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           〜心霊〜

 学園裏の林に一台のバイクが、走り込んで来て止まる。メットをとって現れたのは、紫龍であった。

「朱音たちは林の中だな? いいか、俺が帰って来るまでここから絶対に動くなよ」

 紫龍はそう言うと、凛と瞳を輝かせ林の中へと走りこみ、姿を消して行く。

 後に残された望月、考祥、桃子の三人は顔を見合わせ、紫龍の慌てっぷりに言い知れぬ不安を感じていた。


 微かに青威を呼ぶ声がした。

「青威……青威……」

 青威はその声に誘われるように、ゆっくりと目を開ける。

 霞んだ視界の中に一つの影が揺れ、それは徐々にはっきりと姿を現していく。

「朱音ちゃん……此処はいったい」

 青威はそう言いながら辺りを見渡す。自分の背中には崖肌があり、上を見上げても空は見えなかった。

「こんな所に崖があるはずないのよ。もしかたら……何かの霊現象かも」

 凪家の人間が言うと、恐ろしく信憑性があるように感じた。だが青威は、その場のそんな雰囲気を気にもせず、朱音に笑顔を向け口を開く。 

「朱音ちゃんは、大丈夫?」

「うん」

 朱音はそう言い、気まずそうに青威からフッと目を逸らせる。ついさっきの紫龍の話が心に引っかかっているのかもしれない。

 何ともいえない嫌な雰囲気が二人を包んでいた。青威はこんな煮え切らない中途半端な状態が一番嫌いであった。自分の気持ちも朱音と紫龍の事もはっきりさせたい、そう思い口を開いた。

「朱音ちゃん、一つ聞いてもいいかな? あ、答えたくない場合は、黙秘権を使ってもいいから」

 青威の言葉に、朱音は青威の方を見ずに、真っ直ぐ前を見つめて口を開く。

「……何を聞きたいの? いいよ、答えられる事なら何でも答えてあげる」

 朱音の不機嫌そうなその言葉に、青威は少し苦笑いを浮かべた。

「紫龍の事なんだけど、朱音ちゃんの命を守ってくる存在だって言ったよね? どういう意味なの」

 青威の問いに、朱音は目を伏せ少し考えてから、ゆっくりと顔を上げて遠い日を思い出すように、何も無い林の向こう側を見つめて口を開く。

「あれは今から六年前、私達兄妹と両親は出かけた先で、事故にあった。意図的な霊現象に襲われたの……と言っても信じられる?」

 朱音はそう言って、青威の顔を見る。

 青威は朱音の瞳を真っ直ぐに見つめて、大きく頷いた。そんな青威の反応に、少し驚いて微笑むと、朱音は言葉を続ける。

「狙われたのは私だった……両親は私を守るために命を落とし、兄貴は瀕死の状態で、一年もの間意識不明だった。私は災いの種なのよ」

 朱音はそう言って、眼帯で隠された右目を手で覆い、今にも泣きそうな表情を見せる。

「命を落としたって……それって初耳なんだけど」

「青威は知らなくてあたりまえなのよ。せっかく凪家と離れて、幸せに暮らしているのに、あえて恐怖を与える事はないって、お婆様が知らせなかったの」

「そんな事が……ごめん、俺、何も知らなくて」

 青威はそう言って紺碧の瞳を伏せると、悲しい影の差す表情を浮かべる。

 やはり凪家は陰で特別な何かをしている。そして何かの理由で、朱音たちはその巻き添いをくい、悲しい事件が起こった。

 青威は凪家に対して持っていた疑惑を、確信へと変えたのだった。

「もしかして紫龍が二十歳で高三なのは、意識不明だったから?」

 青威の言葉に、朱音は静かに頷き、流れて来る涙を必死に拭っていた。

 朱音のその悲しみに満ちた表情を見て、青威も胸が締め付けられるように苦しかった。

 聞かなければよかったか? 青威は心の中でそう自問自答し、朱音の涙を湛えた瞳を、真っ直ぐに見つめながら言葉を紡ぐ。

「朱音ちゃんは、災いの種なんかじゃないよ。俺は朱音ちゃんの笑顔にいつも助けられてる。母親を亡くしてから本気笑えなかった俺に、笑う事を思い出せてくれた。だから災いの種なんかじゃない」

 青威は満面の笑みを浮かべて、朱音の顔を覗き込んだ。朱音は少し驚いたような表情を見せ、ゆっくりと優しい笑みを浮かべると、濡れた瞳を一生懸命拭っていた。

 青威はそんな朱音の頭を優しく撫でる。

 紫龍に対してのわだかまりが消えたわけではなかった、だが、朱音の紫龍に対しての深い思いの理由を知り、応援しようと、朱音には幸せになってもらいたいと青威は思っていた。


