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危険な足音 〜危機〜

 何事も無かったように日は昇り、また新しい一日が始まる。 

 青威の鞄には可愛いピンク色のラインストーンが花の形に埋め込められた、ハートのキーホルダーが揺れていた。朱音からのプレゼントであった。


 昨夜朱音の言葉に引き止められ、出て行こうとしていた気持ちを思いとどまった。出ていった所で行く所など無い。怒りで自分の中の真実を誤魔化し、母親の死の裏に隠された得体の知れない何かに怯え、その現実から逃げようとしていた。青威自身もその事に気付いていた。

 薄暗い部屋の中、座り込んでいた青威の顔の横にピンクのハートが揺れ、青威は驚き振り向くと、そこには朱音の柔らかい笑顔と一緒にキーホルダーが揺れていた。

 朱音が絨毯の上に座り、青威の左手の指を一本また一本と開いていくと、ピンクのハートのキーホルダーを手渡し、こう言った。

「これは私が大事にしていた物なの。誕生日おめでとう、私のお古でごめんね」

 青威は自分の中の怒りが小さくなるのを感じながら、昼間、春奈のお店で誕生日を祝ってもらった事を、嬉しいと思いながらも少しだけ後悔していた。

 青威は無言のままハートのキーホルダーを鞄につけた。これが、この日の青威の精一杯の反省の形だったのかもしれない。

 青威はまだ割り切れていない浮かない表情で朱音の方を振り返ると、そこには大きな瞳を開いて見上げる朱音がいて、自分の心が吸い寄せられていくような感覚を覚え、一瞬強く手を握り締めた。またも自分の身持ちを押し込めたのだった。


 空は雲に覆われ、太陽の光りを遮り、地上に届く日の光は薄っすらとしたものだった。

 水分を含んだ風が吹き、今にも雨が落ちてきそうだった。


 今朝、青威や朱音が起きた時には、離れにも母屋にも紫龍の姿は無く、どこに行ったのか誰も知らなかった。またいつものように消えてしまったのだ。仕事なのか気まぐれなのか、他に理由があるのか。

 青威の中では凪家に対しての怒りは納まってはいなかった。事実を隠されていた事よりも、隠されていた事によって、自分自身を責め続け辛く悲しい思いをしてきた時間。もしも最初から事実を知っていたなら、こんなに苦しむ事は無かった。そんな気持ちが青威の中では渦巻き、臆病で弱い自分に対しての苛立ちが怒りとなって、凪家へと向けられていた。

 自分勝手な理由だという事は重々わかってはいたが、そこまで物わかりよく、自分の気持ちを整理できなかった。


「青威、まだ怒ってる?」

 朱音の明るい声が青威の横から聞こえてくる。少し雰囲気が違う。浮かべる笑顔はぎこちなくどこか不自然だった。

 青威は取って付けた様な笑顔を見せ首を横に振っていた。

「東雲先輩!」

 青威達の後ろから可愛らしい声が響き、青威も朱音も足を止め後ろを振り返る。スカートを揺らしながら小走りに駆け寄ってくる下級生の女子が眼に入った。昨日、青威の寝言から飛び出した名前の主、草壁小百合だった。 

 朱音の表情が強張って見えた。

「この間は、とっても楽しかったです。また行きましょうね」

 小百合はそう言いながら、青威の腕にしがみ付き、ウサギの耳のように二つに結んだ髪の毛を揺らしていた。つぶらな瞳が愛くるしく、その仕草の一つ一つに可愛らしさを感じた。

「先輩、これ一生懸命作ったんです。一日遅れちゃったけど、お誕生日おめでとうございます」

 小百合はそう言うと、カニの形をした可愛らしいマスコットを差し出した。小さい手に握られたマスコットを青威は優しく受け取ると、ほんの一瞬だけ朱音の顔を見る。青威の視界にはそっけない朱音の表情が映り気にはなったが、小百合の好意を無にする事もできず、青威はマスコットを笑顔で受けとり、鞄の中へとしまい込んだ。 


 青威の腕に小百合の腕が纏わりつき、楽しそうに歩いていく姿を目にして、朱音は自然と歩く速度が遅くなった。二人の後姿を見つめながら淋しそうに軽く溜息をつく。気まずさを感じていた、青威と小百合の楽しそうな会話を隣で聞く事は、今の朱音には苦痛でしかなかった。

 二人の後ろ姿が少しずつだが遠くなって行く。

 このまま学校まで離れて歩いて行こう。そう思っていた矢先に前を歩く二人の足が止まる。交差点の信号機が赤だった。

 朱音の足は二人の後姿に追いついていしまう。胸の中に広がる嫌悪感に自分自身がやきもち妬きである事を改めて思い知った。

 朱音は微かに苦笑いを浮かべ、履いているローファーを見つめていた。

 

