〜三年A組〜
青威が入る事になっている三年A組の教室では、すでにホームルームが始まっていた。
担任である望月隼人は、窓際の椅子に座りながら、無精髭を生やしたその顔を顰め、眉間にしわを寄せ外を見ている。
かなり苛立っているようだ。
「なあ、モッチー! 今日転校生来るって聞いたんだけど」
このクラスの中でも一番の人気者、将来お笑いを目指していると真顔で公言している吉本考祥が、一重の細い目を緩めそう言う。
その言葉に、望月は眉毛をピクリと反応させ、考祥を睨み付けた。
かなりご立腹と見える。
考祥は望月のその瞳に、刺激してしまった事を後悔した。
外を見ている望月の視界に青威の姿が入った。その途端、望月は立ち上がり鬼のような形相で教室を見渡すと
「静かに待ってろ!」
そう言い残し、教室を勢いよく出て行った。
この望月という教師、普段は穏かで生徒うけもいいのだが、時間と約束には厳しく、一分でも遅刻しようものなら、バケツを頭の上に乗せさせ教室の後ろで立たせる罰を与えるのであった。
これから今では珍しくなったそんな光景を、この教室で目にする事になる。
「こらあああ!! 東雲青威!!」
怒号のような声が玄関に響き渡り、現れたのは無精髭を生やしたジャージ姿の男だった。
青威はすぐに直感する。
コイツは先生だ! もしかして担任とかって言うか?
男は鬼のように真っ赤な顔をさせながら、鼻息も荒く青威に近づいてくる。
「お前、転校初日に遅刻とはいい度胸してんじゃねえか!」
男は眉毛をピクピクさせながら言うと、青威の耳を掴み上げ引っ張っていく。
「いてててててて」
青威は耳の痛さに顔を顰め、ついつい調子のいいその場限りの言い訳を言ってしまう。
半分投げやりのような冗談を含んでいたのかもしれない。
「せ、先生……お、親が急な病気で、病院に連れて行ったものだから」
青威の言葉に、男は歩いていた足を止めると、青威の方に振り向きニヤリと笑う。そして次の瞬間、平手で青威の頭を叩いた。
青威は恐る恐る顔を上げる。すると予想に反し、男は悲しい表情を浮かべていた。
「い、いやあ、ばれちゃいました? まいったなあ」
眼の前の男の表情を見て、青威は自分の言葉の軽薄さを思い知り、気まずさの中、嘘の上に言葉で上塗りをした。
男は青威の襟元を掴みあげ、自分の方に引き寄せると、凄みのある鋭い視線で青威を睨みつけ口を開いた。
「俺は、お前の担任の望月隼人だ。いいか、お前……自分の母親の話題をそんな安っぽく語るんじゃねえ、わかったか……」
望月と名のった担任はそう言うと、青威の襟元から突き放すように手を放し、視線を逸らして背を向ける。
「生徒達に紹介するから付いて来い。明日からは絶対に遅刻をするな!」
望月はそう言いながら教室へと足を進め、二、三歩いて足を止めてると後ろ向きのまま、言葉を紡いだ。
「生徒達は皆、俺の事をモッチーと呼ぶ。お前もそう呼んでくれていいから」
望月はそう言うと、ピースサインを高く掲げ歩き出す。
緑色の背中から温かい空気が流れてくるような気がして、青威はその背中を見ながら笑みを零し目を伏せると、前を歩く望月の後を追ったのだった。
三年A組のクラスでは望月が教室から出た後、門から玄関へと歩いてる一つの影を見て、生徒達が騒いでいた。
男子生徒は女子じゃなかった事にがっかりし、女子生徒は歩いてきた影を見て、その可愛さに浮き足立っていた。
「おい、来たぞ!」
生徒の一人の声に、教室の中で立ち上がっていた生徒達が、一斉に自分の席へと座る。
教室のドアが開き、望月の後ろを歩くように青威が姿を現した。
女子生徒達の間で、微かに「可愛い」とか「人形みたい」とか言う言葉が聞こえてくる。
確かに日本では、天然の栗毛の髪も紺碧の瞳も珍しく、美しい物に入るかもしれない。だが他と少し違う、その事で青威が小さな頃から嫌な思いもしてきたのも事実である。
「今日からこのクラスの仲間になる、東雲青威だ。じゃあ、自己紹介して」
望月に促がされ、青威は肩に担いでいた鞄を下ろすと、一歩前へ出て口を開いた。
「東雲青威、十七歳です。見た目はこんな感じで、よく可愛いとか言われますが、心も体も立派な男子です。女無しじゃ生きていけませんので、女子の皆さんどうぞよろしくお願いします」
青威はそう言うと、紺碧の瞳を輝かせ、目の前の生徒達に向ってウィンクをする。
クラスの女子から甲高い声が上がっていた。
「よし、じゃあ着てそうそう悪いんだが、仕事をしてもらおう。学級長、例の物をよろしく」
望月はそう言いながら、不適な笑みを浮かべている。
学級長と呼ばれた男子が立ち上がると、掃除用具箱の中からバケツを取り出し教室から出て行き、程なく水を入れて戻って来て、そのバケツを青威の足元に置いた。
顔を上げた学級長は、意味ありげな笑みを青威に投げかけていた。
「東雲、このクラスでは遅刻は厳禁だ、罰としてこのバケツを頭に載せて、一時間目の授業が終わるまで後ろに立っていろ。わかったな!」
望月の有無を言わせない威圧的な顔に、青威は何も言えず、従うより他なかった。
女子からは「可愛そう」という声もあったが、殆どの生徒がクスクスと笑っていた。
青威は生徒達の後頭部を見つめながら、水の入ったバケツを頭に載せ、零れないように必死で支えていた。
授業が始まってすぐに、望月が黒板に向っている隙を狙って、クラスの人気者、考祥がノートのページを破って『この罰はこのクラスの登竜門!』と大きな字で書き、青威に見えるように紙を掲げる。
その行動を発端に、考祥の隣に座っていた女子が、肩までのストレートヘアを揺らしながら
同じように紙を掲げた。
書いてあった文字は『我がクラスへようこそ!』そう書いてあった。
次から次へと他の生徒達も、色々な事を書いて掲げる。
『よろしく』『女は渡さん(笑)』『友達』『楽しもう』『ライバルになってやる!』『瞳がステキ』『美味しそうな髪の毛』とさまざまなメッセージが飛び出した。
青威はその光景が可笑しくて、笑い出しそうになるのを必死に堪える。だが体が震えて、バケツの中の水が揺れタッポンタッポンと音を立ててしまう。
望月が黒板に文字を書くリズムと、水のタッポンタッポンが響いて、生徒達も笑いを堪えている事ができず、一気にクラス内に笑い声が響き渡った。
「お前らな……俺が何も知らないとでも思っているのか? 今すぐ笑いを止めないと、今日の宿題倍にするぞ!」
望月の言葉で、一瞬にして静まり返るクラス内、その静けささえも可笑しく、青威はクスクスと笑っている。
そんな青威を見て、望月は安心したような表情を浮かべ、また黒板に向かい文字を書き始めたのだった。
青威は思う。
今まで色々な事があったけど、このクラスなら楽しい時間が過ごせそうだ。色々な事を思い出さずに済むかもしれない。
青威のこの思いは、数十分後にこっぱ微塵にうち砕かれるのであった。




