〜強い心〜
離れの戸締りを雪絵に頼むと、紫龍と青威は車に乗り込む。
青威は背もたれに体を沈めた、その時、顔を歪ませ身を浮かせる。昨日の幽霊騒ぎで傷ついた背中に、痛みが走ったのだ。
「大丈夫なのか?」
「平気、平気」
「今日は無償じゃ助けねえからな、自分で何とかしろよ」
いつもと変わらぬ冷ややかな言葉を青威に投げつけ、紫龍は車を発進させた。
外灯の光りが、流れ過ぎていく。
何の音も無く、微かに街の雑踏と、車が風を切り、走り抜ける音だけが聞えていた。
紫龍は運転しながら、横に座っている青威の視線に気付いていたが、何も言わず、ただ真っ直ぐに前を見つめる。
紫龍は沈黙に慣れていた。と言うよりも、好んでいたのかもしれない。
特に仕事の前は、あえて音楽もかけず、ピンと張り詰めた緊張感の中に、自分自身を置く事を心地よく感じていた。
先に沈黙を破ったのは青威の方だった。
沈黙を苦手とする青威には、その場の雰囲気が重く感じ、耐えられなかったのだろう。
「仕事って、幽霊退治?」
青威の問いに、紫龍は、一瞬、青威を見て前を向き、無表情で口を開く。
「ああ、たぶん」
「場所は?」
「ファッションショーの会場だ」
紫龍の言葉に、青威は紺碧の瞳を輝かせる。
「お前の好きな、女が沢山いるな」
紫龍の冷たい言葉が、青威の心を見透かしたように、下心目掛けて投げつけられた。
「紫龍だって、男なんだから、嫌いじゃねえだろう?」
「……俺は、女には興味ねえから」
何も感情を感じさせない口調で、紫龍は静かに呟く。青威はそんな紫龍の姿に、さっきまで話していた事を思い出す。
死を眼の前にしたような物言いだった。
青威はその全てを振り払うかのように、脳裏にこびり付くマイナス思考を、無理矢理プラス思考に変え、楽天家の青威へと変貌する。
「まさか……まさか……しいちゃんは、チェリー君なの?」
青威のその言葉に、いつも無表情な紫龍も顔色を変えた。
いつもの氷のように冷たい表情が、一気に真っ赤に染まり、ハンドルを握っている手が、ワナワナと震えている。
図星であったに違いない。
青威は、噴出し大笑いをする。涙を流し、腹を抱えていた。
青威は、完全無欠な紫龍の弱みを握って、優越感に浸り、紫龍の顔を見ながら、どうにも笑いが止まらないようだった。
「うっせえよ」
紫龍はそう呟く事しか出来ない、自分に苛立っているように見える。
「うんうん、俺が先輩として色々教えてやる」
青威はそう言って、紫龍の肩をバシバシ叩く、紫龍の方は不機嫌この上ない顔をして、その手を払い除けた。
「そんな事ばっか言ってると、朱音に言うぞ。お前の後ろをウロチョロしてる女の事」
紫龍のその言葉に、今の今まで笑っていた青威が、急に真顔になって、紫龍の顔を覗き込んできた。
「いいよ、言っても……俺、朱音ちゃんと付き合う気ないもん」
「俺には、お前が、朱音に対して本気に見えたぞ」
「本気だよ……たぶん、初めての本気。だから付き合わない」
青威はそう言って、紫龍から目を逸らし、窓の外を眺めていた。
栗毛の髪の毛越しに、景色が後ろへと流れていくのが見える。窓硝子に映る青威の顔が、何処と無く悲しげに見えていた。
「……そうか」
青威の言葉に、紫龍は納得したように微笑むと、それ以上何も聞かなかった。
珍しく、紫龍がオーディオに手を伸ばし、再生を押す。お互い無言のまま、空間の中に淡々と静かに Metisの『花鳥風月』が流れていた。
車は市内で一番大きい公園の駐車場に入って行く。
ファッションショーの会場とは、野外会場らしい。
紫龍が来るのを待っていたのか、グレーの背広を着た優しそうな雰囲気の男が立っていた。
「すみません、急に呼び出してしまって」
この男は、桜井裕二と言い、今回のファッションショーのデザイナー兼モデルをやってる月島未来のマネージャーだった。
「月島が、ちょっとスポンサーとトラブルまして、今日しか出来なくなったんです」
桜井の言葉を聞いているのか、いないのか、無表情のまま辺りを見回し、会場へと足を進めて行く。
「……はあ、月島といい、凪さんといい、なぜこうもやりにくい人間にあたるんだろう」
桜井は、紫龍の後姿を見ながらそう呟き、会場へ向う足取りは、力も弱く歩幅も小さかった。
青威はクスクスと笑う。
桜井の姿を目にして、仲間がここにもいたか、と奇妙な嬉しさを感じ共感したのだった。
会場に着くと、リハーサルの真っ最中で、人が忙しそうに動いている光景が目に入る
「おい、そこの霊能者! 遅い。ちゃんと報酬は支払ってるんだ、その分の仕事はしてもらわないと、こっちだって遊びじゃないんだから」
