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       〜温かい心〜

「再生不良性貧血!?」

 病院の廊下で、医者を目の前にして、青威はそう聞き返した。

「ええ、まあ、症状はまったくそれと同じなのですが、紫龍君の場合は、原因が大きく違うんです。私のような医者という立場よりも、本人の霊能力者という立場の方が、原因ははっきりとわかっていると思いますよ」

 医者はそう意味ありげに言う。

 この医者は剣持卓けんもち すぐるといい、学園きっての美女教師、露原の婚約者であった。

「それで、大丈夫なのか?」

「今は大丈夫ですよ。ですが……あまりにも急激に白血球等の数値が低くなって、風邪をひいたり怪我等とした場合は、私も責任は持てません。原因が医療の分野ではないので、いつどうなるのかも予想がつかないのです」

 剣持はそう言うと、青威に軽く頭を下げ、暗い廊下を歩いていく。やけに白衣が浮き上がって見えていた。


 市内で一番に大きいな総合病院である。

 薄暗い廊下に、非常口の緑の光りだけが、異様にはっきりと輝いて見えていた。


 紫龍は点滴を打ちながら、真っ白な天井を見つめていた。

 血で汚れた顔も綺麗になっており、瞳に力は無いものの、顔色は元に戻りつつあった。

「青威を連れて行くんじゃなかったな」

 紫龍はそう小さく呟くと、溜息をつく。

 眉間に重い痛みが残っている。何日も前から兆候はあったのに、気をつけなかった俺のミスだな。

 まさか、あそこでぶっ倒れるとは思っても見なかった。考えが浅はかだったか……いや違うな。俺自身が青威の存在に希望を感じちまってる。ったく、そんなつもりじゃなかったのに。

 弱気になってる自分がいるって事か……情けねえ。

 紫龍は自分の病状を青威に知られてしまった事を後悔していた。

 病室のドアが開き、青威が見るからに不機嫌な表情を浮かべ現れた。

「紫龍……一発殴らせろ!」

 青威のいきなりの言葉に、紫龍は鼻で笑う。それは何か安心しているような雰囲気を感じる笑みだった。

「理由は?」

「お前に無性に腹が立つから!」

 青威は言い終わらないうちに、紫龍に殴りかかる。紫龍は微動だにせず、目を閉じてそれを素直に受け入れる素振りを見せる。そんな紫龍の姿を見て、青威が殴れるわけがなかった。一応病人なのだから。

 青威の拳は紫龍の頬に触れる直前で止まり、溜息をつくと手を下ろして、ベッドの傍らにある椅子に腰をかけ、紫龍の顔を覗き込むように見つめた。

「聞かせてもらおうか、お前がなぜこんな状態なのか?」

 青威の言葉に紫龍は、視線を逸らし、眼の前の壁を見つめる。青威はその仕草にムッとして、無理矢理紫龍の視界に入るように、壁の前に立ち、紫龍を睨んだ。

 青威の紺碧の瞳が輝いて見えた、紫龍の心の奥底までその輝きが届きそうな気がして、紫龍は不快感を感じる。というよりは怯えに近かったかもしれない。

 自分の中に、悪足掻きをしている自分の存在に気付き、また悲しみに襲われそうな気がして、冷たい自分を作り、自分自身が崩れないように守る。

「話すつもりはない、俺はお前と馴れ合いたくもない」

 紫龍は、眼の前の紺碧の瞳を突っぱねるように、そう言い放つと、鋭い視線で青威の瞳を睨みつけた。冷ややかないつものような力のある瞳だった。

「そうか、お前は、俺の事が嫌いだったな……そうやって、人を自分から遠ざけて、自分がいなくなった時のための準備をしてるのか?」  

 青威のその言葉に反応するように、紫龍の手が動き、布団を握り締める。

「だけど、朱音ちゃんにはそうはいかねえよな……俺達のように浅い関係じゃねえ。それに朱音ちゃんのお前に対する思いは、兄妹の枠を超えちまってる」

「俺にどうしろと? 生きてる間にせめて女として見てやれって、言いたいのか? アイツは俺にとって唯一の家族だって言ったじゃねえか、それ以上でもそれ以下でもないんだよ」

 紫龍の言葉が終わったその時、廊下で物音がする。青威の中に嫌な予感が走り、勢いよくドアを開けた。すると走り去る足音とともに、廊下の向こうに朱音の後姿が見えた。

 朱音は、青威から、紫龍が病院に運ばれたと聞き、急いで駆けつけたのだった。

「朱音ちゃん!」

 青威は、そう叫びながら、駆け出していた。自分に何が出来るのかわからない。もしかしたら余計に傷つけるかもしれない、だが放っておく事は出来なかった。

 

 紫龍は白いベッドの上で、静かに笑いを吐き捨て、溜息をつく。

 朱音の気持ちには気付いていた、だけど俺は、朱音に限らず、人を愛する事が出来ない。  人の気持ちも命も儚く脆い。信じていても、するりと掌から逃げ零れてしまう。失う事の悲しみ、苦しみ。もう二度と、あんな思いをしたくない、させたくない。

