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       〜隠された思い〜

 朱音はいつものように可愛らしい妹として、紫龍に接していた。

 だが、紫龍の方は口数が少なくい。これはいつもの事だが、朱音に対して口数が少ないのは珍しい事であった。

 紫龍は、自分が近づく事で、朱音を傷つけてしまうのが、怖かったのかもしれない。

 そんな、いつもとは違う、ピリピリと肌を刺すような雰囲気の中で、青威は紫龍の顔を真っ直ぐに見つめていた。

 紫龍もまた冷めた目をして、青威を見ている。

「お前たちは帰れ、俺は今日は此処に泊まる。明日の朝には帰れると思うから、ワタゲに餌をやっておいてくれ」 

 紫龍の事務的な淡々として口調に、青威は少し苛立ちを感じていた。

 そんな青威の様子を感じ取ったのか、紫龍は「何も言うな!」そう言わんばかりに、鋭い視線で青威を睨みつける。

 圧倒された。その黒い瞳から目を逸らし、青威は目を伏せた。

「兄貴、ちゃんと先生の言う事聞くのよ。わかった?」

 朱音は勤めて明るく声をかける、だが、何も言わずに紫龍は睫毛を伏せ、重苦しい雰囲気を漂わせていた。

 この場にいる事が、苦痛に感じるほどの重圧に、朱音は悲しそうに目を伏せると、青威の方を向き、無理矢理笑顔を浮かべた。

 自分に背中を向けた朱音の後姿を、紫龍は見ようともしない。見てしまったら、朱音と暮らしてきた今までの時間に対して、情が湧いてしまいそうだったからだ。

 青威は、無理矢理浮かべた、今にも泣きそうな朱音の笑顔に、胸が苦しくなり、朱音の手を握ると、紫龍の存在自体を否定するかのように、前だけを固い表情で見つめ、朱音の手を引いて病室から出て行った。

 病室のドアが閉まる音が、紫龍の耳に突き刺さる。

 深い深い溜息をついた。これでいいんだ……そう紫龍は自分に思い聞かせていた。


「いいんですか?」

 声と共に病室のドアが開けられ、剣持が病室に入って来る。意味ありげな言い方だった。

「青威君でしたっけ、かなり怒っているように見えましたよ」

 剣持はそう言いながら、点滴の様子を見ながら静かに話す。

「お前も、当直じゃないなら、もう帰れよ」

「人を呼び出しておいて、その言い草、相変わらずですね。それに年上には敬語を使う物ですよ」

「うるせえよ」

 紫龍の刺々しい言葉に、剣持はフッをにわかに笑みを零し、静かに紫龍を見つめた。

「青威君には、再生不良性貧血と言っておきましたが、それでいいんですね? 納得してないみたいでしたけど」

「それでいい」

「まったく、あまり無理をしないで下さい。休みの日にまで呼び出されたら、麗子さんとデートする暇もないじゃないですか」

「悪かった……それで、あと、どのくらいもつ?」

 紫龍の問いに、剣持は険しい表情を浮かべ、溜息を一つつくと、紫龍の瞳を真っ直ぐに見つめる。

「それは、医学的にという意味ですか?」

「ああ」

「あまりいい状態とは言えません。もうこの辺で幽霊払いなんかやめて、体を休めてはいかがです? そうじゃないと、一年もつかどうか」

 剣持の答えを、紫龍は予想をしていたのか、驚く事も無く、目を伏せ微かに微笑んだ。

「そうもいかねえ。凪家自体は俺にとってはどうでもいいが、死んだ親には感謝してる。恩返しはしないとな。それに……」

 紫龍はそう言い掛けて、口を噤んだ。何を言おうとしたのか、深い悲しみに満ちた瞳をしていた。

「そうですか、それで紫龍君が納得してるなら、もう私は何も言いません。ただ、血管が脆くなってきてるのは確かです。十分に気をつけて下さい」

「ああ、わかった」

 剣持は呆れたように溜息をつくと、紫龍の背中を向けて病室を出て行った。

 激しく降る雨の音が、病室に響いてる。その音が紫龍の心をザワザワを微かに刺激していた。

 自分の意思とは別に背負ってしまった重荷、自分がこの世から消えてしまう事への怖れ、愛する者を失った記憶。押し込めていた色々な思いが、徐々に膨らみ、紫龍の顔に苦悶の表情が浮かぶ。

 紫龍は自分の右腕を力一杯に握り締めると、唇を噛み締め、傍らに置いてあったコップを壁に投げつけた!

