私の選択
私はすごく平凡な女子高生だ。
人より考えることが弱いがそれもそれでいいと思う。
前文に書いたように私は「平凡な女子高生」だ。
今だからこそ平凡でいられる。
私が自分なりに平凡だと思えるようになるまでの話を聞いてもらいたい。
私は2001年ど田舎で産まれた。私の母は当時19歳だった。
19歳という若さで子供を産むことに対しても様々な意見があるだろう。私は未熟児で母は産んで二、三日後やっと私を見たらしい。その時、母は感動も何も無かったそうだ。ただ、この子達は生きれるのかしら、そう感じたらしい。
この子達というのも私は一卵性双生児なのだ。本当に顔が似ている。喧嘩した時は決まり文句のように「ブス!」というがまわりのひとはみな声を合わせて同じ顔だ。という。私たちからしたら全く違うのに周りにはわからないものなのだと今でも不思議に感じる。
数週間後私と妹は先に退院していた母の迎えにより家に帰ることが出来た。初めての我が家だ。私は記憶にはないが何回か引越しをしたらしい。
さっきかららしいしか言ってない。記憶が無い頃のことはらしいとしか語れないから不便だ。幼い頃の記憶がある子や前世の記憶かある子が世の中に入るらしい。残念。私は選ばれなかったよだ。
さて、ここからは私が記憶のあるところから話させてもらおうか。
私の母は眩しいくらいの金髪。いくつも開けたピアス。憧れの女優を真似たタトゥー。おまけに学校にはめったに行かないというヤンキー。私たちを産んだ頃にはヤンキーは辞めていたらしいが未だに穏当に辞めてるのか?現役ちゃうか?思うくらい怖い。そして顔はそこそこに整っていてもてたらしい(母曰く)父。ヘタレで金遣いが荒くギャンブルが大好きだ。それでも私はこの父親が一番好きだった。そして母さんはこの父親がいちばん嫌いだった。
物心がついた時には私たち双子は母からの暴力に耐えていた。19歳という若さで産んだ上に子供は双子お金もない世間知らずな母だ。おまけに父はギャンブルに夢中でかえってこない。さぞかし一人で抱え込んだのだろう。母は接触障害、うつ病、拒食症、合併症で過食症にかかった。毎日のようにご飯を食べてはトイレにこもりとめどない吐き気との戦い。嘔吐。そして様子を見に行った私にすがりながらこういうのだ「ねぇ、母さんと一緒に死のうか?」って。幼い私はなんと言っていいのかわからなかった。でもどうしても脳裏に焼き付いた暴力を振るう時の母の顔。それを思い出すと「生きて」の一言が出てこなかった。