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      〜危険な再会〜

 怒りの弾みで衝動的にタクシーに乗り込んだものの、青威は途中で大事な事に気付く。手元にあるお金の額を考えていなかったのだ、この間ホテルのケーキバイキングで、殆どのお金を使い果たし、今現在手元にある額は百二十七円だった。

 一瞬にして怒りは冷め、額に冷や汗が流れた。このまま凪家に帰る事は青威の中でくすぶっている怒りが許さなかった。かといって他に頼めるツテもない。

「そうだ、確か……」

 青威はそう呟きながら鞄の中を弄り、底の方から小さな紙を一枚見つけ出して、安心したように笑った。

「すいません運転手さん、公衆電話のある所で止めて下さい、実は持ち合わせなくて、知り合いに電話かけるので……すいませんお願いします」

 青威は運転手に申し訳なさそうにそう言い、頭を下げた。

 ミラー越しに映る運転手の顔は、人の良さそうな柔らかい笑顔を浮かべている。青威は優しそうな運転手さんで良かったと心を撫で下ろしていた。

 運転手は電話ボックスを見つけると、その前で車を停車させドアを開けた。

「本当にすいません」

「いいんだよ、早く電話しておいで」

 運転手にそう促がされ、青威はタクシーから降りると急いで電話ボックスに駆け込み、白い紙を手に電話をかける。

 何回かの呼び出し音の後、相手が電話に出た。

「もしもし、春奈さんですか? 俺です青威です。覚えていますか?……はいそうです……もの凄く図々しいお願いなんですけど、タクシー代貸して貰えませんか?……はい、はい、そうです……この名刺に書いてある住所ですか? わかりました、ありがとうございます。それじゃあ後で……」

 青威が電話をかけた相手とは、こっちに来て初めて知り合った女性、自分の母親の名前と同じ源氏名をもつ春奈であった。

 春奈は快く青威の申し出を受け入れ、名刺に書いてあるお店に来るように言った。青威は冷や汗を拭いながらタクシーに戻り乗り込む。

「すいません、此処に書いてある『BLACK ROSE』と言う店に行って下さい」

 青威の言葉に運転手は車を発進させ、春奈の待つ店へと向った。


 タクシーは建物が密集した街中へと入いっていく。行きかう人は隙間無く歩き、排気ガスを含んだ空気の中、無機質な信号機の赤い色がタクシーを止める。

 眼の前を色とりどりの人間達が通り過ぎて行く、楽しそうな顔、憂鬱そうな顔、嬉しそうな顔、無表情な顔、忙しそうな顔、悲しい顔、人それぞれの表情を持ち、人それぞれの背景を背負い歩いていく姿、街の中は色々な色が混ざり合い、黒という色に近いのかもしれない。

 裏社会の人間達が動きやすいように……


 タクシーはネオンが消えた閑散とする繁華街へと入って行き、黒地に白の文字で『BLACK ROSE』と書いてある店の前で止まる。

 タクシーを待ち構えていたように、春奈が店から出てきた。今日は黒髪を後ろで纏め、あの時のようないかにも水商売の風貌とは違い、Tシャツにジーンズというラフは格好であった。スタイルの良さが余計に際立っているように見える。

 タクシーはドアを開ける。

「運転手さん、おいくら?」

「千七百三十円になります」

「じゃあ、これ、お釣りは取っておいて」

 春奈はそう言うと、運転手に二千円を渡した。青威がタクシーから降りるとドアは閉まり、タクシーは街の雑踏の中へと消えて行く。

「春奈さん、本当にすみません」

 青威は栗毛の髪の毛を揺らし、深々と頭を下げた。そんな青威の姿に春奈はクスリと可愛いらしい笑顔を浮かべている。

「いいのよ、電話くれて嬉しかったわ、とりあえず中に入って」

 春奈はそう言うと、青威の手を掴み嬉しそうに店の中へと招き入れた。

 天井に埋め込まれた丸い照明が点々と灯る中、細い廊下を通り抜けると、黒とグレーを基調としたフロアが広がっていた。所々に赤を差し色にした小物が置いてある。ボックス席が十席、カンウンター席が十席、中央には躍れるスペースがあった。

「春奈さんは、此処のママなの?」

「まあね、雇われママだけど……適当に座って」

 春奈はそう言うとカウンターの中に入り、冷蔵庫からジュースを出してコップに注ぐ。後姿の腰の括れがセクシーであった。

 カンウター席に座る青威は、春奈の黒い乱れ髪が微かに残る項に見とれ、自分の顔が緩んでいる事に気付いていない。

「はい、どうぞ」

 春奈は青威の眼の前にジュースを差し出し、優しく微笑む。青威にはその笑顔が、困った時に手を差し伸べてくれた天使に見えていた。

 コップに手をかけると中の氷が小気味良い音をたて鳴る。

「本当に今日はありがとうございました。助かりました」

 青威は紺碧の瞳で春奈を真っ直ぐに見つめ、芯の通った声でそう言うと、春奈は優しい笑みを浮かべいた。

「ところで、まだ学校は授業中なんじゃないの? そんな時間にタクシー代を持ってない事も忘れてタクシーに乗るなんて、何処に行こうとしてたの?」

 春奈はそう言いながらカウンターの上をタオルで拭き、青威から目線を逸らす。マスカラの乗った睫毛の向こう側にローズピンクの唇が見えていた。

「ちょっと……色々とあって……」

 青威は気まずそうに唇を結ぶと、目を伏せ溜息をつく。タクシー代が無い事に気付き軽くパニックになった事で、頭から吹っ飛んでいた怒りが徐々に蘇って来るのを感じていた。

「なぜ、人は嘘を付いたり、隠し事をしたりするんだろう?」

 青威はそんな言葉を、無意識に発していた。頬杖を付き、コップの中のストローに手をかけ無意味にクルクルと回している。

「青威君は嘘や隠し事したことないの?」

 春奈にそう聞かれて、青威は言葉に詰まる。この世の中に嘘や隠し事をした事のない人間がいるだろうか。たぶんいないだろう。

「人間が嘘をつく時……それは自分の立場を守りたい、優位にしておきたい、そんな気持ちがある時、それと、もう一つは、相手を傷つけたくない、傷つく姿を見たくない。そう思った時かな……こんな商売してると嘘は商売道具よ」

