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           〜馬鹿〜

 青威の馬鹿! 

 朱音は、心の中でそう叫びながら、自分の部屋の机の前に勢いよく座り込んだ。

 途中、涼香に落ち着くように言われたが、朱音の心臓の鼓動は痛いくらいに高鳴り、落ち着く余裕などなかった。

 全速力で走って帰ってきたせいなのか、青威に抱きしめられたせいなのか、頬が赤く染まり、興奮状態にあった。

「いきなり抱きつくなんて、いくら従姉弟でも、ありえない……従姉弟でも……」

 朱音は徐々に息を整えながらそう言い、ゆっくり机の上に目をやると、両親の写真なのか、男女が二人仲むつまじい姿で写っている写真を眺めながら、机の上に頬をつけ、まるでアイスが解けるようにうな垂れる。

「そっか、青威……本当の……従姉弟じゃないんだよね……余計に駄目じゃない」

 朱音は微かにそう呟くと、深く溜息をついた。

「私の存在が無ければ、皆、元気に笑ってられたかな? 兄貴も苦しまずに済んだかな……でも、もう遅いよね。私はこの世に生まれ、その時から、兄貴の運命も動き始めいる」

 朱音はそう呟きながら、紫龍の写真を指でなぞり、儚げに微笑んだ。

「青威が来てから、この家の中の雰囲気が少し変わったなあ。いつもどことなく息苦しい感じに包まれていたこの家の中が、風通しがよくなったって思った。本当に不思議なくらい力強い温かさを持ってる人」

 朱音はそう言いながら、畳の上に仰向けに寝て、天井を見つめる。

 兄貴が、青威が来る事に積極的だった理由が、なんとなくわかるような気がする。

 朱音はそんな事を思いながら、クスリと笑った。

 兄貴は、私を守ってくれる。そんな安心を持たせてくれる。だけど、兄貴の身に何かが起こるんじゃないかと、常に不安に思う気持ちも付きまとう。苦しくて、辛い。

 朱音にとって、紫龍の存在は特別であった。男女の愛とは違う、もっと違う形の物なのかもしれない。だが朱音自身、その事にまだ気付いてはいないだろう。

「青威が来てから、気持ちが少し楽だったのに……あんな事をいきなりするなんて、はあ、もう! 青威の馬鹿!」

 朱音にとって、青威は心を温めて、くすぐり、笑いを与えてくれる存在になっていた。

 ぴんと張り詰めた空気を柔らかくしてくれる。そんな雰囲気を持つ青威の傍にいると、自然と顔が緩んでいる自分がいる事に、朱音は気付いていた。

 凪家と言う、長く重い歴史の意味を受け継いだ朱音にとって、この家は呼吸するのにも気を使うような場所であった。

 そんな中で唯一、安心できたのは紫龍の存在であったに違いない。

 だが、六年前、朱音と紫龍の両親が死んで、当主となった紫龍の立場も一変してしまった。

 朱音でさえ、紫龍の全てを知る事が難しくなったのであった。

「青威、もう帰ってきたかな」

 朱音は、微かにそう呟いた。


 青威は学園から帰ってきてから、朱音と一度も顔を合わせていなかった。

 そのまま夕食になり、気まずい雰囲気の中で、二人並んで不気味なまでの静けさの中、箸を進める。

 そんな様子を無視するように、広和が口を開いた。

「お婆様、最近そちらのお仕事の方はどうですか? 順調ですか?」

 今日は広和が、一緒に夕食をとっていた。

 母屋の間取りが広いせいもあるが、青威と広和が顔を合わせるのは、この夕食時の時間だけであった。

「きちんと、そっちの方も恩恵をうけとるじゃろう? 何が聞きたい?」

 時雨は不機嫌そうに、目を伏せたまま和弘にそう聞く。

「いえ、紫龍の体調の方はどうかな? と思いましてね。何せ一度、死んだヤツですから」

 広和は、紫龍の死を願っているような口ぶりでそう言葉を口にする。

 青威は広和のその言葉に驚き、朱音の表情を伺う。だが、朱音は何の反応もせず、淡々と箸を進めていた。

 青威には広和の言った「一度死んだヤツ」の意味がわからなかったが、そこで思い出されたのは、涼香の占いで出た死神のカードのことだった。

「紫龍があのまま死んでいたとしても、お前には凪家は継げんよ」

 時雨はそう言い、鋭い眼光の放つ瞳で、広和を睨みつける。

「なぜです? 俺はこの凪家の血を継いでいるんですよ。それに紫龍に負けない力だってある。なのになぜです?」

「答えは言わずともわかるだろう……龍がアイツを選んだのだから仕方があるまい。往生際は悪いぞ、そろそろ諦めてお前はお前の仕事に専念しろ」

 時雨はまた目を伏せ、静かに箸を進め始めていた。

 広和は、時雨の言葉が納得いかなかったのか、箸を置いて席と立ちその場を後にしてしまった。

 青威には、この凪家を継承するという事に、どんな意味があるのか、まったくわからなかったが、今の広和の表情を見ている限りでは、かなり大きなメリットが手に入るらしい事は予想がついた。

