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      〜癒しの光〜

 考祥も学級長も、青威の家族の話は、凪家の話しか聞いたことがなかったため、東雲春奈という名前が青威の母親の名前だと聞いて言葉が出なかった。

「この学校で、俺の母親の事を知ってるのは、凪家の人間と先生達くらいのはずなんだ、なのにこんな手紙が入ってるなんて……」

 青威の手が微かに震えていた。

 母親の最後の姿が脳裏を過ぎり、その恐怖に押しつぶされそうになる。

 何もできなかった自分、止める事が出来なかった自分を悔やみ、ずっと出口のない迷路の中を迷っていた。

 血で塗りつぶされいた母親の名前。青威の中の記憶に追い討ちをかけるように、心を締め付けていた。

 体の力が抜け崩れそうになる青威を、学級長は支える。考祥も青威の只ならぬ様子に、慌てて体重を支えるのを手伝った。

「大丈夫か? 青威」

「……わりい、迷惑かけて」

 考祥の言葉に、青威はそう言って足を進める。

 青威の顔色は良くなかった。単純ないたずらとは違うらしい事は、考祥にも学級長にもわかっていた。

 自分達にはわからない、何か深い意味があるのだろう。

 考祥と学級長は顔を見合わせると、青威の体重をしっかりと支えながら、保健室へと足を進めた。

 

「朱音!」

 三年B組の教室に、桃子がそう叫びながら走りこんできた。

 朱音は呼ばれた名前が自分の名前で、しかも桃子の様子があまりにも慌しい事に、少し驚いていた。

「聞いた!? 青威君がラブレターの内容に怒り狂って、玄関のロッカー壊したって! それで右手の骨が折れて保健室に運ばれたらしいわ」

 桃子は頬をピンクに染め、本当の事から少しずれた情報を朱音に伝える。

 朱音は、途端に顔色を変え立ち上がると、話が終わらないうちに教室から走り出て、保健室に向かっていた。

 ロッカー壊したって、どういう事? 骨折? 嘘でしょう。

 朱音の心の中に不安が広がっていた。今朝の紫龍の弱々しい姿を目にして、次は青威、嫌だったのだ、周りの人間が怪我をしたり病気になったり、そんな姿を見たくなかったのだろう。

 朱音は異様なほどの嫌な心臓の高鳴りを感じながら保健室へと走っていった。

  

「どうしたのその手?」

 保健室では、露原が青威の手を見て呆れたような顔をしていた。

「あの、ロッカーにケンカ売ったんです」

 青威が申し訳なさそうにそう言うと、露原は一瞬、目を丸くして驚いたが、次の瞬間、愉快そうに笑い青威の手に触る。

「なぜ、そんな事したの?」

 露原が青威の顔を覗き込みながらそう聞いた時だった。 

 保健室のドアが勢いよく開けられ、誰かが、廊下から飛ぶように入り込んできた。

 朱音であった。

「青威、大丈夫!?」

 そう言って入ってきた朱音は、普通に椅子に座り、露原に手を見てもらっている青威の姿を目にして、一瞬、自分の意気込んでいた気持ちが空ぶってしまった事に気まずさを感じ、顔が熱くなるのを感じた。

「……怪我したって」

 朱音はそう小さい声で言いながら、青威に近付いて行く。

「一応病院に行って精密検査受けた方がいいと思うけど、たぶん骨には異常ないと思うわ」

 露原は、心配そうな表情を浮かべている朱音に、優しく微笑みながらそう言う。

「朱音ちゃん、これ見てくれよ」

 考祥がポケットの中から、先ほどしまい込んだ紙を出そうとする。

「考祥!」

 青威はそんな考祥の行動を止める様に強く言い、考祥の瞳を見つめた。

 考祥は、青威の気持ちを悟ったのか、ポケットに入れた手を止め、気まずそうに朱音から目を逸らす。

「何? 何かあったの?」

 その場の気まずさに気付かないわけがない、朱音はそう言いながら、考祥の顔を覗き込んだ。だが、考祥は口を閉ざし、ポケットに入れた手もそのまま動かなかった。

「何を隠してるの? そのポケットの中にある物見せて!」

 朱音は半ば強引に、考祥のポケットに入ってる方の手を引っ張る。するとポケットの中から折りたたんだ紙が床に落ちた。

 朱音はその紙を拾い上げ、広げて見た。

「これは……」

 その文字を目にして、朱音は目を見開き、青威の顔を見つめる。

 青威は朱音の方を見ようとしなかった。この紙が何を意味しているのか、はっきりした事はわからなかったが、何かとても嫌な感じが漂っている事は確かであった。

「兄貴に知らせる」

 朱音はその紙を握り締めながそう言い、保健室を出ようと青威に背中を向けた。

「止めろ!」

 青威の声が保健室に響き渡り、朱音は背中を向けたまま立ち止まった。

「今の紫龍じゃ、あてにならねえ。それにこれは俺の問題だ、朱音ちゃん達には関係ない」

 青威は朱音の背中に向けてそう言葉をかける。

 朱音はゆっくりと青威の方を振り返ると、その黒い瞳を揺らしながら青威を見つめ、ゆっくりと青威の方に戻ってくる。何か言いたげに少し口を開きかけたが、また閉じてしまう。

