立つ存在らしく、ザワザワとにわかに騒ぎ出す声が聞こえる。
周りの雰囲気に紫龍の表情が硬くなり、手に持っていた煙草を灰皿に押し潰した。
「車、ありがとう。凪家に車を取りに行ったら、雪絵さんが紫龍の事を心配してたわよ。怪我をしてるのに病院から消えたって」
未来は紫龍の顔を覗き込みながらそう言い、何の反応も見せず外の店を見つめる紫龍に対して溜息をついた。
「それで、さっきメールで送った写真の女、そんなにヤバイヤツなの? 私は初めて見る顔だったけど」
「……殺し屋……まさかこんなすぐ近くにいるとは思わなかった」
紫龍はそう呟き、自分の首元を触る。未来は紫龍の首に内出血の痕を見つけ怪訝な表情浮かばべた。その時だ、紫龍の瞳に緊張が走り、今視界に入った物に釘付けになる。
この辺を縄張りとしている赤崎組のヤツがBLACK ROSEに入っていたのだ。
紫龍は無言のまま立ち上がると、一瞬動きを止めた。太ももの傷が激しく痛み、声を上げそうになるのを必死に堪え、顔を顰めて太ももを押さえている。
「大丈夫?」
そう言った未来の表情はなぜか楽しそうだった。
「そんなに楽しいか?」
「あら、心配して欲しかった? その辺の女と一緒にしないでね」
未来はそう言いながら、紫龍と腕を持ち上げるように組むと店を後にする、モデルの月島未来と、モデルなみの長身の男が腕を組んで歩いているいるのだ、目立たないわけが無かった。
未来は慣れているのだろうが、紫龍は周りの視線が自分に向けられている事に、痛みにも似た感覚を覚え、不機嫌そうな表情浮かべている。
そんな雰囲気の中を通り過ぎ、二人はコンクリートが剥き出しになった出入り口から、斜め向いあるBLACK ROSEの店を眺めていた。
「それで、どうするの?」
「お前の役目は此処まで、あとは俺一人でやる」
「何言ってるの? そんな怪我していて、まともに渡り合える相手じゃないのは、一番あんたがわかってる事でしょう?」
「何だ? 心配してくれるのか」
紫龍の言葉に、未来は言葉を飲み込み、溜息をつくと顔を伏せ紫龍から手を離した。
「仕方が無いなあ、じゃあ、私は此処で待ってるわ」
未来の言葉に紫龍は冷ややかに笑みを浮かべると、小降りになった雨の中を歩きBLACK ROSEの店に向う。
まったく、本当にやっかいなヤツだわ……未来はそう思いながら、右足を引きずりながら離れていく紫龍の後ろ姿を静かに見つめていた。
「青威君!」
すでに青威目的の客が店を訪れていた。
青威の噂を昨日のおばさん三人組みが広めたらしく、年齢層は幅広い女性客が今日は多かった。
青威が可愛らしい笑顔を浮かべると、それだけで黄色い声が上がる。青威自身もまんざらでもないような顔をしていた。
夕方過ぎになってくると、徐々に客層も変わり、男の客が増えてきていた。これは春奈目的の客であろう。
ボックス席の片隅で、春奈と男の客がコソコソ話をしている。
青威はなぜかそれが気になって仕方がなかった。やきもちとは何か違うが、あまり気持ちのいい感覚ではなかった。
春奈はそんな青威に気付くと、青威に近付いてきて、店内の裏側にある小部屋へと青威を連れて行く。今までの春奈の雰囲気とは少し違って見えた。
「何やきもちやいてるの」
「え!? いや、やきもちなんて」
春奈のいつもにも増して妖艶な雰囲気に、押されるように壁に追い込まれ、それ以上後ろに進む事ができない青威を見て、春奈は微笑んだ。
「本当に可愛いんだから」
そう言って、春奈の顔が青威の顔に近づいてくる。
「止めて貰えます」
青威の低く凛とした声が響き、春奈の顔が青威の顔に触れる寸前で止まった。春奈は目を伏せ青威の髪の毛を優しく撫で、ゆっくりと首元を撫でていく。
「つっ……」
青威は耳の下辺りの首に痛みを感じ、春奈の手を払い除け首を押さえた。
「何をするんです!」
「私、青威君の事好きよ……」
春奈の可愛らしい顔が、卑しく笑みを浮かべ、青威の知らない春奈の顔がそこにはあった。
「どういう……事だ」
青威は首を押さえたままその場に崩れるように座り込む。額には冷や汗が浮かび体の中で起こっている何かと必死に戦っているようだった。
「凪家が嫌いなんでしょう? だから私が手伝ってあげる……凪紫龍を殺させてあげる」
春奈はそう言うと栗毛の髪の毛を掴み上げ、空ろな目をしている青威の唇に自分の唇を重ねる。まるでそれは自分の所有物に対しての愛情表現のようだった。
「幻覚剤がそろそろきいてくるわね……この状態で凪紫龍を見た時どうなるのか楽しみだわ。貴方は利用しがいのある人形だった。可愛い私の青威」
春奈はそう言い、笑みを浮かべると青威の頬を優しく撫でる。
青威の瞳には自分の意思を感じず、人形のように壁に凭れかかっているだけだった。