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近付く心 〜手紙〜

 紫龍は高熱を出して、寝込んでしまった。

 昨日の事故現場での一件で、力を使ったせいなのか、布団の中で横たわる姿は、いつもの傲慢な紫龍とは別人のよに見えた。

 主治医である剣持は、入院を勧めたが、紫龍がそれをかたくなに拒み、譲らなかったのである。

 朱音は紫龍のいつになく弱々しい姿を目にして、心配だったのだろう。学校を休むと言ったが、紫龍に冷たく叱られ、傍にいる事を許されなかった。

 青威もまた、紫龍の姿に不安を感じていた。心のどこかでまだ死なないだろうと思っていた安心感を裏切られ、紫龍にとって最後となる日がいつになるかなど、誰にもわからないという事を改めて思い知ったような気がしていた。


 今日は七月十日、青威の十八歳の誕生日である。

 だが、紫龍の事があって、凪家は朝から慌しく、朱音はもちろんの事、青威もそれどころではなかった。

 今日は最悪の誕生日だと、青威はそう思いながら髪の毛を掻き揚げる。

 昨日、朱音に冗談半分で言った言葉に、淡い期待を微かに抱いていたが、それも何処かへ飛んでいってしまっていた。

 

 隣を歩く朱音の顔は、心、此処にあらずといった表情をしている。

 紫龍の事が心配なのだろう。

 俺の事なんか、眼中に入ってないよな……そうだよな、仕方がないよな、紫龍があの状態じゃあな……

 青威はそんな事を思いながら、小さく溜息をつき、学校の玄関へと入って行く。

 玄関は、生徒が行きかい、ほんの少し込み合っていた。

 青威が靴入れのロッカーを開くと、中から五通ほどの手紙が足元に落ち、それを目にした朱音は苦笑いを浮かべ、青威から目を逸らす。

 朱音は、自分がなぜ目を逸らしてしまったのかわからなかったが、心の中に微かにモヤモヤとした訳のわからない風が吹くを感じていた。

「青威、相変わらず、モテルね。少しはおこぼれを頂きたいわ」

 そう後ろから考祥の声が聞こえ、後ろから考祥の手が伸びてくると、足元に落ちた手紙の一つを拾い無断で封を開ける。

「何々……お誕生日おめでとうございます……」

「やめろ! 人の物を勝手に!」

 考祥から手紙を取り上げると、青威は紺碧の瞳を見開き、軽く考祥の頭を小突いた。

「何? お前の誕生日って、今日だったの?」

 考祥の言葉に、朱音は一瞬ピクリと反応する。

 朝からの紫龍の騒動で、すっかり忘れていたが、そういえば昨日青威がそう言っていた事を思い出したのだった。

「そうか、そうか、よし、今日の帰りに付き合え、おごってやる。ただし、ワンコインな!」

 考祥はそう言って、人差し指を立てて細い目を余計に細めた。

 本当なら朱音の言葉が欲しかった青威だが、そんな事をいつまでも悔やんでるなんて、自分らしくないと割り切り、満面の笑みを浮かべる。

「おお、考祥君、さすが太っ腹!」

「何、言ってる、百円だぞ!」

 青威の満面の笑顔を浮かべた言葉に、考祥は真顔でそう言って青威の瞳を覗き込んだ。

 そのやり取りを聞いていた、同じクラスの生徒達が一斉に考祥にブーイングを浴びせる。考祥は周りの冷やかな反応に苦笑いを浮かべ、ヘラヘラと笑いながら慌てたように口を開いた。

