〜抱擁〜
紫龍がまた消えた。
保健室から青威達が教室に戻ると紫龍の姿は無く、その後も、教室に戻ってくる事はなかった。
青威は紫龍が時々学園から姿を消すのは、学園がつまらないとかいう、絵に描いたような不良のような考えからだと思っていた。
口調や行動、学園に登校する時の制服、その全てが不良という姿を物語っていた。だが、今日の出来事を通して感じた事、もしかしたら他に大きな理由があるのかもしれない。青威はそう確信に近い考えを持っていた。
「青威! 今日、一緒に帰ろう!」
帰りのホームルームが終わってすぐに、朱音が三年A組に顔を出し、笑顔でそう言った。
青威は正直、複雑な心境であった。自分自身が朱音に対して特別な感情を抱いている事は自覚していた。だが朱音は紫龍に対して兄妹という枠を超えた感情を持っている。それが青威の胸の痛みの原因になっていたのだから。
青威は自分に言い聞かせるように思った。
俺がちょっかい出す前に、ふられて良かったのかもしれない。もし付き合ったとしても、たぶん朱音ちゃん一人だけと付き合うのは無理だから……。
青威はそんな自分に対して呆れたように口を歪まる。だが次の瞬間、その影を感じさせないほどの、ニッコリとした笑顔を朱音に返した。
「私も……途中まで一緒にいいかしら」
涼香がそう言って、青威に近づいてくる。そんな涼香の姿に、青威は涼香がタロットカードの事を気にしていて、そう言ってきてるのだと思った。
「じゃあ、途中まで一緒に帰ろう。今日は両手に花で、青威君は、モテモテ〜」
青威はそう言いながら、キラキラと笑顔を輝かせ、立ち上がった。
涼香はその青威の言葉に、儚げながらも安心したように笑顔を見せる。
朱音は紫龍の机に掛かっていた鞄を持つと、ほんの少し、不安げな表情を浮かべた。青威にはそう見えていた。
この時の青威には、涼香の中の真意を計り知る事が、出来なかったのだった。
青威達三人を追いかけるようにして、考祥と学級長も玄関へと走り込んでくる。
「俺達も途中まで一緒に帰る!」
二人揃って、言葉を発して、白い歯を見せニカッと悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「一緒に帰るって、お前らは反対方向だろう。今日の俺は両手に花なの。邪魔するな」
青威にそう言われて、考祥は口を尖らせ、学級長は眼鏡を上げる。
「だから……門の所まで一緒に、なあ誠」
「あ? ああ」
考祥の言葉に学級長は戸惑いながらも頷き、青威の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「門の所ったって、すぐ目のま……」
青威はそこまで言いかけて、考祥の威圧的な瞳に押されるように言葉を呑み込み、噴出して笑う。
「好きにすれば」
青威の言葉に考祥は口角をめい一杯に上げ、満面の笑みを浮かべていた。そんな姿を見て、朱音はクスクスと可愛らしい唇を歪ませて微笑み、涼香は溜息をつきながらも微かに微笑んでいた。
門の所まで本当に数百メートル。いくら敷地の広い学園だからといっても、門までの距離などたかがしれている。
考祥は後ろを歩いている青威を、チラチラと見る。
その姿に青威はクスクスと笑った。
考祥は青威が気になるのではなく、その両隣にいる、女子が気になっているのだろう。青威の周りにだけ、女子が集まる事に危機感を感じていたのかもしれない。
「じゃあ、ここで!」
青威はそう言って、考祥と学級長と別れようとしたが、考祥の声に呼び止められた。
「青威、今朝の話覚えてるか?」
青威はその言葉を聞き一瞬考え、思い出したような表情浮かべる。
「ああ、肝試しの話な……詳しい事決まったら教えてくれ」
青威の言葉が終わるか終わらないかという時に、涼香が横から言葉をかけた。
「肝試しなんだけど……今日の朝、言った事が消えない事は、重々承知の上でのお願いなんだけど、私も参加させてもらってもいいかな」
涼香は恥ずかしそうに、だんだん声を小さくさせながらそう言った。
その言葉に一番早く反応したのは、案の定、考祥であった。
「よっしゃあ! じゃあ近いうちに決行しようぜ。もちろん朱音さんも、それから桃子ちゃんにも声かけて、これでとりあえず最低限の人数は揃ったからな。一応顧問のモッチーに承諾受けとくわ」
「影村さん、霊感があるんですよね? 僕達に気を使ったりしてるんじゃないですか?」
学級長が、涼香の顔を覗き込んでそう聞く。