「何か来る」

 朱音の口から微かにそう言葉が漏れ、目の前の鬱蒼とした林に目をやった。何やら人影らしきものが近づいてくる。

 青威はその影に見覚えがあった。

「嘘だ……そんなわけが無い」

 眼の前に現れたのは、まぎれもなく、亡くなった筈の青威の母親であった。  

「青威、会いたかったわ」

 そう言いながら母親は、青威に手を伸ばす。

「青威、それは貴方の母親じゃない!」

 朱音の必死の叫び声も、青威の耳には届いていないようであった。

 青威は母親の顔を見つめたまま、動かなかった。母親の手が青威の首に伸びていく。

「駄目!」

 朱音はそう叫びながら、眼の前の母親の体に体当たりをする。だが、体がすり抜け朱音の体は地面に転がった。

 母親の手が青威の首に掛けられ、締め付けられていく。

「くっ……母さ……ん」

「憎い、憎い、憎い……お前のせいだ」

 眼の前の母親から出てくる言葉に、青威の心はかき乱され、紺碧の瞳から涙が頬を伝い流れ落ちる。青威の中の苦しみに締め付けられた、悲しい記憶が蘇る。

 眼の前で自分の首を掻っ切った母親。血に染まり真っ赤な床に倒れこむ姿。

 何が理由だったのか、未だにわからない。わからないが故に、青威は自分を責め続けていた。


 呑まれるな! 青威、呑まれるな!!

 遠くの方で声が聞こえた。青威はその声に導かれるように、紺碧の瞳を見開く。眼の前に見えたのは、母親ではなく、憎しみが実体化した亡霊の姿であった。

「こ……の……俺から、はな……れろおおおお!!」

 青威の言葉は、言葉自体に力があるかのように、眼の前の亡霊をこっぱ微塵に吹き飛ばした。 

「青威、大丈夫?」

 朱音の言葉に、青威は首に手をあて弱々しく笑う。そんな青威の視界に、朱音を襲おうとしている一つの影が目に入る。

 咄嗟に、朱音の手を引っ張り抱きしめると、自分の体を反転させ、朱音を庇う。

 襲い掛かってきたのはナイフを手にした涼香であった。だが、涼香の気配は感じられず、何かが涼香の中にいると青威は感じた。

 青威の背中には激痛が走り、裂けたシャツの合間からは血が流れていた。

「青威!」

 朱音の叫ぶ声が響き渡る。

 青威の背中に、ナイフがもう一度振り下ろされようとした瞬間、いきなり現われた何者かが、涼香の腕を握り締め動きを止める。

 紫龍であった。

「やっぱり、根源はてめえか!」

 紫龍はそう言うと、腕を掴みあげたまま涼香を地面に倒し込むと、額に手を当て黒い瞳を見開いた。すると涼香の体から黒い影がユラユラと現われ、空気中を漂う。

「消えろ!」

 紫龍のその言葉と共に、黒い影は一瞬にして消え失せてしまった。消える瞬間、微かに「覚えていろ」そんな声が聞こえたような気がした。

「おせえんだよ」

 青威はそう言い、よろめきながら立ち上がる。朱音の方に向けられた背中からは血が流れシャツを赤く染めていた。朱音はそれを見て、胸が締め付けられるように痛んだ。

「無償で来てやったんだ、ありがたく思えよ」

 紫龍がそう言い、自分の頭上に新たな気配感じ身構える。

 地面に降り立ったのは学級長の姿であった。

「学級長?……何なんだよ、これは、誰の仕業だ!」

 青威の中に怒りがこみ上げてくる、自分にとって大事な友人を利用されている事に、腹立たしさを感じていたのだった。

 紫龍が地面を蹴り学級長に近付こうとしたその時、地面から土をこじ開け幾つもの手が飛び出してきて、紫龍の体の自由を奪い、押さえつけられてしまった。それを待っていたように学級長が紫龍に飛び掛る。

「やめろおおお!」

 青威は体の痛みなど忘れ走り出し、学級長に掴みかかり一緒に地面に転がる。

「誰だか知らねえけど、学級長から出て行きやがれ! 誠! お前もお前だ、自分の力でそんないけすかねえヤツ追い出せよ!」

 青威の言葉に反応するように、学級長の表情が苦しそうに歪み、黒い影が青威の眼の前に現れた。

「うざってえんだよ! 俺の前から消えろおおおおお!」

 青威の声が空気を突き刺すように響くと、影は激しく揺れ、空気に溶け込むように消えていってしまった。

 青威が紫龍に視線を移す、紫龍の体は無数の手によって雁字搦めになっていた。そんな紫龍がニヤリと笑う。すると地面一面に、光りが走り風が舞う。その激しさに青威も朱音も目を開けている事ができなかった。


 風が止み、気づいた時には、林の中の道に皆の姿はあった。何事もなかったように風が優しく吹いている。

 涼香と学級長も気が付き、今まで何があったのか、さっぱりわからないようであった。

 涼香と学級長を傷つけないために、二人は貧血で倒れてしまっていた。と朱音が説明し、無理矢理二人を納得させていた。


 紫龍は月明かりの下、凛とした姿で立っている。

「肝試しなんてガキくせえ事、してんじゃねえよ」

 紫龍はそう言って、歩き出した。

 青威はその背中に龍の姿を見る。それは幻覚でも夢でもなく、はっきりとした物だった。

 母親の姿をした亡霊に襲われた時、聞こえた声の正体はきっと紫龍なのだろう、今回ばかりは悔しいが、紫龍に感謝している青威だった。

 これではっきりした。紫龍には、俺とは桁違いの霊能力がある……青威はそう確信していた。


 林の外では、望月達が心配そうな顔で待っていた。

 今回の肝試しでは、誰一人として祠にあるノートに、名前を記入する事はできなかったのであった。

第2章である「心霊研究同好会」が終了いたしました。

ここまで読んで頂いた方々に感謝したいたします。



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