第二十一話 兎と番犬⑥
ロットワイラーの魔術が着弾した地面は轟々と燃え上がり、さながら活火山の
火口を彷彿させる勢いで、大量の黒煙を立ち昇らせている。
そんな焦熱の地獄の中から、煙を纏いつつ跳び出してくる影が一つ――ジャー
マンである。凄まじい大炎に巻き込まれたにも関わらず、頭髪や鎧が所々僅かに
焦げている程度で、取り立てて大きな負傷は見受けられない。
その秘密は、ジャーマンが装備しているマジックアイテムにある。
鎧と衣服にの下に隠れ、アルルが【鑑定眼】で視る事のできなかった物の一つ
に〝火払いの護符〟と名付けられた、首飾り型のアイテムがある。これは一日に
一度だけ起動でき、起動後三十分の間、装備者に炎熱に対する強い護りを与えて
くれるマジックアイテムなのだ。
ちなみにジャーマンの纏う鎧にも、マントに付与されているもの程強力ではな
いものの、炎熱に対する耐性が付与されている。
この火払いの護符は本来ならば、強力な火炎を操る魔物などとの戦闘の際に起
動させる物であり、こういった使い方をする為のアイテムではない。実際、この
様な使い方をしたのはジャーマンも初めての事だ。
藍犬騎士団に所属する魔術師達が皆優秀であり、味方を自らの放った魔術に巻
き込む様な間抜けがいないというのも理由の一つだが、それ以上に、敵諸共味方
を攻撃する事に忌避感を持つ者が多いというのが最大の理由だ。
炎熱に対する耐性を得ていれば、火炎による攻撃ではダメージを受け難くはな
るものの、あくまでも『受け難くなる』というだけで『受けない』という訳では
ない。それが〝完全耐性〟などという規格外でもない限り、ダメージは確実に蓄
積されるのだ。
大きなダメージを与えないとはいえ、味方を攻撃に巻き込む事に些かの躊躇も
持たない者というのは、狂人か人格破綻者の類であろう。
ジャーマンの無事を確認し、藍犬騎士団の面々は揃って胸を撫で下ろす。ジャ
ーマンが火払いの護符を装備している事は、当然彼ら彼女らも知っているが、そ
れでもやはり、敬愛する上官が自ら大炎の中に跳び込んでいったのを目にし、少
しも不安を抱かないというのは無理な話だった。
魔術を放った本人であるロットワイラーなど、あからさまにホッとしている。
そうして胸を撫で下ろしつつも、藍犬騎士団の面々の誰もがロットワイラーの
魔術が生み出した巨大な焚き火から目を離す事はない。炎に呑み込まれたもう一
人……否、もう一体――アルルの動きを見逃さない為だ。
しかし、未だ燃え上がる炎と立ち昇る煙は激しく、その中心の様子を見極める
事は難しい。
倒すまではいかなくとも、せめてそれなりのダメージは受けていてくれ――そ
んな思いで、この場にいる藍犬騎士団の皆が燃え上がる大炎を見詰める中、ただ
一人――ジャーマンだけが、他の者達とは異なる理由で大炎を凝視し、硬直して
いた。
ジャーマンを硬直に追い込んでいるものの正体――それは、本日最大と言って
も過言ではない程の驚愕。そして、それを遥か上回る程の困惑だ。
(…………消えた?)