 だから、俺は一人でいい……一人にさせておいてくれ……。

 紫龍は、人と関わり傷つく怖さを知っていた。その怖さから逃げるために、無表情で無口で、口を開けば冷たい言葉しか出さない。人を拒絶する事で、自分の心を守ってた。

 お願いだから、俺の心をかき乱すな……「俺の事を嫌いだ」と、そう言って、俺を安心させてくれ。

 青威、お前は、この先、俺を……俺を、殺さざるをえない状況になるかもしれないんだから。

 俺の大切な唯一の家族を守るために、存在する無二の人間……

 紫龍は、心でそう叫び、揺れる瞳で、点滴から落ちてくる雫を淡々と見ていた。 


「朱音ちゃん!」

 青威の声に、朱音の足が止まり、眼の前にある大きな窓にゆっくりと近付くと、背中を向けたまま、言葉を静かに紡いでいく。

「知ってたんだ、兄貴の気持ちは。うん、私の事、妹にしか思ってないってわかってた。だからね、兄貴が他の人を好きになってもいいって思ってた。うん、そう、兄貴には本当に好きな人を作って欲しいと思ってた」

 後ろ向きのままの朱音が、肩を震わせそう言う。青威は朱音の背中に手を伸ばし、触ろうとして手を止めた。

 また怒らせてしまうか……そう思ったが、眼の前の儚げな背中をそのままにしておく事ができなかった。

 青威は後ろから優しく、朱音を抱きしめる。

 朱音は一瞬、目を見開き驚いた。だが、前の時とは違う。そんな青威を受け入れ、優しさに縋りたいという、弱い自分が朱音の中に存在していたのかもしれない。

 朱音は、自分を抱きしめている腕に、優しく手を添え、微かに微笑んだ。

「嘘をつくな……そんなの綺麗事だろう。好きな人が自分じゃない人を好きなったのを見て、平気なわけがない……平気でいれるはずが……ない。悲しかったら泣けばいい、悔しかったら、俺でよければいくらでも愚痴を聞くよ。だから無理はするな」

 青威の声が、朱音の耳元に響く。温かく優しい響きの声だった。

 朱音の瞳から、溢れるように涙が流れてくる。今まで長い間、心の中に蓄えた思いが一気に溢れ出すように、それは止めどなく流れていた。

「もう、朱音ちゃん、可愛すぎ。世の中は広いぞ、男は紫龍一人じゃない、ほらよく見て、すぐ後ろにもいい男が!」

 青威はできるだけ明るい声でそう言った。朱音はその冗談を聞き、涙を流しながらも、クスリと笑い、心が少しづつ温かくなるのを感じていた。


 青威はあったかい。


 朱音は心の中で、そっと呟いた。

 ここで、青威と朱音の気持ちには誤差が生じている。

 青威の言葉は冗談でなかった。本気そのもの。ただ、朱音には冗談だと取られる事を重々承知の上で言った言葉だった。

 好きな人が、自分以外の人を好きになってしまったら、応援する……なわけない。

 青威は、前に自分自身が思った事が、自分の気持ちに嘘をついている事だと、悟ったのだった。自分自身に嘘をつく、それは自分自身を守るための本能なのかもしれない。


 窓の外は雨が降り出していた。

「どう? 少しは落ち着いた?」

「うん、もう大丈夫」

 朱音の言葉に、青威はそっと抱きしめていた腕を解く。朱音は青威の方を向いて、涙で濡れたままの顔で弱々しい笑みを浮かべていた。

「紫龍の所に戻る?」

「うん、やっぱり心配だから」

 朱音は悲しいほど優しく笑った。青威は心が痛かった。それが朱音の痛みを感じてのものなのか、自分自身の痛みなのかは、わからなかった。 

 ただ切なくて、悲しくて、苦しかった。


 紫龍は、窓をたたき付ける雨を見ていた。

 あの日も雨が降っていた、右手をすり抜け遠ざかった手、あれは俺の意思だったのか、アイツの意思だったのか、それとも龍の意思だったのか。

 紫龍は眉間にしわを寄せ、記憶の中に光り輝く、純真無垢な真っ白い心と、自分と同じ顔を持つ、産まれたての赤ん坊のような瞳を思い出し、苦しそうに顔を歪めると手で顔を覆った。


 あの日、俺は全てを失ってしまった。


 一番、望んでいた物、愛するという感覚、愛されるという感覚。

 愛されたかった、自分だけを見て欲しかった。それを望んだばかりに、俺は自分の片割れを失い、母の愛情も失い、父の臆病な心に追い立てられるように、凪家に逃げ込んだ。

 紫龍もまた、凪家の養子だったのだ。

 ただ、この事実は朱音も知らず、知っているのは、時雨と、亡くなった紫龍の養父母だけであった。


 廊下の外で、朱音と青威の明るい会話が聞こえてくる。

 紫龍はその声を聞き、ゆっくりと顔を上げると、一安心したような笑みを浮かべ、窓の外を見つめていた。

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