 春奈はそう言うと、軽く笑いながら青威の頭をクシャクシャと撫で顔を覗き込む。

「喧嘩したんだ……いや違うかな、一方的に怒って飛び出してきちゃったんだ」

 青威の声は、溜息と声を混ざり合わせたような、かすれた力の無いものだった。

「嘘でもつかれたの?」

「……ずっと隠し事されてた、凄く大事な事を隠されていて……あんな家のヤツらのおかげで母さんが死んだかと思うと……そのためにずっと俺は悔やんで悔やんで苦しかったんだ……だから腹が立って怒鳴っちゃった」

「そっか……もしかして喧嘩の相手は女の子かな?」

 青威の瞳に怒りの色を見た春奈は、それ以上深く追求せず、温かい笑みを浮かべるとそう聞いた。青威は力なく伏せていた顔を瞬時に上げ反応する。あまりにも正直な青威の反応に春奈はクスクスと口に手をあて笑っていた。

「図星ね、その子、心配してるんじゃないの……いいの行ってあげなくて」

「いいんだよ、その子には俺なんかより他に大事な人がいるんだから」

 青威は少しすねた様にカウンターの上にうな垂れ、コップの中で融けた氷が硝子に当たりながら音を立てズレ落ちるの見つめている。

「その子、勿体無い事するわね、私がもう五歳若かったら青威君を放っておかないのに」

 春奈は本気か冗談かわからないような事を言い、可愛らしい悪戯っぽい笑みを浮かべて、青威の額に軽くキスをする。青威は突然の事に驚き目を開くと目の前の春奈の顔を真っ直ぐに見つめる。眼の前の二重の大きな瞳には青威の姿が映っていた。

 青威は手元のコップを横にずらすと、ゆっくりと春奈の顔に近付きローズピンクの唇に近付く。青威の唇が春奈の唇に触れる間際、青威の動きが止まりフッと目を伏せると、ローズピンクの唇から離れ、体重を軽く落とすように椅子に座り深い溜息をついた。

「その子の事、本当に好きなのね」

「……だね」

 青威は自分の中の気持ちを再認識するように、そう短くい言う。認めざるをえない気持ちは、青威の心を微かに痛めつけていた。

 人を愛する事が怖かった。また失ってしまうのでないか、そんな思いが青威の気持ちに歯止めをかけていた。 

「今日は最悪の誕生日だ〜」

 青威はそう言って、カウンターの上に突っ伏した。


「春奈ちゃん! お誕生日おめでとう!」

 そう言って店の中に、年配の女性が三人入ってきた。みんな似たようなパーマをかけ、似たような体形に似たような細く書いた眉毛に、真っ赤な口紅をしていた。

「あら、珍しいわね、この時間に学生さん?」

 派手な豹柄のサマーセーターを来た女性が、青威の顔を覗き込んでそう言う。

「あら、可愛い顔しているわね。新しいバイト君? こんな子がいるなら毎日でも来ちゃおうかしら」

 そう言いながら、胸とお腹の高さが同じなのが目立つような、体の線にピッタリとした赤いTシャツを着た女性が、大きな笑い声を立てる。

「決まりよ、決まり! この子バイトにしちゃいなさい」

 もう一人、全身黒ずくめで鞄だけは真っ白なシャネルの鞄を持った女性が、春奈に向ってそう言った。

 そんな嵐のような会話の中で、青威は苦笑いを浮かべている。だがバイトという言葉が耳に引っかかり、それは今の青威にとってとても魅力的な言葉でもあった。

「はい、これ、誕生日おめでとう!」

 そう言って、女性達がカウンターの上に箱から出したケーキを乗っける。真っ白い生クリームの上にイチゴが乗っているシンプルなバースディーケーキだったが、この女性達の雰囲気もあるのかとても心のこもったものに感じられた。

「青威君も今日が誕生日なんでしょう、一緒にお祝いしようか?」

 春奈の言葉に青威は瞳を見開き、まわりの女性を見渡す。豹柄も真っ赤もも真っ黒も、ニコニコと笑い頷いてた。青威は鼻の奥がツンと痛くなるのを感じ、目頭が熱くなって今にも涙が零れそうになるのを必死に堪え、満面の笑みを浮かべる。

「ねえ、青威君って言ったかしら……ここで勤めるんでしょう? 私達、毎日通ってあげる」

 青威と春奈を蚊帳の外にして、勝手に話が進んでいる。だがこれは青威にとってはありがたい話でもあった。もう凪家の世話にはなりたくないと思っていたのだ。住む場所を変えるのは無理でも、自分に掛かるお金くらいは稼ごうと思っていた。

「どうする? 青威君、働いてみる?」

「だけど、ここ何時からですか」

「ここね、今月から昼間もやってるの、午後二時から七時までがカラオケ喫茶、その後の時間がカラオケパブ……昼間だけどう、やってみる?」

 春奈も乗り気であった。青威には願ったり敵ったりの申し出である、断る理由など無い、青威は二つ返事でその嬉しい申し出を受けた。


「イエ〜イ! ハッピーバ−スデー!」

 年配の女性達の大きな声が店の外にまで漏れ響いていた。

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