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紫龍の心 〜義務〜

 紫龍はワタゲの黒い毛を優しく撫でながら、夜空に瞬く星を見ていた。

 硝子戸が開けられた縁側から、雨が近いのか、ほんの少し湿り気を帯びた風が吹き込んで、紫龍の漆黒の髪の毛を揺らし通り過ぎて行く。

「入るぞ」

 襖の向こう側から、青威の声がした。

 青威が紫龍の元を尋ねる等、珍しい事もあるものだ。

「ああ」

 紫龍の低く静かな声が響くと、襖は静かに開けられ、青威が姿を現した。

「何の用だ?」

 紫龍はいつもの如く、無表情で言葉少なにそう言い、青威の顔を見る事もせず、ただ空を見つめていた。

「……いや、昨日は助けてもらって、お礼を言ってなかったな……と思ったから」

「社交辞令なら、いらねえよ」 

 紫龍の言葉に、青威は内心、可愛くねえヤツ! と思ったが、そう言えばこの家に来てすぐ、自分も似たようなセリフを吐いた事を思い出し、それが可笑しくて思わず鼻で笑った。

 青威は、できるだけ紫龍の視界に入ろうと近付くが、近寄りがたい雰囲気が、青威の行動を妨げる。だが、簡単にあきらめるタイプではない。

「俺、お前の背中に龍を見たような気がするんだ」

 青威は紫龍をなんとかして自分の方へと向かせようと、話そうと思っていた話題の順番を変えた。最後の切り札を最初に使ったのだ。

 青威の策略通り、紫龍は涼しげな瞳を青威に向け、何かを見ている。青威ではない何かを。

 そして、フッと目を伏せると、座っている傍らにあった煙草を手に取り、一本咥え火をつけ、また外を眺める。

「紫龍君、駄目ですよ、高校生なのに煙草は」

 青威は茶化すようにそう言って、紫龍の反応を見る。

「残念だったな、俺は二十歳だ」

 紫龍は青威の瞳の奥まで貫くような視線で見つめ、冷ややかな笑みを浮かべた。

 青威は「そうだった」と、わざとらしく気付いた振りをする。どうやらこれも青威の策略だったらしい。

 紫龍はそれに気付いたのか、鼻で笑うと煙草を吸い、煙を吐き出す。煙が紫龍を薄っすらと覆うようにユラユラと揺れ、上へと昇り消えていく。

「お前、どれだけ女を泣かせてきた?」

 紫龍は冷めた目で、青威の後ろ側へ目をやり、淡々と言葉を発した。

 その突拍子も無い問いに青威は面くらい、紺碧は瞳を見開く。

「お前の周りを、女がウロウロしてるぞ」

 紫龍の言葉が的を射ているのか、青威は思いつく言葉が無く、ただ口をパクパクさせている。まるで金魚が餌を食べる表情のようだ。

「心当たりがありすぎるのか?」

「ま、まあね、俺はモテルからね。そういう紫龍だって、その身長にキリッとした顔、モテルんじゃないの? 俺より女を泣かせてたりして?」

 青威の小さな反撃だった。

 紫龍の心に探りを入れつつ、言葉で挑発してみる。だが、そんな挑発にのる紫龍ではない。

「……俺は、人を愛さないし……愛される資格もない」

 紫龍はそう言って、煙草を咥えると、またゆっくりと顔を上げ、空を見つめる。長い睫毛が、ぼんやりとした外灯の光りを受け揺れていた。

 そんな紫龍を見て、予想していた反応とあまりにも違う答えに、青威は怪訝そうに顔をしかめる。

「……お前、朱音ちゃんの事、どう思ってるんだ?」

 青威は、紺碧の瞳で射抜くように、紫龍を睨むように見つめる。その瞳は凛と精悍で、朱音への思いの深さを感じさせる雰囲気を持っていた。

「妹だと思ってる。それ以外、どう思えと言うんだ?」

 淡々とした紫龍の態度に、青威は顔を赤らめ怒りを露にする。

「六年前の事故の事を聞いた。お父さんとお母さんを亡くして、お前は瀕死の重傷だったてな……朱音ちゃんとお前が本当の兄妹じゃないってのも聞いた。朱音ちゃんはお前の事、もの凄く大事に思ってるぞ、お前だってそうなんだろう?」

 青威は紫龍の表情を伺うが、顔色一つ変えずに手に持っていた煙草を握りつぶした。

 少しだけ肌が焼ける匂いが漂い、鼻をつく。

「俺は恋だとか愛だとか、そんな感情でアイツを見た事はない……俺にとってアイツはたった一人の家族だ。全てを無くしてしまった俺にとってのな……」

 紫龍はそう言いながら溜息を一つつくと、一呼吸置いてまた話し出す。

「青威、この凪家は不気味な化け物だ。自分にとって糧となる物を見つけると、それを容赦なく呑み込み、自分の物にして大きく成長して行く」

「なんだよ、それは、お前の言葉はまどろっこしくて、わかり難いんだよ」

「俺の背中に龍が見えたって?」

「ああ」

「じゃあ、朱音の右目は何色に見える?」

 紫龍の言葉に、青威は一瞬言葉を呑み込んだ。

 なぜ言葉が出なかったのか……真実を知るのが怖いのか、朱音に対しての優しさなのか、それは青威自身にさえもわからない。

 紫龍は、煙草を握り締めていた手を、ゆっくりと開く、火傷した痕が痛いたしかったが、顔色一つ変えず、掌の中にあるひしゃげた吸殻をただ見つめ、静かで冷ややかな言葉を青威に投げかける。

