〜怪力女〜
雨が激しく降っていた。
突然の雨に、道を行きかう人は鞄や手を頭にあて、走って過ぎ去っていく。
「何処に行ったんだ……」
紫龍は雨に打たれながら、青威の姿を探していていた。
学校とは反対方向に消えた。どこかでバスかタクシーにでも乗ったのか、姿を見つける事ができない。
繁華街近くを紫龍は歩いていた。
突然、紫龍の足が止まったかと思うと、立ち並ぶ店に凭れるように寄りかかり、その場にしゃがみ込んでしまった。
「……やべえ」
どうやら貧血を起こしてしまったらしい。
頭を急に高くしないようにゆっくりと立ち上がると、建物と建物の間の細い路地に入りる。人目のつかない場所で雨宿りをしようとしたのだ。
路地裏は日の光があまり入って来ないため、薄暗くなんとなく陰湿な雰囲気が漂っている。
ふと、紫龍は耳元で自分の名を呼ぶような声を感じ、後ろを振り向こうとしたその時、凄まじい力で首を抑えられ壁に叩き付けられた。
気が遠くなるのを必死でこらえると、目を開け自分の首を掴んでいる正体を見る。
「お……前」
「久しぶりね」
雨に濡れた黒髪から覗く殺気だった黒い瞳が、紫龍に向けられていた。
紫龍よりも小さい体をしている女が、紫龍の首を締め上げていく。いくら貧血で倒れそうになっていたとはいえ、女の力に紫龍ほどの男が負けるわけが無い。
通常ならばそう思うところだが、この女は違っていた。
「この……怪力女」
苦しい中、声を絞り出すように紫龍は言うと、目の前の女の額に右手をあてる。その瞬間掌が光りだした。
咄嗟に女は紫龍から手を放し離れる。だが、離れるのとほぼ同時に、紫龍の太ももに何か鈍い衝撃と激しい痛みが走った。
「これで終わりじゃない、お前から大切な者を全て取り上げてやる、それまで生きていろよ」
女は口元歪め卑しい笑みを浮かべると紫龍を睨みつけ、背中を向け細い路地の向こうに姿を消していく。
紫龍は太ももの激しい痛みに、女に攻撃をする事も出来ず、壁に凭れたまま歯を食いしばっていた。
「……あの女、生きていたのか」
紫龍の太ももにはナイフが刺さっていた。
意識が飛んでしまわないように、紫龍は咄嗟に傷口に爪を立てる。
「くっ……あの女が絡んでいるのか、大切な者……冗談じゃねえ」
微かにそう呟くと、苦痛に歪んだ顔で空を仰ぎ、深呼吸をしながら呼吸を整えていた。
徐々に力が抜け、壁をずり落ちるように路上に座り込む。
ポケットに入っていた携帯電話が路上に落ち、ショックで開き光っていた。
血が雨と一緒に流れてく。痛みの走る太ももを押さえながら、顔を苦痛に歪める。
「くそ……た……れ」
言葉を口にする事も苦痛なほどの痛みだった。
紫龍は携帯を手にすると電話をかける。だがもう話す事ができず、横に倒れるように路上に転がると、携帯を手にしたまま目を閉じ動かなくなってしまう。
雨は容赦なく紫龍の体に降り注ぎ、体温を奪っていく。
携帯電話の向こう側から、女の声で「もしもし」という言葉が響いていた。
青威は繁華街をうろついていた。自然と足は春奈の店であるBLACK ROSEに向かっている。
「春奈さんか……なんとなくあの人と一緒にいると落ち着くんだよな、名前が同じだからか、そんなわけねえよな、マザコンじゃあるまいし」
青威はそんな独り言いながら、店の前まで来ると雨から身を守るように軒下に入り込んだ。
「あら? 昨日の学生君じゃないの、どうしたの?」
その声に青威は声のする方を向くと、今日はトラ柄の服を着て、頭をロットだらけにした女性が立っていた。昨日は豹柄を着ていた女性はアニマルプリントが好きらしい。
「こんにちわ」
青威は濡れた栗毛を掻き揚げながら、上目づかいで女性に会釈する。
そんな姿が捨てられた子犬のように見えたのか、女性は青威に近づくと傘を差し出し笑顔を浮かべた。
「こんな所にいたら風邪ひいちゃうわよ、私、この近くで喫茶店やってるの、まだ開店前だけど何か温かいもの作ってあげる。一緒にいらっっしゃい」
トラ柄の女性の好意に青威は甘える事にした。
閑散とした繁華街の外れにその店はあった。鄙びた小さな喫茶店で看板もあるのか気付かないほど小さいく、常連客だけでもっているような店であった。
