〜昼食〜
この日の昼食時間は、いつもとは違っていた。
「青威、お弁当忘れたでしょう、雪絵さんが作ってくれた美味しいお弁当持ってきたよ」
そう言って、朱音がお弁当箱を掲げて持ってくる姿を見て、青威は思わず苦笑い浮かべる。月詠学園のマドンナである朱音がそう言ってくると、他の男子の反感を買ってしまう怖れがあったからだ。
「悪い、悪い、わざわざありがとうな」
青威はそう言い、朱音からお弁当を受け取った、その手を朱音がいきなり握り締め、一瞬青威は驚いた。
「ねえ、青威、私を避けてない?」
朱音の言葉に青威は図星を付かれたのか、少し動揺を見せ、大げさに首を横に大きく何度も振る。
「本当に?」
朱音の言葉に、青威は大げさなほど縦に大きく首を振った。
「じゃあ、今日は天気もいいし、一緒に外でお昼食べよう! と言うか、私の友達が青威のファンでね、お願い!」
朱音は可愛らしく手を合わせて、青威に懇願してくる。断る理由もなく、朱音と一緒にお昼を食べるのは、青威にとっても複雑な気持ちがるにせよ嫌な事ではなかった。
「俺達もご一緒していい?」
朱音の言葉に、考祥が食いつかないわけがない。学級長も一緒に顔を出し、青威の意思など聞きもせずに話がどんどん進んでいた。
「ねえ、兄貴も一緒に食べるでしょう?」
「俺は遠慮しとく」
紫龍はそう言って、青威の方を意味ありげな鋭い視線で見つめる。その冷ややかな瞳に、青威は怒りと、心を見透かされているような恥ずかしさを感じ、顔が熱くなり紫龍から目を逸らしてしまう。
「そっか、残念だな」
朱音はそう言うと、少し淋しそうな表情を浮かべた。その表情が、またも青威の胸に痛みとなり突き刺さり、溜息をつくことしかできなかった。
「それじゃあ、楽しいランチタイムへレッツゴー!」
お調子者の考祥の言葉に無理矢理にでも促がされる事に、少なからずとも救われている青威であった。
校庭の片隅に、遅咲きの八重桜の木が、力強く佇んでいた。
皆は八重桜の花の下、学園の倉庫から持ち出してきたビニールシートを敷き、お昼を囲む。
「ねえねえ、青威君って彼女とかいるの?」
朱音の隣にいる、天然パーマで軽くウェーブのかかった髪の毛に、茶色の瞳をした女子が、いきなりそんな質問を投げかけてくる。
この少女は朱音の友達で、日向桃子と言い、明るく朗らかで可愛らしい雰囲気を持っているので、クラスの男子達にそれなりの人気があった。
突然の質問に、青威は言葉を詰まらせる。今までの青威なら、軽く「彼女募集中!」と言っていただろうが、それが言えない青威がそこにいた。
「……いないよ」
「じゃあ、私、立候補しちゃおうかな?」
桃子は青威の紺碧の瞳を覗き込みながらそう言う。まるで青威の反応を楽しんでいるかのようであった。
「う〜ん、俺さ特定の彼女作らない主義なんだよね、それでもいい?」
青威はそう言って、ニッコリと笑うと桃子の顔を覗き込んだ。
この言葉、裏を返せば、不特定多数の女と付き合うと言っているのである。
その言葉に、桃子は一瞬身を引き苦笑いを浮かべ、顔を引きつらせた。青威の言葉の真意に気付いたのだろう。
「やっぱり、こんな女たらし、無理だろう?」
「……友達になろう! 青威君と一緒だと楽しそうだし」
桃子は朗らかに笑うと、青威のお弁当の中にある、卵焼きを箸で摘んで食べる。
「な!?」
青威は桃子の突然尾行動に、口をあんぐりと開け何も言えないでいた。
「友情の印……ね、朱音の所の雪絵さんの作る卵焼き、大好きなんだ〜!」
桃子はそう言って、リスの頬袋のように、両方の頬を膨らませながら、満面の笑みを浮かべていた。こんな一方的な友好関係も、桃子の雰囲気に包まれると、嫌な気持ちにもならなかった。
「じゃあ、今回の肝試し大会の参加者は決定だな。まず桃子ちゃん、それから朱音さん……あと、誰かいないかな?」
考祥は相手の了承もなしに、勝手な事ばかり言っている。
桃子は楽しそうに笑い、行く気満々という感じだったが、朱音は複雑な困ったような表情を浮かべ、自分達の真上にある三年A組の教室を見上げた。
「どうしたんです?」
学級長が、朱音の様子を見てそう聞くと、朱音は俯き加減に目を伏せる。
「う〜ん、兄貴がなんて言うかなって、思って」
力なくそう言い、軽く溜息をついた。
「凪君、そんなに過保護なんですか? 妹思いでもちょっと行きすぎなんじゃないですか?」
学級長の言葉に、朱音は苦笑いをしていた。
青威は思う。紫龍にそんな風に言われる事を、朱音自体が望んでいるのではないか、と。
それを考えると、なんだかやり切れなかった。
まさかこれ程まで、自分自身が一人の少女の姿に一喜一憂するなど、ちょっと前の青威には考えられない事であった。
皆でワイワイと昼を囲んでいる所に、足音も感じさせず近付く影が一つ
涼香であった。
涼香は、何か気まずそうな表情を浮かべている。それはそうだろう、先ほどのタロットカードの事で、紫龍に容赦ない攻撃を受けた後なのだから。
「何か用か?」
「うん……青威君、さっきはごめんなさい」
考祥の問いに、涼香は頭を深々と下げて、そう言った。