そう、消えたのだ。
ロットワイラーの魔術が着弾する寸前――ジャーマンもまた目撃していた。文
字通り目の前にいたはずの白い魔物が煙の様に、或いは幻の様に、その姿を消し
てしまったのを。
「……出てこないな。もしかして……やったのか?」
ロットワイラーがポロリと漏らした言葉が耳に届き、ようやくジャーマンの止
まっていた刻が再び動き出す。そして、その口から呪われし禁忌を滑らせたロッ
トワイラーに目を向けた――次の瞬間。
「――!? ロットワイラー!! 後ろだッッ!!」
ジャーマンは咆える様に叫ぶ。
その警告に従い、咄嗟に背後を見やったロットワイラーの視界に、ありえない
光景が飛び込む。メイスを高々と振り上げた白い魔物が、今まさにそれを振り下
ろさんとしていたのだ。
「――は?」
それが、ロットワイラー・ビルテンベルクの最期の言葉となった。
なんとも間の抜けた辞世だが、それも仕方がない。何故なら、ロットワイラー
――ひいては他の藍犬騎士団の面々にとっても、これはあり得ない事だからだ。
この場にいる藍犬騎士団に所属する者達は皆、ロットワイラーの生み出した大
炎を注視していた。
炎に呑まれたアルルがどうなったのかを見極める為、そして、アルルがジャー
マンと同じ様に炎と煙の中から突然跳び出してきたとしても、即座に反応できる
様にだ。
いかに炎と煙が視界を遮っている上に、あの白い魔物が見た目にそぐわぬ素早
さを有しているとはいえ、流石にあの巨体が炎の中から跳び出してくるのを、自
分達が見逃すはずがない――藍犬騎士団の面々は、そう確信していた。
にも関わらず、アルルはいつの間にか炎の中から脱出していた上、誰にも気付
かれる事なくロットワイラーの後ろに回り込んでいたのだ。おまけに、所々体毛
がチリチリになってはいるものの、特に大きなダメージを負っている様には見え
ない。
藍犬騎士団の面々が揃って頭上に「!?」を浮かべ、隙を晒してしまったのも、
仕方がない事と言えるだろう。
勢い良く振り下ろされたアルルのメイスが、ロットワイラーの整った顔を容赦
無く叩き潰す。藍犬騎士団一の魔力量を誇るとはいえ、あくまで魔術師であり、
決して魔力による肉体強化が得意とは言えないロットワイラーに、その一撃を躱
す事はできなかった。
メイスが当たる直前、ハウルドによって施されていた《魔力の防膜》がロット
ワイラーを護るべく発動したものの、それはいとも容易く打ち破られ、一瞬たり
とも時を稼いではくれなかった。
アルルが地面にめり込んだメイスを持ち上げると、そこには高所から落下した
トマトの様にひしゃげ、真っ赤な肉塊と化したロットワイラーの無残な姿がある。
若くしてラウヌス王国の騎士団大隊長まで上り詰め、数々の輝かしい戦歴を積
み上げてきた優秀な魔術師の人生は、実にあっけなくその幕を下した。
「……炎系の魔術ばかり撃ってきてくれやがったお礼だ。チャラ野郎」
「きさ――」
「おの――」
ロットワイラーと盾となるべく傍にいたにも関わらず、その使命を果たす事が
できなかった二人の重装兵が、それぞれ腰に下げた剣に手を掛けつつ、怒号を上
げ様とする――が。
「うるせぇ」
全てを言い切る前にアルルのメイスが高速で横に振るわれ、重装兵達を纏めて
薙ぎ払う。
鎧を着込んだ大の男とは思えない程に軽々と吹き飛び、宙を舞った二人は、地
面に落下した後、二度と動き出す事はなかった。
「……もういいか」
屍となった重装兵達を見やりつつ、ポツリとそう呟いた後、アルルは次なる標
的――ハウルドへと視線を移す。
「今のがお前達の奥の手か? それとも、まだ他の手を隠してるのか? もしそ
うなら、早めにそれを使った方が良いぞ?」
アルルはブンッブンッとメイスの素振りをしながら、不気味なまでに穏やかな
口調でハウルドに語りかける。
「そろそろ……終わらせるつもりだからな」
アルルが再び、強い殺気を迸らせた――その時。
「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
「よくもロッティをッッ!!」
「《大地の牙》!!」
ジャーマンは剣を構えつつ走り出し、マリアンは矢を放ち、ハウルドは魔術を
詠唱する。三人の鋭い視線が射抜く先に在るのは、当然アルルだ。