 だが、普段の紫龍を見る限り、いつも無口でムッツリしていて、とてもそんな大きなメリットを手に入れているような幸せな顔には見えなかった。

「時雨のばあさん、なんで、アイツは紫龍を目の仇にするんだ?」 

 青威の問いに、時雨は箸を置いて、青威の瞳をまっすぐに見つめる。

「お前は、今は知らなくていい。そのうち当主である紫龍が、全てを話してくれるだろう。それまで気長に待つことだ」

 時雨はそう言うと、珍しく優しい笑みを浮かべて、青威に微笑んだ。

 青威は、母親が凪家を逃げ出した理由を、感覚的に把握したような気がしていた。

「それはそうと、お前達、喧嘩でもしたのか」

 時雨の言葉に、朱音はほんの少し青威の方を見て、すぐに目を逸らしてしまう。

 青威の方は、苦笑いを浮かべ、溜息をついた。

 そんな二人を見て、時雨は鼻で笑っていた。


 朱音と青威は夕食を食べ終わり、席を立つとお互いに言葉を交わすことなく、自分達の部屋に戻っていく。

 だが、青威の方がその雰囲気に耐えかね、朱音の後姿に声をかけた。

「朱音ちゃん、今日はごめん」

 青威のその声に、朱音の足が止まる。

「別にもういいよ!」

 半分怒ってるような口調で、朱音はそう言うと歩き出そうとする。そんな朱音の手を青威は握り締めた。

「まだ怒ってるんだろう?」

「放してよ。怒ってないって言ってるでしょう」

 朱音はそう言って、青威の方を振り返ると、青威の顔が自分の顔のすぐ近くにあり、心臓が一瞬、大きな音を鳴らす。

「俺さ、確かに普段から女の子の事ばかりだし、そうやって誤解されても仕方が無いと思ってる。だけど、今日のは絶対に違う。朱音ちゃんの言葉が凄く嬉しくて、ついつい抱きしめてしまったんだ。反省してる。もう、絶対にしないから」

 青威はそう言って、栗毛の髪の毛を揺らしながら、頭を下げた。

 そんな青威の姿を見て、朱音は溜息をつき、黒い髪の毛を軽く掻き揚げるとゆっくりと口を開く。

「私ね、真面目すぎるのかもしれないけど、男の人に抱きしめられた経験って、父様と兄貴だけなの。だから、正直、青威にあんな事されて驚いた。過剰反応だったのかもしれない。引っ叩いたりしてごめん」

 朱音の言葉に青威は顔を上げる。

「俺の事、嫌いになってない?」

 紺碧の瞳を輝かせ、朱音の顔を覗き込むように青威は聞いた。

 朱音は静かに、頷き柔らかく微笑む。その表情に青威は満面の笑顔を浮かべ、一安心したように胸を撫で下ろした。


 そこへ携帯の音が鳴り響く。

 朱音はジーンズのポケットから携帯を取り出すと、送信相手を確認する。

 それは考祥からのメールであった。

 メールの内容は、明後日の土曜日、夜八時に学園裏の林で、肝試しを決行する! 時間厳守で集合、桃子ちゃんへの勧誘をよろしく。という内容のメールであった。

 

 朱音は読み上げると、青威の顔を見つめる。

「青威は行くでしょう?」

「もちろん、約束しているしな。朱音ちゃんはどうするんだ? この間、紫龍がどうのって言ってただろう?」

「うん、でもせっかく誘ってくれたんだし。私も参加したいな」

「紫龍がいいって言わなきゃ駄目? 朱音ちゃんの意思優先じゃ駄目なのか? 俺が紫龍に言ってあげようか?」

「そ、それはいい……」

 朱音は、そんな事をしたら、余計に話がこじれてしまう。そう思っていた。

「他に何か気になることでも?」

 青威は一瞬、朱音の金色の瞳の事が頭を過ぎるが、あえて口にしなかった。聞いてはいけないような気がしたのだ。

 青威の言葉に、朱音は目を伏せ少し考えてから、口を開く。

「ううん、明日、私も一緒に行くわ」

 朱音はそう言って、青威に微笑んでいた。青威もまたその笑顔に答えるように、柔らかい笑みを浮かべたのだった。  

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