涼香なりに考えだした答えが、この青威にへ謝罪だったのだろう。
青威は眼の前の涼香の行動に、好感を持つ。そして先ほど見た黒い影はやはり目の錯覚だったんだとそう思っていた。
「青威、何かあったの?」
朱音の問いに、割り込むように考祥が横から口を出して来る。
「さっき、紫龍にいじめられたんだよなあ」
と、少し意地の悪い表情を浮かべて言った言葉に、朱音は少し悲しそうな表情を浮かべて、涼香の顔を覗き込んだ。
黒く澄んだ瞳に見つめられ、涼香は気まずさを感じたのか目を伏せる。
「兄貴が、また何か酷い事言ったの?」
優しく静かな響きの声で朱音はそう涼香に問いただした。
「ううん、私が悪かったの……少しね、自惚れてたんだと思う。最初は占いが当たるって言われて嬉しくて、そのうちにそれがあたり前になってしまって、なんだか自分がもの凄く偉いようなそんな風に思ってしまっていた……だから凪君に言われた事は、仕方が無い事だと思う」
涼香はそう言って、沈んだ表情で朱音を見つめていた。そんな涼香に朱音は、優しい笑みを投げかける。涼香はその穏かな温かい笑顔に驚き目を見開く。心の中に温かい風が吹き込んでくるような気がしていた。
「えっと、影村さんだったよね? せっかくだから一緒にお昼ご飯食べない?」
「いいの?」
涼香は青威の顔をはじめ、考祥と学級長の顔を見渡してそう聞いた。
考祥と学級長は、青威の顔を見て答えを青威に委ねる。青威は静かに目線を上げ、涼香を見つめるとゆっくりと重みのある声で言葉を発する。
「条件がある。話題づくりのために占いをやるのは止めろ。それと言いたい事があるなら陰でコソコソして仲間を作るような事をしないで、本人に面と向って言えよ。そうしたらきっと女としても磨きがかかるぜ」
青威はそう言い終わると涼香に向ってウィンクをした。涼香はその言葉に少し赤くなり目を伏せた。
「青威、この女ったらし! うちのクラスの女子を全部持っていくなよ!」
考祥は、青威を羽交い絞めにしながらそう言い、学級長は静かに頷いていた。
朱音と桃子はそんな三人を見ながらクスクスと、楽しそうに笑っている。
「ほらほら、影村さんも中に入って、この桜が散る中でお昼食べるのって情緒があって、私大好きなのよ。ご飯はやっぱり沢山の人と食べるとおいしいもんね」
朱音はそう言うと、涼香に微笑みかけ、桃子との間を少し空け、涼香を招き入れたのだった。
桜の木の上にある、三年A組のクラスの窓からは、静かな視線で紫龍が朱音達を見つめていた。
桜の散る姿は、咲いている姿よりも儚い分だけ美しく感じる。
紫龍はそんな事を思いながら、悲しげに瞳を揺らしていた。
花びらが散る中で、青威達はお昼と食べている。
青威は食べる事が好きなのか、食べている時の表情が本当に幸せそうに見えた。その雰囲気に、一緒にお昼を食べている者を巻き込んで和ませ、温かい雰囲気を作り出していた。
青威の周りにはいつも笑顔が絶えない、青威の笑顔にはそんな力があるのかもしれない。
「お前が、東雲青威か!?」
低く凄みのある声がいきなり聞え、青威は顔を上げると、そこには厳つい硬そうな短髪の男子が立っていた。
「お前、岩倉哲夫、二年のお前が、青威に何の用だ?」
考祥は、岩倉を睨みながらそう言い、すぐに立ち上がれるように身構えた。
この岩倉哲夫という生徒は、二年留年しており、喧嘩が強い事をいい事に、同じ学年の生徒を力ずくで従わせ、二学年を牛耳っている、自称番長であった。
「いやあ、最近二年の女子が、三年に転校してきたハーフに浮き足立ってましてね。ちょとその本人に挨拶をと思いまして」
岩倉はそう言い、ニヤリと嫌な笑みを浮かべると、青威を上から睨み付けた。
「岩倉君、今度問題を起こしたら、停学じゃ済まなくなるのよ」
朱音は強い口調でそう言うが、岩倉はその言葉に対して鼻で笑う。一瞬、その場の雰囲気に緊張が走る。
「これはこれは副会長様、ホントいけすかねえ女だな。いつも正当な事ばかり言いやがって、自分が正義者ぶって気持ちいいんだろうが、こっちはお前みたいな顔を見てると、ヘドが出るんだよ!」
岩倉はそういきり立った声を上げると、朱音に向って手を伸ばす。朱音は瞬間的に手で自分を庇い目を閉じた。
「くっ!」
岩倉の顔が歪み、苦痛に耐えているようだった。
青威が岩倉の手を掴み上げ、凄い力で握り締めている。紺碧の瞳は怒りの色に満ち、今にも爆発そうな勢いを感じた。
「俺の握力は驚異的だよ。この可愛らしい容姿からは想像も出来ないほどの威力だよ〜ん」
青威はまるで岩倉を弄ぶかのようにそう言う。その口ぶりが岩倉の怒りに火をつけた。
ポケットに忍ばせていたナイフを取り出し、青威の腕に切りつける。咄嗟に青威は岩倉から手を放したが、ナイフの刃は青威の腕を霞め、切れた皮膚には血が滲んでいた。
「いってえ」
青威は切れた部分を手で押さえる。
「青威! 大丈夫?」
朱音の声が響き渡り、考祥が立ち上がって、岩倉に掴みかかろうとするが、相手はナイフを持っている、そう簡単に近づく事が出来なかった。