さすが、学級長、色々な所まで考えている。青威は、そんな隅々まで気が回る、学級長に対して素直に凄いと思っていた。鈍感な考祥の言葉をさらりとかわしてくれる、その優しさも好きであった。
「大丈夫……実を言うとね、私の霊感ってそんな強くないし、皆が楽しそうに話してるから、ちょっと意地悪言っちゃんだよね……本当に今日はごめんなさい」
涼香のその言葉に、青威も考祥も学級長も顔を見合わせ、笑みを零していた。
「もういいよ。どうせだから皆で思い切り楽しもうぜ!」
青威の言葉に、皆も賛同して笑っていた。
「じゃあ、決まったらメールで連絡しますよ」
学級長は、青威達にそう言う。
「ああ、でも俺、携帯電話持ってねえから」
「じゃあ、私の携帯に連絡ちょうだい」
青威の言葉に、朱音がそう言い出だすと、考祥の目がいきなりキラリと光り、意気揚々と嬉しそうに声が躍りだした。
「じゃ、じゃあ、アドレス教えてくれる?」
考祥の言葉に、朱音は快くアドレスをメモに書き手渡した。
「後でメールするから、朱音さんもちゃんと返信くれよ」
考祥の言葉に、朱音はニッコリと笑って頷いた。
誰をも幸せな気分にさせるような笑顔、美人というタイプではない。かといって、ぶりっ子という可愛さとも違う。清々しい静かな可愛さ、そんな雰囲気を朱音は持っていた。
考祥達と別れて、青威達は歩き始めた。
憧れの朱音のアドレスを手に入れられた考祥の後ろ姿は、本当に嬉しそうであった。
「ねえ、青威君て、お父さんがアメリカ人なんでしょう? なのになんで東雲なの?」
涼香が青威の顔を、可愛らしい瞳で覗き込みながらそう聞く。
「ああ、それね。俺のじいちゃんが日本に帰化して、その時の姓が東雲だったんだ、親父の血は純粋なアメリカ人だけど、国籍は日本だから、実際は日本人になるのかな?」
青威はゆっくりと歩きながら、風に栗毛の髪の毛を揺らしてそう言った。
「そうなんだあ、青威君のその瞳の色って綺麗だよね。透き通った空みたい」
涼香はそう言い、今日の出来事が嘘であったように、優しく笑うと前を向いて歩き出す。その笑顔に朱音は安堵していた。
「今はこの瞳を武器に女の子を口説いてるけど、昔はけっこう劣等感を持ってたんだ。俺の住んでた所は田舎だったし、ハーフなんて珍しいからね」
青威は少し淋しそうな表情を浮かべて、足元を見つめ歩いていく。
「青威は……女たらしで変なヤツ。でもいつも明るくて優しいし、正義感が強くて、ついつい一緒にいたら楽しいかも? って思っちゃう。私はそういう青威が好きだよ。ただ、他の男子に反感買わないように気をつけてね。影村さんもそう思わない?」
朱音が悪戯っぽい笑顔を浮かべそう言った言葉に、涼香も頷き微笑んでいた。
朱音の言葉の裏に特別な感情が無い事は、青威も知っていた。だが、言葉全体を優しい雰囲気が包み、青威は鼻の奥がツンと痛くなるのを感じていた。
突然、青威は朱音を抱きしめてしまっていた。
抱きしめるという行為は、青威には当たり前に近い事であったが、朱音にとってはそうではない。
二重の大きな瞳を余計に大きく開き、驚きを露にしていた。
そして次の瞬間、朱音は青威の体を突き飛ばし、頬を平手で引っ叩たく。
空気を裂く様に音が響き渡り、傍にいた涼香も驚いた表情をしていた。
青威は引っ叩かれた頬を摩りながら、自分のとってしまった行動を反省しつつ鼻で笑う。
朱音がくれた言葉が素直に嬉しくて、心の中の気持ちが温められ、膨らんでしまったのだ。だがそれは言い訳でしかないだろう。朱音の気持ちを無視した、一方的な青威の行動だったのだから。
「ごめん。ついつい、嬉しくって、感謝の抱擁をしていしまった。青威君、反省します」
青威は茶目っ気を含んだ表情でそう言い、わざとらしく顔を俯かせ、力無く肩を落とした。
「青威の馬鹿!」
だが、その態度が余計に朱音を怒らせてしまったのかもしれない。朱音はそう言い放つと、青威を無視して、一人でスタスタと歩いて行ってしまった。
黒髪を靡かせ、スカートの裾を風に揺らしながら、朱音の姿が遠ざかっていく。
「青威君、今のはちょっとやりすぎ」
涼香もそう言って、溜息をつきながら、朱音の後を急いで追っていってしまった。
一人残された青威は、溜息をつき髪の毛を掻き上げると、その顔に悲しみの影を漂わせ、青い空を仰いだ。
「怒らせちゃったな」
微かに呟き、栗毛の髪の毛を掻き毟りながら、ゆっくり足を進める青威であった。