 何かを言う事を迷っているのか、朱音は目を伏せ、手を握り締めていた。


 学校の中に始業のチャイムが鳴り響く。


 露原は朱音の様子に、何か意味ありげな事を感じていた。

「ほら、考祥君も学級長も授業が始まるわ、早く教室に戻りなさい」

「だ、だけど、青威は? 朱音さんも」

「そうですね、考祥、戻りましょう!」

 露原の言葉に、考祥は納得がいかず、ブツブツと文句を言っていたが、学級長も青威と朱音を二人きりにした方がいいと思ったのか、考祥の腕を掴み引っ張るようにして、保健室から出て行く。

 露原は溜息をつきながら、考祥と学級長の姿を見送り、姿が見えなくなった事を確認するとゆっくりと口を開いた。

「私は、先生達に事情を話してくるから、なにか話したい事があるなら、ごゆっくり」

 そう言って、露原は香水の香りを振りまきながら保健室から出て行く。

 青威は、朱音の態度の裏に、何かが隠されている事を感じていた。凪家の裏側は奥が深いため、色々な事が隠されている。それは青威自身もここ一ヶ月の間に十分に学んだ。

 ちょっとやそっとの事では驚かない自信もある。

「何か話ががあるんだろう」

 青威はそう言うと、立ち上がり窓を開けに行く、咄嗟についつい右手を出してしまい、一瞬走る痛みに顔を歪めていた。

 朱音がその事に気付き、急いで青威の横に来ると、窓に手をかけ窓を開けた。

 新緑を通り過ぎ、吹き抜けてくる風が清々しい雰囲気を漂わせている。

「俺の母親の事だろう? 何だよ、話してみろよ」

 青威は、朱音の風に吹かれ揺れる黒髪越しの、横顔を見つめながらそう聞いた。

 朱音は黒髪を手で押さえ、ゆっくりと青威を見ると、黒い瞳を凛と輝かせている。

「青威、春奈叔母様の事なんだけど」

「ああ」

「たぶん、自殺ではないと思う」

 朱音はそう言うと、静かに目を伏せた。

「どういう事だ? 現に俺は見たんだぞ、眼の前で」

 青威はそう言いながら、手で自分の胸を押さえ、苦しそうな表情を浮かべていた。

 思い出したくも無い記憶が鮮明に蘇り、青威の心を痛めつけ、呼吸のリズムが早くなっていく。

 途方も無い悲しみ、途轍もない恐怖、心臓が抉り取られるような気持ち悪さ、そして手元に何も残っていない無に対しての絶望。

 歩いていくために、これからも生きていくために、全てを心の押し込めて来た。

 だが、押し込めた思いは消えたわけではなかった。その思いは、自分でも止め様がないほど勢いよく、噴出し溢れてくる。

 痛くて苦しくて悲しくて、痛い、痛い、苦しい、息が出来ない、頭が痛い、誰か助けて、母さんを、母さんを助けて! 母さん! 母さん、死なないで!

 青威は頭を抱えてその場に崩れるように座り込んだ。

「青威、大丈夫?」

 朱音の言葉さえ耳に入らないのか、体はガタガタと震え、眼の前の何かに怯えるように、目を見開き、その紺碧の瞳からは涙が流れ頬を伝っていた。

 朱音は眼の前の青威の姿に、深い悲しみを感じ、ただこうすることしか出来なかった。

 青威の体を包み込むように、朱音の腕が優しく抱きしめる。

 大丈夫だよ、もう一人じゃない、青威には私がいる、もう一人じゃない、もう一人で苦しまないで……

 朱音はそう心の中で呟きながら、青威をより一層強く抱きしめる。

 思いは同じではないかもしれない、だが、朱音もまた眼の前で両親を失っている、その悲しみは自分自身を長い間苦しめてきた。

 眼の前の惨劇、自分を包んでくれていた愛を失った瞬間、掌に握っていた何かが零れていくような気がして、深い喪失感を感じた。

 青威の心の傷の痛みに、共鳴するかのように、朱音の瞳からも涙が流れ落ちていた。

「私が一緒にいるから」

 その時だ、朱音の右目が光りを放つ。柔らかい春の日差しのような光りであった。まるで青威の傷ついた心を癒すかのようにその光りは輝いていた。 

 朱音の光りに導かれるように、青威の見開いていた瞳は静かに閉ざされ、ゆっくりと朱音の胸の中に体重を預けるように眠りに落ちていった。

 朱音は涙に濡れた優しい笑みを浮かべながら、青威の栗の毛の髪の毛を撫でる。

 仄かに緑の匂いを含んだ風が二人を包んでいた。

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