朱音と未来 〜思いの変化〜
まだ初夏だというのに、うだるような暑さに襲われていた。
兄貴は、この暑さの中、出かけたけれど大丈夫かな。
朱音は汗を拭きながら、苦笑いを浮かべ街の中を歩いていた。
「もう、こっちに来て、一ヶ月ぐらいだけど、こうやってまともに朱音ちゃんと、街の中歩くの初めて……なんだかウッキウキって感じ」
青威は、朱音の隣を歩きながらそう言い、街の中をキョロキョロと見回していた。
「それって、女の子達が薄着になってきたから」
朱音の言葉に、青威はちょっとビックリした顔をして、照れ笑いをする。
「朱音ちゃんも言うようになったね。その切り替えしナイス!」
青威は、元気になった朱音の姿に安心していた。
紫龍と朱音は、あの病院での一件があってから、まだギクシャクしていた。
朱音は紫龍の方から話しかけてくるのを待つようになり、紫龍の方は元々、口数が少ないのが、余計に口数が少なくなっていた。
ただ、変わったといえば、青威に対しての態度が少し変わっただろうか。
青威との会話は増えている。と言っても、その殆どが喧嘩に近い感じなのだが。
「俺って、そんなに女好きに見える?」
「うん、だって学園でも暇さえあれば、女の子を見てるし……それに、聞いたよ。ラブレターくれた女の子と片っ端からデートしてるって。そんな事してると、そのうち恨まれるわよ」
朱音の言葉が、青威の心に突き刺さってくる。確かに今まで何度か、恨みを買って呼び出され、手痛い一発を喰らったことがあった。
「そんな女好きと歩いてる、朱音ちゃんはいったい何なんでしょうね」
青威は、悪戯っぽく、意地悪な笑顔を浮かべてそう聞く。
「う〜ん。青威と一緒にいると、とっても楽なの。言いたい事言えるし、気を使わなくて済むから……きっと、兄貴も同じなんだと思おう。最近少し柔らかくなったもの、私に対しては相変わらずだけどね」
朱音はそう言いながら、ほんの少し淋しげに顔を伏せた。
青威はそんな朱音の髪の毛を優しく撫でる。紫龍に対しての思いをまだ割り切れてはいないのだろう。そんな朱音の気持ちを察し、青威はできるだけ明るく声をかけた。
「朱音ちゃん、知ってる? 明日って俺の誕生日だって」
「そうなの? 自分から言うって事は、何か欲しいものがあるとか?」
朱音は青威の顔を覗き込み、可愛らしい瞳を瞬かせた。
「……ここに、朱音ちゃんのキス」
青威はそう言って、自分の頬を指さした。朱音はそんな青威の頬を思いきり指で突っつきながら、口を開く。
「青威には、そんな相手、沢山いるでしょう! 私に頼まないで、その子達に頼めばいいじゃない!」
朱音はそう青威に言い放つと、少し足早に、青威よりも先を歩いて行く。
黒髪が艶やかに輝きながら揺れていた。
青威は朱音の後姿を見つめながら、紺碧の瞳を伏せる。淋しい気がした。冗談と取られている方が安心だと感じる。だが、その反面、冗談だとしか取られない事が、淋しかったのだ。
青威は、小走りしながら、朱音の前へ回り込むと、ニッコリと笑う。
「怒った?」
青威の無邪気な笑顔に、朱音は噴出し笑っている。
「怒らない。もう慣れたわ」
朱音はそう言って、青威の肩を軽く叩いた。
こんな距離感の関係が一番安心……だけど……だけど……
青威の中の、自分でもどうにもならない感情が顔を出し、心をキュンと締めつけていた。
青威は朱音の顔を見ながら後ろ向きで歩るいていた。
「あ! 危ない!」
朱音の声に、青威は前を振り向くが間に合わず、大きな影にぶつかり、青威は路上に尻餅をついた。
「いってえ」
青威はそう言って、顔を上げると、そこには丸坊主のゴツイ体形をした。それこそヤクザにしか見えないような男が、転んでいる青威の方を睨んでいた。
「いてえな、何だ兄ちゃん、俺になんか文句でもあるのか」
丸坊主の男は、青威に因縁をつけ始める。
「へえ、可愛い女連れてんじゃねえか……」
丸坊主の男は、朱音の腕を掴んで、自分の方に引き寄せた。青威は一気に怒りが頂点に達し、起き上がると、拳を握り締めて殴りかかろうとした。その時だった!