そう声を張り上げたのは、月島未来だった。
身長が高く、黒髪をアップにして、刺々しい雰囲気を漂わせている。二十歳に見えないほど大人っぽかった。
この自分勝手な物言い、冷たい言葉は、紫龍を超えているかもしれない。
紫龍は、客席に座ると、未来の言葉に怒る事も無く、ただステージを眼の前にして、ゆっくりと視線を動かしている。
青威は、そんな紫龍の横に座り、眼の前のリハーサルを満面の笑みで見ていた。
「綺麗なお姉さまが一杯だ、これだけの美女揃いだと嬉しくなるね……だけど俺の好みとしては、もう少し背が低くて、胸が程好く手に納まるくらいで、ウエストがキュッとして、お尻は可愛らしくプリッとね」
「隣でゴチャゴチャうるせえよ。品定めするなら、もう少し静かにやれ」
静かなトーンだったが、紫龍の苛立つ声が響き、青威は仕方がなく口を噤んだ。
ステージ上のリハーサルでは、クライマックスの調整に入り、未来が男性モデルと腕を組んで、中央からその長身を活かした美しい身のこなしで、ステージから客席へと続くスロープに向って、真っ直ぐに歩いてくる。
その時だ、紫龍の隣で、青威はいきなり立ち上がる。
紫龍はすでに走り出していた。青威もステージに向って走り出す。
何かの軋む音がステージの頭上で響き、次の瞬間、ライトが下にいる未来目掛けて落下してい来る。
青威は未来に抱きつきながら、そのままステージ奥へと飛び、紫龍は男性モデルを庇うようにして飛び込み、ステージ上に転がりライトを避けた。
凄まじい音と共に、硝子の破片が飛び散る。
そんな大きなライトではなかった事が幸いして、皆、怪我をする事はなかったが、ただ一人、青威だけが背中の傷が痛むのか、苦痛に顔を歪め、しばらく動けなった。
「ありがとう、助けてくれて」
未来にそう言われて、青威は痛みなんて何処へやら、消えてなくなりすぐに笑顔になった。
やせ我慢をしているだけかもしれない。
「いえいえ、女性を守るのは、男の役目ですから」
「そう、じゃあ、お礼を言う事もなかったかしらね。それはそうと、いい加減私に上から避けてもらえる」
未来の言った言葉の最後は、怖いくらいに凄みのある声だった。青威は身の危険を感じ、飛ぶように未来の上から体を避け、立ち上がった。
「大丈夫か? 背中の傷」
「ああ、だけど月島未来、恐るべしだ。思ってた印象と全然違う」
「人間は見た目じゃ判断できない。今日は勉強になったじゃねえか」
紫龍の淡々とした口調に言われると、青威の中にモヤモヤと嫌な風が流れ込んできて、苦笑いするしかなかった。
「今日のショーは中止にしよう」
桜井がそう言って、未来の肩に手をかける。
未来は唇を噛み締めると、桜井を睨みつけて、肩に置いた手を払い除けた。
「ショウーはやるわよ! 幸い皆、怪我は無かったわけだし、小さなライトだけだったわけだから、支障はないはずよ」
未来の言葉に、パートナーである男性モデルが青ざめ口を開く。
「悪いけど、俺はごめんだ。この仕事は降ろさせてもらう」
周りのモデルやスタッフ達も、桜井の意見に賛同しているようだった。
「お前、早死にしたいのか? それなら周りを巻き込まないで、勝手に死ねよ」
紫龍の冷ややかな言葉が、容赦なく真っ直ぐに未来に突き刺さっていく。
未来は立ち上がると、紫龍に近付き黒い瞳を真っ直ぐに見つめて、フッと笑みを零した。
「それで、この事件の犯人はわかったの? 何のために貴方を雇ったと思ってるの? このショーを成功させるために雇ったのよ。ここまで来るのに何年かかってると思うの。このショーを待ってくれてる人だって、沢山いるのよ」
未来は、凛と揺るぎない瞳で、紫龍にそう言い放つ。
「本当に死ぬぞ」
「他のモデルには迷惑はかからないわよ。狙われているのは私だけ、それにパトーナーは霊能者、凪紫龍にやってもらうわ」
紫龍の冷ややかな言葉に動じず、まるでそれをこっぱ微塵に打ち砕くかのように、未来は鋭い雰囲気を漂わせそう言った。
「俺をパートナーにしても、生きていられる保障なんて何処にもないぞ」
「保障? あるわよ……此処にね。私は、絶対に死なない!」
未来は自分の胸を手で押さえ、そうきっぱりと言葉を口にする。その言葉には心の中の容量だけでは足らず、溢れ出すほどの力強い響きを感じさせた。
紫龍の表情が、ほんの少し和らぎ優しい雰囲気を漂わせる。
「……そうか……じゃあ、俺は俺の仕事してやる。他のモデルの事は俺が保障する」
「ありがとう」
紫龍と未来は、お互いに微かに微笑んだ。
自分の意思を曲げて、相手の意思を尊重する紫龍の姿を、青威は初めて見たような気がしていた。