ドアを開くと軋んだ音ともに、カランカランとドアについている小さな鐘が鳴り、可愛らしい音が響いていた。
「さあ、適当に座って」
女性の言葉に、青威はカウンター席に座って溜息を一つついた。そんな青威の頭にタオルをかけると、女性はクシャクシャと頭を拭く。
タオルで隠れわからなかったが、青威の頬はほんの少し赤くなっていた。
「今日は学校よね? もしかしてさぼりかしら」
女性はそう言うと、青威の前に湯気の立ち昇るココアを差し出した。
青威はタオルを頭にかぶったまま苦笑いを浮かべ、真っ白いカップを掌で包み込む。
「そう言えば、お名前まだ聞いてなかったですよね?」
「私の事は、マリーって呼んで、青威君」
マリーはそう言って、真っ青に塗られた瞼を伏せ、ウィンクした。青威は一瞬軽いめまいを感じたが、すぐに笑顔を浮かべるとそっと目を逸らした。
「エスケープ、ああエスケープ、若い時って色々あるのよね……思い出すわ」
マリーはそう言いながら、一人で思い出に浸っているようだった。見た目とその乙女チックな仕草にアンバランスさを感じ、青威は噴出しそうになるのを必死で堪えていた。
「相談ならのるわよ……男と女の話なら得意分野だから」
マリーにはそう言われたが、今回は朱音の事というよりは、紫龍、いや凪家の事で苛立っていた。
引っ越してくる前までは、穏かに普通の高校生として暮らしてた。ところが凪家に来てからは、巻き込まれたくない事に巻き込まれ、知りたくない事実を突きつけられた。
いや、少しそれは違う。青威自身が望んで聞いた事に、心が乱れそれが苛立つ原因になっていた。
「高飛びしたい気分だよ」
青威はそう言い、手元のココアを両手で持つを少しずつ啜った。
「外国には無理だけど、ここに高飛びしてくる?」
冗談なのか本気なのか、マリーは喫茶店の天井を指差してそう言う。青威は目を丸くして驚き、何を思ったのか自分の体を守るように両手で抱きしめる。
マリーはそんな青威を見ながら、愉快そうに笑うと青威の鼻の頭を指で突いた。
「馬鹿ね、私はロリコンじゃないわよ」
「此処に高飛びって、本気で言ってます?」
「ええ、本気よ。どうせダンナはもう死んじゃっていないし、まあ家賃は頂くけど」
マリーの言葉に、青威は少し考えている。だがもうすでに気持ちが決まっているような顔をしていた。
「とりあえず、少しの間だけ厄介になってもいいですか?」
青威はとに買う、自分を取り巻く今の状況から離れたかった。それだけだったのである。
ココアは青威の体を温める。
もともと考えるのが苦手な青威が、紫龍に言われた事、朱音に言われた事を噛み締め、頭をフル活動させ考えた。
そのせいもあって疲れたのか、温まったせいなのか、カウンターの上に突っ伏すとそのまま目を閉じ眠ってしまった。
マリーは青威のそんな可愛らしい寝顔を見ながら、優しく微笑み、コップを磨いていた。
「おっはよう! 朱音さん」
そう言って、朱音の肩を叩いてきたのは考祥だった。
「おはよう」
「どうしたの、元気ないじゃん、青威は? 昨日、おごってやるって言ったのに先に帰っちまって、だから今日こそはって思ったんだけど、青威休み?」
考祥の言葉にどう答えていいかわからず、朱音は目を伏せる。さすがの考祥も朱音の様子に不自然さを感じたのか、怪訝そうに眉をひそめ朱音の顔を覗き込んだ。
「どうかしたの?」
「うん、ちょっと喧嘩しちゃって」
「喧嘩? 青威と喧嘩したって、あの野郎、朱音さんのいじめるなんんて許せん!」
憤慨しいてる考祥の顔を見て、朱音は苦笑いを浮かべていた。
「青威が悪いわけじゃなくて……ちょっと色々とあって」
朱音の意味ありげな言葉に、考祥は嫌な鼓動を感じていた。昨日の二人の様子といい、学級長や桃子、涼香の行動を考えても、青威と朱音の間に何かあると思うのは自然な事だった。
「あの、聞きたい事があるんだけど、もしかして青威と付き合ってるとかって事ある?」
考祥は静かに慎重にそう朱音に聞く。朱音は一瞬にして頬を赤く染め、顔を伏せると逃げるように背を向け、自分の教室へと入っていってしまった。
廊下にポツンと残された考祥は無表情のまま佇み、心の中に吹き荒れる冷たい風を感じる。
「玉砕……か」
生徒達の声に掻き消されてしまったが、確かに考祥はそう呟いた。