「きゃあああ! お巡りさん、こっちです!」
空気を揺らすような甲高い悲鳴が響き渡り、丸坊主の男達は気まずい顔をしながら、朱音の手を放すと逃げ出し消えてしまう。
青威は握り締めた拳を持って行き場をなくして、自分の手で握り締めていた。
「ハーフ君、こんな所で高校生が喧嘩なんて駄目よ」
そう言って、姿を現したのは、モデルの未来だった。
未来はサングラス掛け、長い髪の毛を掻き揚げると、鋭い雰囲気を漂わせながら、青威に近付いてくる。
「月島さん……何で?」
「今日は一ヶ月ぶりのオフで、たまには街に出ようと思ったら、喧嘩らしき声が聞こえたってわけ……へえ今日は彼女と一緒?」
「違うよ。紫龍の妹」
青威の言葉に、未来はサングラスを外して、その鋭く妖艶な瞳で朱音を見つめ、優しく微笑んだ。
「青威……どなた?」
朱音は不思議そうに小首をかしげ、眼の前の女性を見つめる。
青威が口を開くよりも先に、未来がニッコリと笑い言葉を発した。
「私は、月島未来。この間、紫龍には世話になってね……そう、紫龍の妹なの、名前は?」
「朱音と言います」
「朱音か、いい名前だね……朱音ちゃん、私に貴女のお兄さんくれないかしら?」
未来の突拍子もない言葉に、朱音は瞳を見開き驚いていた。
もちろん、未来は朱音の気持ちを知るわけもなく、青威は朱音がどんな思いをしているかと、心配になった。
だが青威のその心配は、良い方向で裏切られる。朱音はクスクスと口に手をあて笑い出していた。
その姿に青威は少し驚いた。未来も不思議そうな表情を浮かべている。
「月島さん、それを私に言うのは間違ってます。誰を選ぶかは兄の自由です……それにやるやらないなんて、物のような言い方をしたら、それこそ怒ると思いますよ」
朱音はそう言って、全てを包み込んでしまうような優しい笑顔を浮かべる。
嘘偽りのない笑顔だった。
未来は自然な流れの中で、無為意識的に、手を伸ばし、朱音の体を包むように抱きしめていた。朱音は突然の事に驚いているようだ。
「可愛い……私もこんな妹が欲しい」
未来は、朱音の頭に頬ずりしながら、目を閉じ愛おしそうに、より一層強く抱きしめる。
「あの……苦しいんですけど」
朱音の声に、未来は慌てて離れ、先ほどまでの鋭い雰囲気を感じさせないほど、大らかに笑っていた。
「所で、ハーフ君達は何処に行くの?」
未来にそう聞かれて、青威はハーフ君と呼ばれることに抵抗を感じたが、朱音の事の方が気になり、静かに目を伏せ朱音を見る。何処となく悲しげな雰囲気が漂っていた。
朱音は静かに淡々と言葉を口にする。
「両親のお墓参りに」
朱音の言葉と雰囲気に、未来は動じることなくサングラスを掛けると、朱音と青威の肩を抱き真ん中に立ち、二人の体を押すように歩き始めた。
未来と言う人間の行動には、予想しきれない部分が多々あるようだ。
案の定、朱音も青威も、未来の行動の驚いていた。
「じゃあ、花束を買って行きましょう。車で送ってあげるから……それにしても紫龍はどうしたの? 一緒には行かないの」
未来の言葉に、朱音は足を止める。未来は朱音の止めた足に何か意味を感じて立ち止まった。
「兄貴とは、一度も一緒に行った事が無いんです。というか、兄貴は一度も行ってないと思います」
朱音のその言葉に、青威は驚いていた。自分の両親の墓参りに行ってないなんて、位牌を大事に持ってきた青威には信じられないことだった。
「アイツはそこまで冷たいのか?」
青威の言葉に、朱音は首を横に振る。
「そうじゃないと思う、私と一緒に行けば嫌でもあの時の事を思い出してしまう。だから……行かないんだと思う」
そう言った朱音の頭を、未来は優しく撫で顔を覗き込んで微笑んだ。
「それは違うと思うよ……確か、事故だったはずよね。それもかなり不自然な事故。両親は即死、そして長男は意識不明の重体、長女は無傷だった」
未来は朱音の瞳を真っ直ぐに見つめそう言った。朱音はそんな未来から目を逸らし静かに頷く。微かに唇が震え自分の中の記憶に怯えているようだった。
未来はそんな朱音の姿を切なそうに揺れる瞳で見つめ、優しく手を握り締める。
「ねえ、行ってみよう……紫龍のいる場所に」
未来はそう言った。
朱音さえ、紫龍が毎年この七月十日に何処に行ってるのか、わからないというのに、確信をもった自信のみなぎる瞳で未来は朱音を見つめている。
「おいおい、朱音ちゃんでさえ、何処にいるのかわからないのに、なんであんたがわかるんだよ」
青威はそう言いながら、未来の睨みつけた。
「私がもし紫龍だったとしたら、事故の真相がわからないうちは死を絶対に認めない、だから墓参りには行かない。そして何とか真相を突き止めて、自分達を追い込んだ犯人をこの手でぶっ潰す!」
未来はそう言って、遠くの方を鋭い視線で見つめた。
この未来が言うと、本当にやりかねない様な力強さを感じさせた。
「事故現場か……」
青威はそう呟き未来を見つめる。未来は視線を落とすと静かに頷いた。
「行く勇気ある?」
未来は朱音に優しく聞く。朱音は、自分の手を握ってくれくれている未来の手を握り返し、大きく頷いた。
未来は空いているもう一つの手で青威の手を掴むと、朱音の手を青威に握らせる。
「女を守るのは、男の役目なんでしょう? ハーフ君、よろしくね」
「そのハーフ君ってやめてもらえません? 俺には青威って名前があるんで」
「了解! あ・お・い!」
未来はそう言うと、青威と朱音を前を歩いて、自分の車が止めてある駐車場に向った。
その凛とした力強い後姿を見ながら、朱音は微かに微笑み、青威の耳元に小声で呟いた。
「月島さんて不思議な人ね、あの人なら、兄貴を守ってくれるかな」
朱音の言葉に、青威は驚き、朱音の顔を見つめる。
朱音は悲しい雰囲気を含みながらも、穏かに微笑んでいた。