 コップはプラスティックだったため、割れることは無かったが、軽く甲高い音を響かせ、跳ね返ると。大きく飛び、床に転がった。

 何処にも持って行き場の無い気持ちと、逃げ出していしまいたいと思う気持ちが、激しくぶつかり合い葛藤していた。

 普段、あまり感情的な部分を見せない紫龍だったが、その胸の奥には、誰も知らない深い傷を抱えている事を感じさせていた。

「紫龍、何を苛ついている?」

 低く重みのある声が、病室に響きわたった、その瞬間、紫龍の体が光り、稲光のような細長い光りが体から離れると、それはこの世の物とは思えないほどの美しさを持った、全身黒ずくめの男へと姿を変える。一目見て、人間ではない事がわかる。

 黒い髪に黒い着流し、瞳の色は黒に近い深い青で、水底を思わせる色だった。

 冷ややかなその姿は、どこか紫龍の雰囲気に似ている。

「黒龍、何か用か?」

 紫龍の刺々しい視線が、黒龍と呼ばれた人外の者に向けられる。

「お前の負担を少しでも減らしやろうと思ってな」

「何を今更、この体にお前を宿してる限り、俺の寿命は食い尽くされていく」

「仕方があるまい、それが古より我と凪家の間に交わされた、契約なのだから」

 黒龍は愉快そうに笑みを零す。

 この黒龍という人外の者は竜神である。凪家は自らの血族から、竜神が選んだ者を、贄として差し出す事を条件に、凪家の守り神となる事を、竜神と契約をしていた。

 紫龍の体は、黒龍の存在のよって、徐々に人間としての機能を侵され、崩されていこうとしていた。

 紫龍が、凪家を化け物扱いしたのは、これが理由だったのであろう。

「紫龍、お前は自分のおかれている状況を呪っているのか? それとも過去の出来事にまだ縛られているのか? アイツは自らお前の手を放した」

「黙れ!」

 紫龍は黒龍の言葉に激しく一喝して、突き刺すように睨み付ける。黒い瞳は殺気にもにた光りを放っていた。

「おお、怖! あまり強い力を使いすぎると、また血管が破れるぞ」

 黒龍はそう言い、皮肉っぽい笑みを浮かべると、光りと化し、紫龍の体に戻っていく。

 紫龍は軽いめまいを感じ、起き上がっていた上半身を、布団の上に倒す。

 眼の前にある、自分の右手を見つめ、その手を爪の痕が残るほど力一杯握り締めた。まるで過去の記憶の中の自分を握りつぶすようだった。


 青威は朱音の手を引いたまま、病院から出ると、紫龍のいる病室を見上げる。

「ム・カ・ツ・ク!!」

 上を見ながら、青威は激しい口調でそう言い、髪の毛を掻き毟りながら、路面を足で蹴っていた。

「ごめん……」

 そんな青威の姿に朱音は弱々しくそう呟き、揺れる瞳を青威に向ける。

 青威は、そんな朱音にも怒りを感じていた。

「朱音ちゃん、いいかげんにしろよ! 確かにアイツは病気かもしれない、それに関しては、まあ、確かに不運だと思う。だがな、だからって、やっていい事と悪い事がある。何でもかんでも許す事が優しさじゃねえだろう!」

「だから、あれは……」

 青威の言葉に圧倒されながらも、朱音はそう言い掛け、後の言葉を呑み込んでしまう。

 口に出してしまう事を躊躇したくなるような言葉が、朱音の胸に収められ、表情は悲しい影を宿して、涙となった。

「朱音ちゃん……わかってる、アイツは俺達をわざと遠ざけてる……わかってるから、泣くなよ」

 青威はそう言いながら、朱音の艶やかな黒髪を優しく撫でた。

 そんな二人を包み込むように、雨の音が激しさを増し、朱音の悲しみに共鳴しているかのようだった。 


 朱音と青威はタクシーに乗って、家まで帰ってきた。

 タクシーの中での二人は、殆ど口を聞かなかった。一言でも言葉をだしてしまったら、紫龍の未来を認めざるをえないような気がして、怖かったのかもしれない。

 家に着く頃には、雨は小降りになり、屋根を叩く音も小さくなっていた。

 

 青威と朱音は、雪絵に離れの鍵を貰い、ドアを開けて中に入る。するとワタゲが玄関先で、主人である紫龍を待ち構えるかのように座っていた。

 緑色の瞳が、二人の姿を映すと、淋しそうに、ニャーと一鳴きして、青威に近付いてくる。

「ワタゲが、兄貴以外の人間に近付くなんて珍しいわね、やっぱり猫にもわかるのかな? 安心できる場所が」

 朱音はそう言って、ワタゲの緑色の瞳を覗き込んだ。

 青威は心の中で、密かに苦笑いを浮かべる。変なヤツから安心できる。に格上げになったのは嬉しかったが、自分の朱音に対しての思いが深くなればなるほど、近付くのが怖くなっていく青威がいた。

 やはり母親を亡くした事が、影響しているのだろうか。


 青威はワタゲを優しく抱き上げると、黒い艶のある毛を優しく撫でる。

「ワタゲ……お前は黒いのに、なぜワタゲなんだ? 朱音ちゃん、理由知ってる?」

「ううん、兄貴がなぜそう名づけたのかわからない」

 朱音も不思議そうな表情を浮かべていた。


 ワタゲは青威の腕の中で、気持ち良さそうに、目を閉じていた。

 そんな、ワタゲを抱く青威を見て、朱音は優しく微笑み、いつのまにか心が穏かになっている自分に気付き、その心地よさにクスリと笑っていた。

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