〜落下〜
一昨日の学園での岩倉の事件といい、最近、学園近辺で不思議な事件が起こりすぎている。
紫龍は重い足取りでタクシーを降りると、制服のズボンのポケットから煙草を取り出し、一本咥え火をつけた。
夜の闇の中、風に揺れながら、煙が昇っていく。
その煙を見つめながら、紫龍は溜息をついた。
いつか朝が来なくなる。それが明日なんじゃないか、と思ってしまう恐怖。
眠るのが怖くなったのは、いつの頃からだったか。
紫龍はそんな事を思う自分に対して、呆れたように笑いを吐き捨て、煙草を吸いながら家へと入っていく。
玄関の開き戸を開けると、そこには珍しく時雨が立っていた。
紫龍は不機嫌そうに、時雨から目を逸らし下駄箱の上においてある、灰皿に煙草の灰を落とす。
「紫龍、青威と朱音がな、肝試しに参加すると言って、学園の裏の林に向ったぞ」
時雨の少しかすれた重みのある声が響き、その言葉に紫龍は一瞬、動きを止める。
「学園裏の林だと?」
「ああ、誰の仕業か知らんが、最近、あの辺は悪い気が漂っているだろう。気にならないか?」
時雨はそう言いながら、紫龍を上目遣いに見つめる。
紫龍は表情を少し曇らせ、時雨を睨みつけると、何かに気付いたようにフッと視線を落とし、舌打ちをした。
「止めなかったのは、青威を試すためか?」
紫龍の問いに、時雨はニヤリと笑っている。
「クソババア……」
紫龍はそう絞り出すように言い捨て、煙草を消し灰皿の中に転がすと、玄関から出て、離れの裏にあるバイクのエンジンをかける。
空気を揺さぶるような、低いエンジン音が響き、紫龍は学園へと急いだ。
時間は八時を少し回っていた。
「くじ引きで、誰と組むか決めたいと思います。同じ番号同士の人でカップルになってください」
学級長がそう言って、手作り感漂う、くじを皆の眼の前に差し出した。
待ち合わせ場所には、望月の姿もあった。
男子用の箱には小さく折りたたんだ紙が三つ入っていて、女子用にも同じように入っていた。それぞれ、くじを引き、紙を広げる。
青威は2、考祥は3、学級長は1であった。青威達男子軍団は、女子の誰が何番を引くかを息を呑みながら待ち構えていた。
今年は誰と当たっても、可愛い子が揃っている。男子の表情はいつもにも増して真剣そのもの、授業中とは比べようも無いほど眼差しが熱かった。
朱音は2、その時、青威は心の中で微かに笑みを零していた。朱音の心の中に紫龍がいたとしても、同じ空間に身を置いている事が嬉しいのかもしれない。
涼香は1、桃子は3を引き、それぞれがカップルを組む。
「これが地図です。この林の中にある祠にあるノートに、二人で名前を書いて、帰って来てください。えっと、今回は初めての人が多いので、十分おきに出発をして、もしも前の組みと一緒になってしまった場合は、一緒に行動して帰ってきて下さい。」
学級長は皆に地図を渡した。
「じゃあ、準備はいいな、最初の組みは学級長と涼香だな。じゃあいってらっしゃい!」
望月にそう言われて、学級長と涼香は薄暗い林の中へと姿を消した。
林の中は、意外にも月明かりが差し込んできて、思ったより暗くはなかった。
そんな中を学級長と涼香が、手を繋がず数十センチという一定の距離を保ちながら、歩いていく。
「学級長、手を繋いでもいい?」
涼香からの積極的な突然の提案に、学級長は複雑な心境ながらも、ついつい顔が緩んでしまっていた。学級長が照れながら躊躇していると、涼香の方から手を伸ばしてきて、学級長の手を握ってきた、一瞬驚いたが悪い気はしない。
「どうしたんです、怖いんですか? それとも何か見えたりするんですか?」
学級長の言葉に、涼香は立ち止まり、茂みの向こう側に視線をやると、いきなり学級長の手を力一杯引っ張りながら、走り込んでいく。
学級長の方は、声を出す暇も無く、もの凄い力に引きずり込まれる様な感覚を感じ、手を放そうとしても逆らう事ができなかった。
二人の姿はあっと言う間に、茂みの中の暗い空間へと消えていってしまった。
「さあ、そろそろ十分経つな、次は青威と朱音か、それじゃあ気をつけて行って来い」
望月の言葉に、青威と朱音は二人並んで、林の中へと消えていく。
今日の朱音は制服の時の雰囲気と違う。
白のTシャツに、ローウエストのジーンズを履き、ベルトの赤が映え、スタイルの良さを想像させた。
こういう時って、意外と手を繋ぐタイミングが難しいよな……この間の怒らせてしまった事もあるし、とりえず様子を見てからかな。
青威はそんな事を考えながら、横を歩く朱音の手をチラチラを見ていた。