「真実を知るのが怖いのか……俺達の親が死んだ理由は聞いたんだろう?」

「聞いた……朱音ちゃんが狙われて、意図的な霊現象に襲われたって、それって、誰かが裏でそういう力を使ったって意味だよな?」

「ああ、そうだな……今なら、お前の母親がこの家から逃げ出した、理由がわかる気がする。それが出来た事が羨ましくもある。昔俺が言った言葉、お前の母親を侮辱した事は謝る。悪かったな」

 紫龍の表情に一瞬、悲しい影が差す。

「今更、何だよそれ、母さんの事が羨ましいって思うなら、お前だって当主なんか辞めて、この家を出ればいいじゃねえか!」

 青威の顔には困惑と苛立ちの色が見えた。

 ずっと心に引っかかっていた言葉、それを今更、いとも簡単に認めて謝られ、自分の気持ちの持って行き場を失くしてしまっていた。

「そうだな、いずれそうなるだろうよ。そうなれば青威、お前は朱音を手に入れらるぞ」

 紫龍は皮肉っぽい笑みを浮かべ、青威の顔を蔑むように見つめた。

 青威の表情がみるみる怒りで満ち、考えるよりも先に握り締めた拳が、紫龍の頬目掛けて飛んで行く。

 紫龍は表情を変えることなく、その拳を左手で握り締め、青威の瞳を射抜くように見つめると、まるで心の中まで入る込むような声で呟いた。

「朱音が俺の事を愛するという事は、大きな悲しみを生む事になる。愛する者を失った時、途轍もない悲しみが襲う。それはお前がよく知ってる事だろう」

 青威は途端に力が抜け、その場に座り込む。

「それって、どういう意味だ?」

「そのまんまの意味さ」

「朱音ちゃんがお前を愛する事で、なんで悲しい思いを……」

 青威はそこまで言いかけ、この間、この離れで紫龍が倒れていた時の、朱音の行動を思い出し、いきなり紫龍の体に掴みかかると、左腕の袖を捲り上げる。

 驚いた……。

 腕の何箇所かに、内出血の痕が見られ、それは打身とは違うように見えた。

 紫龍は慌てて、青威の手を振り払い、立ち上がると、眼の前の庭に出て静かに佇む。

 今の慌てぶりは、普段の紫龍からは想像のつかない姿だった。

「お前、まさか……」

 青威の脳裏に、涼香の占いでの死神のカードの事が過ぎり、その後の言葉を呑み込んでしまう。

 紫龍は鼻で笑い、静かに言葉を紡ぐ。

「凪家にとって、朱音は必要不可欠な存在。朱音には俺が必要、それは愛だとかそういう事じゃなく、アイツを笑顔のままで毎日を送らせるために俺がいる。それは俺の義務であり、役割。そして俺には……お前が必要なんだよ」

 そう言った紫龍の背中は淋しげで、今まで青威が見てきた姿とは、別の人間がそこにはいるようだった。

「ああ、もう、面倒くせえな。凪家にとって誰が必要だとか、そうじゃないとか、俺は人形じゃねえっつうの!」

 青威は、紫龍の口から淡々と紡がれる言葉に、怒りを感じながら吐き捨てるようそう言った。

「だから、俺はお前が嫌いだ」

 紫龍は青威の方を振り向くと、静かにそう呟く。

「俺は、ちょっとお前の事を、知りたくなった」

 照れながら言った青威の言葉に、紫竜は不機嫌そうな表情浮かべ、髪の毛を掻き揚げ、ポツリと呟く。

「やっぱり……お前が嫌いだ」

「はん、言ってろよ。和解しようとする俺の方がずっと大人だな」

 

 二人の会話を裂くように、携帯電話の音が鳴り響いた。

 紫龍が電話を取り、話し込んでいる。何やら難しい話なのか、顔つきが険しくなり、声のトーンも低くなっていく。

「ああ、わかった。今から行く」

 そう言って、紫龍は電話を切り、青威の姿を横目に家に上がると、車の鍵を手に、出て行こうとする。

「まだ話は終わってねえぞ」

 青威は紫龍を引き止めるようにそう言い、紫龍の手を掴んだ。

「これから俺はお仕事、お前みたいに学生オンリーじゃねえんだよ……それともついてくる勇気があるか?」

 紫龍は挑発に、青威はまんまとのってしまう。

「行ってやろうじゃねえか!」

 青威は息巻いてそう言い、紫龍の後をついていった。

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