アルルから見て、やや前方の地面から成人男性の前腕程の太さを持ち、先端が
鋭く尖った岩が複数突き出てくる。アルルがこのアストルに来る途中で戦った、
グランホースの使用したスキル【巌槍】の下位互換の様な魔術だ。
突き出した岩が揃ってアルルに向かって伸びる。だが――
「フンッ!」
――アルルが無造作に振るったメイスの一振りで、その全てがあっけなく砕け
散る。
メイスを振るう直前、アルルの影に再びマリアンの射った影縫いの矢が突き刺
さったものの、今回はアルルが動きを止める事はなかった。流石に同じ手が原因
で何度も隙を晒す程、アルルも間抜けではないのだ。
「ふむ……やっぱりさっきのがピークだったか」
言いながら、アルルはスッとメイスを振り被る。
それを見たハウルドは一瞬、訝し気な表情を浮かべかけるが、即座にアルルの
やろうとしている事を理解し、防御系魔術の発動を試みる。ハウルドを守るべく
傍に付いていた二人の重装兵も、ほぼ同時にアルルが次に取るであろう行動を察
し、ハウルドの前を固めんと慌てて盾を構える。
直後――飛矢と見紛う速度で投擲されたメイスは、ギリギリのタイミングで射
線を遮る事に成功した重装兵達の盾に衝突すると、盾ごと鎧ごと二人を圧し潰す。
そして、メイスに押され、吹き飛ばされた重装兵達が、その後ろに立っていた
ハウルドに激突する。
防御系魔術の発動を間に合わせることができかったハウルドに、それを防ぐこ
とはできない。事前に自身にかけていた《魔力の防膜》が勢いを弱めてくれたもの
の、金属の鎧を着込んだ巨漢が二人同時に激突してくる衝撃は中々に強烈なもの
であり、ハウルドもまた血を吐き出しつつ後方へと吹き飛び、仰向けの状態で地
面に倒れ込んだ。
自慢の聴覚が、ハウルドのだいぶ弱々しくなってはいるものの、未だ止まって
いない呼吸音を捉えるが、とりあえず戦闘不能にはなっただろうと判断したアル
ルは、すぐ近くまで迫ってきていたジャーマンへと視線を移す。
憤怒に染まった鬼の形相で迫るジャーマンを、アルルは空いた右手を硬く握り
込んで作った鉄拳で迎え撃つ。
「――!!」
先程までのメイスによる攻撃とは比べものにならない速さと威圧感を前に、受
け流しは困難と判断したジャーマンは、咄嗟に鎧と盾に魔力を流し込み、その強
度を上昇させ様とする。
そして、次の瞬間――ジャーマンの全身を、想像を絶する衝撃が走り抜けた。
盾はひしゃげ、腕は折れ、鎧はへこみ、全身の骨という骨が悲鳴を上げる。
「悪いな。俺は拳で殴る方が得意なんだ」
盛大に吐血し、吹き飛び、地面に転がったジャーマンの耳に、アルルの淡々と
した声が届く。
「アァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
激憤故か、それとも自らを奮い立たせる為か、或いはその両方か。マリアンが
咆哮を上げながら弓を引き絞る。番えられた矢には、込められる限界の量まで魔
力が注ぎ込まれ、貫通力が極限まで高められている。
マリアンがその矢を放つと同時に、アルルもまたその場でマリアンに向けて右
拳を突き出し、魔弾を発射する。
放たれたその魔弾は、アルルが先にマリアンに向けて発射した二発と比べると、
遥かに大きいにも関わらず、弾速は些かも引けを取らない。いや、むしろ速くな
っている。
(これは……躱せんな……)
時間が妙にゆっくりと流れ、目に映る光景がスローモーションの様になる中、
マリアンはそう確信する。
驚異的な速度で宙を疾る巨大な魔弾は、途中でぶつかったマリアン渾身の矢を
容易く弾き飛ばしつつ、その先に立っていた彼女の元へ瞬く間に到達する。
マリアンは咄嗟に両腕で抜き出しの顔――頭部を庇う。それが精一杯だった。
着弾した魔弾が炸裂し、マリアンの小柄な体が宙を舞う。地面に落ちて何回か
転がった後、うつ伏せの体勢になって止まる。先に倒れた仲間達同様、再び立ち
上がろうとする気配は皆無だった。
マリアンが人の形を留めている事を少々意外に思いつつ、マリアン、ジャーマ
ン、ハウルド、ロットワイラーを順繰りに見回したアルルは「ふむ!」と満足気
な声を漏らす。
「うん……存外楽しめたな」
汗を掻かない体ではあるものの、アルルはなんとなく右手の甲で額の辺りを拭
う。娯楽を満喫した子供の様な、晴れやかな表情を浮かべながら。