 車の通り過ぎる音が五月蝿く響き、走り去るたびに軽い風圧を感じる。交差点には同じ制服を着た生徒達の姿が多かった。

 大きなダンプが何台か交差点に走り込んで来る。震動で積荷の土がポロポロ落ち、風に飛ばされながら、一番前に立つ青威と小百合の顔にかかった。

「いたっ!」

 飛んできた土が小百合の目に入ったらしい。その声に朱音も気づき、二人の様子を伺うように背伸びをした。眼の前に飛び込んできた光景は、小百合の顔に近付いていく青威の顔、綺麗な紺碧の瞳に軽く伏せられた睫毛。もうすぐで青威の顔が小百合の触れる、そう思った瞬間、胸が激しく痛み朱音は顔を背けてしまった。

 口づけをしようとしていた訳ではない。朱音にもそれはわかっていた。だがわかっていても胸の痛みだけはどうしようもなかったのだろう。

 

 ダンプが通るたびに体に感じるような震動が響いていた。

 その時だった、右目に痛みが走る。咄嗟に朱音は右目を押さえ、なぜそうしたのか自分でもわからないが、前をふさいでいる人の合間を縫って青威に手を伸ばす。

 間に合わない! 心の中でそう叫んでいた。

「きゃーああああ」

 女性の悲鳴が車の走行音を掻き消すように響き渡る。

 朱音の左目だけの視界に、青威の体が傾き車道に倒れこんでいく姿が入り込んでくる。呼吸をする事を忘れ、体には痛みのような電撃が走り動けなくなる。無情にも届かない自分の手が視界の端で震えていた。

「何をやってる」

 冷ややかな声が響き、青威の傾いた体の動きが止まる。力が抜けていた青威の体はまるで操り人形のように、黒いシャツを着た腕に歩道の方に引っ張り込まれると、視覚障害者用の黄色い誘導ブロックの上に転んだ。

 周りには安堵の声が漂っている。

 朱音は一気に体の力が抜け、その場に座り込んだ。

 青威が車道に倒れ込む前、胸を突き刺すように走った嫌な感じ、その感覚が体全体に残っていた。


 路上に転んだ青威の視界には、紫龍の姿が見えている。

 青威自身、自分の身の上に何が起こったのかわからないでいた。何かに足をすくわれたような気がして、その途端人の手ではない何かに押された。そう思った時にはもう体が傾き車道に転がろうとしていた。

 紫龍が手を掴まなければ、今頃ダンプに跳ねられていたかもしれない。青威の脳裏に昨日の手紙の事が過ぎり、自分が狙われている事を再認識し、沸々と新たな怒りがこみ上げてくるのを感じていた。

「歩行者の邪魔になる、早く立て」

 相変わらずの冷たい言葉に、青威は紫龍を睨み付けながら立ち上がる。

 確かに助かったのは紫龍のおかげである。だが、朝から姿を見せなかった紫龍がなぜ此処にいるのか? 紫龍の思惑にまんまとはまっているような気がして、青威は怪訝な表情で紫龍の顔を覗き込んでいた。

「お前、なぜ此処にいる」

「俺が此処にいるから助かったんだろう、感謝してもらいてえな」

 紫龍の仏頂面は毎度の事であったが、今日は昨日の一件の事もあり、紫龍の口調、態度を見逃す事が出来そうに無い青威がいた。

「先輩、大丈夫ですか」

 小百合が心配そうに青威の顔を覗き込む。

 青威は怒りを隠し、小百合に笑いかけた。

「大丈夫だよ小百合ちゃん、悪いんだけど先に学校行ってくれる。ちょっとコイツに話があるからさ」

 小百合は青威の言葉に、紫龍の顔を少し怯えたような表情で見ると、軽く一礼して青威達に背中を向けて学校へと向かって行った。

「さあ、話しても貰おうか、いったいどういう事だ?」

「お前には関係ない」

 紫龍の言葉に、青威は目を見開き小さな刺激でも破裂しそうな雰囲気を漂わせていた。

「兄貴、いい加減にして、隠し事はもううんざり……何も知らずに巻き込まれるのはもう嫌なの! 何か隠してるんでしょう、朝から何処に行っていたの」

 朱音は紫龍のシャツを掴む。言葉は静かな口調ではあったが、確固たる強い気持ちを感じさせた。

 紫龍はそんな朱音の姿を見つめると、愛おしそうに優しい笑みを浮かべる。

 あの時の雰囲気と違っていた。

 朱音が紫龍に対してどんな気持ちを持っているのか知った、あの時の雰囲気と今の二人を包んでいるものとは全く別のものに見えた。 

「……わかった、話してやる」

 心なしか、紫龍の持っている雰囲気も柔らかくなったような気がし、青威はその雰囲気に自分の中の怒りの矛先をどう持っていいのか迷いだしているようだった。 

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