朱音の横の茂みの中から、葉が擦れあう様な音がして、青威と朱音は一瞬体を強張らせ足を止める。
朱音の手が、青威が着ているTシャツを握り締めていた。
かわいい。青威はその手を見てクスリと笑い、そっと自分の手を添え握り締めた。
「大丈夫? 手を繋いで歩こうか」
青威の言葉に、朱音は少し照れながら頷いた。月に照らされた朱音は、静かな優しい雰囲気を漂わせ、温かい金色の光りに包まれているように見えた。
青威は朱音と手を繋いで歩いていく。清々しい風が夜の空間を吹き抜け、二人の毛を揺らした。
「青威の髪の毛、月の光に照らされると綺麗だね」
「お褒めに預かり、光栄です」
「そう言えば、覚えてる? 私と初めて会った時の事、あの時は月が見えなかったけど、青威の髪の毛はそこだけまるで別みたいに、綺麗に輝いて見えていた」
「覚えてるさ、朱音ちゃんの可愛いらしいさ、それに……あのムッツリ紫龍の言葉もな」
青威の言葉に朱音の足が止まる。青威は不思議そうに朱音の顔を覗き込んだ。
「あの時の、この家から逃げた女の息子って言葉の事?」
「うん、まあね、ほら俺ってさ、産まれた時には父親がいなくて、母親だけに育てられたようなもんだから、母親に対してちょっと特別感があるんだよね。だから、あの言葉は……」
「そうだよね……でもねあれは、春奈叔母様が羨ましかったんだと思うの。あの家に縛られ、逃げる事のできない自分の中の苛立ちを、ついついぶつけてしまったのよ。兄貴を許してあげて」
朱音のその言葉が青威の心に突き刺さり、こめかみの辺りを何かがピリリと刺激する。あの言葉を言った、紫龍を庇う人間がいる事が許せなかった。ましてそれが朱音である事が怒りを膨らませる原因になってしまったのかもしれない。
母親を侮辱した紫龍を、なぜ庇うんだ。青威の中で何かが破裂した。
「なぜ、紫龍を庇うんだ? やっぱりそれって紫龍を好きだからなのか?」
口にしてはいけない言葉をだったのかもしれない、だが一度破裂してしまった思いを止める事はできなかった。
「何よそれ……」
「見てりゃあわかるさ、朱音ちゃんが紫龍をどう見てるのか……」
青威は言った事を後悔しているのか、弱々しい口調でそう言って目を伏せる。
朱音は握っていた青威の手を払い除けて、一瞬怒りを感じさせる表情を浮かべたが、すぐに悲しい表情へと変わり、黒髪を掻き揚げて握り締め、苦しそうな表情を浮かべた。
「私は兄貴が好きよ。あの人のためなら死ねるくらいにね。不純だって思うよね……戸籍上は兄妹だから、そう思われても仕方が無い」
戸籍上は兄妹。この言葉が青威の心に引っかかった。
「戸籍上? 何だそれ」
「私は……凪家の養女なの。だから青威とも血の繋がりという意味では従姉弟ではない」
この言葉は、青威にとって衝撃的であった。
朱音が養女であった事はもちろんの事だが、何より朱音が紫龍の事を予想以上に深く思っている事を知り、愕然とする。
「あんなヤツの何処がいいんだ? 学校でだって、俺様顔でふんぞりかえって、血も涙もないような冷たいあんなヤツの何処がいいんだよ」
子供の悪足掻きの様な言葉を吐いている事を、青威は十分にわかっていた。だが一度ストッパーが外れてしまった心を止める事はできなかった。そんな青威を悲しみに揺れる瞳で見つめると、朱音はゆっくり一言一言丁寧に言葉を紡ぐ。
「兄貴は特別なの……私の命を、自分の命と引き換えに守ってくれた人だもの……それに青威、貴方はあの紫龍という人間の真実を知らないでしょう! もっと兄貴をちゃんと見て、自分の目で確かめるのね!」
朱音は途中から泣き声のような声でそう激しく言って、ゆっくりと足を進める。
月明かりの下に、後姿が凛と輝いていた。
朱音といい望月といい、自分の目で確かめろ。などと同じ言葉を口にする。
いったい、紫龍という人間には何が隠されているというのだろうか。
青威は、一度に沢山の情報が入ってきた頭を整理しきれず、頭に痛みを感じていた。
青威は朱音の後ろ姿を見ながら、足を前に進める。
その時だった! 朱音の横の茂みから黒い影が飛び出したかと思うと、朱音の体は突き飛ばされるように、その影ごと茂みの中に消えてしまう。
「朱音えええ!」
青威は突然の事に驚き、消えた茂みの中に勢いよく飛び込んでいった。
足をついた場所には、そこにあるはずの足場がなく、青威は訳がわからない状態で、崖肌を滑るように落下していく。激痛を感じる中で、意識が暗闇の中へと呑まれていってしまった。