「うっそだよ〜ん! そんなわけがないだろう! 俺は太っ腹の考祥君だよ!」

 そう言った考祥のこめかみが少し引きつっているように見えた。

「私も一緒に行っていい?」

 朱音の声に、青威と考祥が振り返る。朱音は柔らかい笑みを浮かべて、玄関の硝子戸から差し込んでくる朝日を背に受け、青威と考祥にはまるで美しい天使のように見えていた。

 二人の唖然とした表情に、朱音は不思議そうに小首をかしげる。

「駄目? 男同士の方がいい?」

「いえいえ、とんでもない! 大歓迎に決まってるじゃん」

 朱音の問いに、考祥が首を大きく横に振り、大きな声でそう言った。

「いいの? 家に帰らなくて」

 青威は心配そうに朱音の顔を見るとそう言う。

 朱音は青威の言葉の意図にすぐに気付き、弱々しく微笑むと静かに頷いた。

「桃子も誘ってもいい?」

「もっちろん!」

「わかった、じゃあ放課後にね!」

 朱音はそう言って、青威と考祥に手を振ると、階段の上へと姿を消していった。


 青威は落ちていた手紙を拾い、溜息を一つ付く。ふと一つの封筒に違和感を感じた。

 他の封筒は、可愛い模様や淡い色合いの物だというのに、その封筒だけは真っ白い無地の封筒だったのだ。

 逆に目立つ……そんな効果を狙っての方法なのだろうか。

 青威は気になり、その封筒を開けて中身を見てみた。何の変哲もない、ただの無地の白い紙が入っていて、四つにたたんであるその紙を開く。

「なに!?」

 青威は書いてある物を見て驚愕の表情を浮かべた。

 そんな青威を不思議に思ったのか、考祥も手紙の中を覗き込んだ。

 紙には、東雲春奈と書いてあり、その名前を赤い絵の具らしき物で塗りつぶしてあったのだった。

「何だよ、こんなたちの悪いいたずら!」

 考祥は手紙を青威の手からとり、まざまざとその紙を見る。そして気付いたのだ。その赤い絵の具らしきものが、本当の血である事を。

 青威も当然気付いていた。

 そして、頭の中にはまたも蘇る過去の記憶、目の前に広がった血の海の中に倒れた込み、動かなくなった母親の姿。

 青威の母の名前を血で塗りつぶしたという事は、母親の死の真相を知る何者かのしわざなのであろうか。

 あえて、青威の誕生日を選んだのには何か理由がるのだろうか。

 青威の中に、記憶に対しての恐怖と、この手紙を送りつけてきた者への怒りが膨らみ、震える手を握り締めると、ゆっくりと振り上げ、自分のロッカーを思いきり殴りつけた。

 恐怖から逃れるためだったのかもしれないし、怒りのはけ口だったのかもしれない。

 ロッカーは歪み凹んでしまった。

 恐怖と怒りが強すぎて、痛みを感じるほどの余裕が青威の心の中には無かった。

「青威、大丈夫か?」

 考祥は、いつもの明るく柔らかい青威の表情からは想像できないような、苦痛に塗れた怒りの表情を見て、そっと声をかけた。

 周りの生徒達も、音に驚いたのだろう、青威の行動を息を呑み見ていた。

「どうしたんです?」

 人の合間を縫って、学級長が顔を出した。眼鏡を指で上げながら、目の前の光景を目にして冷静に状況を判断しているようだった。

 凹んでいるロッカー、その前に俯いて佇む青威、そして横には心配そうに青威を見つめている考祥がいた。

「誠、これ見ろよ」

 考祥は怒りが納まらないのか、学級長にその手紙を見るよう手渡す。

 学級長は手渡された手紙を見て、眉間にしわを寄せ、青威の顔を見てゆっくりと下ろされた手を見つめる。

 手の甲が赤くなり、腫れてきているようだった。

「……とにかく、保健室に行きましょう」

 学級長は青威の赤く腫れた手を掴み上げそう言う。青威は痛みに顔を歪め短い声を上げていた。

「考祥、この紙しまっておいてください。後でモッチーに相談しましょう」

 学級長の言葉に考祥は、唇を噛み締めて、紙を折りたたんで自分のポケットの中へとしまい込んだ。

 生徒達のざわついた空間の中を、学級長は青威の手を引いて保健室へと向う。考祥もその後をついていった。


 青威の手は見る見る腫れていった。もしかするとヒビくらいは入っているかもしれない。

 かなりの力で殴りつけた事が見て取れた。

「それにしても、さっきの名前、東雲春奈って誰の事だ?」

 考祥の言葉に、青威は口を閉ざしたまま何も言わない。

「何で何も言わないんだよ! 何も言ってくれないと余計に、心配になるだろう!」

「考祥、あまり一度に沢山の事を聞いても、青威だって困りますよ。それに友達だからと言って、全てを知ろうとするのもおかしい事です」

「ああ、そうですか! お前はいつもそうやって物わかりにいいヤツを気取るんだ! どうせおれは馬鹿で単純ですよ〜だ」

 考祥は学級長の言葉に、口をとがらせそっぽを向きながら、青威と学級長の後をついて行く。

 考祥にしても学級長にしても、青威の事を心配しているのは同じである。ただ性格も違えば、当然やり方も違う。どちらが正しいかはその相手や状況によって変わるだろう。

 青威はそんな二人が好きだった。自分の事をこうやって真剣に考え、思ってくれている事が嬉しかった。

「東雲春奈は……俺の母親だ」

 青威の微かに漏れ出した言葉に、考祥も学級長も足を止め、驚いていた。

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